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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第1章 バナーレ村
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お使いにいこう①

 北から冷たい風が吹き注ぎ、木々の緑もすっかり色褪せた。

 朝晩は特に冷え込み、寒さのあまり寝付くのにも時間がかかる。

 冬の気配はもうすぐそこまできていた。


 そんなある日、ドニは台所で自分のものとなった斧を磨いていた。

 木こりのジョゼフから貰った、古くて所々が錆びているものだったが、自分の所有物となったその斧をドニは大切に扱っている。

 これ以上、錆びないようにタオーネに分けてもらった油を塗り、ぼろ布で磨く。

 斬るためには使わないので研ぐことはしない。

 ドニはニコラスやジョゼフに教わった手入れを丁寧に繰り返していた。

 斧を家に持って帰ってきたときはニコラスが、身を守るだけであっても武器は扱えたほうがいいからと、タオーネへうまく説明しておいてくれた。

 本当はタオーネを守れるようになりたいという最大の目的があるのだが、弱くて情けない自分が強くて頼りになる彼を守ろうと言うのはおこがましい気がしてドニは言いたくなかったのであの教官はその気持ちを尊重してくれたのだ。

 そのおかげでタオーネはそんなドニの秘密を知ることなく、時たま斧が磨かれていくのを微笑ましげに見守っていた。

 錆びて斬れないとはいえ、斧が刃物であることを心配した彼は自身の目が届く範囲で手入れをさせることにしている。

 手入れに使う油は食糧庫から分けてもらうため、ドニとしても台所で作業するのは便利だった。


 やがて斧がしっかりと磨かれたのを確認し、ドニは満足げに頷いてそれを自分の部屋にしまいにいく。

 最近少し足がはみ出そうになるベッドと、服を入れる籠が置いてあるくらいの質素な部屋だ。

 ここは何処からかすきま風が入り込んで少し寒い。

 なのでドニはあまりこの部屋に留まることはせず、火の気がある台所にいることが多い。

 タオーネも患者が訪れたときや薬を煎じるときは仕事部屋で作業するが、手が空いたらすぐに台所へきてくれる。

 今も仕事と家事を終えた彼は自身の本棚から何やら小難しそうな本を持参して、とろ火で今晩の夕食を煮込む台所の小さな机に居座っていた。


 ドニは壁に斧を立てかけ、タオーネが読書をしている台所へ戻ると、これからどうしようか考えた。

 今日はもう鍛錬を終え、日が暮れるまでは自由時間なのだが、アーサーはタオーネから借りた本を読みたいと言って家に戻ってしまったし、ヘンリーもこの時期は猟師である父親の仕事が忙しくなるようでその手伝いをすると言っていた。

 つまり、今日は友達とは遊べないのだ。

 斧の手入れが終わって手持無沙汰になったドニはチラッとタオーネが読んでいる本へ目を向ける。

 あのような難しそうなものはドニには読めないが、彼の豊富な本棚の中には挿絵のある本もいくつかある。

 魔物図鑑は見ている分には面白かったし、植物辞典や大昔の伝承が載った本なんかもドニは好きだった。

 タオーネにお願いしてその中のどれかを読ませてもらおうか。

 そんなことを考えていると、タオーネが何かにぴくりと反応して顔を上げた。

 彼の特徴的な白みのない瞳は窓の外を向いている。


「どうやら行商人の方がいらっしゃったようですね。鐘を鳴らす音が聴こえます」


 そう言われてドニも耳を澄ますと、彼の言う通り、何処からかカランカランと軽やかな音が聴こえてきた。

 だが、行商人というものを知らないドニはきょとんとした顔で首を傾げた。

 するとタオーネはすぐにドニにもわかりやすく説明を始めてくれる。


「行商人というのは、あちらこちらに旅をしながら色々なものを売っている方のことです。バナーレ村には毎年、春と秋の二回訪れてくださるのですよ。今年の春は、まだドニがいない頃でしたので、ドニはこれが初めてですね。せっかくですし、私はこれからお店を見に行こうと思うのですが、ドニも一緒に行きますか」


 ドニはその誘いにもちろん頷く。

 思わぬ暇潰しができたこともそうだが、タオーネに何処かへ連れ出してもらえるのが嬉しかった。

 彼は読んでいた本を閉じると、自分の部屋からいつもの杖と硬貨の入った袋を手にして戻ってきた。

 それからいつもは薬草を摘んで入れるための籠にいくつか空の陶器の入れ物をしまって、それも片手で持つ。

 ようやく準備が整い、ふたり揃って家を出ると、冷たい風がドニのくたびれた服もお構いなしにまとわりつき、体がぶるりと震える。

 そんなドニを見て、少し何かを考えるような様子を見せながらタオーネは微笑んだ。


「それでは参りましょうか。何かいいものがあるといいですね」


 背筋をピンと伸ばして歩くタオーネの隣に駆け寄ると、ドニは素直に彼へ笑い返した。




※※※※※※※※※※




 行商人は村の子どもたちがよく集っている広場のような場所で、店を開いていた。

 村人たちもこのときを待っていたのか、ちらほらと集まってきている。

 特に女と子どもたちが物珍しい品物に興味津々といった様子で、商人からの説明を受けていた。

 ドニもほかの人たちの邪魔にならないように、控えめにこの村まで商人が乗ってきた大きな馬車の中を覗き込む。

 すると様々な品が目に入った。

 日持ちしそうな食料品に状態のいい古着、それからちょっとした玩具や菓子の類い。

 この村の中では手に入れることができなさそうなものばかりだ。

 そんなものを目にしたドニは瞳をキラキラと輝かせ、何も見逃さないようにそれらを眺め続けていた。


「ドニ、少しこちらにきてください」


 タオーネに呼ばれ、魅力的な品々に少しの名残惜しさを感じながら彼のもとへ向かう。

 すると、そばに中年の商人を控えさせたタオーネが優しく微笑んでドニを待っていた。

 商人の腕にはいくつかの布のようなものがかけられている。

 どうしたのだろうと首を傾げると、タオーネは用件を切り出した。


「そろそろ寒くなりますからね。暖かい服をいくつか買っておきましょう」


 その言葉に驚いて彼を見上げる。

 服ならもう初めて会ったときに買ってもらっている。

 それなのにまた別のものを買ってくれると言うのだ。

 いま着ている服も少し窮屈になってきてはいるが、まだ着れそうだというのに。

 新しく買うのはもったいないのではという意味を含めたドニの視線に、タオーネは変わることなく穏やかに微笑む。


「いいのですよ。大きめのものを買って、長い間、使えるようにしましょう」


 そう言われて、ドニは困ったような顔でおずおずと頷いた。

 タオーネがそう言うならドニもそれに従うほかなかった。

 それにまだ着れそうとはいっても、いま持っている服はどれも腕の長さが足りなくなってきている。

 確かにここでもっと大きな服に買い替えたほうがいいのかもしれない。

 だが、それでも自分のことでお金を使わせてしまうのが申し訳なくて、ドニは恐縮してしまう。

 大きな体を縮こまらせるドニをしり目に、商人の男は腕にかけていたものの中のひとつを取り出して、タオーネに差し出した。


「それなら、これなんていかがです? ちょっと古いですけど、ジャッカロープの毛皮なんですよ。暖かさは保証しますが、変色もしてるんでお安くしておきますよ」


 男が差し出したのは毛皮のマントだった。

 大きくてドニが被ってもすっぽりと体を包み込んでくれそうだ。

 その少し緑がかった毛皮はジャッカロープのものだと聞いて、ドニはタオーネの魔物図鑑を思い出した。

 確かそれは角の生えた兎のような魔物で、姿形が愛らしいのでよく覚えている。

 タオーネ曰く凶暴な性格をしていて近寄る者には容赦がないらしいのだが、あの可愛い魔物が皮を剥がされてこうなっていると考えると少し可哀想な気もした。

 タオーネは男からマントを受け取ると、ドニの体に何度もそれを当てて真剣に吟味した。


「この大きさなら来年の冬も着れそうですね。ドニはどう思いますか?」


 どうやらこのマントがお眼鏡に適ったらしいタオーネが、今度はドニの意見を求めてきた。

 急に話を振られたドニは慌てて、大して考えもせずにこくこくと頷く。

 するとタオーネはそんなドニを気にすることなく、そのマントを手に商人の男のほうへ向き直した。


「では、このマントをいただけますか。あの毛糸の襟巻もお願いします。それからシャツもいくつか見せていただいてもよろしいですか?」

「はい、はい、かしこまりました」


 慣れた様子で注文するタオーネに、商人もやはり手慣れた様子で馬車からいくつかの品を取り出す。

 そんなふたりのやり取りがなんだか遠い世界のことのように思えながらも、ドニは堂々と買い物をこなすタオーネに尊敬の眼差しを向けた。

 タオーネはそんなドニにこっそり苦笑しつつ、商人から受け取ったいくつかのシャツを先ほどのマントと同じように順々にドニの体に当てて大きさを調べる。

 ドニはなんとなく緊張して、神妙な顔でタオーネにされるがまま、そこに立ち続けた。

 やがてやっと納得したらしいタオーネが一着のシャツを選り分けて、残りを商人の手に返した。


「これなら腕を捲れば長く使えそうですね。すみません、このシャツも買います」

「ありがとうございます。よろしかったら食糧品も見てってくださいね。白砂糖もありますよ。坊ちゃんに飴玉なんていかがですか」


 シャツから解放されてホッと息をついていたドニは商人の言葉に驚いて、思わず後ろに何歩か後退した。

 飴玉がどういったものなのかは知らなかったが、これ以上、タオーネに自分のためのお金を使ってほしくなかった。

 そんなドニの気持ちを察したわけではないだろうが、タオーネは腕にかけていた籠から陶器の入れ物をふたつ取り出して男に手渡した。


「では、お砂糖をここに半分ほどお願いします。あとこちらの容器には一杯になるまで入れてください」

「おっ太っ腹ですね!」


 タオーネからの注文に冗談めかしたような調子で言葉を返し、男はすぐに大きな樽から砂糖をすくい上げて慎重に渡された器に注ぎ始めた。

 白い砂糖が日の光に反射しながら、さらさらと流れるさまはドニの目を奪う。

 しばらくして、ふたつの小さな容器に頼んだ分の砂糖がきっちりと入れられたのを確認し、タオーネはまた別の注文を商人に伝えた。


「それから飴玉をいくつか見繕っていただけますか。ひとつはすぐにこの子にあげてください」


 ドニはびっくりしてタオーネに視線を移して凝視した。

 服だけでもとってもありがたく思っているのに、さらに何か買ってもらったらさすがに申し訳ない。

 なんとか断ろうとしながらもオロオロと言葉を詰まらせるドニを、タオーネは少し笑って制止した。


「たまには贅沢しても罰は当たりませんよ。甘いものはお好きでしょう?」


 優しく見守るような眼差しで見つめられ、ドニはおずおずと頷く。

 やはり申し訳なさが心に残ったが、それと同時に嬉しいような、恥ずかしいような、温かい気持ちが胸に広がっていった。

 なんとなく居心地が悪いような気がしてもじもじしていると、商人の男が馬車から片手で持てるくらいの蓋がついた陶器の入れ物を持ち出してきた。

 男がドニの前でその蓋を開けると、中から日に当たるとキラキラと控えめに煌く小さな玉が現れた。


「よかったな、坊ちゃん。好きなのをひとつとりな」


 商人にそう言われてタオーネに目を向けると促すように頷かれ、ドニは恐る恐るその半透明な玉をひとつ手に取った。

 タオーネと商人の男の顔を代わる代わるに見ると、どちらも視線と微笑みで食べるように促してくる。


「えっと……あの……ありがとう」


 もじもじとふたりへお礼を言ってその飴玉を口にすると、甘い砂糖の味が舌の上に広がった。

 あまりの甘さに驚いて、思わず口から出しそうになったが耐える。

 そのまま舌でそっと転がすと、時おり歯に当たってカロカロと音がたった。

 口いっぱいに甘くて幸せな味を感じながら、ドニは嬉しそうにへにゃっと笑顔を浮かべた。

 その様子を見守っていたタオーネが「残りは好きなときに食べていいですからね」と、商人から受け取った残りの飴玉が入った陶器の入れ物をドニの手に握らせてきた。

 彼の顔を見ると、彼は飴玉を食べていないのにドニと同じように嬉しそうに微笑んでいる。

 なんだかわからないけど、ドニが飴玉を喜んだことがよかったようだ。

 タオーネはそれからドニの頭を何度か撫でると、とある頼みごとを口にした。


「ドニ。私はお店の方とまだお話がありますので、少しお使いを頼まれてはくれませんか」


 彼からの頼みを断るという選択肢を、端から持ち合わせていないドニはもちろんすぐに頷いた。

 新しい服やこの飴玉のお礼をしたかったので、なおさら積極的に引き受けたいと思えた。

 そんなドニの頭をもう一度撫で、タオーネは話の詳細を続ける。


「ジョゼフさんから斧をいただいたでしょう? そのお礼にこのお砂糖を届けてほしいのです」


 その頼みごとにドニは拍子抜けして目を瞬かさせた。

 あの人の好い木こりから斧を譲り受けたのは自分なのだから、タオーネがお礼をするのは少し見当違いのように思える。

 だが、彼がドニのことを自分のことのように思ってくれているような気がして、なんだか嬉しくもあった。

 お使い自体は行き先が自分たちの家のお隣さんであるし、既に何度か訪れたこともあったので何も心配することはない。

 そう考えてまた頷くと、タオーネがいま買ったばかりの襟巻をドニの首に巻いて微笑んだ。


「では、お願いしますね」


 改めてタオーネから頼みの言葉を伝えられ、毛糸の暖かさに目を細めながら、ドニはもう一度、大きく頷いたのだった。


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