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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第1章 バナーレ村
14/58

お手伝いしよう

 真夏の日差しが和らぎ、村の麦畑が色づく。

 森には茸や夏には見かけなかった果実が実り、動物たちも冬に向けて肥えていき、自分たちも余計にお腹がへるようになる。

 そうすると季節は秋となるのだとヘンリーに教えてもらったが、いくら涼しく爽やかな風が吹いていようが、ドニの頭には夏のとある記憶が強く残っていた。

 平穏なバナーレ村に似つかわしくない立派な姿の騎士たち(アーサー曰く、ニコラスが所属するウォルトン領騎士団とは別の王国騎士団というところの者らしい)がこれまた立派な馬に乗って、乱暴なまでに道を駆けていく姿。

 そして、王国騎士たちが吐き捨てた「薄汚い魔族」という言葉。

 それを耳にした時、ドニは頭が真っ白になって、その場に立ち尽くしてしまった。

 この村に魔族はタオーネしかいない。

 つまり、王国騎士たちはタオーネに会ってそんな酷いことを言ったのだ。

 そこまで考えると、ドニは気付いたら駆け出していた。


 脳裏では腰に剣を差した騎士たちがタオーネを取り囲んで酷いことをする姿が浮かんでは消え、やがて騎士たちがドニの元飼い主の姿になって恐ろしい切れ味の剣を振りかざすようになった。

 想像と過去の記憶がごちゃ混ぜになって、ドニも何を考えているのかわからなくなっていたが、確かな恐怖だけは今も思い出せる。

 もしもタオーネが剣で斬られていたら、既に死んでいるかもしれない。

 そんな絶望的な恐怖がその時のドニを支配していた。

 突然、何もない世界に放り出されるような絶望をもう二度と味わいたくない。

 また置いていかれたくない。

 そんな一心でドニは駆け続けた。


 そして、すぐに探し出せたタオーネは無事だった。

 ドニの姿を見つけて嬉しそうに微笑むタオーネは、どこも傷ついてはなさそうだった。

 その姿を見て、その声を聴いて、ドニは自分が心の底から安心するのを感じた。

 安心すると体から力が抜け、喜んでいいはずなのに何処か苦しくて、急に泣き出したくなった。

 あの時は訳も分からずに呻くしかなかったが、今ならわかる。

 見るからに屈強な王国騎士がタオーネのことを悪く言ったあの瞬間に、ドニは気付いたのだ。

 世の中の魔族に対する手酷さと、万能なタオーネにも等しく死が訪れるということに。

 あれから鍛錬の途中や夜中にひとりで眠っている時に、その事実は生々しく甦り、ドニを苦しめた。

 タオーネが傷つけられるのは、耐えられなかった。

 それは自分が虐げられることよりも耐え難くて、ドニは何度も嫌な想像を繰り返しては泣きそうになった。

 暗闇で鈍く光る切っ先がタオーネを捉え、その肉を斬り裂く。

 まるで現実にあったかのようなその想像は、ドニを捕らえ、離してはくれなかった。


 しかし、そんなことを続けているうちに、ふとある考えに至った。

 もしも、自分が強くなれるのなら、残酷な剣からタオーネを守れるのではないか。

 それと同時に、鍛錬の教官であるニコラスが、ドニは絶対に強くなれると言っていたことを思い出していた。

 自分が強くなるところなんて、今だってこれっぽっちも想像できないが、もしも本当に強くなれるとしたら……。

 ドニは足りない頭で一生懸命に考えた。

 毎日の鍛錬もこれまでよりたくさん頑張った。

 それから、たくさん考えて、恐々とニコラスに強くなりたいと伝えてみた。

 すると彼は嬉しそうに笑って、それはいいことだ!と言ってくれた。

 でも、タオーネを守るためにという理由は、自分にはなんだかおこがましく感じて黙っていた。

 それもあって強くなりたいという気持ちはなんとなくタオーネには話したくなかった。

 なのでニコラスにも秘密にしてほしいと四苦八苦しながらなんとか伝えると、不思議そうな顔をしながらも快く了承してもらえた。

 それから、ドニの鍛錬は身を守ることだけではなく、強くなることも目標となったのだ。


 しかし、強くなるには武器が必要らしく、ドニとニコラスはずっと頭を悩ませていた。

 最も使われているという剣はどうしても使えそうにない。

 自分の身を守るにしろタオーネを守るにしろ、いずれは克服しなくてはならないのだろうが、自分の手で剣を振るうのは絶対に無理だ。

 だが、剣が使えないとなるとほかに何を使えばいいのか。

 ニコラスはどの武器がドニにぴったりか、ずっと考えてくれているようだった。

 ドニ自身も彼とともに色々と考えてみたが、剣以外の武器はあまり見たことがなく、何を選べばいいのかさっぱりわからなかった。

 自分の武器すらなかなか決めることができない現状は、ドニの気持ちを暗くさせる。

 こんな自分が本当に強くなれるのだろうか。

 そんな考えがいつでも頭の隅でぐるぐると渦巻く。

 それでも、ニコラスやアーサーが今やれることをやろうと励ましてくれるおかげで、ドニは日々の鍛錬を真面目にこなし続けていた。


 今日もアーサーと一緒に走り込みをしている。

 ドニはあまり速く走れないので、アーサーについていくのは大変だ。

 だが、体力に関してはやはり体が大きい分、ドニのほうに軍配が上がっているため、彼よりも多くの距離を走ることができる。

 最初のほうはドニが遅れをとり、アーサーが先を駆けていくが、段々と逆転して最後はドニが先を走ることになるのだ。

 決められた距離を走り終え、少し待つと息を弾ませたアーサーも遅れて駆けてきてドニを見上げた。


「はぁはぁ……今日もドニくんに置いていかれちゃったな……」


 もう涼しくなってきたとはいえ、汗だくになっているアーサーは暑そうに額を腕で拭った。

 意外と負けず嫌いなアーサーは悔しそうにしながらも、ドニとの鍛錬を楽しんでいるようだった。

 そんな息子の頭を軽く叩くようにして撫で、ニコラスはあくまで気楽な調子でふたりの教え子に指南を示した。


「アーサーは体力の配分はできていると思うが、ドニと比べるともとの体力が少ないからなぁ。まぁドニの持久力は下手なおとなにも負けないから、比べるのもおかしいか。それに、脚の速さはアーサーのほうが上だ。それぞれ向き不向きがあるから、あまり人と比べて自分が劣ってるとか考えるなよ」

「はい」


 教官の言葉にアーサーがきっちりと返事をするのと同時にドニもこくりと頷いた。

 ニコラス曰く、アーサーはもちろん剣士に向いていて、ドニには盾役としての才能を感じるらしい。

 そのため、ふたりの能力は異なって同然なのであって違うからこそ協力することもできるとよく話していた。

 ドニにはまだピンとこないが、自分にも何かできるかもと思うと嬉しかった。

 だから彼の言う通り、アーサーと比べて劣っていると思うことがあっても素直にアーサーはすごいなと感じるだけで済んでいた。

 この鍛錬の時間は知らず知らずのうちにドニの心を健やかに伸ばして、顔つきも明るいものに変化させていたが、そのことに気がついているのはタオーネだけのようだった。

 深く考えずにそんなことをやってのけている張本人の騎士は、鍛錬を通して随分と親しげになったドニの肩を軽く叩くといつもの快活な笑顔を浮かべた。


「さて、今日はそろそろ終わりにしよう。少し休んだら北の森にいこうと思うんだが、お前たちもこないか?」


 さらりと散歩に誘うかのような自然さでかけられた言葉に、ドニは目をぱちくりさせる。

 アーサーも自身の父親へ疑問の眼差しを向けている。


「え? でも、森は危ないから子どもは行くなって……」


 戸惑うアーサーの言葉にドニもこくこくと頷いて同意を示した。

 魔物の動きが読めず、何が起こるのかもわからないため、子どもは森に入るなとタオーネからも念入りに言いつけられているのだ。

 それなのに、ドニがスライムに襲われたことも知っているニコラスがなぜそんなことを言うのか、不思議だった。


「ジョゼフに頼まれてな。もう秋になったし、冬に使う薪の準備をしなくちゃいけないだろ? それに来年の薪の準備ももう始めないとならない。だが今年は木こりだけで森に行くのは心配だし、人手も欲しいって言われてな。だから、護衛がてら伐採も手伝うことになったんだ」


 ニコラスの説明にドニはほんの少しだけなるほどと納得した。

 つまりおとなと一緒に森に入って木こりの仕事を手伝うのだろう。

 薪がなければ火を起こせずに凍えてしまう。

 森に行って木を集めるのが大切な仕事なのだということはドニにもわかるが、それでも森に入るのは心配だ。

 そんなドニの気持ちを察したのか、ニコラスはさらに話を続けた。


「俺もついていくし、行くのは魔物の動きに異変のない北の森だから、多分何も問題はないと思う。よく見回りをしてくれてるタオーネ先生やトーマスもそう言ってたしな。だから、よかったらお前たちも手伝ってくれないか? 今年の冬は寒くなりそうだし、備蓄してる薪を多く使っちまいそうだから、来年以降に使う薪を多めに用意しておきたいんだとよ」

「俺は行こうかな。ドニくんはどうする?」


 ニコラスの説明を聞いたアーサーがあっさりと行くことを了承し、ドニの意思を窺う。

 ドニとしては森の中には興味があるし、タオーネが認めるニコラスも一緒なら大丈夫かもしれないという気持ちが強くなっていた。

 それに木こりのジョゼフにはドニも何度か会ったことがあるため、そんなに怖くない。

 何より、タオーネ自身が問題ないと判断したということで、ドニの中にあった不安は限りなく小さいものになっている。

 でも、そのタオーネから森には入るなと言いつけられているので、一旦帰って彼の了承をとったほうがいいかもしれない……。

 そう考えたドニがそれを言葉にしようと口を開く前に、やはり先回りしたようなニコラスの言葉が追いかけてきた。


「ああ、タオーネ先生にはもしかしたらドニも連れていくかもってもう言ってあるからな。そのへんは心配しなくていいぞ」


 それを聞いたドニは安心して、嬉しそうに頷いたのだった。




※※※※※※※※※※




 北の森はドニが思っていたよりも、ずっと和やかなところだった。

 木々が生い茂り、頭上からは優しい木漏れ日が降り注ぐ何処か暖かささえ感じる場所だ。

 ヘンリーが言っていたように、色とりどりの茸や果実が目に入り、目的地に辿りつくまでにドニは何度もキョロキョロと周囲を見渡していた。

 肝心の木こり仕事も、ドニとアーサーには伐った木の枝を刈り取って運びやすくしたり、その丸太を一ヵ所にまとめたりと簡単なことばかりを頼まれるので、そう難しく考えることもなかった。

 木こりが木に斧を打ち込む度に、コーンコーンと心地好い音が森に響き渡る。

 そんな人間たちの仕事を、栗鼠や兎といった可愛らしい動物たちが興味深げに観察していた。

 ドニは小さくてふわふわしたその者たちが気になって仕方なかったが、大きな自分が無闇に近寄って怖がらせては可哀想だと、時おり見つめ返すだけに留めていた。

 チラチラと頬に木の実を詰め込む栗鼠を盗み見ていると、ドオッと地響きを立てて背の高い木が倒れる。

 また一本の木を伐り倒した木こりのジョゼフが手を止めて、ドニたちへ向かってにっこりと笑いかけてきた。


「いやーあんたたちがきてくれて助かったよ」


 細かい枝をナイフで刈り取っていたアーサーと伐られた木を並べていたドニも一旦手を止めて、ジョゼフのほうへ体を向けた。

 三人ともかなりの汗をかいていたが、風が涼しく心地好かった。


「アーサー坊ちゃんはさすがに刃物の扱いがうまいなぁ。ドニくんもそこらのおとなより力持ちだしよ」


 ジョゼフに褒められ、アーサーはおとなっぽい表情で微笑んだが、ドニは相変わらずもじもじしてしまう。

 こういう時に言葉にせずともうまく返せるアーサーが本当に一人前のおとなのように思えて、ドニは彼のそういった一面に対して尊敬の気持ちを抱いていた。

 ドニ自身は到底そのようになれるとは思えず、目指すということはせずに憧れるだけで終わってしまうのだが。

 ジョゼフは大きな体ではにかむドニを気にすることなく、話を続けた。


「うちも長男のアントニーがいた時はよかったんだが、今は別の町に住んでるからな。残ったのは娘ふたりだが、姉のほうは嫁入り前だし妹は手伝う気もないから困ったもんだよ」


 ドニは彼の息子のことは知らないが、ふたりの娘については知っていた。

 父親のジョゼフも含めてお隣――といってもドニの脚で五十歩以上は離れているが――に住んでいて、よく顔を合わせているのだ。

 姉のベティは穏やかで優しく、その年頃の綺麗な顔で微笑まれると、ドニはいつもどぎまぎしてしまう。

 対して妹のシェリィはドニと同じ年頃の少女なのだが、とにかく気が強く、度々ヘンリーが鋭い言葉でやりこめられているのを見ては、何も言えずにその後ろで震えていることも多かった。

 シェリィはドニに対してもきつい物言いをするのでつい萎縮してしまうのだが、彼女とよく遊んでいるヘンリーの妹サラ曰く、根は優しいから怖がらなくていいよとのことだった。

 それでもあのあちこちが尖っている少女の機嫌を損ねないために、ドニは黙って彼女の話を聞くしかないのだが。


「シェリィが森にいる姿はなかなか想像できないですね」

「そうなんだよなぁ。あのじゃじゃ馬は自分が木こりの娘だってことをわかってないんじゃないかと思う時があるよ」


 ふたりの会話を聞きながら、ドニは確かにそうだなと秘かに頷いた。

 あの村の中でもひと際、異彩を放つ少女が森の中で斧を振るったり、丸太を運んだりする姿は想像できない。

 彼女だって家の手伝いは色々とやっているようだったが、どれも妙に似合っていないように思えた。

 自然豊かでのどかなバナーレ村から、今にも飛び出しそうな力強さをシェリィは感じさせるのだ。


「でも、シェリィは優しいですよ。ちょっと言葉がきついけど、小さい子の面倒をよく見てるし」

「ははは。アーサー坊ちゃんにそう言ってもらえるなら親として嬉しいがね」


 さらりと此処にはいない少女を擁護したアーサーに、彼女の父親は照れ臭そうに笑った。

 本当に嬉しそうに破顔している。

 ドニは親というものをよく知らないのでよくわからないが、自分の子どもを褒められるのは喜ばしいことらしい。

 そして、それを何でもない風に伝えることができる友達に感心しながら、ドニは自分にできることを頑張ろうと枝を切り落とされた丸太を担いでひとまとめにしておこうとした。


「ああ、ドニくん。その丸太はそっちに重ねておいてくれ。濡らすと後で面倒なんだ」


 こちらに気付いた本職のジョゼフから指示され、頷いて言われた場所へ丸太を降ろした。

 確かにドニが置こうと考えていたところは水気を含んだ草が生えており、後で乾かすらしい丸太を置くのには向いていなさそうだ。

 次からは濡れる心配がないかちゃんと確かめてから運んだほうがいいなと、頭にしっかりと刻み込む。

 すると、ドニの働きっぷりを見ていたジョゼフが人の好さそうな顔でまた笑った。


「しっかしそれにしてもドニくんは木こり仕事が似合うな」


 そう言われて自分の体をキョロキョロと見まわすと、何が面白かったのかジョゼフはさらに声を上げて笑い、親しみを込めた調子でとある提案を投げかけてきた。


「どうだ、大きくなったらうちのシェリィと結婚して木こりになるか?」


 結婚。

 まずその言葉の意味を知らないドニは何だろうと首を傾げた。

 木こりになるにはその結婚とやらをしないといけないのだろうか。

 あとなぜかシェリィも関係しているらしい。

 ドニが知っている者の中でも特に木こりが似合わなそうな彼女の名前がなぜ出てくるのだろうと困惑し、物知りなアーサーに助けを求めて視線を向けた。

 すると、頭のいい友達はドニの困りごとをすぐに察して、簡単にわかりやすく説明してくれるのだった。


「結婚っていうのはね、好きあった男の人と女の人が一緒に暮らして親になったりすることだよ」


 アーサーの説明にドニはさらにすっかり困ってしまって、木こりと友達の顔を無意味に見比べた。

 まずシェリィのことが好きかどうかはドニ自身にもわからないことであったし、何より彼女は怖いので一緒に暮らせる自信がない。

 そして仮に彼女と暮らすとして、それはタオーネも一緒なのだろうか。

 ドニはもう既にタオーネとともに暮らしており、いまいちそれがどういった気持ちなのかわからないが、彼のこともきっと好きなのだと思う。

 だが、自分も彼も男なのできっと結婚しているとは言わないのだろう。


 そもそも自分は木こりになりたいのだろうか。

 アーサーはこの村の騎士になりたいと言うし、ヘンリーも父親の跡を継ぐために猟師の仕事を手伝ったり弓矢の扱いを教えてもらっていると言っていた。

 しかし、ドニは大きくなった自分というものを想像できないでいる。

 今はタオーネと暮らし、彼を剣の脅威から守ることができるようになったら……と思って鍛錬を続けているが、その先のことはさっぱりわからない。

 そんなことを真剣に考えながら、どういった返事をすればいいのかわからずに困りきっていると、ジョゼフがやはり陽気に声を上げて笑った。


「ははは。ドニくんにはまだちっと早かったか! ま、そのうちわかるようになるさ」


 適当に話を終わらせ、ドニの気持ちを軽くしてやりながらもジョゼフはまた新しい提案を思いついたらしい。

 すぐに気軽な様子でそれをポンと言葉にしてドニへ投げかけた。


「そうだ。せっかくだし、少し木を倒してみるか。そんな大きな木じゃないならドニくんにもできんだろ。教えてやるからよ」


 突然の思いつきにドニは驚いてジョゼフを見た。

 人の好い木こりはニコニコと笑って返事を待っている。

 どうやら彼はドニのことを気に入っているらしい。

 自分にぜひとも木こりの仕事を体験してほしいようだ。

 だが、おとなの仕事を真似るのはなんだか気が引けて、どう答えたらいいのかわからずにまたしても困ってしまう。

 するとそこへ辺りを警戒しながら伐り出した丸太を運んでいたニコラスが戻ってきた。

 彼はこれまでのやり取りを聞いていたらしく、即座に話に加わってきた。


「おっドニ。ジョゼフに弟子入り勧誘されてるのか? どうせなら試しにやってみるといいさ。案外、木こりの才能が開花するかもな!」


 ニコラスにそう言われ、ドニはおずおずと頷く。

 才能が開花することはまずないだろうが、彼に背中を押されて少しやってみようという気にはなれた。

 自分よりも大きな木を倒すことはちょっぴり怖いのだが。

 ともあれ、ドニが頷いたことを確認したジョゼフは嬉しそうなので、やると決めてよかったのかもしれない。

 木こりはすぐに近くの木を物色し、真剣な顔で見定め、そのうちの一本に近づいてその木を軽く叩いた。


「じゃあそうだな……この木にするか。枝も少なくて高すぎないし倒しても危なくなさそうだ。斧はこれを使え」


 さっきまでジョゼフが使っていた斧を差し出され、ドニは思わず腰が引けてしまう。

 やはり刃がついているものは剣ほどではないが、少し恐怖を感じる。

 そんなドニを見たアーサーが同じような年とは思えない、落ち着いた調子で励ましの言葉をかけてきた。


「大丈夫だよ。斧は木を伐るためのものだから、使い方を守れば危なくないよ。ナイフと一緒だよ」


 その助言を受けて、ドニは食卓に並ぶ小ぶりなナイフを思い出す。

 ドニ自身は使ったことはないが、タオーネはそれでパンにバターを塗ったり、肉や野菜を細かく切ったりしている。

 皿の上でころころと転がる芋などにドニが苦戦していると、彼はそれもナイフで切ってくれる。

 そういったことを思い返し、目の前の斧もあのナイフと同じだと考えると、あまり怖くなくなった。

 使う者が用途を誤らない限り、この道具たちは持ち主を裏切ることはないのだ。

 意を決して、神妙な顔でジョゼフに近寄り、年季の入ったその斧を受け取った。

 それからこれから伐り倒す予定の木をそっと見上げてみた。

 先ほどジョゼフが伐っていたものよりも低いが、それでもドニよりは大きかった。


「そしたら、この木を向こう側に倒そうか。オラが受け口を伐り込んでおいてやるよ。こうすると狙った方向に倒れやすくなって危なくない」


 そう言うとジョゼフは一旦、ドニから斧を取り戻し、木を挟んで反対側にまわり、おおよその狙いを決めて斧を構え、振り下ろした。

 斜めに一撃、次に水平に一撃。

 ふたたび斜めに一撃、もう一度、水平に一撃。

 これを繰り返し、木の傷口が三角形になるように切り込む。

 そうして斧が木の中心あたりまで突き当たるようになると、ジョゼフは手を止めてドニのもとへ戻ってきた。


「この受け口に繋げるようにして伐るんだ。まっこのへんの木は堅ぇし最初はうまく伐れねぇと思うが、それも経験だと思って気軽にな」


 うまくできなくても大丈夫だと言われ、少し安心しながら頷く。

 そして、また斧を手渡され、それを受け取る。

 それからジョゼフが言う通りに斧を持つと、ドニは気のせいか胸の高鳴りを感じた。

 一瞬それを緊張のせいかとも思ったが、いつもの体が強張るような感覚はない。

 むしろ皆がかけてくれた言葉のおかげで気持ちは落ち着いているようだ。

 それでも自分の体に意識を向けると、トクトクと血が流れている音が聴こえるようだった。


 細く息を吐きだし、ジョゼフがやっていたように斧を構える。

 キュッと斧を軽く握ると、不思議なことに手からこの斧にまで神経が通い、その隅々まで自身の一部となったような感覚に陥った。

 今までにない感触であったが、ドニは臆することなく、意識を木に集中させた。

 斧を目にしなくとも、なんとなくそれがどんな状態にあるのか理解できる。



 いける。



 その確信はドニ自らが感じたものなのか、それとも何度も大木を伐り倒してきた斧が囁いたものなのか。

 ドニ自身にもわからなかったが、一点に集中した意識が余計な思考を許さない。


 無駄な力を込めずに、まず一撃。

 木が軋み、衝撃が体中に滲んでいく。

 それが妙に、気持ちいい。


 深く突き刺さった斧を引き抜き、もう一度、打つ。

 一撃目に斧から感じた抵抗がなくなり、空を斬る軽やかな感触。


 僅か二撃で降参した木が、ザザザと葉を揺らして傾く。

 そしてすぐに鈍く重い音を響かせて、大地へ横たわった。

 木はほんの少しの間、揺れ動き、すぐに静まり返った。


 伐り倒した。


 その事実を確認し、少し離れたところで見守っていたおとなたちのほうを振り返る。

 ふたりの男たちは目を見開き、口をあんぐりと開け、驚きを顕にしていた。


「……たまげた……こりゃあたまげた……」

「……ドニには毎回驚かされるな」


 その光景に前にもこんなことがあったなと思いつつ、ドニはまずいことをしてしまったかもしれないと少し不安になる。

 だが、ジョゼフが倒れた木に近付いて「切り口はちっとばかし荒いが、見事なもんだ……」と呟くのを聞いて安堵した。

 それと同時に木が倒れるのを静かに見守っていたアーサーが珍しく興奮したように頬を赤らめ、目を輝かせながらドニのもとへ駆け寄ってきた。


「ドニくん、すごいな! すぐに倒しちゃったよ!」

「……きるところ、わかった」


 高揚しているアーサーに釣られて気持ちが昂ってきたドニも頬を赤く染めて、声が上擦りそうになりながら応えた。

 斧を振るった時間はとても短いものであったが、それが永遠とも思えるほどの、ある種の共鳴のようなものをドニは確かに感じていた。

 木の狙いどころがわかったというよりは、斧をどう振るえばいいのか、ずっと大昔から知っていたような感覚。

 ドニは無意識にそれを言葉にしようとしたらしく、気がつくとそれは不完全ながら形となって唇から滑り出ていった。


「オノが、ここだよって……」


 そう言葉にしてからハッと慌てて口を噤む。

 道具である斧が喋ったかのようなことを言うのは、世間というものを知らないドニでもおかしなことのように思えた。

 だが、この場にいる誰もがそれを笑うことなく、特にニコラスは真剣な眼差しでドニを捉えた。

 思わず背筋を伸ばすと、ドニの教官は真面目に話を切り出した。


「なあ、ドニ。ここ最近はずっとお前の武器のことで悩んできたけど、斧がいいんじゃないか」


 そんなニコラスからの提案にドニは首を傾げた。

 斧は木を伐るための道具で、武器ではないはずだ。

 あんな大木すら伐り倒してしまう斧を武器として扱ってしまったら、柔らかい体をした人なんて簡単に死んでしまうだろう。

 ドニは同居人である魔族の魔術師を守りたいのであって、守るためとはいえ誰かを殺してしまいたくはなかった。

 だが、そんなドニの気がかりを察したのか、すぐにニコラスが話の補完をおこなった。


「世の中には斧で戦うやつもいるからな。全然おかしいことじゃない。ドニくんの力なら重たい大斧だって振りまわせるようになるだろうし、ぴったりだと思う。もし、斬るのが嫌なら刃を研がないで純粋な打撃武器にしちまえばいい」


 刃で斬れないようにできると聞いて、ドニはホッと息をついた。

 斬れないのなら、扱い方に気をつければ相手を傷つける可能性も低まる。

 そんな考えも踏まえて、ドニは斧を武器にするか否か思案する。

 やはり武器を使うことに対しての恐怖はある。

 木こりの仕事道具である斧を、魔物はともかく人に向けることにも抵抗がないとは言えない。

 しかし、今さらそんなことを考えても、もうドニの心は決まっていたのだった。

 ドニがそうやって意を決している合間に、今まで呆気にとられたような顔をしていたジョゼフが現状を把握したらしく、彼の親切さがよくわかる意見を出してきた。


「斬れない斧ならうちにもあるぞ。古くてちっと錆びちまってるが、オラはもう使わねぇし、欲しいならドニくんにやるよ」

「そりゃあいい! 練習用にはぴったりだ!」


 人の好さが表れたその提案に、ニコラスがまるで自分のことのように喜んで歓声を上げた。

 ジョゼフの申し出も、ニコラスの反応も、ドニにとって本当に嬉しいことであったが、おとなたちが盛り上がってしまうとそこに入っていくのは極めて難しい。

 返事をする機会を掴めずに困っていると、気配り上手のアーサーがそれを察して高揚する自身の父親に声をかけてくれた。


「父さん。ちゃんとドニくんがどうしたいか訊かないと」

「ああ、そうだったな! すまんすまん。……で、ドニはどうしたい?」


 途端に向けられた、キラキラと輝く子どものような瞳に少し気後れしそうになったが、ドニはしっかりそれに応えようと脚にぐっと力を込めて、とっくに決まっていた答えを口にした。


「……おれ、オノが、いい。オノ、使いたい」


 まだ剣を見ると体が勝手に震えて何もできなくなるけれど、自分が武器を持って何かに立ち向かうなんて想像もできないけれど、ドニは確かに自分の意思でそれを選択した。

 胸がドキドキと鳴って、その選択が大事なものなのだということを知らしめられる。

 自分で何かを決めるなんてことは、今まで生きてきた中ではほとんどなかったように思う。

 きちんと考えて何かを選ぶということは、こんなにも緊張するものだとドニは初めて知った。

 だが、それでも一度決めたことを覆そうとは思わなかった。

 根拠はうまく説明できないが、これが最善の道なのだと思うことができるのだ。

 自身が納得する理由はそれで十分だ。

 そう考えてドニはふたたび盛り上がるおとなたちを眺める。

 自分の選択でこんなに喜んでくれる人たちがいる。

 そして、これで強くなるという目標にやっと一歩ではあるが、近付くことができた。

 そのことがどうしようもなく嬉しくて、ドニは無意識のうちに微笑んでいたのだった。


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