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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第1章 バナーレ村
13/58

不穏な影

 その日、タオーネは薬に使う薬草を摘みに北の森へ出掛けていた。

 バナーレ村の北と西を囲うような形になっている森は広く、それでいて魔物はおとなしいものばかりで魔力を持たない動物たちがほかの地域に比べ、のびのびと暮らしている。

 旅の道中で目にしてきた王国領の中でもこの辺りは特に和やかだ。

 自身の生まれ故郷である魔大陸では考えられないような平和な日常は、強大な魔物に脅かされる心配がないことも大きいだろう。

 だが、西の森を中心とした小さな異変はタオーネに言い知れない不安を感じさせ、それは嫌な予感のような不明瞭な姿となって、ずっと頭の片隅で燻っていた。

 本来いないはずのゴブリンと村に侵入してきたスライム。

 そのふたつの事件の真相は未だにわからない。

 村周辺の見回りも強化し、ギルドに調査を依頼したが、手掛かりは何ひとつない。

 村の中からは手掛かりがないということは脅威は去ったということでもう心配ないのではという声も上がっているが、タオーネはそうは思わなかった。

 むしろあれから何も起こらない現在こそ、嵐の前の静けさのような気さえしていた。

 だが、確証もない予感を人に話して無闇に怯えさせるのはよくない。

 村長と駐在騎士にはまだ警戒を続けたほうがいいと意見するに留め、タオーネは密かに簡単な対策をすることにしたのだ。

 今日のように薬の材料を集めに行くと称して、できるだけ村の外へ足を向けるのも、村でおこなっている見回り以外でも魔物の様子を見張るためだった。

 今のところ成果はないが、猟師のトーマスも森での狩りを増やして様子を探っているらしいので、これだけ警戒していれば当面は大丈夫だろう。


 それから共に暮らしているドニには、騎士ニコラスに頼んで鍛錬をつけてもらっている。

 どうやら彼はあの若い騎士のお眼鏡に適ったようで、話を聞いてみると素質があるとべた褒めしていた。

 痛ましいほど臆病な少年に戦いへ身を投じさせるのは心が痛むため、あくまで最低限の立ち回りだけ教えてほしいと念を押して願い出ると、ニコラスは口惜しいなと呟いてから了承してくれた。

 それほどまでドニに戦闘の才能があるのかと少し興味は湧いたが、彼の性格はそれに向いていないのだから仕方ない。

 せめて自身の身だけでも守れるようになってくれたら安心だ。


 タオーネに対し、驚くほど従順な彼は今日もアーサーと共に鍛錬しているはずだ。

 やはり友達と一緒というのがよかったのか、今のところ楽しそうに鍛錬を続けている。

 近頃は鍛錬が終わったあたりでヘンリーも加わり、そのまま三人で遊んでいるようだった。

 きっと今日も夕方まで何処かで遊んでくることだろう。

 お腹を空かして帰ってくるだろうから、夕食は何か食べでのあるものにしよう。

 そんな所帯じみたことを考えて、最後に周囲をぐるりと見渡した。

 人族よりも幾分か優れている感覚をさらに研ぎ澄まし、周りの状況を探る。

 目に見える範囲には何も問題になりそうなものはいない。

 栗鼠が木の上を駆けまわっている。

 どうやら彼らも異常は察知していないようだ。

 念のために耳を傾けると、鳥の囀りや風が木々を揺らす音が聴こえるだけで、こちらも特に異常はなさそうだった。

 確認を終え、タオーネは薬草の入った籠と愛用の杖を手に、村へ通じる道を戻っていく。

 今日はそう離れた場所へ赴いたわけではなかったので、タオーネの脚ですぐに村へ戻ることができる。

 辺りの様子に気を配りながら、のんびりと村へ向かって歩んでいると、とある異変を感じた。

 それは森の中ではなく、どうやら村の中のことのようだった。

 何やら騒がしいが、途絶え途絶え聴こえてくる会話から魔物が紛れ込んだといった類いのことではなさそうだ。

 それでもただ事ではなさそうだと急ぎ足で村に戻り、騒ぎの中心へ向かっていく。


 行き着いた先は、村長の家であった。

 村の中では幾分か大きい部類に入る家の前には、立派な馬が何頭も道を塞ぐようにして繋がれていた。

 この周辺ではまず見かけない手間暇をかけられていそうな馬だ。

 その馬に施された装飾品に描かれている紋章が目に入り、タオーネは思わず眉を顰めた。

 反射的に記憶に残っている嫌悪感を顕にしたその瞬間、村長の家の扉が荒々しく開き、同時に村長の苛立った言葉が飛び出してきた。


「何度も言いますがね、この問題はギルドにも報告済みで、うちの村でも警戒しとるんです。ですから村の中に問題があるならとっくにわかってるはずでしょう」

「そうは言いましてもなぁ、こちらとしても国の民の平穏を守ることが仕事なもので……。そのためにはあらゆる可能性を考慮せねば……おや?」


 家の中から出てきたのは大柄な男だった。

 立派な装備を身に着けたその男の後ろから、複数人の取り巻きと思われる男たちも姿を現した。

 間違いなく馬の持ち主たちだろう。

 その大層ご立派な鎧などの装備品に刻まれているのは、馬の装飾品に描かれているものと同じ紋章。

 天に吼える獅子の姿。

 それはこの国、すなわち王国の統治者を記すもの。

 彼らが国王直属の騎士団、王国騎士であることを示す証であった。


「おやおやおや……そのローブ……もしや魔術師さまでいらっしゃいますか。こんな辺境の地でお見掛けするとは……」


 おそらくこの集団の中で最も位が高いと思われる男が薄笑いを浮かべ、見定めるような視線をタオーネへ向けた。

 その言葉や態度にムッとするが、こういった手合いを相手にすることは初めてではないため、心配そうにこちらを窺う村長に安心するよう目線だけで伝える。

 そして、できる限り涼しい顔を貼りつけてタオーネは胸に手を当てて一礼した。


「このバナーレ村で治療院を営んでおります、魔術師のタオーネと申します。ご挨拶が遅れ、申し訳ございません。本日はどういったご用件で、このバナーレ村にいらしたのですか?」


 当たり障りのない言葉を並べ、下手に出て様子を窺うと、王国騎士は傲慢に鼻を鳴らして緩慢なまでに優雅さを意識した仕草で胸を張った。

 その様子が妙に癇に障ったが、タオーネはそれを表情には出さない。


「いやぁ何、この辺りで魔物が妙な動きをしていると聞いて調査をしに参っただけです。民の平和を守ることが我々の務めですのでな」


 わざとらしく演説をするような調子で妥当な理由を語ると、王国騎士は不躾にタオーネの頭から足先までじろじろと眺め、薄っぺらな微笑を浮かべた唇をさらに歪ませた。


「しかし……まさかこんなところに魔族の魔術師さまがいらっしゃるとは存じませんでしたなぁ……。報告は何も受けていなかったのですが……」

「この村に移住する際に、ギルドへの報告は致しました。その報告がそちらへ渡らなかったというのなら、それはギルドのほうが重要性が低いと判断されたのではないでしょうか」

「ほう、ギルドですか……。ということは貴殿は冒険者であったということになりますな」


 王国騎士の獲物を狙うような鋭い眼が細められたのを見て、面倒な興味の持たれ方をしたとげんなりするが、こうなっては仕方ない。

 できるだけ誠実に答えて早くお帰りいただこう。

 そう考えてタオーネは微笑の盾をこしらえ直し、できる限り印象がよくなるように努めた。


「はい。十年ほど前からこの村に住まわしていただいておりますが、それ以前は冒険者として旅をしておりました」

「つまり、北大陸から渡られてこられたと?」

「ええ。北大陸で冒険者登録をした後にこの西大陸に渡って参りました。それから各国をまわっていましたが、その都度、きちんとその国のギルドへ登録をしておりますよ」


 事実だけを並べ、頼むからこれ以上は踏み込んでくれるなよと思いながら、タオーネはひたすら微笑んだ。

 故郷の大陸にまだ住んでいた頃のことは、以前の仕事を辞めたときから、誰にも話したことがないのだ。

 ましてやこんな先ほど出会ったばかりのいけ好かない騎士にすべてを打ち明けることは、何が何でもあってはならないことなのである。

 そんなタオーネの祈りが通じたのか、尊大な王国騎士は几帳面に整えられた顎ひげを触って何やら考え事を始めたようだった。


「ふむ、なるほどなるほど……」


 ひとりでぶつぶつと呟く男を目の前に、タオーネは感じの良い微笑をつくったまま、その場に佇んだ。

 早く帰れという本音が吐息に混じって漏れ出さないように、しっかりと唇を結んで。

 しばらくして、夕食の献立を考えていた頃になって、ようやく騎士が顔を上げる。

 その探るような眼光がまだタオーネを解放してはくれないことを語っており、内心で溜息をついた。


「突拍子のない質問で申し訳ないが、この村には貴殿のほかに魔族はいらっしゃるので?」


 王国騎士からの問いに嫌な予感を抱きながら、タオーネは微笑みを絶やさずに首を横に振った。

 こういった駆け引きのようなことは得意とは言いがたいが、慣れていないわけでもない。

 縛りつけられるような見えない緊張感を感じ取り、逃げ出したくなりながらも平静そのものを演じる。


「いいえ。バナーレ村に住んでいる魔族は私ひとりです」

「では、村の外に魔族のお知り合いは?」

「おりません」

「ここ数年でほかの魔族とお話になられたことは?」

「ありません」

「現在、北大陸のお知り合いと連絡をとる手段はお持ちでは……」

「……つまり、何を仰りたいのですか」


 しつこい追究に嫌な予感が確信に変わる。

 この王国騎士は根拠もなくタオーネを、そして魔族を疑っている。

 彼らは十中八九、バナーレ村で暮らし始めてからすっかり見かけなくなった人族至上主義者だ。

 西大陸を旅していた際にもはや付きものであった愚かな連中。

 十年以上昔に目の当たりにした王国騎士団の差別体質が当時からなんら変わっていないことを再認識してしまい、タオーネの中にあった苛立ちが急速に膨らんでいく。

 思わず微かに漏れ出してしまったタオーネの不信感に、取り巻きとともにニヤニヤと嫌な笑みを浮かべ、男は嫌味なまでに穏やかな調子で言葉を返した。


「いえ、我々は民を守る義務がありますので、これは調査の一環ですよ。魔族の魔術師さまとなると、さぞかし博識であられるでしょうから……」


 これは特に魔術に詳しい者が多い魔族ならば、自然の仕業に見せかけて事を起こすことも可能だろうという皮肉のようなものだろう。

 だが、そんなものに乗ってやるほどタオーネは若くはない。

 苛立ちからくる衝動を抑え、そんなことには気がつかなかったと、いっそ間抜けにも見えるほどの実直さを装った。


「生憎、この件に関して目ぼしいことは存じ上げません。この村にはウォルトン領騎士団の騎士さまが駐在なさっていますが、もしも何か気付いたことがありましたら、王国騎士さまのほうにもお伝えいたしましょう」

「それはありがたいですな。ギルドも幅を利かせていますが、所詮は冒険者集団。ウォルトン領騎士団も優秀だと聞きますが、我ら王国騎士にしかできないこともございましょう。その際はぜひ、ご一報くだされ」

「かしこまりました」


 そんなものはないだろうが……と思いつつ頷いてから、タオーネはすぐに考えを改めた。

 どうせなら利用できるものは利用したほうがいい。

 王国騎士団の連中は選民意識が強いため、冒険者ギルドや王国内を分かれて統治している各領地の騎士団と協力することはほとんどない。

 あくまでタオーネの推測ではあるが、ギルドの調査が滞っているのも王国騎士団の管轄に手を出せないことが大きいのだろう。

 ならばこのそうそうあるものではない機会を活かし、少しでも情報を集めるべきだ。

 特に今回の事件の発端であるゴブリンの生息地の多くは、王国騎士団の管轄のもとにあるのだから尚更だ。

 そう考えて、タオーネは謙虚な姿勢で騎士にとある願いを申し出すことにした。


「あの、早速ですが、ひとつお力を貸してはいただけませんでしょうか」

「うむ。民の安全に繋がることでしたら、尽力致しましょう」


 騎士の顔色を窺ったところ、機嫌は悪くない。

 むしろタオーネが下手に出たことで、上機嫌と言えるほどだ。

 この様子ならば話を切り出しても大丈夫かもしれない。

 そう判断したタオーネは口火を切った。


「ありがとうございます。もうご存知のことではあるかと思いますが、この村の西にいるはずのないゴブリンが現れたことがあったのです。通常、ゴブリンの生息地は川を挟んだ王都側の地域や、国境を越えて帝国領地となりますので、よろしければ王都や国境警護に当たられている王国騎士さまに何か異変がなかったか、お聞きになっていただけませんでしょうか?」


 思い切って本題を話しきると、その場は沈黙に包まれてしまった。

 見る見るうちに表情を冷えきらせる騎士の様子に、まずいなと思ったや否や、その引きつったような形を描いていた唇が動いた。


「……つまり、貴殿は、我々王国騎士団の警護に、不備があると仰りたいので?」


 底冷えするような声音と、急激に燃え上がっていく眼差し。

 そして、言葉の節々から噴出する傲慢な怒りを感じ取り、完全にしくじったと何処か冷静に考えたタオーネが取り成そうと口を開く。


「いえ、私はただ」

「我ら王国騎士団に過失などありえぬ! 我らは国王さまにお仕えする、選ばれし勇士なり! その我らを侮辱するか!!」


 自身の言葉を遮られ、怒鳴りつけられたタオーネがほんの一瞬、押し黙る。

 そうしないとこの醜い自尊心の塊のような男を激しく罵ってしまいそうだった。

 この手の中身のない驕りに付け上がるような輩が、タオーネは一番許しがたいのだ。

 だが、すぐに平常心を保つように自身へ呼びかけ、あくまで冷静な話し合いをしようと努める。


「……私はただ、ひとつの可能性としてお話したにすぎません。あなた方を疑っているわけではなく、これは単なる確認作業として」

「くどい。王国騎士団に一切の死角なし。そんな確認は無意味である」


 タオーネは掻き集めたばかりの冷静さが崩れていくのを感じた。

 二度も言葉を遮り、聞く耳を持たない王国騎士に沸々と怒りが沸いてくる。

 元来、タオーネはあまり気が長いほうではない。

 歳を重ねた分、多少のことは大目に見るようになったが、それでもこういった不躾な、凝り固まった頭をしている輩は大っ嫌いだった。

 この村で暮らし始めてからは顔を出すこともなかったタオーネの偏屈な一面が、もはや抑えきれないところまで出てきていた。


「……では、西の森に現れたゴブリンは何処からやってきたとお思いなのです? 翼のないあれらが、空から落ちてきたとは到底考えられませんが……」


 ひくひくと戦慄く唇を取り繕うともせずに、思わず皮肉たっぷりに冷笑してみせると、取り巻きの騎士たちが色めきたつ。

 その様子があまりにも滑稽に見えて、タオーネは冷めきった眼差しで彼らを見据えた。

 ここにいるすべての騎士が束になって襲い掛かってきても、すべて消し炭にできる。

 その揺るぎない事実が僅かにタオーネを落ち着かせる。

 だが、取り巻きたちはすぐに上官と思わしき男によって制され、その男が続けた言葉にタオーネはふたたびカッとなることになった。


「そんなもの、魔術を用いれば造作もないことだろう。使い手は限られるが、空間移動の魔術も存在すると聞く。それに、魔大陸にもゴブリンに似た魔物がいるということも聞いたことがあるのでな」


 男の勝ち誇ったような顔がタオーネの荒れた心を煽る。

 よりにもよって、人族よりも随分と長く生きてきた中で、できることならこのバナーレ村を終の棲家にしたいと思っているタオーネが、魔物を操り、村を危機に陥れたとこの男は言うのだ。

 怒りが高まり、あまりの憤りに頭がスッと冷え込むのがわかった。

 あまりに腹立たしいと反対に冷静になるものだなと思いながら、タオーネは静かに確認の問いを投げかけた。

 もう言葉を取り繕うことが馬鹿馬鹿しく感じられた。


「つまり、私を疑っておられるということですか」

「まさか。空間移動をも操る魔術師さまが、こんな辺鄙な村にいらっしゃるとは思えませんので……。今回は、あくまで調査。あらゆる可能性を考慮せねばならぬのです……。ご理解、いただけましたかな?」


 変わることのない、王国騎士の見下すような物言いに、タオーネの青白い唇が歪に微笑みを描いた。

 凍りつくような怒りが隠されることなく、異形の瞳に灯る。

 杖を掴む、鋭く尖った指がギリギリと軋む。


 国王に仕えていながら、なぜそのような醜い態度をとれるのか。

 自分たちの下劣さが主人の品格を貶めていると、なぜ気がつかないのか。

 いっそ哀れみすら感じながら、タオーネはただ王国騎士たちを見据えた。

 取り巻きたちがその静かな凄みに身じろぐ。

 上官である騎士はうっすらと笑ってタオーネを睨み返した。


 言葉のない、拮抗するような緊張感。

 じりじりと神経をすり減らす静寂を破ったのは、場違いな陽気さを振りまく声だった。


「いやぁ~王国騎士さま! ご挨拶が遅れて申し訳ありません!」


 無邪気さを纏わせてこの張りつめた場に近付いてくるのは、ウォルトン領騎士団に属する、このバナーレ村の駐在騎士ニコラスだった。

 ニコラスはあえてこの場の空気を読むことはせず、半ば強引にタオーネの前へ立った。

 いつの間にか彼を呼びにいっていたらしい村長がタオーネへ向けて目配せし、自宅へ戻っていく。

 おそらくこの無礼な連中の相手はニコラスに任せろと言うことだろう。

 そう理解した途端に頭が冷え、家の中へ戻っていく村長へ感謝の眼差しを向け、タオーネはできるだけ自然に一歩後ろへ下がった。

 王国騎士たちの注意は見事なまでにタオーネからニコラスへ移っている。


「貴殿は……」

「私はウォルトン領バナーレ村駐在騎士、ニコラス・バートンであります! いやぁまさかこの村に王国騎士さまがいらっしゃるなんて思いも致しませんでした!」


 王国騎士からの訝るような視線にも狼狽えずに、この村の駐在騎士は明るく純真ににこにこと笑って応える。

 そんな彼の快活な様子に毒気を抜かれたのか、男はひとつ咳払いをすると、やはり尊大な態度で言葉を返した。


「王国騎士団第九小隊長、セオドール・キルガーロンだ。この度は魔物に関する調査をおこなうために参った。貴殿も駐在といえど騎士ならば、民の平和のために尽力せよ」

「はっ! このニコラス、騎士としての心得はしかと胸に刻みつけております! また、このバナーレ村には魔術師さまもいらっしゃいますので、非常時の対応に関してはご安心ください!」


 高慢な物言いも気にせずに、にこやかなまま胸を張るニコラスを相手にするのは調子が狂うらしく、王国騎士は躊躇いがちな視線を気の短い魔術師へ移した。

 だが、タオーネもこれ以上は相手をするつもりもなかったので、さっさと瞼を閉じてただそこに佇むことに専念していた。

 難癖をつけられると堪ったものではないため、無作法にならない程度に頭を垂れて。

 そうなると、さすがの彼らも当たりどころをなくしてしまったのか、白けたような顔を見せた。


「……まぁ確かに、心配はいらないようだ。だが、魔術師さまは他種族。あまりご負担になられぬよう気をつけよ」

「はっ! 心得ております!」


 他種族に介入させるなという意味合いのことを言い含め、王国騎士は取り巻きのひとりに自分の馬を持ってこさせた。

 どうやらやっと帰ってくれるらしい。

 ニコラスの影に隠れてあからさまに安堵すると、タオーネは目を開いた。

 王国騎士たちはそれぞれ自分たちの立派な馬に跨り、随分と高くなった目線から見下ろして嘘くさい笑みをこちらに向けていた。


「それでは、我々はこれで失礼しよう。魔術師さまも、また何かありましたら、我々王国騎士団にお知らせくださいますよう、お願い申し上げます。では」


 一瞬、侮蔑した眼にタオーネを映し、傲慢な騎士たちは馬をせきたてて、せわしなく道を駆けていった。

 その後ろ姿が見えなくなるまで睨むように見送り、タオーネはふー……と息をついた。

 それからもう聞こえないとわかっていて「できることならもう二度会いたくないけどな」とぼやくニコラスに思わずクスリと笑う。

 ニコラスは体ごとタオーネのほうを振り返ると、まだ青年の面影がある懐っこい笑顔で一緒に笑った。


「とんだ災難だったな、タオーネ先生」

「ええ……ああいう輩は何度相手をしても慣れないものですね」


 つい年甲斐もなく頭に血が上っていた自身の状態を思い返し、反省しながら頷く。

 タオーネだけならば村を追放されるくらいで済んだだろうが、下手をしたら自分を村に住まわせている村長や目の前の駐在騎士に迷惑をかけるところだったろう。

 それに今はひとりで暮らしているわけではなく、ドニという幼い子どももいるのだ。

 自分は――それが不本意ではあるにしろ――村を追われても冒険者として生きていく能力があるが、ドニに安心できる住居もない旅をさせるのは厳しい。

 もっと慎重にならねばならない。

 自分はもうそれなりにいい歳で、今は保護者としての責任もあるのだ。


 そこまで考えて、ふとあることに気付く。

 齢三百を優に越える己ですらこの有様なのだから、あの四十も生きたかどうかといった人族の王国騎士が未熟でもそれは仕方のないことなのではないか。

 あの暴言の数々はとても許せるものではないが、そう考えることで少し心が軽くなったような気がした。

 それと同時にやはりもう少し自分が感情を抑えるべきだったと考え、内心で苦笑した。


 何にせよ、今回はニコラスがきてくれて本当に助かった。

 彼を呼んでくれた村長にも後でお礼をしなければならないなと思いながら、タオーネは同じような高さにあるニコラスの顔を捉えた。


「ニコラスさん、助けてくださってありがとうございました。本当に助かりました。明日もドニをよろしくお願い致しますね。それでは、帰って夕食の準備をしなくてはなりませんので、失礼致します」


 軽く一礼して、タオーネは王国騎士たちが去っていったのと同じ道を進もうとそちらへ歩を進めた。

 早くも頭を切り替えて食糧庫の中身について考えを巡らせ始めると、背後から躊躇するような声をかけられた。


「タオーネ先生」

「はい?」


 足を止めて振り返ると、少し迷うような素振りをしたニコラスが次の言葉を考えている。

 先ほど王国騎士の相手をしていた時よりも、よっぽど真面目な様子につい笑ってしまいそうになるが、真剣な者には真剣な態度で返さねばならないと思い直し、柔らかな微笑みを浮かべて続きを促した。

 すると、タオーネの十分の一も生きていないニコラスは気恥ずかしそうに頬を掻いて、考えながら口を開いた。


「あーなんだその……俺たちは先生がこの村にきてくれて、本当に助かってるし、この村を救ってくれた先生は本当にすごい人だと思ってるから」


 不器用だが、真っ直ぐなその言葉には、ニコラスの心遣いが感じられた。

 王国騎士に自身の技量を馬鹿にされたことは――実際にタオーネには空間移動の魔術が使えないので――気にしていなかったが、その気配りが単純に嬉しかった。

 この村にやってきて十年。

 タオーネにとっては短い時間ではあったが、ともに村のために働いて築いた信頼関係を自覚することは本当に心地好い。

 初めはたまたま立ち寄った村が流行病に瀕しているということで、治療のために滞在していたのだが、いつの間にか離れがたくなっていた。

 最初は大昔に人族と戦争を繰り返したとされる珍しい魔族であるタオーネに不安の眼差しを向ける者もいたが、今はこの村のすべてがタオーネを受け入れてくれている。

 生まれてから仲間に恵まれたことはあっても、安住の地とは無縁であったタオーネにとって、バナーレ村は安心して錨を降ろせる初めての場所だった。

 できることなら、これからもこの村で暮らしていきたい。

 そんなことを改めて感じながら、タオーネは心からの喜びを微笑みに乗せた。


「ふふ。なんだか照れてしまいますね。私もこの村が好きですよ。これからも、よろしくお願い致します」


 深々と腰を折ると、ニコラスも照れくさそうに笑って胸に手を当て、騎士の礼儀に適った一礼を披露した。

 それから交わした視線で別れを告げると、ふたりは別の道を戻り始める。

 あまりいいとは言えなかった気分が、あの若者のおかげで軽やかなものになっていることがタオーネの脚まで軽くさせているようだった。

 心が弾むまま道を進んでいると、向こうから誰かの足音が聞こえた。

 聞き覚えのあるその音に、もしやと思って立ち止まる。

 少しすると、今朝起きた時のまま、あちこちを跳ねさせた茶色い髪が目に入った。

 それはあまり速いとは言えないが、大きな体を揺らして駆けてくる。

 足音の正体はやはりドニだった


「ドニ。こんなところで会うとは奇遇ですね」


 上機嫌なタオーネが明るく微笑む。

 だが、ドニはそれに応えず、まじまじとタオーネを凝視して固まった。

 不審に思ってよく見てみると、その顔は恐怖か何かによって強張っていた。


「……ドニ? どうかしたのですか」


 心配になって声をかけると、ドニはくしゃりと泣きそうな顔をして、へにゃへにゃと脚から崩れ落ちてしまった。

 慌てて駆け寄ると、彼は尻餅をついたような姿でタオーネのローブの裾を掴んで、小さく呻いた。

 具合が悪いのかと思い、顔色を覗き込んでみたが、病気や怪我といったものではなさそうだ。

 ドニがこうなったほかの可能性を考えると、ドニが駆けてきたこの道が王国騎士が通ったものだということに気がついた。

 もしや、あの見かけだけ上品ぶった粗野な連中に何かされたのか。

 途端にタオーネはいつも青い顔色をさらに青白くさせ、心が炙られるような痛みに荒れ狂いそうになるのを感じた。

 やつら、自分では飽き足らず、この幼い子にまで何をした。

 目の前が真っ白になりかけながらも、縋るようなドニの手がタオーネの支離滅裂な衝動を抑えていた。


「あっいた! アーサー! ドニいたぞ!!」


 突然聞こえてきた大声に、タオーネはハッと正気に戻る。

 見ればドニの友人ふたりが心配して駆け寄ってきてくれていた。

 つい先ほどまで一緒に遊んでいたであろう彼らに事情を訊けば、何かわかるかもしれない。

 そう考えて、タオーネは冷静さを取り戻し、落ち着いた調子で問いかけた。


「ヘンリーくん、アーサーくん。ドニは一体どうしたのですか?」


 息を弾ませて駆けてきた子どもたちは、その問いにお互いの顔を見合わせる。

 だが、すぐに特に困ったような顔をしていたヘンリーがしどろもどろになりながら、言葉を紡いでくれた。

 それでもなんだか歯切れが悪そうだ。


「えーと、さっきなんか馬に乗った偉そうな人たちが……ええと」

「俺が話すよ、ヘンリー。王国の紋章をつけた騎士たちがその……魔族がどうとか言ってるところをすれ違って、それを聞いたドニくんが真っ青になって、そいつらがやってきたほうに走りだしたんです」


 狼狽えたような様子のヘンリーよりも幾分か落ち着いているアーサーが話を引き受け、簡単に説明してくれる。

 少し言葉を濁したのは、おそらく王国騎士がタオーネの悪口を言ったためだろう。

 本人に聞かせるわけにはいかないと誤魔化してくれたのだ。

 子どもたちの優しさに目を細め、タオーネは相変わらず動けないでいるドニの頭を撫でた。

 アーサーの言うところによると、彼は直接何かをされたというわけではないらしい。

 きっと魔族である同居人の悪口を聞いて、心配して駆けつけてくれたのだろう。

 そして、けろりとしている自分を見て安堵のあまり腰が抜けたといったところか。

 おそらく当たっているこの推測にタオーネはほっと安堵して、優しく微笑んだ。

 この三人の子どもたちの気遣いが、この短時間で忙しく動揺し続けた心に染み入るようだった。


「……ドニ。私のことを、心配してくれたのですね。大丈夫ですよ。怪我ひとつありませんから。だから、ね? 顔をあげて……」


 優しく、宥めるようにドニへ声をかける。

 タオーネの胸には温かい慈しみの気持ちが宿っていた。

 母親がほんの小さな赤ん坊をあやすように、ひたすらに優しく甘やかすような声音が自然と唇から滑り出てくる。

 こそばゆいまでの自身の声に驚きながらも、タオーネはこの安らかな気持ちを言葉に込めずにはいられなかった。

 しばらくそうやって、慰めの言葉をかけていると、ドニが伏せていた顔を上げて赤くなった眼でこちらを映した。

 少しの間、じっと見つめあい、大丈夫だと何度か頷いて見せると、やっとドニもはにかむようにして下手くそな笑顔を見せた。

 これでもうひと安心だ。


「さあ、うちに帰りましょう。頂き物の蜂蜜が少しありますから、甘いお茶を淹れてあげましょうね。アーサーくんとヘンリーくんも、ご一緒にいかがですか。みんなでお茶に致しましょう……」


 タオーネはゆっくりと立ち上がったドニの背中をそっと押して、この優しい子どもたちに応えるように柔らかな眼差しで三人を包んだ。

 子どもたちは何でもなさそうなタオーネの様子に安心して、嬉しそうにそのまわりをちょろちょろと取り囲んで歩き始める。

 先ほどの剣呑な出来事が去りゆき、今度こそ平和な時間が流れ始める。

 この平穏がずっと続いてほしい。

 バナーレ村にはのどやかな日常がよく似合う。

 タオーネはそれを心の底から願っていた。


 だが、魔物たちの異変や王国騎士団の来訪はそれらが崩れゆく兆しのようにも思えた。

 もしもの時は、自分が何とかしなければ。

 一瞬、チラリと直感にも似た不安が頭をもたげたが、この平和な空間にはふさわしくないように思えて、タオーネは子どもたちが話す、どこの子猫が大きくなっていたといったような些細な話題に耳を傾けた。

 今はただ、この安らぎを噛みしめていたかった。


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