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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第1章 バナーレ村
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異変と提案

 ドニがスライムに襲われた。

 そう聞いた時、タオーネの頭は真っ白になった。

 体だけが大きいあの幼気な子どもが、魔物の餌食になる。

 冒険者時代に何度も目にしてきた最悪の想像が瞬時に過り、気がついたら駆け出していた。

 幸いなことに彼に大きな怪我はなく、治療魔術も念のためにかけただけで、今では元気に友達と遊びまわっている。


 だが、幾つかの疑問と言い知れない妙な不安がタオーネの中に残った。

 バナーレ村周辺の魔物は極めておとなしい。

 村の周りは柵で囲われているが、慎重な魔物たちはまず村に近寄ることがない。

 それなのに魔物の中でも特に臆病ともいえるスライムが侵入し、あまつさえ人に襲い掛かった。

 これは普段では考えられないことだ。

 たまたま入ってきたとは考えにくい。

 タオーネの冒険者時代に培った魔物の行動や習性と照らし合わせて考えると、何かに住処を追われたと考えるのが自然だろう。

 そこで思い出すのは春に西の森にて退治したゴブリンたちだ。

 あの後、村の男たちと協力して何度か見回りもしたが、他に仲間の魔物がいる痕跡はなく、街のギルドに報告もしたことから安心していた。

 だが、もしも自分たちの目を掻い潜って別の群れが紛れ込んでいたとしたら……?

 スライムが現れた川辺は西の森に隣接している。

 予測の範囲内なため断言はできないが、可能性は低くはない。


 現状ではギルドの調査もまだ始まったばかりだろう。

 村を守るには多忙なギルドに任せるだけでなく、自分たちで対処していかなければならない。

 この村への想いがひと際強い騎士のニコラスは、早くも見回りと防衛の強化に力を入れ始めた。

 タオーネもこの村の魔術師として今まで以上に小さな出来事にも目を光らせ、異変の予兆を見逃さないようにしなければならないと改めて肝に銘じた。


 そうやって村の魔術師としての考えがまとまると、今度は自身の家の中のことに目を向けることになる。

 自分だけなら大概の魔物や予期せぬ事態にも対応することができると自負しているが、今のタオーネには幼い子どもの保護者という役割がある。

 もちろんタオーネの目が届くところにドニがいるならば守り切れる自信はある。

 だが、遊び盛りの子どもをずっと家や自分のそばに縛り付けておくのは現実的ではないし、健全とは言えない。

 そのため、彼が自分の力で身を守れるようになる必要があるのだ。

 怖がりなドニに戦うことを求めるのは厳しいとは思うが、彼自身の身の安全のためなので頑張ってもらいたい。

 それに何も戦って勝つことを目指すわけではない。

 あくまで身を守ることを覚えさせたいのだ。

 戦って相手を傷つけなくとも、逃げるなり防御するなりしてくれたらいい。


 そのことを村で唯一実戦の経験を多く積んできた騎士のニコラスに相談したところ、ドニを鍛えることを快く引き受けてくれた。

 自身の息子であるアーサーの鍛錬も彼が見ているため、ひとり増えたところで変わらないとのことだ。

 一般的に近接戦を苦手とする魔術師のタオーネにとってはありがたい申し出である。

 タオーネも近接戦はからっきしというわけでもないのだが、やはり専門の者に頼むほうが安心だろう。

 自身が得意な魔術を教えようとも考えたが、ドニの魔力総量は極めて低く、体も大柄なことから肉体を用いた近接戦のほうが向いていると思われ、魔術を学ばせるのは得策ではないと考え直した。

 いずれ魔術の基礎だけでも教えたいとは思っているが、まずはできることから始めて自信を持ってもらいたいというのがタオーネの方針だ。


 さて、ニコラスへの根回しも済んだところで、あとはドニ本人を説得するだけとなった。

 改めて目の前でしょんぼりと簡単な数字の計算をするドニに目を向ける。

 タオーネはつい先日のスライム事件からこの子どもの心が大きく開かれたと感じていた。

 以前は見えない壁を挟んで恐る恐るこちらを窺っていたが、あれからその壁を感じなくなった。

 まだ控えめな態度でいるのは変わらないが、タオーネを見る際の眼に無邪気な子どもらしさが宿ることも多くなったように思う。

 邪魔にならないように遠巻きに、それでもできるだけ近付いてタオーネの周りをついてまわるその姿は親鳥の後を追う雛鳥のようだ。

 所帯を持ったことのないタオーネもそのいじらしさに、思わず破顔してしまいそうになることもある。

 つまるところ、ふたりの生活は大いにうまくいっていた。

 タオーネのやることすべてに興味深々といった顔でこっそりと覗き見てくるドニに簡単な仕事を頼むと、いつも嬉しそうに手伝ってくれるのも、お互いの関係がうまくいっていることを表しているようだった。

 だが、やはり失敗も多く、先ほども昼食に使った皿を片付けようとしたところ、力加減を誤ったドニが素手で木製の皿を割ってしまったのだ。


 それからすっかりしょぼくれてしまったドニを眺めながら、タオーネはそのときに受けた衝撃を思い返す。

 今までにドニが皿などを割ったところを見てきたが、素手で割ったところは初めて見た。

 だが、思い返してみると、落として割ったにしては割れ口が不自然な食器の残骸も今までに存在したのだ。

 たまたまだろうと思っていたのだが、ドニの力がここまで強いものだとは思いもしなかった。

 ドニが引っ込み思案な性格であったからこそよかったが、友達と遊んでいるときに力の加減を間違えていたとしたら……。

 そう考えると彼と彼の周囲が無傷であれたことに感謝せざるを得ない。

 自分の認識が甘かったことを反省しながら、ドニには身を守ることだけではなく、その膨大な力をコントロールする術を学ばせなければならないだろうと考える。

 そうなると、やはりニコラスに頼んだことは良き選択だったと言えるだろう。

 専門外のタオーネには荷が重すぎる。

 そう考えをまとめて、タオーネは目の前の子どもが計算との格闘を終わらせるのを待った。 

 しばらくして計算が終わったらしいドニがおずおずと顔を上げてタオーネを上目で見た。


「終わりましたか? それでは見せていただきますね」


 自信なさげにこちらを見上げるドニへ微笑みかけ、砂の上に書かれた数字に目を走らせる。

 彼は数字の計算が苦手らしく、特に引き算をよく間違える。

 今回も五問中四問は正解しているが、一問は間違えていた。


「この四問は正解ですね。よくできました」


 そうやって褒めるとドニは困ったように頬をほんのりと赤く染めながらはにかむ。

 タオーネもよく褒めるようにしているのだが、彼はいまだに慣れないらしく、毎回照れている。


「この問題の答えだけ少し違うのですが、どこが違うのかわかりますか?」


 間違いを指摘し、もう一度、自分で考えてみるように促すと、ドニは数字とふたたび睨めっこを始めた。

 しばらくすると、あっと何かに気がついた顔をして先ほどとは異なる答えを砂の上に書いた。

 ドニが砂の入った木箱をこちらに向けるのを待って確認すると、今度は正解している。


「正解です。自分で気付くことができましたね。偉いですよ」


 再度褒めるとやはり今度も彼はもじもじとはにかんだ。

 その昔、ともに旅したタオーネ唯一の弟子はあまり褒めると調子に乗って羽目を外すため、あまり褒めすぎないようにしていたが、その生い立ちから丸っきり自信のないドニは褒めすぎて丁度いいくらいだとタオーネは思っていた。


「では、今日の勉強はここまでにしましょう。砂を片付けてきてくださいますか?」


 そう言うと幼い教え子はこくりと頷いて、言われた通りに砂の入った木箱を所定の位置へ戻した。

 それからいつも繰り返し言いつけている手洗いもきちんとこなし、濡らして絞った台布巾を持ってきて机を隅から隅まで拭き始める。

 衛生管理に関しては口を酸っぱくして教え込んでいるため、ドニは食事の前や外から帰ってきたときにもしっかり手洗いをおこなう。

 タオーネは乾いたままの布巾を持ってきて、ドニが拭いた後の濡れた机の水気を拭った。

 ドニが濡らした布巾を満足に絞れず、たっぷりと水を含んだままになってしまうのは単に不器用なせいだと思っていたが、おそらくは加減ができないことを恐れて力を込められないのだろう。

 今日初めて目の当たりにした情報を照らし合わせてそう考え、タオーネは机に余分な水分が残っていないことを確認し、頷いた。


「はい、ありがとうございます。それと、お話があるので、また椅子に座っていただけますか」


 使い終わった布巾を端に寄せ、座るように促すと、ドニは少し不安そうな顔をしながら席についた。

 何か失敗してしまったのかもしれないと思っているらしい。

 タオーネがそうではないことを目で微笑んで伝えると、少し緊張が解れたようだ。

 それでも彼はどうしたのだろうと落ち着かない様子でじっと耳を傾けている。


「お話というのはですね、勉強についてのことなのです」


 話を切り出すと、ドニはきょとんとした顔をして小首を傾げた。

 今日の分の勉強はたった今、タオーネ自身が終わりだと宣言したため、不思議に思ったようだ。

 しかし、彼は話の途中で口を挟むことはしないので構わずに話を続ける。


「これからは机に向かって勉強することを、少しだけ減らしましょう」


 垂れ目がちな翠の瞳に困惑の色が浮かぶ。

 それでも聞き分けのいい極めて従順なこの子どもは、ただタオーネの言葉を待っている。


「減らした分の時間は、ほかの勉強をする時間にしようと思ってます。何も勉強というのは、椅子に座ってやるものばかりではありません。体を動かして何かを覚えることも、勉強と言えるでしょう?」


 そこまで言うと、どちらかというと頭の鈍いドニでもなんとなく自分が体を動かすようなことをするのだと察したらしく、こくんと頷いた。

 その顔にはまだ不安も残っているが、一体何をするのだろうという期待も見える。

 彼はタオーネに言いつけられたことは何でも嬉しそうにおこなう。

 タオーネからしたらもっと我儘を言ってくれたほうが喜ばしいほど、よく言うことを聞いてくれるのだが、きっとそれが性分なのだろう。

 そんなことを考えながら、話の本題に入ろうと言葉を続けた。


「そこで、私はドニに自分の身を守ることを覚えていただきたいのです」


 一旦、言葉を切って、ドニの反応を窺う。

 予想していたよりも動揺した様子は見られないが、それでもやはり強い不安を顕にしている。

 常より困ったような形の眉尻をさらに垂らし、こちらを探るような眼で見つめられる。

 そんな彼を安心させるように、タオーネはできる限り柔らかな声音で、ゆっくりとわかりやすく話を掘り下げていった。


「もちろん、私がそばにいるときは、必ずお守りします。ですが、この間のスライムのように、私の目が届かないところで何か危ないことが起きたときに、自分で対処できるようになっていただきたいのです」


 そこでスライムに襲われたときのことを思い出したのか、ドニの瞳が揺らいだ。

 タオーネはその場にいなかったが、あの感情の読めない不気味な魔物に半ば飲み込まれそうになったことは、この感じやすい質の子にとっては思い出しても恐ろしいことだろう。

 だが、また同じようなことが起きたときに同じ失敗を起こしてしまうわけにはいかないのだ。

 もしも周囲に誰もいない場合は自分で自分の身を守れなくてはならない。

 むしろドニの今後の人生において、ずっと助けてくれるような人が周りにいることも約束されているわけではないのだ。

 タオーネも彼の保護者としての責任は果たしたいと思っているし、できる限りはそばにいようと考えているが、いずれはドニも世の中というものに触れるときがくるだろう。

 多くの時間を冒険者として生きてきたタオーネは、困ったときに誰も助けてくれない世の中の冷たさも知っていた。

 それでもこれまでの人生を恐怖と苦痛の中で送ってきた幼い子どもに厳しい言葉をかけるのは躊躇われて、タオーネはついつい逃げ道をつくってしまう。


「大丈夫ですよ。何も戦わなくても、隙をついて逃げることができたら上出来なのですから。私がいるところまで逃げてきてくだされば、あとは私がなんとか致しますので」


 そう言うと、ドニは素直に安堵して表情を弛めた。

 その様子を眺めながら、思わず甘やかすようなことを言う自分に歳をとったと内心で呟く。

 昔のタオーネでは考えられなかったことだ。

 歳を重ねると丸くなるものだとひとりごちて、なんだか嬉しそうにしているドニに詳しい話の中身を提示していく。


「それで、身を守る勉強の先生についてなのですが、私の得意分野ではないので、アーサーくんのお父上であるニコラス騎士にお願いしようと思っているのですが、いかがでしょう?」


 ニコラスとはスライム事件の際に面識を持ったドニは少し迷うような素振りを見せた。

 面識があるといっても、やはり大きなおとなということで躊躇するのだろう。

 この反応も予想の範囲内であったタオーネはある切り札を用意していた。


「勉強するときはアーサーくんもいらっしゃるそうですが……」


 その切り札を用いた途端にドニはおずおずと頷いて了承を示した。

 やはり同年代の友達がいるのは心強いのだろう。

 アーサーとヘンリーというふたりの友人はタオーネでは引き出せないドニの一面を引き出してくれる。

 自分とはまた違った世界の見せ方をしてくれる友人の存在は、タオーネからしてもありがたいものだった。

 子どもが健やかに育つには、一緒になって遊べる友が必要不可欠と言える。

 そして、そんな友達と良好な関係を築いているのだとドニの返事から読み取り、タオーネは満足げに微笑んだ。


「それでは、明日の昼前からその勉強を始めましょう。アーサーくんが迎えにきてくださるそうなので、それまでは今まで通り、文字や計算の勉強をして待っていましょうね」


 無事に話をまとめることができたと安堵すると、ドニがチラリと窓の外を気にかける様子を見せた。

 今日はこの季節特有の雨が降り注いでいる。

 ドニには小雨のときはいいとしても、雨足が強い場合には濡れて体を冷やすとよくないので、あまり外へ出掛けないように言いつけてある。

 そのため、この雨が明日も降り続けたときのことを心配しているのだ。


「雨の日は家でいつもの勉強をすることになります。明日は晴れると思うので、大丈夫ですよ」


 彼の心配事を解消するために、話の補足と天気の予測を付け足すと、ドニは安心したように頷いた。

 雲や風の動きからして、この雨は夜には止んでいるはずだ。

 暑い季節は雨が続きやすいが、今回は大丈夫だろう。

 タオーネは天候のことから自身の仕事のことに思考を移し、常備している薬の減りを思い返して補充するものを頭の中に書きだした。

 それから、雨で友達と遊べずに手持無沙汰といった様子のドニに声をかける。


「今日は夕食までは自由時間にしましょう。私はこれから仕事部屋で薬を煎じますので、その後になりますが、たまには本でも読んで差し上げましょうか」


 そう提案すると、ドニは嬉しそうに瞳を輝かせてコクコクと何度も頷く。

 きっと本を読んでもらうことよりもタオーネに構ってもらえることが嬉しいのだろう。

 前はこういったことを言うと萎縮してしまうことのほうが多かったため、その変化が素直に喜ばしい


「では後で一緒に読む本を選んでおきますね。それまで自由にしていいですよ」


 思わずその短く無造作に切られた亜麻色の髪を撫でると、ドニは控えめにはにかんで窓から外を眺め始めた。

 すぐに虫か何かを見つけたらしく、熱心に観察を始めたドニの後ろ姿を映しながら、自身が所持している本たちの中でどれが彼の興味を誘うか考えていると、あることに気がついた。

 前は少し余裕のあったドニの衣服が少し窮屈そうに張りつめている。

 彼の手足に合わせてぴったりに採寸した裾や袖もだいぶ短く感じられた。

 この家にきてからよく食べさせているので単純に太ったこともあるだろうが、よく見るとその背丈は記憶しているよりも随分と大きくなったように思われた。

 その成長の早さと先ほど目にした怪力に、やはり彼は人族以外の血を引いているのかもしれないとタオーネは推測した。

 彼の生まれを知る者がいない今、真実を知ることは難しいが、そう考えるほうが自然に思える。

 だが、同じ種族の中でさらに細かく分岐するために姿形から能力、寿命に至るまで様々な者が存在する魔族であるタオーネからしたらそれも些細なことであった。

 人族の範疇を超えているといっても魔族と比べたら誤差の範囲だ。

 そんな彼にタオーネにできることといったら、人族が中心となるこの大陸においてうまく生きていく方法を教えていくことぐらいだろう。

 つまり、ドニが純粋な人族でなくてもタオーネのやることが変わるわけではないのだ。

 そういった結論が自分の中に出ている以上、必要ないことを延々と考えるのはタオーネの生き方に反している。


 ドニの血筋に関する考えを止めて、思考を本の選別と仕事のことに切り替えた。

 何年か前に行商人から仕入れたエルフに関する本があったはずなので、それを探しておこう。

 そうしたら熱冷ましの薬を煎じて……。

 これからやるべきことを頭の中で順序立てながら、タオーネは仕事部屋へ足を向ける。

 家は静けさに満たされ、雨音だけが歌うように響く。

 雨足は少し弱まったようだった。


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