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ふたりの出会い

 タオーネ・ハイルクラオトは困っていた。


 小さな村の治療魔術師として、そこそこ多忙な日々を過ごしていた彼は治療院を開いてからはずっと侍女を雇っていた。

 侍女といっても大層な年の老婆なのだが、十年ほどの間、ひとつ屋根の下で暮らしてきた。

 年を喰っているだけはあり、家事は完璧で年寄りの割には頑固でもなく、そしてでしゃばらずというタオーネには十分すぎるくらいの人材でよく働いてくれた。

 問題はその老婆が年をとったので、引退してそう遠くない都市に住む息子と暮らすと言い出したことが発端にある。

 もちろん、年老いた老婆のささやかな願いも聞きいれず働かせるほどタオーネは鬼ではない。

 快く老婆の願いを聞き入れ、彼女の新しい門出を祝ったのはつい一月ほど前の話である。

 息子の住む都市まで送ると申し出ると、彼女は恐縮していたが、そのくらいはさせてくれと頼み込み、了承を得た。

 彼女はその礼として次に雇う侍女候補の世話をさせてくれと言ってきたので喜んでお願いした。


 そして、老婆を息子のもとへ送り届けたのはつい先日のこと。

 彼女は自分の息子に手紙を書いて新しい侍女を探しておくように伝えていたし、彼女の息子も知り合いの伝で新しい侍女を約束してくれていた。

 しかし、その息子の知り合いが勤めている紹介所の手違いで、約束の侍女が既に他の家庭と契約してしまっていたのである。


 そこで困るのはタオーネだ。

 老婆を送り届け、新しい侍女と共に村へ帰り、その侍女に家のことを教えるだけの時間は確保してきた。

 だが、新しい侍女を一から探す時間は彼にはない。

 村唯一の治療者であるタオーネは、あまり長いこと治療院を閉めてはおけないのだ。

 そのことをよく知っている老婆は顔を青くして村へ帰ると言ってくれたが、どうにかなると言いくるめ、丁重にお断りした。


 申し訳なさそうに頭を下げ続ける老婆とその息子にやんわりとした笑顔で気にしなくていいと伝え、二人の家を後にしてそのまま冒険者向きの宿屋へ泊まった。

 本当はもっと治安のいい地区にある旅行者用の宿屋に泊まるつもりだったが、時間がない中で侍女を直接雇おうと考えると用意してきた資金だけでは心もとないため、少しでも節約しようという最後の悪あがきである。


 そして、その資金を握り締めて宿屋を出たのが半日ほど前だ。

 あらゆる紹介所を巡ったが、やはり急な募集には対応しきれないらしく、門前払いされるばかりで進展がない。

 そうこうしているうちに日が暮れ始め、そのうえ、この都市を訪れたことが数度しかないタオーネは知らない地区で迷ってしまった。


 ふぅと小さく溜め息をつき、タオーネは考えた。

 今日中に新たな侍女が見つけられなければ、さらに宿屋に泊まることとなり、そうなれば資金は減る一方であり、何より時間がない。

 明日にはこの都市を後にせねばならないだろう。

 タオーネはそこまで家事が苦手というわけでもない。

 むしろ男にしては得意なほうではないだろうか。

 侍女がいなくとも家事自体は何とかなりそうだが、やはり仕事との両立を考えると侍女がいてくれたほうが助かるに決まっている。

 しかし、この状況では諦めるしかないだろう。

 そう考えてローブのフードを深く被り直し、何とかして宿屋へ戻ろうと来た道を歩き出すと後ろから不穏な視線を感じる。

 あえて振り返らずに進もうとすると後ろから嫌な笑みを浮かべた小さな男が追い抜き、タオーネの進行を妨げてきた。


「お兄さん、何かお探しかい。力になるよ」

「いいえ、間に合っていますので」


 素っ気なく断り、通り過ぎようとすると、男がさらに食らいついてくるかのように短い足をタオーネの前に出した。

 思わず眉を寄せると、男はにやにやとしたヒキガエルによく似た顔で顔を覗き込んでくる。


「そんなに警戒しないでおくれよ。悪い話じゃないんだ」

「急いでますので」

「まぁ待ってくれ。あんた、今日ずっと紹介所で侍女を探してるだろ。そんなあんたに紹介したいとこがあんのさ」

「この街の紹介所なら行き尽くしましたし結構です」

「だから話を聞いておくれよ。あんたにとっても悪くない話だよ?それにお兄さん、あんた、隠しちゃいるが魔族だろ。奇遇なことにあっしも魔族の中じゃ弱いが鼻の効く一族の出でねぇ。これも何かの縁だ。世話させておくれよ」

「…………此処で話だけ聞きましょう」


 まだまだ魔族というだけで差別されるこのご時世で差別の少ない地域とはいえ、身分を隠してこの都市に入ったタオーネは魔族であることを吹聴されても面倒だと判断し、男を見下ろした。

 すると、男は両手を揉むような仕草でタオーネに擦り寄った。


「あんた、確かにお急ぎのようだが、紹介所の奴らは呑気だからな。急な客には応じちゃくれなかったろ?だからさ、あんたが直接買えばいいんだよ。ちょっと契約の仕方は違うけどね、あっしが紹介するとこじゃ掘り出し物もたくさんあるよ」

「……私に奴隷を買えと?」

「ありゃっお兄さんったら話の早ぇこと。まぁかいつまんで話せばそういうことさね」


 男の言葉にタオーネの眉間の皺がさらに深くなる。

 長年もの間、人族からの排斥や支配によって苦しめられてきた魔族が人族との平等の約束までこぎ着けてから百余年。

 魔族とわかり次第、虐殺されるか奴隷にされるかということはなくなったが、それでもタオーネからすればつい先日のことのような記憶だ。

 奴隷も世間では当たり前な存在であるが、そんな血生臭い歴史を目のあたりにしているタオーネには大きな抵抗がある。

 さらにその奴隷を細かな種族こそ違えど、同じ魔族である目の前の男が薦めてくることに嫌悪感すら覚える。


「笑えない冗談ですね」

「お兄さんの気持ちはわかる。でもね、これも生きるためでさぁ。もしお兄さんが奴隷商のとこまで行ってくれたらあっしは今日を生きることができる。そんでもしお兄さんが奴隷を買ってくれたら一週間は生きられるだろうなぁ。それにあんたみたいな人に買われたなら奴隷も幸せだし、何よりお兄さんも新しい侍女を迎えることができて大助かり。困るやつなんて何処にもいませんや」

「論点をずらしたところで誤魔化しきれてませんよ。私が払った金で奴隷商は新たな商売を始めるじゃないですか。結局は新たな奴隷を生み出すだけです。それでは、失礼させていただきます」

「まてまてまて!待って!お兄さんったら待っておくれよぉ!!」


 今度こそ通り過ぎようと歩を進めると男ががっしりと脚にしがみついてきた。

 形振り構わない性質のようだ。

 実に迷惑である。


「離しなさい。離さなければ実力行使に出ます」

「ねぇ頼むよ!買わなくていい!奴隷商にきてくれるだけでいいんだ!あっしを助けると思って!ね!?」


 面倒な輩に捕まってしまった。

 此処で断ってもさらにごねられるだけだろう。

 どうしたものかと考えていると、男と目が合った。

 必死になりすぎて鼻水が垂れているが、本人にはそれを気にする余裕はないようだ。


「それにあっしの一族は執念深いですぜ!?魔大陸南のガバルド族ってあんたも聞いたことあんだろ!?」


 そんな一族は聞いたこともないが、この様子だと執念深いのは本当のことだろう。

 これ以上、渋ったところで事が進展するとは思えない。

 それにもしも奴隷商で揉め事に巻き込まれたとしても、腕っぷしにはそこそこ自信がある。

 それらを踏まえ、タオーネは渋々ではあるが、小さくわかりましたと呟いたのであった。




※※※※※※※※※※




 男に案内されたのは路地裏の小汚いテントだった。

 しかし、思っていたよりは衛生環境も客層もいい。

 様々は客はいるが上等な服を身につけている者もちらほらと見かけ、時たま混じっているみすぼらしい服の客は主人から金を預かっている奴隷だろう。

 辺りを用心深く探っていると、男が恰幅のいい豚の獣人族の男に近付いていった。

 おそらくこの奴隷商のオーナーだろう。

 二人の男が何やら話し合っているのを横目で確認し、此処まで来たのだから既に義理はないだろうと判断してタオーネはテントの奴隷たちに視線を向けた。


 奴隷たちは皆、全裸かそれに近い姿をしている。

 それは商品としての価値を判断する材料であることは奴隷市場に疎いタオーネにも理解できたし、この光景に臆するほど年若くもないため、気にせずに視線を動かし続けた。

 奴隷たちの多くは健康状態も問題なさそうに見え、タオーネが想像していたよりも絶望していない。

 むしろ客に自らを売り込む奴隷もいるようだ。

 広いテントを見てまわっていると、先ほどの豚男がタオーネに近寄ってきた。

 難しそうな顔はしているが不穏な空気は発していない。


「魔術師さま。うちの客寄せが失礼しました。ちょっと仕事をサボったもんで少しばかり脅かしてやったら必死になっちまったようで……。後でしっかり絞っとくんで……申し訳ない」

「いえ」

「本当にすいやせん。お詫びにお安くしときますよ。うちは阿漕な商売はしてないつもりです。きっと満足いただけるかと」


 豚男の言葉に微笑するだけに留めて、タオーネは再び奴隷たちを見ようとテントの中を歩き出す。

 豚男は二歩ほど下がってそれに着いてくる。


 オーナーであろうこの豚男からは不快なものを感じない。

 奴隷商には抵抗があるが、豚男の商売に対する姿勢は少なからず好感を持てた。

 嫌な想いをしている奴隷も今のところ見かけない。

 今もタオーネの中で奴隷を買うという選択肢は限りなく少ないが、困っているのも事実である。

 どうしたものかと考えあぐねていると、ふと視界の端に板と布で区切られた空間が映った。

 気のせいかその周辺では人が疎らになっている。


「彼処には何があるのですか?」


 単純な好奇心で豚男に問いかけてみると、難しい顔にさらなる皺を増やされた。

 おそらくあまり聞いてほしくないというような反応だ。


「……格安の商品です。物好きしか買わないようなやつらばかりですよ」

「……見せていただいても?」


 思わず鋭い視線を向けると、豚男は無言で頷いた。




※※※※※※※※※※




 そこに繋がれている奴隷の数はけして多くはなかった。

 だが、表では感じなかった負の臭いが漂っている。

 手足のない者やブツブツと何か言葉らしいものを呟いている者、ひたすら薄ら笑いを浮かべる者など、思わず眉をしかめてしまいそうな者ばかりである。

 病気や怪我は治療しているようだが、ほとんどの奴隷が精神を病んでいる。

 タオーネが難しい顔でそんな奴隷たちを眺めていると豚男も相変わらずの難しい顔でポツポツと言葉を紡ぎだした。


「此所にいるやつらはみんな中古なんです。そのまま廃棄になるとこをうちにタダ同然で売られてくるんですよ。うちの物好きな顧客がたまに買ってくぐらいでほとんど売り物になりませんしオススメもしてません」

「売れなかった者はどうなるのですか?」

「……こっちも商売ですからね。何とかして売り捌いてますよ」


 つまりこれ以上は訊いてくれるなということだろう。

 人の商売に対してとやかく説教するほど善人ぶるつもりはないが、それでも胸が詰まる。

 この豚男が奴隷商の中では割と良心的なことはわかるが、普段暮らしている小さな村では感じることのない闇が身体を重くしているような錯覚すら感じる。

 豚男に気付かれぬようにそっと息を吐いて、タオーネはその空間をぐるりと見まわした。

 適当に断って宿屋に戻ろうと考え、踵を返そうとしたその時、ひとりの奴隷がタオーネの目に入った。


 見たところ身体に欠陥はなく、その瞳は絶望していたが、他の奴隷たちとは何かが違っていた。

 藁で作られた簡素な寝床に座り込んでいるため、分かりにくくはあるが、背はタオーネの肩くらいまではあるだろう。

 少し痩せてはいるが、その割に骨格はしっかりとしており、骨が太い。

 歳は十五、六の人族の少年といったところか。


「彼は?」

「ああ、そいつは前の飼い主が死んじまってうちにきたんです。図体はデカいが言葉も話せねぇみてぇだし何より此所に来てから飯もろくに食おうとしねぇ。このままじゃ客もつかねぇんでこの部屋にいるんです」

「客はつきそうですか?」

「まぁこういうのが好きな人もおられますからねぇ……。でもこのまま何も食わねぇようならすぐ死んじまうだろう」


 タオーネは豚男の言葉を聞きながら少年の前にしゃがみ、その顔を覗き込んだ。

 少年の瞳はやはり絶望に染まっており、虚ろな様子ではあったが、廃人というよりはショックな出来事に呆然としているような印象だった。

 前の飼い主だという者のもとで、何か大きな衝撃を受けたことは確かであった。

 そうやってしばらく少年を見つめていると、その少しばかり薄汚れている顔が思っていたよりも幼いことに気付いた。

 もしかしたら身体の割にはもっと幼いのかもしれない。

 さらにうまく隠されてはいるが、身体中に治療痕や治りきっていない傷痕が見られる。

 どうやら前の飼い主とやらは随分と乱暴者だったようだ。

 タオーネは己を善人だとは思ってもいなかったけれど、さすがに目の前の子どもが無残に傷ついているとなると胸が痛んだ。


 そんなことを考えながら少年を見つめ続けていると、ふと虚空を見つめていた瞳と目が合った。

 虚ろで、深い哀しみを宿した瞳だ。

 しかし、そこにはタオーネの姿が映っている。

 ほの暗い眼に映り込んだ己と視線がぶつかり合う。

 すると、不思議なことにその瞬間、タオーネは幼い頃の自分の姿をハッキリと見た。

 恵まれた環境とはお世辞にも言えない中で、たったひとり、孤独に飲みこまれまいと歯を食いしばる幼き己の姿を、確かにその眼で見たのだった。

 そして、過去の自身と目の前の少年の姿が重なった時、タオーネは無意識のうちに口を動かしていた。


「私の言葉がわかりますか?」


 自分の言葉が耳に届き、己の思わぬ行動に狼狽えそうになったが、戸惑いはすぐに霧散した。

 タオーネの問いかけに少年の瞳が微かに揺れたように見えたのだ。


「あなたは孤独なのですね」


 静かに言葉を重ね、小さく微笑む。

 少年は視線を僅かに動かして今度はハッキリとタオーネを見つめた。

 背後で豚男が息を呑んでいる。

 それに構うことなく、タオーネはさらに言葉を重ねていく。


「あなたは、死にたいのですか?」


 その言葉に少年はしばらくの間を置いて、そして微かに首を横へ振った。

 本当に小さな小さな、見逃してしまいそうな答えではあったが、確かに少年は応えた。

 それを確認したタオーネは少年を見据えたまま、背後の豚男を振り返らずにその言葉を伝えた。


「彼を買います」


 これも何も考えず、思わず出た言葉だった。

 侍女を雇いにきたのではないのかとか、仕事はどうするんだとか、奴隷を買うことに反対してたのではないのかとか、これは偽善なのではないのかとか、様々な考えが頭を過ったが、どれもどうでもいいことのように思えた。

 この少年が抱えているものに気付いた途端、どうしても救いたくなった。

 タオーネが遠い昔に置いてきたそれに蝕まれている彼のことが、もはや他人とは思えなかった。

 ただそれだけだった。


 少年の口からは生きたいとも、助けてほしいとも出てくることはなかった。

 余計なことをしているのかもしれないという自覚はあった。

 けれど、彼は死にたくないという意思を示した。

 それだけで、十分だった。


「……いいんですね」

「ええ。お願いします」


 豚男は少し戸惑うような気配を見せたが、部屋の奥に引っ込み、しばらくして薄汚れてよれよれになった紙切れを持って現れた。

 その紙切れに簡略化されたサインを記し、口頭で告げられた金額の分だけ金銭袋から取り出して豚男に手渡す。

 こんな簡単なやりとりで少年はタオーネの所有物となった。


 冒険者向きの宿屋でたった一泊できる程度の金。

 それが彼の価値であった。




※※※※※※※※※※




「まずは服を買って、それから食事にしましょう」


 テントを後にし、奴隷商で用意された質素な服を着た少年を見てタオーネはそう伝えた。

 少年が困ったように視線を地面へ向けてから、幼い仕草で小さくこくりと頷くとタオーネが微笑んで少年の背中にそっと腕をまわし、歩を促した。


「それでは行きましょうか」


 少年の足がゆっくりと地面を踏んでいく。

 タオーネもそんな少年に合わせ、ゆっくりと歩き出した。

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