砂丘島の三つの風力発電プロペラの故障
砂の動く気配がしてフェルマーは、高い空を見上げた。風は南西方向から吹いてきている様に思えた。いつもの様に海の塩の香りが混ざっている。砂丘の丘に毎日の様にこの時間は座りぼんやりとしながら数式を頭の中で捻り回していた。初めて意識を持った時にはフェルマーは、もうすでに中年の体でこの島の砂丘の真ん中に立っていた。そこには何の疑問も問いもなかった。ただ、在ると言う意識と何かの使命だけが存在した。
意識を持ってから砂丘を歩き回り、小さな襤褸家を見つけて中をじっと見つめそして砂丘を取り囲む島の境界を歩き回った。島の周りの海は、地平が彼方まで続き、風が吹いていた。そして長い雲が棚引いていた。長いとも短いとも思える時が過ぎてこの島が絶界の小島であることがはっきりとわかった。
島の内部は、砂しかない。いや小さな襤褸家が存在した。そして巨大な三つプロペラの風車が三本三角形に建っていた。そのプロペラは、島に吹く風に吹かれてゆっくりと常時回り続け何か作業をやっていた。フェルマーは、何故かその三本の風車の名前を存在し始めた時から知っていた。一本目はペテロ、二本目はトマス、三本目はエホバ。
砂地ギリギリに回るプロペラは、細かな砂を巻き上げ風がそれらをゆっくり運んでいく。フェルマーには、それらいや彼らの回る声が聴こえてくるように感じられた。
ペテロは言う。
「今日の風は実に気持ちがいい。明日もそうであってくれれば良いのだが」
トマスは言う。
「私は回り続ける。それに何の意味があると言うのだ」
エホバは言う。
「世界は我々のモノなのか?それとも誰かいるのか」
フェルマーは、砂の中に半ば埋まりながら座り、彼らの声の様な唸りを聞き続ける。ただ、彼には何か誰かに入れられた使命の様な気分が存在して三本の風車の具合を音で無意識に聞き分けていた。永遠の管理者。フェルマーの頭の中にこだまの様に湧き上がってくる声ならざる声はそう告げてくる。
長い長いそして一瞬の時の様な時間が過ぎ、三本の一本ペテロの回転の音の中にノイズが感じられるようになった。砂に埋まりかけたフェルマーは、そのノイズを聞き分けると頭の中で数式を証明していくのをやめて立ち上がり、ペテロに向かって歩き出した。砂が空中に舞いあがる。
ペテロの基部にある小さな見えないドアを開けるとクランクを少し回し、ノイズの原因になっているプロペラの歪を修正した。それでペテロのノイズは、ゆっくりと消え去っていった。風車の中には、何かフェルマーには理解できない複雑な機械があり回転し何かを生み出していたが、それがどこに行っているのか、そしてどうなっているのか彼には興味をそそるものではなかった。
島の少し凹んだ崖の上にケーブルが現れそれが崖を伝わって海に落ち込んでいた。フェルマーは、初めての観察でそのことを理解しており何かが何処かに言っていることが論理的に理解できた。だが、彼には現実に対しての理解がない。
その存在が初めて現れたのは、ペテロのノイズを取り除いた時だった。風車の基部から振り返るとその存在、老人と言ってもいいだろうかがぬっと立っていた。
「フェルマー、数式は解けたかね?ノイズのせいで中断したのじゃないのか?」
「記憶は鮮明です。どなたか知りませんが、あなた」
そしてその存在は砂煙も上げずに消えた。
島の中央に存在する襤褸家の脇にある井戸から真水を汲み上げると乾いた喉を潤した。フェルマーには、空腹という概念が存在しなかった。だから家の中にあるのは、寝床と椅子、そして書き物机そして紙と鉛筆だけだった。毎日、毎日、彼は自分の頭の中で湧き上がる意味不明な数式記号を順を追って書き続け、壁に貼っていった。
二回目のノイズが聴こえだしたのは、証明が丁度中盤と思える頃で都合のいい時だった。ノイズを出していたのは、エホバだった。フェルマーは、さっさと紙と鉛筆を机に置くと襤褸家を出てエホバ風車に向かった。風車はペテロと同じように強い風にしなって歪み低く唸るようなノイズを出して回っていた。歪みのせいか少し砂煙が上がっている。エホバの基部の同じような小さな扉を開けるとクランクを取り出し堅い方向に回しだした。前と同じように低く響くノイズはゆっくりと消えていき吹き渡る風の音しかしなくなった。ゆっくりと回るプロペラを見上げながらフェルマーは呆然とした気分に陥った。小さな扉を閉めた時、近くの砂丘に今度は小さな子供が立ってこちらを見ていた。
「永遠の風車にも何故か故障が起きる。どうしてだろうね?フェルマー、証明できるか
ね?」
「わからない。私にできるのは、クランクを回すことと意味不明な文字を順番に従って
論理的に書き下す事だけだ」
「二度起きることは、三度起きる」
そしてその子供は消えた。フェルマーには、子供も老人も存在の概念がなかった。ただ、違いが解るだけだった。再び襤褸屋に戻ると水を飲み、記号を書き下す仕事に戻った。そして長い時間が経った。島には夜が来る。空には星が輝き、光の無いフェルマーの襤褸家では彼が規則正しく寝るだけだった。フェルマーも時々は夢を見ることがあった。そこには砂の丘もなく、限りなく遠くに地平が広がり道が一本走っているだけだった。彼はそこに立ち、昼の様に頭の中で記号を操作し証明の続きを行うのであった。書くものがないので彼は地面の土に指で記号を書き記した。目を覚ましても自分が夢を見ていた意識がなかった。入り口から差し込む明るい朝日を浴びてさっきまで地面に書いていた記号列を紙に再び書き示すのだった。
襤褸家の壁一面が一杯になって証明が終わり近くになって三本目の風車、トマスが予言通り低く高い唸りのノイズを上げ始めた。フェルマーは、証明の最後を書き終わるのを待ってゆっくりと立ち上がると襤褸家を出るとトマス風車に向かって行った。近づくにつれてノイズはさらに大きくなった。前の二本と同じように基部の扉を開けてクランクを堅い方向に回して直そうとした。しかしギリギリまで回転させたが、ノイズは減らなかった。これまで気分を害したことがなかったフェルマーは、少し不快な気分になり、二度、三度とクランクを巻き戻したり元に戻したりしたがノイズは消えることはなかった。何か自分の心の中で変化が起こり物凄く気分が変動した。
「あなたの手には負えないわよ、フェルマー」
振り向くと裸の女性が立っていた。フェルマーはこれまで二つの異存在しか見ていなかったから、その存在が何を意味しているのか理解できなかった。その女性はトマス風車の基部、フェルマーの居る場所まで近寄ってきた。そして空中から長い棒を取り出すと基部に差し込み捩じった。それを何回かやってフェルマーにクランクを回すように促した。クランクは軽く周りそれと共にトマス風車のノイズは綺麗に消え去った。
「全ては終わりだ。これでもう二度とすべての風車に故障は永遠に起こらない」
そのままその存在、女性はフェルマーの手を握り襤褸家に連れて行くと一緒に水を飲み、家へと入っていった。日は落ち夜へと変わろうとしていた。これまでの二つの存在と違いその存在は消えずに暗くなるとフェルマーを寝床に導き、フェルマーがこれまで経験したことのない行為を行った。彼はその行為に数式記号の証明以上の興味と新しい感情を覚えた。
寝たままのフェルマーを置いてその存在は部屋の中心に立ち上がると部屋中に張られた紙を眺めて言った。
「君が証明したのは、フェルマーの第二定理だ。すべての君の仕事は終わった。もう自
由だよ」
フェルマーが起き出し外に出た時には、その存在、女性は消えていた。彼は心の中に根差した新しい気持ち、何と表現していいかわからない欲望を抱えて島中を探し求めた。最後にたどり着いた島で一番高い場所に何かしら小さな白い存在を見つけた。彼はそれが昨日の存在かと思い近づいたが、それは羽ばたき空中に飛び去っていった。風は告げる。
”鳩だよ”
海上を飛んでいくその鳩と言う音の存在を目で追って行く彼方には何か巨大な浮いたモノが島に近づいて漂ってきていた。それは切れ切れに張り付けられたもので構成され一番初めに現れた存在、老人が立っていた。
フェルマーはこれから何かが始める気がし始めた。