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◇
「こんな夜遅く、急にどうしたんだ?」
図太くて低い声は深い夜に響く。久しぶりに会う旧友に自然と頬が緩んでしまう。しかしグリムは気を引き締め、
「すまない……けど、時間がないんだ」
いまは時間がない。一時でも無駄にしたくない。奴がここに来るまでに終わらせないと。
「俺とお前の仲だ。ちいせぇことは気にすんな。んで、どうした?」
「ああ、手短に話す。朝になると子どもたちが起きてくるしね」
自分で言っといて、本当に寝たのかな、と思ってしまう。日が沈んでからもう大分経つ。きっと大丈夫だろう。でも、やっぱり気にならないといえば嘘になる……。
思考に埋まる前に友が声をかけてくれた。
「たち? お前のとこは一人娘じゃなかったのか?」
早速出鼻を挫かれた。時間がないと言ったのに、第一声で話題を変えてくるとは。こういう奴ってことはわかっていたけれど。
――まあ、遅かれ早かれ話すことだしな。
グリムは気持ちを切り替えると話始める。
「まあ、正確にはそうだ……けど、シャギア。お前もあの会議で聞いていただろう?」
顔は会わせていない。しかしあの場所に彼らは居合わせてた。
「いんや。お偉いさんたちの話なんざ、俺にはわかんねぇからな。寝ていたよ」
「はぁ……。お偉いさんたちって、お前だって含まれてるんだぞ。もう少し自覚持てよ」
「はっ、肩書きだけだろーが。関係ねぇよ」
ふ、とグリムが苦笑する。こいつだけは変わらない。ずっと昔からこのままだ。我が道を進むんでいる。自分は以前と比べて大分変わってしまったのに。
「まあ、いいや。それじゃあ、会議の内容も覚えてないんだろ?」
無言で続けてくれと促してくる。風が一際強くなった。木々のざわめきが増していく。
「会議は『天の罪』についてと、死神の真似事をしてる奴らについてだ」
「うん? そいつって死んだんじゃなかったのか?」
「いいや、生きてる。ここで寝てるよ」
そういってグリムは自分の家を指した。夕飯に誘うかのように、非常に軽いノリで彼は重大なことを告げた。だがシャギアは驚いた様子も見せず、
「んあー? お前が助けたのか」
「そうだ。僕が助けた」
シャギアはだるそうにのんびりとした口調で、
「まあ、俺としちゃあ別にいいんだけどよ。けどな、お前……バレたら殺されるぞ」
彼の口調も軽い。というか、どこだかめんどくさそうだ。しかし言っていることは、殺されるとか物騒なことだった。
「わかってる……けど、助けたかったんだ」
「まぁ、命を助けるってこたぁいいことだ。そんでどうやって助けた?」
同じ『死神』なのに咎めることしない彼にグリムは心底感謝した。
「運命を変えたんだ」
その言葉を聞いたとたんシャギアは表情を変えた。グリムの肩を掴み、強く揺すぶり、耳元で怒鳴り散らした。
「おいッ! お前、まさか……まさか、使ったのか?」
風が強い。
空はどこまでも漆黒い。
「ああ、使った。『焔の決壊』によって生まれた『魔神の涙』、運命を一度だけ変えれる力を有する」
ふぅぅ、と長い息を吐いてシャギアは息を吐き手を放した。軽い衝撃がグリムに伝わった。
「そうか……まあ、お前が正しいと思ったんならいい。お前にはでけぇ借りがあるしな。でもよ、その力は運命を悪い方向にしか変えられないんだろ?」
赤銅色の眼差しは、強い光を秘めてこちらを見つめる。
「そうだ……僕は自分の感情だけで運命を変えてしまった。ソアにだって、もっと辛い人生を押し付けた。これは僕個人の罪だ」
シャギアは、厳つい顔を緩め笑った。
「なぁに卑屈になってんだ! 命を助けたんだろ? いいことじゃねぇか。俺を助けたと同じことだろうが」
シャギアは過去を懐かしむような遠い目をする。
「そんでまだ話はあんだろ? まさかその事を話すためだけに呼んだわけじゃねぇよな?」
「ああ、これは前から話してあると思うんだけど……」
「んあー、レベッカのことか? あれ以来なんかあったのか?」
「いいや、なにもない……けど、なにか嫌な予感がするんだ」
「そんならよ、そのことは娘にも……あー、シャールつったっけな? その子には話したのか?」
グリムは首をふる。
「お前よお、そんぐらいは伝えてやらねぇと父親ってもんがたたねぇと思うぜ。まだあのボカしたお話で誤魔化してんのか? 一気に話してやったほうがいいんじゃねぇのか?」
「そう、だけど……まだ八つだぞ? そんな子に自分のお母さんが僕を殺そうとした、なんて伝えたらどうなると思う? シャールにはまだ耐えられない」
「いんや、わからんぞ。子どもってのは知識欲の塊たまからな。案外ずっと考えてきてるかもしれんぞ?」
グリムは考え込んだ挙げ句、
「そう、かもな。時期が来たら話すとしよう」
「そうだな、それがいい。んで、話は終わりか?」
「いや、まだあと一つある」
「んあー、なんだ?」
「もし僕が死んだりとか、何かあったときには君に子どもたちを引き取って欲しいんだ。そして安全な場所でかくまって欲しい」
「んあー、あ? はあッ!? おいグリムッ! どういうことだ……お前が死ぬッ!?」
「まだわからない……けど、そんな予感がするんだ。僕は妻に殺される。そして、シャールを奪われるんだ。お話の魔女が復活するんだよ」
そのときだった。そのとき突如として、場違いな高らかな声が響き渡る。二人は一気に臨戦体勢に入り、音源を模索した。
「なんだ?」
声は家のほうからだ。グリムは咄嗟に駆け出す。玄関は開きっぱなしにしてある。万一のときにすぐ子どもたちの場所に戻れるようにするためだ。
入ってすぐ、わなわなと震えるソアが目に入った。
「ソア? まだ寝てなかったのか。……ん? まさか聞いていたのか……?」
グリムは訝しげに質問をする。
だがソアは彼の言葉に耳を傾けず、ただ一方向に指を向け、口がパクパクさせる。振り向いてみると、
「アハッ! アハハ、アハハハハッ! おとうさん、やっぱりかくしてたんだね? ないしょにしてたんだね?」
「シャールッ!?」
「アハハッ、アハハハハッ! わかっちゃった、わかっちゃった。アハハハハハッ!」
狂ったように奇声をあげる。
「シャール! 落ち着い……」
シャギアの声が遮った。家が揺れるほどの声量だ。
「グリムッ、来てみろ! おいッ!」
シャールのこともほっとけなかったが、シャギアが本気で怒鳴るということはもっと深刻なことが起きてるということだ。グリムは、ソアにシャールを頼むよ、と告げると表へ出る。そして絶望を目の当たりにした。
赤い空を背景に黒い虚構が出来ていた。
底の見えない深淵が、なにもなかった宙に浮かんでいた。光を吸収し、闇だけが妖しく映る。そこから這い出るような空気がグリムの肌を撫でた。そして幾度か嗅いできた死の匂い……。
すっ、と何者かが虚構から現れる。音はしなかった。
最初に出てきた者が地の砂を踏むと同時に、また一人虚構から現れる。そしてその出てきた者が地面を踏むとまた一人、というように深淵からぞろぞろと姿を露にした。
風貌は、黒装束に金色の鎖だ。フードを深々と被り、背中に死神を連想させる大鎌を持っている。そんな格好をした集団が、目測で百という軍勢を連れて来ていた。
『死神』ではない。死神は金ではなく銀色の鎖を巻く。
奴が来た。
愛しくて危なくて突き放してした奴が。
先程の会議でも話に上がっていた。今ここに来ているのは、最近実態をあらわしてきた新しい組織、『悪魔』だ。
「――ッ! どういうことだよ……。なんで、なんで……ッ?」
「落ち着け、落ち着けシャギア。さっき言った通りだ。もうここはバレたんだ」
グリムは異変に対して覚悟ができていた。もうとっくの前に決断したことだ。シャールを見て、不安が確信へと変わった。
悪魔のなかから一人進み出てくる。フードを外した。
「――ッ」
誰なのか、わかっていた。わかっていたのに、自然と体が反応してしまう。昔、心を許してしまった相手だからだろうか。愛してしまった人だからだろうか。本当はずっと求めていた人だからなのか……理由はわからない。
フードの下から覗いた顔はグリムの妻だった。レベッカは妖艶な笑みを浮かべ、こう告げた。
「封印が解けたのよ」
そのとき家からシャールが出てきた。ソアが引き留めようとするが、彼女の口から発せられた言葉で動きが止まる。
「おかあさん……」
グリムの考えていた以上の災厄が起こっている。ずっと危惧していて、ずっと避けたったことだ。シャールを媒介とした封印魔法。狂った妻を遠ざけるために施したものだ。
もしか。父が娘を媒介としたのには、親心が隠れていたのかもしれない。いつか、母が正気に戻り、シャールが会うことを心底願ったとき、それが叶うように。
しかし、それは成されなかった。
最悪のタイミングで、最悪の状況で、家族は再び出会う。
運命は破滅と悲劇を育みながら螺旋階段を廻る。
狂った魔女は口を開いた。
「お久しぶりねえ、グリム。いつぶりかしら?」
レベッカは不敵に笑う。彼女は美しい。金に近い茶髪を肩まで垂らし、唇は桜色で形がいい。瞳の色はシャールと同じ紅色で、肌は透き通るように白く、純白の雪を思わせる。あたかも雪景色に静かに咲く一輪の花のよう。初めて会う人は必ずといっていいほど、彼女自身が持つ不思議な雰囲気、妖艶さに心を奪われてしまう。もちろんグリムもその一人だ。
「あなた、シャールを壊したのね」
彼女の声で思い出す。
恐る恐るとシャールを見やる。幼い少女は真実に心を砕かれ、放心していた。側に駆け寄り、肩を抱いてやる。ごめん、と謝罪を呟いた。
「くそッ」
自分を叱咤する。なぜもっと気遣いができなかったのか。なぜもっと周りのことを警戒してなかったのか。
――寝ているだなんて、自分の勝手な解釈だ……!
自分に対する怒りで拳を握る。わなわなと震えていたとき、
「おとう……さん。あれはだれ? シャールはどうしたの? なにが、おこってるの……」
ソアの質問攻めにあった。が、それらに応える間もなく彼は頭を抱えた。痛みに悶えるというよりも、不思議な出来事に悩む感じ。小刻みに頭を震わせ、膝をつく。
「え、あ。え、あかい……そら? くろい、くも? あ……う。さっき、みた…………う、う、ううウウウ」
突然苦しみだしたソアの傍へ駆け寄る。さっきみた、と言っていた。が、「あかいほのお」も「くろいくも」もソアからは聞いていない。だがグリムには直感でわかった。
――あのときを思い出しているのか。
「紅い炎」も「黒い雲」も『死神』がヘヴンを浄化したときの光景だ。それらがソアのなかで再生されているのだろう。
「あら、その子は『天の罪』。まさか、あなた、運命を」
「つつ……ツツ、ツ罪ミミみは……ききき消えていないイイ」
壊れたおもちゃのように言葉を発する。
目の前には妻を含めた武装した大軍勢。
シャールは放心状態で逃げることすらできない。
ソアも同様に記憶が頭のなかで甦り動けない。
こちらは大人が二人。シャギアだって弱いわけではない。むしろ強い方に入る。しかし、多勢に無勢。まさにその言葉が相応しい。
いよいよ雲行きが怪しくなってきた。嵐の中心部。空はどこまでも漆黒い。
「おいッ! どうすんだッ?」
シャギアが呼び掛けてくる。考えろ。どうすればいいのか。何をすれば助かるのか。考えろ。神経を研ぎ澄まし生への道を探す。――が、無い。まったく考えられない。思考の行き先が全部死へと繋がっていく。
「戦うしかないのか……」
「戦うって……おいこんな大群とか!? 死ににいくよぉなもんだぞッ!」
シャギアが反論するが、彼としてもわかっているはずだ。打つ手がないことを。
「なら他に方法があるのかッ!?」
ダメ元で聞いてみるがシャギアは力なく首をふる。
二人が決心して武器を取り出そうとしたそのとき、
「あらあら、気の短い大人たちなこと」
レベッカの挑発的な発言。空気が、変わった。隣に立つ大柄な男を中心に、風の流が禍々しく変わる。
「あ?」
ギロリ、と獅子でも臆するような睨み。しかしレベッカは、
「まあ、怖い怖い。貴方は確か……死神に直系する貴族の御方だったかしら?」
「肩書きだけだ。それに養子だしな」
シャギアは初代死神の子孫にあたる家の養子だ。別に跡取りが居なかったから養子に貰われたわけではない。死神がシャギアを買ったのだ。彼が持つ元々の能力。それを勢力に入れようとしたのだ。
少し焦げた肌色で髪も瞳も朱い。シャールやレベッカとは違う赤銅色。大柄で一目見ただけでは野蛮人と誤解されるらしい。だが、同じ戦場に立つと頼もしい戦友となる。
「そんな睨まないで。別に私たちは争いに来たわけじゃないのよ?」
「嘘つけッ! だったらそんな大人数で武装なんかして来ねぇだろ!」
シャギアが吠えた。レベッカは薄笑いを浮かべる。
「これはあなたが条件を飲まなかった場合のためよ」
そういってレベッカはグリムを指す。
「どういう条件だ?」
彼女は両手を仰々しく広げ、自分を大きく見せた。月明かりが彼女を照らす。雪のような肌が煌めいた。かっ、と目を見開いて、
「私にシャールを譲りなさいッ! 私が育てる……私の子どもだものッ!」
しかし、これに応じたのはシャギアであった。
「お前になんか譲るわけねぇだろーが! 黙れッ!」
「貴方のほうこそ黙って。私が話しているのはグリム。貴方じゃない」
鶴の一声。友は爆発こそしなかったが、もはやそれは近い。今度はこちらから質問する。
「シャールを使って……何をするつもりだ?」
ふふふふ、と魔女は哄笑した。
「何って決まってるじゃないの。私が育てるのよ! 私がお腹を痛めた! 私の子供! ああ! 愛しいシャール……ッ!」
「僕たちのだろ! 勝手に一人だけのものにするな!」
レベッカは目を細めた。
ずしりと心を貫くような。
グリムは、冷たい氷の刃が自分の胸を穿つ幻想を見た。
摂氏にすると零を下回る目線。脚が少しだけ震えているのを感じた。
「たち……? 本当に一人だけのものにしたのは誰? あなたでしょう」
場が静まる。どこか遠くで虫が啼いていた。
「それは君が狂ったから……」
「黙りなさい。私は狂ってなんかない!」
「ならこれは何の冗談だ! ふざけるなッ!」
「もういいわ! はっきりなさい、シャールを渡すのか渡さないのかッ!」
グリムはシャギアを見やる。予想していた通り、彼は肩を怒らせもうすっかり戦闘態勢だ。
「シャギア……やるぞッ!」
「おう! 狂乱と業火の神――『ミネルヴァ』!」
シャギアの手に握られるのは、大人二人分の鎌。グリムなどが持つと大きすぎるが、シャギアが持つと普通だ。刃も含めて全部黒めの朱で統一されており、禍々しく光る。ずっと押さえつけられてきたものがやっと自由になったような雰囲気。敵を葬りたいといわんばかりに唸っているようだ。
「仕方がなさそうね。覚悟なさい」
レベッカが片腕を上げる。待機してきた軍勢が鎌を構えた。場が一瞬凍りつき、お互いの視線が絡まり合う。
――来るッ!
レベッカが腕を下ろすと同時に襲撃は始まった。
蒼い月が空高いところで煌めいていた。