第95話 わたしのパートナーになってよ!
アリスは倒れた山のボス――【バーニングリズリー】のもとへ駆け寄り、回復薬のスプレーをそっと吹きかけてあげた。
ボスは体が大きいぶん、薬の使用量も多くなる。あとで倒れたパートナーたちにも使ってあげなければならないため、アリスは少しだけ使用量をおさえながら、ていねいに処置をした。
シュウウ……と薬剤が蒸発する音とともに、ボスの体のキズは、完治とはいかないまでも、目に見えてふさがっていく。
やがて、ボスはゆらりと体を起こした。
そのようすを見ていたりんごは、「だいじょうぶかな……」と不安そうにつぶやく。
けれどすぐに、緋羽莉がやさしくその体を胸に抱き寄せ、「だいじょうぶだよ」と耳元でささやいた。
あたたかな体温と、ほんのりひろがる甘い香り。たくましい腕に抱かれながらも、やわらかな感触が伝わる。ふわりと包みこまれるような安心感に、りんごはほっと息をついた。
そしてボスは、その場にどっかとあぐらをかき、頭をポリポリとかきながら口を開く。
『……また、見事なまでにやられちまったな。親子そろって、大したもんだ』
さっきまでの怒り狂ったようすはすっかり消え、どこか晴れやかな表情で、素直にアリスを称賛していた。
アリスも「ありがとう」と、にっこり笑って応じる。
――沙織とは血のつながりはないけれど、「親子」と言ってもらえたことが、ほんの少しだけ、うれしかった。
フィニッシュを決めたモモも、『キュー♪』と得意げに胸を張る。
「それで、約束したよね? わたしが勝ったら、パートナーになってくれるって!」
アリスは、にっと笑って本題を切り出した。
しかし――
『やれるもんならやってみろ、とは言ったが……俺が約束した覚えはねえぞ』
ボスは、しれっとした顔でそう返した。
「え~っ!?」『キュ~ッ!?』
アリスとモモの声が見事にハモる。
(じゃあ、わたしたち、なんのためにあんなにがんばったのよ!? ……いや、レベルアップはできたと思うけど!)
思わずそんなツッコミが頭の中をよぎる。
ボスは腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。
『お前らの強さは認める。だがな……俺はニンゲンの下につく気はねえ。だからこうして山に引きこもってるんだ』
「どうして? そんなに人間のこと、きらい?」
アリスはまっすぐに問いかける。
『嫌いだね。ヤツらは土足で俺らのナワバリを荒らし、すみかを奪う』
「うっ……」
その言葉に、アリスは思わず言葉を詰まらせ、少しのけぞった。
反論できない――それは、事実だからだ。けれど。
「……でも、わたしたちは、あなたたちのすみかをおびやかしたりなんて、しない!」
アリスは、一拍おいてから、しっかりと言い返した。
そのひとみには、まっすぐな意志の光が宿っている。
ボスは、そんな彼女をじっと見つめたあと、ふっと息を吐いた。
『……この山がどうして異空間化したか、知ってるか?』
「ううん、知らない」
首をかしげるアリスの後ろに、緋羽莉たちも集まり、話に耳を傾ける。
ボスは、少し遠くを見るような目をして、語りはじめた。
『今からずっと昔、この山でニンゲンどもによる、大規模な森林伐採計画が持ち上がった』
静かな声だったが、その奥には、押し殺した怒りがにじんでいる。
『それが実行されりゃあ、多くの生きものやワンダーが、すみかを失うことになる』
風がざわりと木々を揺らす。まるで、そのときの記憶をなぞるように。
『当時は、俺たち……お前らワンダーと呼んでる存在は広く知られていなくてな、妖怪だのなんだのって呼ばれてた』
緋羽莉たちは、思わず息をのんだ。
『何度も警告したさ。俺たちのやりかたで、この山に手を出すなってな。フツーのニンゲンならビビッて手を引くところだが――ヤツらは頑として聞かなかった』
その言葉には、あきらめと怒りが混ざっていた。
『そして、いざ伐採がはじまろうとしたときだった――さすがの“山の神”もブチギレた』
一瞬、空気がぴんと張りつめる。
『アイツは山そのものをまるごと異空間に変えて、ニンゲンどもをまとめて排除し、結界を張ったのさ』
「……!」
アリスたちは思わず目を見開いた。
それが、この山の正体――異空間化の理由。
『だがな……山の神のヤツは、子どもだけはどうしても嫌いになれなかったらしい』
「え……?」
『昔から、この山に遊びに来てたガキどもだけは、特別だったんだとよ。だから、子どもだけは入れるように、結界を調整した』
どこか皮肉げに笑いながら、ボスは続ける。
その話を聞いて、場の空気が少しだけやわらいだ。
「そういうことだったんだ……」
閃芽は、納得したように小さくうなずく。
研究者志望の彼女にとっては、この話はまさに貴重な“真実”だった。
――そして、この出来事の詳細が人間側に伝わっていない理由も、なんとなく想像がついてしまう。"ニンゲンどもをまとめて排除"――それ以上は、考えたくなかった。
『……ま、それでも、ガキどもだけ入れるってのも、俺は気に入らねえがな』
ボスは腕を組み、ふんと鼻を鳴らす。
『そのたんび山がざわついてうるせえし……そのうえ……二回もコテンパンにされてるしな』
ぼそっと付け加えたその言葉に、アリスたちは思わず苦笑した。
――とはいえ。これで、ひとつはっきりした。
このボスが人間ぎらいになった理由。それは、単なる気まぐれや好き嫌いではなく――過去の出来事に根ざした、ちゃんと納得できる理由だったのだ。
「……となると、その山の神さまっていうのにも、会ってみたくなってきたね」
アリスが興味しんしんな顔で言うと、りんごは思わずどん引きした。
山のボスだけでもあんなにおっかなかったのに、それ以上の存在に会いにいこうだなんて――心臓が持ちそうにない。
そんなりんごに、緋羽莉は「まあまあ」とにこにこしながら、そっと肩を抱いてあげる。
そのやわらかさとぬくもりに、りんごのこわばっていた体が少しだけゆるんだ。
緋羽莉の胸に触れた頬は、やわらかな感触とほんのりした熱を感じて、思わず力が抜けてしまう。しっかりと鍛えられた体なのに、触れるとやさしく受け止めてくれる――そんなふしぎな安心感があった。
『お前ら、一本杉をめざしてるんだろ? だったら会えるぞ。山の神ってのは、その一本杉に宿る精霊だからな』
その言葉を聞いた瞬間――りんごの口から、すうっと魂が抜けだした。
山の神との対面が、避けられないという事実に。
「ま、まあ……会うだけなら、だいじょうぶなんじゃない?」
緋羽莉はあわててフォローするが――
『アイツ、自分の領域に入ってきたヤツには、問答無用で戦いふっかけてくるけどな』
その言葉を聞いた瞬間――りんごの魂は、きれいに天へと昇っていった。
山の神との対決が、避けられないという事実に。
「山の神、めっちゃ武闘派じゃん……」
閃芽も、引きつった顔でツッコむ。
『たしかにキレさせるとやばいが、ふだんはおだやかなヤツだよ。ただ、ガキと遊ぶのが好きってだけさ』
なるほど――つまり、その“遊び”がバトルなんだろう。ちょっぴり……いや、だいぶ迷惑な話である。
「だから、一本杉の試練っていうのね」
アリスだけは、納得したようにうなずいた。
もしかしたら、持ち前の直感で、最初からなんとなく感じ取っていたのかもしれない。
『まっ、話はちょっとそれたが……そういうワケで、俺はお前の下にはつかねえ。山の神サンとの戦い、せいぜい健闘を祈ってやるぜ』
ボスは立ち上がり、ぷいっと背中を向ける。
山が異空間化した原因を話したのは多少ズレている気がするが、ちょっと重い話を聞かせてやれば折れてくれるだろう、と思ってのことだ。
さっきのバトルを通じて、この少女はあまりにまっすぐで、悪く言えば、しつこいと感じたから。
――そのまま、この話は終わるはずだった。
だが。
「かんちがいしないで」
アリスも立ち上がり、はっきりと言った。
「わたしは、“下につけ”なんて、ひとことも言ってないよ」
堂々とした声だった。迷いも、ためらいもない。
ボスも思わず『あん?』と振り向き、そのするどい目でアリスをにらむ。
それでも、アリスは一歩も引かなかった。
すっと左手を差し出し、まっすぐに言葉を重ねる。
「わたしは、“パートナーになって”って言ったの。そこに上下関係なんてない」
その声は、やわらかくて、けれど芯が通っている。
「いままで仲間になってくれたワンダーのみんなも、人間の親友たちだってそう。いっしょに手を取り合って、助け合って……てっぺんをめざすの」
となりでモモも、『キュー!』と元気よくあいづちを打った。
『てっぺん……?』
ボスが、ぽつりとつぶやく。
「さっきのバトル、楽しいって思ったでしょ?」
その問いに、ボスはわずかに目を細めた。
たしかに――怒りにまかせてはいたが、あの全力のぶつかり合いは、どこか胸が熱くなるものだった。
久しく忘れていた感情。それを、うまく言葉にできずにいる。
「わたし、あなたといっしょなら、もっと高いところに行ける気がする」
アリスは続ける。
「どんな危険な異空間だって冒険できるし、もっとたくさんの景色だって見られる」
さっきまで焼け野原だったはずの広場に、やわらかな夕日の光が差し込みはじめていた。
その光が、アリスの青いひとみをきらきらと照らす。
「それはきっと、もっともっと楽しいよ。あなたにも、それをたくさん味わわせてあげたい!」
まっすぐで、くもりのない笑顔だった。
その想いに――ボスの心は、大きく揺らぐ。
人間は嫌いだ。それは変わらない。
だが――すべての人間が、必ずしもどうしようもない存在ではない、ということもわかっていた。
(こいつらは……ちがう)
目の前にいる少女たちは、他者の領域に土足で入っても、荒らし回って踏みにじるような存在ではない。まっすぐで、純粋で、あたたかい。
こぶしを交えて、それはもうじゅうぶんすぎるほど理解していた。
こんな連中、山奥に引きこもっていては、そうそう出会えるものじゃない。
そして――そんな連中を、守りたいとさえ思ってしまっている自分がいることにも、気づいていた。
それは、山のボスと呼ばれる者としての本能か。あるいは――もともと持っていた“アニキ分”の気質か。
どちらにせよ。この出会いが、自分のなかの何かを変えたのは、まちがいなかった。
(……それに)
親子そろって自分を知恵と勇気で打ち負かした、この少女。その行く末を――少し、見てみたくなった。
ボスはゆっくりとアリスのほうへ向き直り、口を開く。
『……いいだろう』
低く、しかしはっきりとした声だった。
『そこまで言うなら、お前のこれからの道行きに付き合ってやる』
そして、少しだけ口元をゆるめて――
『ただし、ちょっとでも気に入らねえと感じたら、すぐにやめてやるからな!』
そう付け加えた。
バーニングリズリーは右手のツメを引っこめ、ぐっとこぶしを突き出す。
――グータッチの合図だ。
それを見たアリスと、後ろの緋羽莉たちは、そろってにまっと笑った。
「……ありがとう! そうならないように、がんばる!」
アリスは元気よく答え、小さな左手を差し出す。
「これからよろしくね――レッド!」
コツン。
小さなこぶしと、大きなこぶしとがぶつかり合う。
その瞬間――新たな絆が、しっかりと結ばれた。
(よかったね、アリス!)
緋羽莉もまた、満面の笑みを浮かべていた。ほんのり赤くなった頬ときらきらしたひとみが、高揚と喜びをそのまま映し出している。思わず飛び出しそうないきおいをこらえながら、その場でぐっとこぶしをにぎりしめた。
こうしてアリスたちは、とてつもなく強力な新たな仲間――レッドを迎え入れることに成功した。
そしていよいよ。最終目的地――裏山の一本杉へ。
それぞれの想いを胸に、彼女たちは新たな一歩を踏み出すのだった。




