第89話 うらみのクマさん
それは――オレンジ色のモヒカンヘアーを生やした、赤毛の……クマだった。
二足歩行で、大きさは二メートル半といったところ。
【トオレント】や【キングハナモグラ】と比べるとわずかに小さいが……その威圧感は、比べものにならなかった。
クマは、ギン! と黄色い目を血走らせ、アリスたちをにらみつける。
その視線は、まるで獲物を見定める猛獣そのものだった。
「うひいっ!?」
緋羽莉に抱きついていたりんごは、恐怖のあまり、ふたたび彼女のやわらかい胸に顔をうずめた。
その緋羽莉も、クマを目にして顔をこわばらせながらも、りんごを守ろうと、その背中にしっかりと腕を回す。
その腕は見た目以上にたくましく、しかし包みこむようにやわらかい。胸元に押し当てられたりんごの頬には、ほんのりとした温もりと、甘い花の香りがふわりとひろがっていた。緋羽莉自身も恐怖を感じているはずなのに、その体はふしぎと揺らがず、まるで大きな盾のようにりんごを守っている。
ブルーも、正直ここから逃げ出したいほど怖かったが、『キュ~……』と自分の背中に隠れるモモを見ると、この子を守らなければ、という思いにかられる。
アリスはごくりとつばを飲み込むと、一歩前に出て、クマと対峙した。
「さわがしくして、ごめんなさい。あなたが……この山のボスさん?」
そう言って、左手に持った導きの枝を見せる。
先端の葉は相変わらずピカピカと光り、風車のようにぐるぐると回転している。まるで意思を持っているかのようだった。
『ボス? ……そうだな。そういうふうに、恐れられちゃあいるな』
家の前で騒いでいたアリスたちに怒り心頭だった様子のクマは、ほんのわずかに態度をやわらげ、得意げに口の端をつり上げた。
山のボス、と呼ばれることに、まんざらでもないらしい。
(これは……案外、話せばわかってもらえるかも?)
そう思ったアリスは、単刀直入に話を切り出した。
「ねえ、わたしのパートナーになってくれませんか?」
『ああん?』
しかし――クマの顔は一瞬で怒りに戻り、ギロリとするどい視線を飛ばしてきた。
「ありゃ、やっぱダメだったかな?」
アリスが目をぱちくりさせてつぶやくと、うしろでりんごが、緋羽莉の胸の中から「そりゃそうだよ!」とツッコんだ。
いっぽうのクマは、目を細めたまま、アリスたちを品定めするようにじっと見つめてくる。
空気が、じわりと重く張りつめていく。
こちらに視線が向けられたと気づいたモモは、さっとブルーの背中に隠れた。
『なるほど……まあ、ここまで来るだけのことはあるか。最近のガキどもにしちゃ、見どころが……ん?』
そのとき、クマの目の色が変わった。
どうも、アリスに目が留まったらしい。じっと、食い入るように見つめてくる。
当のアリスは、内心ひやひやしながらも、じっとその視線を受け止めていた。
『オマエ……その服、見おぼえがあるぞ。それに、色はちがうが、ハネウサギなんて連れて……あの銀髪のガキを思い出すぜ……』
クマは忌々しげに言いながら、頭をさすりはじめた。
まるで、昔の傷がうずくかのように。
その言葉を聞いたアリスと緋羽莉は、ハッと顔を見合わせる。
「銀髪のガキ……それって、沙織さんのこと?」
アリスは、確信を持ってその名を口にした。
アリスの保護者――沙織は銀髪だし、アリスがいま着ている青いベスト、赤いネクタイ、白いカッターシャツは、彼女が小学生のころに着ていたものをもとに改良したものなのだから。
長い付き合いの緋羽莉も、すぐに気づいていた。
かつて、幼いころの沙織も、この異空間化した学校の裏山を訪れたことがあるのだと。
ふたりとも、沙織の子ども時代については、あまり詳しく知らない。
彼女はなぜか、自分の過去を語りたがらないからだ。
けれど現在、町では評判の探偵ウィザードであり、アリスとパートナーたちも彼女から指導を受けている。
その高い技術は、きっと子どものころから培われてきたものなのだろう――と、ふたりは自然と思っていた。
『サオリ……? そうだ、そんな名前だった……! 忘れもしねえ……この頭の痛み……!』
どうやらクマは、小学生時代の沙織に負けたことがあるらしい。そのことは、ようすを見ればあきらかだった。ただ痛い目にあわされたというだけでは済まない、強い恨みがにじみ出ている。
そのうらみがましい声と表情からは、純粋な恐怖と――そんな相手を打ち負かした沙織という存在の底知れなさが伝わってきて、みんな思わず身ぶるいした。
アリスはそんなクマのようすをじっと見つめ、少し考え込むと――ふっと、不敵にほほえんだ。
その瞬間、りんごと閃芽の全身に、ぞくりとした悪寒が走る。
(これ、言うつもりだ……!)
それを口にすれば、まちがいなく事態は悪化する。
けれどアリスは――言わずにはいられなかった。
「実はわたし、いま沙織さんにお世話になってるの」
――その一言で、この場の空気が凍りついた。
りんごと閃芽は、「コイツやっぱり言いやがった!」とでも言いたげな、怒りと驚きが入り混じった表情で固まっている。
そして案の定――クマはうつむき、わなわなと体を震わせはじめた。
それは恐怖でも感激でもない。
どう見ても――怒りの臨界点に達する寸前の震えだった。
そして――
『そうか……あの銀髪のガキのガキか……だったらこのうらみ、オマエで晴らさせてもらわねえとなあ!』
怒り、爆発。
クマは凶暴な形相で、空気を震わせるほどの咆哮をあげた!
「きゃあああっ!」
りんごは反射的に、安心を求めるように緋羽莉の胸へ顔をうずめる。
度胸のある閃芽ですら、不意の怒号に驚いてしりもちをついてしまった。
緋羽莉もりんごを抱きしめながら、わずかに恐れを宿したひとみでクマを見すえている。抱きしめる力は自然と強まり、りんごの体がその胸元に深く沈みこむ。しなやかに鍛えられた体は、ただ細いだけではない確かな弾力を持っていた。
おくびょうなモモは泡を吹いて気を失ってしまい、ブルーはあわててその体を抱きかかえた。
そんな中――アリスだけが、まっすぐなまなざしでクマをにらみ返していた。
吹き荒れる風圧に、アリスの長い金髪が後ろへとなびく。
そのくちびるに浮かぶのは、不敵で、どこか楽しげですらあるステキな笑み。
まるで、「待っていた」とでも言わんばかりに。
そして、ビシッと左手の人さし指を突きつけ、宣言する。
「のぞむところよ! 親子そろって負かされる屈辱、味わわせてあげるっ!」
アリスだって――いや、この場の全員が、最初から話し合いだけで山のボスを仲間にできるとは思っていない。
ここまで来れば、十中八九こうなる。
そんな覚悟は、すでにできていた。
その迫力がちょっと想像以上だっただけで――逃げる理由にはならない。
「緋羽莉ちゃん! ここは――」
「わかってる! ひとりでやりたいんだよね? ふたりのことはまかせて!」
振り返ったアリスに、緋羽莉はすべてを理解しているといったようすで、力強くうなずいた。
そのとき、ふたりの距離はほんのわずかしか離れていなかった。緋羽莉はまっすぐにアリスを見つめ、そのひとみに迷いは一切ない。ふわりと漂う甘い香りと、ほのかな体温がアリスのすぐそばに伝わる。言葉以上に、そのまなざしが「信じてるよ」と語っていた。
これは、アリスが山のボスに認められるための試練のようなもの。
一対一でぶつからなければ意味がないことを、みんなが理解している。
「が……がんばってね、ブルーも……!」
「せいぜい死なないように気をつけなよ!」
りんごと閃芽も声をかけ、緋羽莉とともに安全な距離まで下がった。
「モモ、休んでて! ブルー、いくよ!」
『う……うん!』
気絶したモモはウォッチの中へ戻され、ブルーはアリスの前へと出る。
小さな体で、けれど確かな決意を宿して。
怖くないわけじゃない。
それでも――もうどんな戦いからも、逃げないと決めたのだから。
「わたしが勝ったら、わたしの仲間になってもらうからね、クマさん!」
アリスはきっぱりと言い放つ。
子どものころの沙織が勝った相手。
ならば、その彼女に育てられた自分にも――やってやれないはずがない。
そんな自信が、胸の中で力強く燃えていた。
『この【バーニングリズリー】様を仲間にするだとォ!? やれるもんなら、やってみろ!』
怒号とともに、大地が震える。
こうして――アリスと、山のボスことバーニングリズリーの、一対一のバトルが――いま、幕を開けた!




