第86話 ヒメヒバリの花冠
「アリ……ス……?」
ねぼけまなこの緋羽莉の前に見えるのは、大好きな親友アリスのかわいらしい顔。
その瞬間、あっという間にすべてが理解できた。
――またアリスが、わたしを助けてくれたんだ!
すると、ふわりと緋色のポニーテールが宙に弧を描き、黄色いリボンがひらりと揺れた。
花冠に飾られた淡いピンクの花びらも、ぱらりと小さくこぼれ、眠りから覚めた姫君を祝うように舞う。
眠りから起きたばかりなのに、頬はほんのり桜色。
つややかな肌は光を受けてやさしく輝き、ゆるく波打つ髪が肩に落ちる姿は、まるでほんとうに物語の中のお姫さまのようだった。
うれしさのあまり、すばやく上体を起こす――
ごっちん!
「いったあーーーっ!!!」
緋羽莉のおでこがアリスのおでこを直撃。
アリスだけが、大きな悲鳴をあげた。地下空間に、悲痛な断末魔が反響する。
なにしろ、緋羽莉の頭はダイヤモンドのように硬いのだ。そりゃ痛いに決まっている。
それを知る親友のりんごと閃芽も、「うわあ……」と痛そうな顔をしていた。
「ご、ごめんね、アリス!」
悲鳴で完全に目がさえた緋羽莉は、あわてて、お花畑の上でおでこを押さえてのたうち回るアリスを心配する。
大きな黄色いひとみが、心配そうにうるうると揺れる。
長いまつげがぱちぱちと動くたびに、花冠の小さな花もかすかに揺れて、甘い香りがふわっとひろがった。
「いたいの、いたいの、とんでけー!」
緋羽莉はとっさに、アリスの赤く腫れあがったおでこをなでながら、そんなおまじないを唱えはじめた。
人間にはワンダーのようなふしぎなチカラはない。だから本当は効くはずもないのだけれど、アリスはふしぎと痛みがやわらいでいくような気がしていた。
そして――
緋羽莉は、ぎゅっとアリスの体を抱きしめた。
長い腕に包み込まれると、思いのほかしっかりした体つきと、やわらかな温もりが同時に伝わってくる。
鍛えられた体なのに、胸元や頬はふっくらとしていて、ほんのりと女の子らしい甘い匂いがした。
花冠の香りと混ざり合い、まるで春の花畑に抱きしめられているようだった。
吐息が耳にかかり、アリスは、おでこのみならず顔じゅう真っ赤になった。
「……ありがとう、アリス! また助けてもらっちゃったね!」
緋羽莉は満面の笑顔で、抱きしめる力を強め、全身全霊で感謝の気持ちを伝えてくれた。
目の前で星がチカチカしていたアリスは、ハッと我に返り、ふにゃりと顔をほころばせる。
「……うん、どういたしまして。何度だって、助けるよ」
そして、緋羽莉の背中に手を回し、そっと抱き返すのだった。
お花畑に座りこんで、足もとのブルーをよそに、またまたふたりっきりの空間を作り出していると……
「うおっほん!」
うしろの閃芽が、わざとらしくせき払い。
りんごも、つまらなそうな視線を送っていた。
それに気づいて、アリスと緋羽莉はハグを解いた。
「あ、ごめんね! もちろん、りんごちゃんにも、閃芽ちゃんにも……ブルーにも感謝してるよ!」
緋羽莉は、かわりばんこにみんなの顔を見ながら、アリスに向けたのと変わらない感謝の笑顔を向けた。
みんな一様に、彼女の魅力に負けたように顔を赤くする。
ふにゃりとした無邪気な笑顔。
大きなひとみは太陽みたいにあかるく、健康的に色づいた頬は見ているだけで元気をもらえる。
しかも背はすらりと高く、ミニスカートからのぞく脚はしなやかで力強い。
そんな姿で真正面から笑いかけられたら、誰だって思わず照れてしまうのも無理はなかった。
これだけで許してしまう気になってしまうのだから、本当に緋羽莉はずるい。わたしたちはちょろい――と、全員が思った。
『モグ~!』
子分モグラたちは、奥の壁にたたきつけられて気を失っているキングハナモグラのもとへ、いっせいに集まった。
そして、いっせいに心配の声をあげる。
『うぐ……』
かわいい子分たちの声が効いたのか、親分モグラは目を覚ました。
重い体を起こし、強打した後頭部を右手でなでる。
それに気づいて、アリスたちもいっせいに警戒の視線を向けた。
とくにアリスは、もう緋羽莉を渡すまいと、その大きな体を自分のもとへ抱き寄せる。
緋羽莉はそれがうれしくて、ほっぺをほんのり赤く染めた。
そして親分モグラは、よろよろとのしのし歩きながらお花畑の中に踏み入り、アリスたちを見下ろして言った。
『……オイラの負けだ。心配すんな。もうなにもしたりしないよ』
かけられた言葉は、意外なほど潔いものだった。
長いツメの両手を広げ、もう敵意はないことをアピールしている。
アリスたちはみんなで顔を見合わせ、ひとまず信用することにした。
雰囲気的に、人をだますタイプのワンダーではないと、なんとなくわかるからだ。
「ねえ、どうして……緋羽莉ちゃんを花嫁にしようなんて考えたの?」
アリスは疑問を口にした。信用したとはいえ、顔はけわしいままだ。よっぽど、緋羽莉にキスしようとしたことを腹に据えかねているらしい。
『モグー!』『モグモグー!』
子分モグラのうちの数体が、弁明するかのような声をあげた。
緋羽莉とりんごは覚えていた。彼らは、緋羽莉をかつぎあげて、ここまで運んできたモグラたちだ。
親分モグラは、そんな子分たちの頭をなでながら答えた。
『コイツらが、緋羽莉にひと目ぼれして、ここまで連れてきたんだ。オイラもひと目見て、びっくりしたさ。すごくいい花の香りがして、おまけに生命力にあふれてるときた』
「お花の香りって……もしかして、これのことかな?」
緋羽莉は、自分の頭にかぶさった――裏山の森のワンダーたちにプレゼントされた花の冠に、そっと手をやった。
指先は大きいけれど、動きはとても丁寧だ。
花びらを傷つけないよう、やさしくなぞるそのしぐさは、まるで宝物を扱うみたいだった。
アリスたちも、よくよく見てみると、冠を構成するピンクの花は、まったく見たことのない種だった。
淡いピンク色の小さな花がいくつも重なり合い、まるで春の光を集めたようにやさしく輝いている。
ピンクが好きな緋羽莉には、服の色ともあいまってぴったりだと、アリスは思った。
『モグー!』
突然、モグラたちはいっせいに興奮したような声をあげる。顔もほんのり紅潮していた。
『たまらねえ……“ヒメヒバリ”の花! オイラたち、植物のチカラを持つワンダーにとっちゃ、最高の香りだあ!』
親分モグラは感激したように、サングラスの奥から滝のような涙を流した。
「へえ……この花、ヒメヒバリっていうんだ……」
アリスは、花冠をしげしげと見つめながら言った。
緋羽莉と同じ名前の花。だからワンダーたちも、この花を彼女に贈ったのかもしれない。姫君という名前の響きも、どこかぴったりだ。
すべてが、すとんと胸に落ちた気分だった。
「えへへ……そういう名前だったんだ。わたしとおんなじ、うれしいっ!」
緋羽莉は、ふにゃりとした笑顔を浮かべて、うれしそうに両手で花冠を押さえた。
これからもずっと大事にしよう――そんな気持ちが、その表情からはっきりと伝わってくる。
緋色の髪とピンクの花冠が重なり、黄色いひとみはきらきらと輝いた。
その無邪気さと、すらりとした大きな体つきのギャップが、ふしぎな魅力を生み出す女の子。
まさに花の精の姫君――“ヒメヒバリ”という名前が、ぴったり似合っていた。
「まったく……あのトオレントたちも、とんでもないプレゼントをくれたもんだよ」
閃芽は、やれやれといった口調で言った。
それでも「そんなもの捨てればよかった」とは言わないあたり、やっぱりやさしさがある。
りんごも、ただ力なく苦笑いするばかり。
それでも心の中ではきっと、緋羽莉のこともワンダーたちのことも恨んではいないだろう。気弱で頭がいいからこそ、これは誰が悪いわけでもない――そんなことも、ちゃんとわかっているのだから。
『まあ……そういうわけだから、自分をおさえられなくなって、ついそのコに求婚しちまったんだ。ほんとうに申しわけなかった』
親分モグラと子分たちは、そろってぺこりと頭を下げた。
子分たちはともかく、親分まで、さっきまでとは打って変わってすっかりおだやかだ。
おそるべきは、ヒメヒバリの花冠と、緋羽莉の魅力というべきか。
緋羽莉は、すっと立ち上がった。
そして子分たちを見わたしたあと、親分モグラを見上げて言った。
「わたしは気にしてませんから、顔を上げてください。わたしのほうこそ、あなたの想いに応えられなくて、ごめんなさい。わたしには……もう、大切なひとがいるから」
きっぱりと求婚を断る言葉。
けれど、その表情には、やさしい慈愛のほほえみが浮かんでいた。
まっすぐ背筋を伸ばして立つと、花冠がふわりと揺れる。
背の高い体は堂々としているのに、表情はやわらかく、声は春の風みたいにあたたかい。
これにはモグラたちだけでなく、アリスとブルー、りんごも思わずくらりとくる。
――やっぱり、緋羽莉ちゃんはずるい。
こんな顔をされたら、誰だって敵わないのだから。
『う……うお~~~ん! こんないいコに振られるなんて、よけい悲しいよ~~~!』
『モグ~!』
モグラたちは名残惜しさ全開で、いっせいにまた滝のような涙を流した。この地下空間が洪水になりかねないほどの勢いだ。
(ヒバリちゃん、愛されてるなあ)
ブルーはあっけにとられながら、そんなことを考えるのだった。
モグラたちの号泣をひとしきり見届けたあと、アリスは両手を腰に当てて、ほっぺをふくらませた。
「緋羽莉ちゃんが許すならいいけど、眠らせてまでくちびるを奪おうとしたこと……それはわたし的には許してないからね!」
そう宣言すると、りんごも心の中でうなずいていた。
『え? 眠らせた……? ちがうちがう! 確かに眠ってるあいだにキスしようとしたのは悪いと思ったけど、オイラたちがムリヤリ眠らせたわけじゃないぞ!』
すると、モグラたちは首をぶんぶん横に振って否定した。
「へ?」
緋羽莉をのぞく、アリスたち全員がきょとんとする。
『そのコが勝手に転んで、うっかり“ドリーミント”……眠り花の花粉をかいじゃって、眠っただけだよ』
それを聞くと、全員の視線が緋羽莉に集まった。
「あ、あはは……実は、そうなんだよね……立ち上がろうとしたときに、つい、うっかりと」
緋羽莉は頭をかきながら、バツの悪そうな笑顔で言った。
仲間たちの目が、あきれたような色を浮かべる。
アリスと閃芽は、同時にため息をついた。
……が、アリスには、ちゃんとわかっていた。
体幹の強い緋羽莉が、うっかり転ぶなんてありえない。7年のつきあいで、彼女がうっかり転んだところなんて、見たことがないからだ。
おそらく親分モグラの登場にびっくりした拍子に、お花畑の花々をかばって足を踏み外して転んだのだろう。
けれど、それを言ってしまえば、やっぱり怒りの矛先がモグラたちに向かう。だから、自分のドジのせいということにした――そんなところだろうと、アリスは推察していた。
だからこそアリスは、そんな心やさしい親友の想いをくみ取って、モグラたちを責めないことに決めた。
それを示すように、パンパンと両手を打ち鳴らす。
「はい! じゃあこれで一件落着! ということで、わたしたちの冒険を再開するよ!」
緋羽莉がまっさきに、にっこり笑って「おー!」とこぶしを突き上げる。
ポニーテールがぴょこんと跳ね、花冠の花びらがふわっと揺れる。
長い脚でぴょんと軽く跳ねるその姿は、さっきまで眠り姫だったとは思えないほど元気いっぱいだ。
りんごもブルーも、つられるように右手を上げ、閃芽はまたやれやれとばかりに肩をすくめた。
『迷惑かけたおわびに、地上まではオイラたちが送っていくよ』
『モグー!』
親分モグラの提案に、子分たちも「おー!」と手をあげた。
「ほんとう? 助かる!」
アリスは顔をぱあっと咲かせて言った。
グリンの三倍近くはある巨大モグラの背中。いったいどんな乗り心地なのか、わくわくする。
こうして、いろいろトラブルはあったものの、アリスたちは地下世界を脱出し、裏山の冒険を再開することになるのだった。




