第77話 思わぬ落とし穴
アリスたちは、引き続き裏山を登っていた。
先頭を歩くリーダーのアリスが左手に持っているのは、トオレントからもらった導きの枝。
その先端に一枚だけ生えている葉っぱが、方位磁針のように行き先を示している。
目指すのは、山頂の一本杉……の前に、この裏山のボスと呼ばれるワンダーのナワバリだ。
こちらの実力を認めてもらい、仲間にできれば、明日の校内大会に向けて大きな戦力アップが見込める。
そう思うと、急な山道を進んでいても、足取りは自然と軽くなるというものだ。
……ただし、ひとりを除いて。
「はあ……はあ……」
りんごはみんなからだいぶ遅れて、すっかり疲れ果てていた。
頭のてっぺんのぴょこんと跳ねた浮き毛も、持ち主の気持ちを映すかのように、しょんぼりとしなだれている。
無理もない。長い山道を歩いてきたうえに、さっきは激しいバトルを戦い抜いたばかりなのだ。
そこへ、さっきまで楽しそうにスキップしていた緋羽莉が、心配そうに駆け寄ってきた。
「りんごちゃん、だいじょうぶ?」
体をかがめ、両手をひざに置き、小首をかしげながら、大きな黄色いひとみでのぞきこむ。
くせっ毛ぎみの前髪がさらりと揺れ、つやつやした頬がすぐ近くまで寄ってくる。
距離の近さと、やさしさに満ちた表情に、思わず胸がどきりとするほどだった。
その拍子に、元気に弾む豊かな胸の谷間が目に入り、りんごは思わず顔をそむけた。
「ご……ごめんね……もう、ムリかも……」
さすがにもう、強がる元気も残っていないようだった。
緋羽莉はそんなりんごに、よくがんばったねと言うようにほほえみ、しゃがみこんで大きく広い背中を差し出す。
すらりと伸びた背中と、しなやかに引き締まった腰のラインが頼もしい。
小学生とは思えないほどたくましいのに、どこかやわらかな女の子らしさも感じさせる背中だった。
「じゃあ、ここからはおぶってあげる」
やさしい声。
緋色のポニーテールがゆらぐその背中は、ここまでがんばったごほうびだと、りんごを歓迎してくれているようだった。
「うん……ありがとう……」
りんごは、ふにゃりとした笑みを浮かべ、吸いこまれるように緋羽莉の背中に体をあずけた。
りんごを背負った緋羽莉は、すっと立ち上がり、ぐっと足に力を入れると、ふとももの筋肉がきゅっと引き締まる。
それでも動きは軽く、まるでりんごの重さなど感じていないかのようだった。
ポニーテールがくるりと揺れ、元気いっぱいの笑顔がちらりとのぞく。
そして、前を歩くアリスたちのもとへ駆け戻っていった。
体格差があるとはいえ、自分と同い年の女の子を軽々と背負えてしまう緋羽莉には、やはり驚くしかない。
「アリスたちは、だいじょうぶ?」
ふたりのそばに戻ってきた緋羽莉は、あかるい声でたずねた。
額にはうっすら汗がにじんでいるのに、その笑顔はまぶしいほど元気だ。
健康的な肌がほんのり赤くなり、楽しそうな空気まで周囲にひろげていた。
アリスは汗こそかいているものの、まだまだ余裕がありそうだ。
閃芽も息は少し荒くなっているが、手助けが必要というほどではない。
りんごは緋羽莉の背中にしがみつきながら、わずかなもうしわけなさと――それ以上に、彼女をひとりじめしているようなうれしさを感じていた。
(このままずっと、こうしていたいな……)
そんなことを思っていた、そのときだった。
ボコッ!
「え?」
緋羽莉の体が、ふっと浮遊感を覚える。
ポニーテールがふわりと宙にひろがり、ミニスカートのフリルが花のように舞い上がる。
大きな体が一瞬ふわっと浮かび、まるで時間が止まったかのようだった。
足もとに目をやると……さっきまで立っていたはずの地面が――消えていた。
その事実に気づいた瞬間――
「きゃーっ!」
緋羽莉は大きな悲鳴をあげ、奈落へと落ちていった。
普段は元気いっぱいの彼女らしくない、少し高い女の子らしい声だった。
背負われていたりんごも必死に叫んではいたが、その声は緋羽莉の悲鳴にかき消されてしまっていた。
「緋羽莉ちゃん!?」
声に反応してアリスが振り向くと、さっきまでそこにいたはずの緋羽莉の長身が忽然と消えている。
そして、彼女が立っていた場所の地面には――
ぽっかりと、円形の穴が開いていた。
「落とし穴!?」
閃芽が、驚きの声をあげる。
いったいどうして……と一瞬戸惑ったが、さすがは研究者のたまご。すぐに答えへたどりついた。
「そうか、このへん……モグラ型ワンダーのナワバリなんだ!」
その言葉を聞いて、アリスもハッとする。
裏山の中腹より上は難易度が上がり、そうしたワンダーが生息している――という事前情報を思い出したのだ。
だが、まずは何よりも先に――ふたりの安否を確かめなければならない。
「緋羽莉ちゃーん! りんごちゃーん! だいじょうぶー!?」
アリスはしゃがみこみ、穴の中へ向かって大きな声で呼びかけた。
すると、しばらくして――
「だいじょうぶー!」
という、緋羽莉の元気な返事が返ってきた。
さすが耳がよく、声も大きい緋羽莉だと感心するが、その声の響き方からすると、どうやらかなり下まで落ちてしまったらしい。救助するのは骨が折れそうだ……というより、今の装備ではとても無理そうだった。
どうしたものかと、アリスと閃芽が顔を見合わせていると、続けて緋羽莉の声が響いてきた。
「穴の中、道が続いてるから、進んでみるねー! アリスたちは、先に行っててー!」
そのひとことを聞き、アリスと閃芽はもう一度顔を見合わせる。
「どうする?」
閃芽がたずねる。
緋羽莉はタフで強い。落ちたばかりだというのに、声はいつもどおり元気いっぱいだ。どうやら本人は、そこまで深刻に受け止めていないようだった。
「ここは緋羽莉ちゃんを信じて、わたしたちは先に進もう。なにかあれば、ウォッチで連絡を取り合えばいいし」
ブロッサムスクエアでもふるに連絡したときと同じように、ワンダーを収納する機能を持つスマートデバイスは、異空間の中でも問題なく使えるのだ。
「そうするしかなさそうだね。せいぜい、私たちも落っこちないよう気をつけようか」
閃芽は肩をすくめ、苦笑いしながらうなずいた。
『ヒバリちゃんにりんごちゃん、だいじょうぶかな……』
アリスのウォッチの中で、ブルーが心配そうに声をもらす。
緋羽莉は言うまでもなく、りんごとも気の弱い者同士、どこか通じ合うものがある。だからこそ、気になってしかたがないのだろう。
「だいじょうぶよ。緋羽莉ちゃんにまかせておけば、万事OKだから」
アリスはパチンとウインクしながら、全幅の信頼を口にした。
ウォッチの中では、ミルフィーヌも同じようにやさしくほほえんでいる。
それを感じ取ったのか、ブルーはほんの少し安心したようだった。
こうしてアリスと閃芽、そして地下に落ちた緋羽莉とりんごは、それぞれ目的地をめざし、別行動をとることになった。
☆ ☆ ☆
穴に落ちてしまった、緋羽莉とりんご。
「りんごちゃん、ケガしてない?」
いったんりんごを背中から降ろした緋羽莉が、心配そうにたずねた。
しゃがみこんだ拍子に、フリルの袖がふわりとひろがる。
心配そうにのぞきこむ顔は、さっきまで落ちてきたとは思えないほど落ち着いていた。
「う……うん。緋羽莉ちゃんが守ってくれたから」
りんごは苦笑いを浮かべながら答えた。
緋羽莉は落下しているあいだも、りんごをしっかり抱えたままだった。そのため、着地したときの衝撃はほとんど彼女が引き受ける形になっている。
かなりの高さから落ちたにもかかわらず、緋羽莉はおそろしいほど平然としていた。
ポニーテールについた土をぽんぽんとはらいながら、けろりとした顔をしている。
健康的な体つきのおかげか、さっきの落下など運動の延長みたいなものらしい。
今ふたりが踏みしめている地面の土が、ふかふかと柔らかかったのも幸いしたのだろう。
「それはよかった。じゃあ、わたしたちも奥へ行ってみようか」
緋羽莉が視線を向けた先には、横向きの穴が洞窟のようにぽっかりと口を開け、奥へ奥へと続いていた。
方角は、導きの枝が示していたのと同じ方向だ。ならば助けを待つより、自分たちも進んだほうがいい――そう考えたのだ。
「この穴って、モグラ型のワンダーが作ったものなんだよね……?」
りんごは、おずおずとした様子でたずねた。
読書家で物知りなりんごは、裏山に生息するワンダーについても事前に調べている。
「そうだね。でもワンダーの作ったものなら、その子にお願いすれば、地上への穴を掘ってもらえるかもしれないよ?」
なんとも前向きな、緋羽莉らしい答えだった。
こんなときにのんきだなあ、とりんごは思わなくもなかった。けれどふしぎなことに、今はその言葉を素直に信じられる気がしていた。
その理由は、緋羽莉の緋色の髪を飾っている、花の冠。
野生のワンダーたちがプレゼントしてくれたものだ。
それほどワンダーに好かれやすい彼女が言うなら、本当にうまくいく気がしてしまうのだ。
「行こう、りんごちゃん! なにかあったら、わたしが守るからね!」
そう言って、緋羽莉は大きな手で、りんごの小さな手をぎゅっと引いた。
あたたかくて少し大きめの手のひらが、しっかりと包みこむ。
その距離の近さに、ほんのり甘い香りがふわっと漂った。
りんごの胸が、思わずもう一度どきんと跳ねる。
顔を赤らめ、手を引かれるままに歩き出す。
こうしてふたりは、モグラ型ワンダーの作った地下トンネルの奥へと進んでいくのだった。




