第71話 とおせんぼうのトオレント
異空間化した裏山のてっぺんにそびえるという一本杉をめざし、アリスたちは冒険を続けていた。
カジラとバトルした開けた場所を抜け、ふたたび森のエリアへと足を踏み入れる。木々は背高く重なり合い、昼間だというのに、あたりはすこし薄暗い。風が吹くたび、葉と葉がこすれ合い、さわさわと不気味な音を立てた。
アリスが戦っていたあいだ、ほかのみんなは体を休めることができた。そのおかげで、いちばん体力のないりんごも、まだ歩けそうだった。
いちばん体力のある緋羽莉は、そんなりんごのすぐそばに立っている。緋色のポニーテールを揺らし、黄色いリボンをきらりと光らせながら、いつでも支えられるように気を配っていた。
背の高いその体は、同い年とは思えないほど堂々としている。すらりと伸びた手足に、日々の鍛錬で磨かれた引き締まった筋肉がしなやかに宿り、立っているだけで凛とした存在感を放っていた。
童顔の愛らしさと、成長途中とはいえ完成されつつある女性らしい曲線が同居するその姿は、森の薄闇の中でもひときわ目を引く。
つややかな肌は汗にうっすらと光り、鍛えられた長い脚はしっかりと地面を踏みしめている。頼もしさと華やかさをあわせ持つ姿だった。
オフショルダーの襟元からのぞく健康的な肩は丸みを帯び、胸元には年相応を超えた豊かさがふわりと形を描いている。だが決していやらしさはなく、どこか無防備で素直な空気をまとっているのは、彼女の純真な心ゆえだろう。
ブルーは、ふたたび呼び出されたモモといっしょに、アリスのとなりを歩いていた。
その足取りは軽い。さきほどのバトルで勝利をつかみ、自信を手に入れたことが、だれの目にもはっきりわかる。
ブルーの腕にくっついているモモも、うれしそうに目を細めていた。
『キュ!』
……と思った次の瞬間、モモはぴたりと足を止め、長いたれ耳をピンと立てた。
一同も立ち止まる。ブルーは小声でたずねた。
『どうしたの?』
『キュー、キュー!』
警告するような声。しかし、言葉の意味まではわからない。
けれど、その表情は必死そのものだった。きゅっと目をつり上げ、小さな体いっぱい使って、訴えかけてくる。
『野生のワンダーが、来てるんだね?』
ブルーがそう察すると、モモはこくこくとうなずいた。どうやら当たりらしい。
それから、ほんのりとほっぺを赤く染める。気持ちが通じたことが、なによりうれしいのだ。
アリスたちはいっせいに周囲を警戒する。りんごは、さっと緋羽莉のうしろへ隠れた。
緋羽莉は大きな手でりんごの肩を包みこみ、ぐっと引き寄せる。やわらかな胸に顔をうずめたりんごは、安心と緊張が入り混じった表情で前を見つめた。ほのかに甘い香りが、かすかな勇気を与えてくれる。
緋羽莉の鼓動は力強く、包み込む腕も大きくあたたかい。その長い脚は地面に深く根を張るように安定し、ふとももに込められた力強さは、いざとなれば誰よりも頼れる盾となることを物語っていた。
ガサガサッ、と葉がこすれ合う音。草むらが不自然に揺れた。
なにが飛び出してくる――?
ブルーは緊張で、ごくりとつばを飲みこむ。そして、ぎゅっとモモを抱きしめた。恐怖をごまかすためじゃない。守ろうとしているのだ。
そのぬくもりに、モモの心はまたキュンと高鳴る。
しかし――
草むらから、ワンダーが飛び出してくる気配はない。
どうなっているのか、と全員が首をかしげた、そのとき。
「木だよ!」
この中でもっともワンダーにくわしい閃芽が、草むらの近くに立つ一本の木を指さした。
よく見ると――揺れているのは草ではない。その背後の木々そのものが、ゆっくりと動いているのだ。
『うわあ!?』『キュー!?』
ブルーとモモが同時に声をあげる。
木々は、地面に張った根を足のように持ち上げ、一歩、また一歩と近づいてくる。土がめくれ、根がうねり、ずるりと音を立てた。
やがて目の前に立ちはだかると、幹がパキパキとひび割れ――裂け目の奥から、ギラリとした赤い目と、大きな口が現れた。
「【トオレント】か……」
アリスがその名をつぶやく。
長い枝を腕のように広げ、道行く者をとおせんぼするのが得意な、やっかいなワンダーだ。
裏山に来て最初に戦った【キリカブロッカー】の進化系――いわば親玉といえる存在。
『ザザザッ!』
しかも、一体だけではない。
合計三体のトオレントが、アリスたちの行く手をふさぐように取り囲んでいた。枝がしなり、地面に影が落ちる。逃げ道は、ない。
「ひゃあっ!」
動く木の怪物たちににらまれ、りんごは悲鳴をあげて緋羽莉にしがみつく。
緋羽莉は一歩前へ出て、りんごを背にかばった。太くたくましいふとももにぐっと力を込め、胸を張る。その姿は、森に立つ一本の若木のように凛としている。
「だいじょうぶだよ、りんごちゃん」
あかるく、よく通る声。けれどそのひとみは、真剣だ。
進化系だけあって、トオレントはキリカブロッカーよりも数段強い。しかも三体。苦戦は避けられないだろう。
「いくよ、ブルー!」
アリスがバトルの体勢をとる。ブルーもモモを抱え直し、うなずいた。
緋羽莉と閃芽も、ウォッチをはめた左手をかざす。空気がぴんと張りつめた。
そのとき――
『フォッフォッフォ。おぬしらも、一本杉をめざしておるのか?』
三体のうち、進行方向に立つ一体が、怪しげな声で語りかけてきた。
よく見ると、ほかの二体より幹がひときわ太く、枝ぶりも堂々としている。どうやらリーダー格らしい。
「……そうよっ!」
アリスは一瞬だけ考え、きっぱりと答えた。
ワンダー相手に、ウソや隠しごとをする理由はない。ただ、しゃべる木という異様な光景に、ほんの少し面食らっただけだ。
『フォッフォッフォ。いい度胸の子よ。見れば、なかなかに良質なエナが満ちあふれておる』
リーダーのトオレントは、アリスをじっと見つめ、それから緋羽莉にも視線を向けた。
生命力にあふれた体つき。健康的に日焼けした肌。引き締まりながらも、しなやかな女性らしさを保つその姿は、太陽の精気をそのまま形にしたかのようだ。
枝がざわりと鳴る。
『いいだろう。おぬしらのすぐれた素質を見込んで、ひとつ、我らとゲームをしようではないか』
「ゲーム?」
アリスは眉をひそめる。
なにが“いいだろう”なのか。素質を見込むっていうなら、さっさと通してほしい――そう思わなくもない。
けれど、三体の強力なワンダーに囲まれたこの状況で、下手に刺激するのは得策ではない。
アリスも、皮肉屋の閃芽も、余計なひとことは飲みこんだ。
『お前たち!』
リーダーが号令を発した瞬間、両サイドから取り囲んでいた二体のトオレントが、しゅばっと枝を伸ばしてきた。
「きゃあっ⁉︎」
計四本の枝はムチのようにしなり、空気を切り裂く音を立てる。そのまま、緋羽莉のたくましい長身に絡みつき――ぎり、と締め上げた。
枝は、彼女の強靭な腕に絡みつき、豊かな胸元を圧迫し、たくましい太ももを縛り上げる。筋肉がきしみ、しなやかな体が無理やり引き伸ばされる。その姿はあまりにも痛ましい。
次の瞬間、緋羽莉の体は軽々と宙へ持ち上げられる。
「緋羽莉ちゃん⁉︎」
あまりに突然の出来事に、アリスとりんごの声が重なった。
枝は、緋羽莉の腕と胴、そして長い脚に巻きつき、逃げ場を与えない。鍛え抜かれた体が、みしり、と音を立てるように締めつけられる。
「……っ!」
それでも緋羽莉は叫ばない。歯を食いしばり、みんなを安心させるように、かすかに笑おうとした。
長い脚は空を切り、黄色いリボンが揺れる。胸元のポーチもむなしく跳ねるばかりだ。助けを求めたいはずなのに、彼女は声を飲み込み、ただ友だちの無事を願う。その健気さが、いっそう胸を締めつける。
だが、その笑みも、枝にぐいと引き上げられてかき消える。
トオレントたちの目的はわからない。ただひとつ確かなのは――大事な親友が、敵の手に落ちたという事実だった。
そこからのアリスの行動は、速かった。
「ミルフィーヌ!」
『はいっ!』
ウォッチから【ワンダフルプリンセス・ミルフィーヌ】が飛び出す。きらめく水色の剣を構え、緋羽莉を捕らえる枝を斬り裂こうと跳躍した。
『おっと! させんよ!』
しかし、次の瞬間――
三体のトオレントが、同時に口を大きく開く。
ぼふっ、と鈍い音とともに、紫色の煙が吐き出された。
「まずい! この煙は……!」
閃芽の警告もむなしく、三方向から放たれた紫煙は、あっという間に周囲を満たしていく。
視界が白紫に染まり、目がちかちかと痛む。鼻をつく刺激臭。のどが焼けるようにひりつき、せきが止まらない。
「げほっ……!」
助けなきゃ――そう思うのに、足元の感覚があやふやになる。方向感覚が狂い、上下さえわからなくなる。
感知能力に優れたミルフィーヌも、モモも、混乱したようにきょろきょろと視線をさまよわせる。
『ど、どこ……!?』
『キュ、キュー……!』
ブルーは必死にモモを抱き寄せるが、自分もまた、足がすくんで動けない。
やがて――
風が吹き抜け、紫の煙がゆっくりと薄れていった。
視界が戻る。だが――
三体のトオレントも、そして――緋羽莉の姿も、そこにはなかった。
「しまった……! 緋羽莉ちゃん! 緋羽莉ちゃん!」
アリスは叫ぶ。何度も、何度も、森のあらゆる方向へ。
その声は震え、焦りを隠せていない。冷静さは、どこかへ吹き飛んでいた。
『アリスちゃん、おちついて……』
煙にむせたままのミルフィーヌが、必死になだめようとする。
「落ちついてるよ!」
どう見ても落ちついていない返事だった。
ミルフィーヌはぐっと押し黙る。アリスはめったに取り乱さない。だが、親友のこととなると別だと、長い付き合いで知っている。
そのとき――
「どこがだよ!」
するどいツッコミとともに、閃芽のひじ打ちがアリスの右脇腹にズドンとめり込んだ。
「うっ……!」
そこは、つい数時間前、ブロッサムガーデンでガンマの銃撃を受けた箇所。
打撃と同時に、焼けつくような激痛が走る。アリスは思わずその場にうずくまり、息を詰まらせた。
「キミらがラブい関係なのは知ってるけど、まずは冷静になりなよ」
閃芽は両手を腰に当て、険しい顔で言い放つ。
「ラ、ラブいって……」
そのうしろで、りんごが引きつった苦笑いを浮かべた。
アリスと緋羽莉が、ときおり二人だけの世界を作りがちなのは事実だ。でも、きっとあれは友愛のはず。そうであってほしい、とりんごは密かに願っている。
当のアリスは、脇腹を押さえてうずくまったまま、肯定も否定もできない。
やがて、閃芽が淡々と続けた。
「この裏山異空間で、ケガ人は出ても死人が出たなんて話は聞いたことない。緋羽莉は無事なはずだよ。ゲームだって言った以上、そうそう手荒なことはしないだろうしね」
希望的観測は混じっている。それでも、冷静な分析だった。
『……その通りだ。幼きウィザードのムスメたちよ』
森の奥から、エコーのかかった声が響く。
トオレントのリーダーの声だ。
『赤い髪の大きなムスメを助けたくば、この森の中に隠れし我らを探し出してみよ』
その言葉を最後に、気配はふっと消えた。
枝のきしむ音さえ、もう聞こえない。
「どうやら、それがゲームのルールってわけみたいだね」
閃芽が森を見回しながらつぶやく。
りんごは身をすくめ、落ち着きなく視線をさまよわせている。いちばん頼りにしていた、大好きな緋羽莉がさらわれた。その事実が、不安となって胸を締めつけていた。
『アリス……』『キュー……』
ブルーとモモが、うずくまるアリスを見つめる。ミルフィーヌも、そっと寄り添った。
緋羽莉を助けたい。その想いは、みんな同じだ。
やがてアリスは、ゆっくりと立ち上がった。脇腹の痛みに顔をしかめながらも、青いひとみには強い光が戻っている。
「……いいわ。必ず探し出して、とっちめてやるんだから!」
怒りと決意に燃えるその声が、静まり返った森に力強く響いた。




