第65話 裏山へレッツゴー!
アリスたちは学校の外周をぐるりと回り、裏山の入口までやってきた。
校門から見たときには気づかなかったが、こうして目の前に立つと、市街地の空き地――ブロッサムスクエアの入口でも見た、虹色のオーロラのような光が、山全体を薄く包みこんでいるのがわかる。
風にゆらぐその光は、まるで巨大なシャボン玉の膜のように、かすかに揺らめいていた。
一見すると、ただ木が生い茂っているだけの、どこにでもありそうな裏山だ。
けれど――あの光の向こう側は、異空間化しているのだろう。
見慣れたはずの学校の裏山が、まったく別の世界への入口になっている。そう思うだけで、胸の奥がざわりと波立った。
「こうして間近で見るの、はじめてだね!」
緋羽莉は両手を胸の前で組み、裏山を見上げながら感慨深そうに言った。
黄金色のひとみが、虹色の光を映してきらきらと輝いている。
見上げる角度に合わせて、緋色のポニーテールがふわりと揺れる。
健康的に引き締まった体の線は、かわいらしい衣装の上からでもはっきりとわかり、元気いっぱいの魅力をそのまま形にしたようだった。
「ふだんは、こんなところに来る用事もないしね。わたしはバトル禁止されてたから、なおさら」
アリスは、そんな緋羽莉の横顔をちらりと見ながら言った。
りんごたちと合流する前に、緋羽莉は一度自宅へ戻り、空になったお弁当のバスケットを置いてきた。
けれど、服装は着替えず――ふりふりのフリルがあしらわれた、おしゃれなデートスタイルのままだった。
裏山探索には少し不釣り合いな格好だが、本人はまったく気にしていないようすである。
短めのスカートから伸びる長い脚は、すっとまっすぐで、思わず見とれてしまうほどバランスがいい。
かわいい服装と、しっかりとした体つきの組み合わせが、ふしぎと彼女だけの特別な雰囲気を作り出していた。
もちろん、りんごと閃芽もそのことにはツッコミを入れた。
しかし、緋羽莉の純真で天然な笑顔を前にすると、細かいことを言う気も失せてしまう。
その笑顔は太陽みたいにあかるくて、見ているだけで胸の奥までぽかぽかしてくる。
ころころと変わる表情も愛らしく、誰もがつい甘やかしたくなってしまうのだった。
それに――ふたりとも、緋羽莉の人間離れした身体能力についてはよく知っている。
どんな服装であろうと、この子なら問題ないだろう。
そう思えてしまう、ふしぎな安心感があった。
「うう……いざ入るとなると、ドキドキしてきた……」
りんごは緊張した面持ちで、自分の体を抱きしめるように腕を組んだ。
カーディガン越しに、ぞくりとした寒気を感じたようだった。
『ぼ、ぼくも……』
ブルーも同じように、体を小さくすくめる。
ドラゴンは寒さに弱い――というのはさておき。
この裏山には、ブロッサムスクエアとはちがう、どこか不気味な空気が漂っていた。
木々はうっそうと生い茂り、昼間だというのに奥の方は暗く沈んで見える。
風が枝葉を揺らすたび、ざわ……ざわ……と、不安をあおるような音が響いた。
「まあ、そこまでビビることないよ」
閃芽は白衣のポケットに手を入れたまま、落ち着いた声で言った。
「ここはノーランクでも入れるくらい、探索難易度は低いワールドだからね」
『ノーランクでも、入れる?』
ブルーは、その言葉に引っかかりを覚えた。
「前に説明したよね?」
閃芽はブルーを見る。
「ワールド――ワンダーの生息域に入るには、ウィザードのランクが関係するって」
『うん、覚えてるよ。GからAまであるんだっけ』
「へえ、感心感心」
閃芽は満足そうにうなずいた。
「スマートウォッチにはね、ワールドの入口周辺のエナ濃度を検知する機能があるんだよ」
『エナのうど……』
「その数値とウィザードのランクを照らし合わせて、適正じゃない場合は警報を鳴らしてくれるんだよ」
『ああ……いまのランクじゃ危ないよ、って教えてくれるってこと?』
「そういうこと。理解が早いね」
閃芽は少しだけ口元をゆるめた。
ブルーは、さらに疑問を重ねる。
『でも……警報を鳴らすだけじゃ、低いランクのウィザードが無理に入るのを止められないよね? あぶなくないの?』
「キミはお人よしだねえ」
閃芽はニッと笑った。
「そういうのは、基本的に全部、自己責任だからね」
その言葉は、静かだったが重みがあった。
「子どもだって、小さいころからちゃんと教えられる。ウィザードになるっていうのは、そういうことなんだよ」
「じこせきにん……」
ブルーは、その言葉を胸の中で繰り返した。
そういえば――
ブロッサムスクエアで出会った、ワンダーレンジャーの犬飼もふるも、似たようなことを言っていた。
ワールドの中でなにがあっても、それはすべて自己責任なのだと。
でも、レンジャーは、ウィザードの安全を守るのが仕事だとも言っていた。
もしほんとうに、いざというときは、きっと彼女のような人たちが助けてくれるのだろう。
けれど――
(それでも……)
ブルーは、大きなこぶしをぎゅっとにぎった。
アリスの安全を守るのは――パートナーである、自分の役目だ。
その決意が、胸の奥で静かに燃えた。
そのとき――
パン、パン!
軽やかな音が響いた。
アリスが、しなやかな両手を打ち鳴らしたのだ。
「それではみんな、心の準備はオーケー?」
「オーケー!」
緋羽莉が、元気いっぱいにこぶしを突き上げる。
元気よく腕を上げた拍子に、全身がのびやかに伸びる。手足の長さと整った体のラインがひと目でわかり、その姿は頼もしさとかわいらしさを同時に感じさせた。
りんごとブルーはおずおずと、閃芽は仕方なさそうに小さくうなずいた。
乗り気じゃないわけじゃない。
ただ、それぞれ、そういうガラじゃないというだけだ。
そして――四人と一体は、横一列に並ぶ。
目の前には、虹色の光に包まれた境界線。
その向こうは、また新たな、未知の世界。
アリスは、みんなの顔を見回した。
だいじょうぶ、みんながいる。
「――せーのっ!」
声を合わせて、なかよく一歩を踏み出し――
アリスたちは、裏山のワールドへと突入した!
☆ ☆ ☆
「おお……」
閃芽以外の三人とブルーは、思わず同じように声をもらした。
入る前は、ただの山の入口にしか見えなかった。
けれど、いざ一歩踏みこんでみると――
目の前には、どこまでも続いていそうな、深く広大な森がひろがっていたのだ。
木々は高くそびえ、枝葉は幾重にも重なり合い、まるで外の世界を閉ざす壁のようだった。
これもきっと、空間のゆがみによるものなのだろう。
外から見た裏山とは、まるで別の場所だ。
あたりからは、さまざまな鳴き声が聞こえてくる。
動物のような声。鳥のような声。昆虫のような声。
――そして、それらに混じって、
チリン……チリン……
鈴のような、ふしぎで澄んだ音も響いていた。
風が吹くたびに、葉と葉がこすれ合い、さらさらと音を立てる。
見上げれば、木々のすき間から差しこむ光が、赤や橙、金色といった暖色の輝きとなって、森の中に降り注いでいた。
その光景は、幻想的で――そして、どこか現実離れしていた。
内気なりんごやブルーにとって、それは胸が躍る光景であると同時に、心臓が落ち着かなくなるような場所でもあった。
しかも、山道はゆるやかな上り坂になっている。
足場も少し悪く、慣れていない者には歩きづらい。
インドア派で体力に自信のないりんごにとっては、それだけで気持ちが沈んでしまいそうだった。
「ほ……ほんとうにここで冒険するの……?」
つい、弱気な言葉が口をついて出る。
初めてのワールド探索だというのに、興奮よりも不安のほうが勝ってしまっているようだ。
「帰りたいなら、いまのうちだよ」
すかさず、閃芽が耳元でささやいた。
いつもの、少しいじわるな声だ。
けれど、その口元は楽しそうに笑っている。
アリスがじっと見つめ、緋羽莉がにっこりとほほえむ。
そのふたりの視線を受けて、りんごははっとした。
そして――
「う、ううん……行くよ。わたしも、行く!」
なかばやけくそ気味に、けれどしっかりと宣言した。
森は怖い。山道はつらい。
でも――それ以上に。
大好きな友だちに置いていかれるほうが、ずっとイヤだった。
すると、緋羽莉がすっと歩み寄り――どん、と胸を張った。
フリルのついた服の上からでもわかる、丸みと引き締まりをあわせ持った体の線が、動きに合わせてしなやかに揺れる。
「だいじょうぶだよ、りんごちゃん!」
太陽みたいな笑顔で言う。
にっこりと笑った顔は花のようにあかるく、健康的につやめく肌が森の光をやさしくはね返す。
大きなひとみはまっすぐで、その表情を見ているだけで、不安がどこかへ消えてしまいそうだった。
「あぶなくなったら、わたしが守るよ! 歩くのがつらくなったら、おぶってあげるから!」
迷いなくそう言って、軽く腕を曲げると、ほどよく鍛えられたしなやかな力強さが感じられる。
頼もしさと女の子らしいやわらかさが同時に伝わってきて、その姿はとても魅力的だった。
りんごは知っている。
緋羽莉がどれほど強くて、どれほど頼りになるかを。
だから――その言葉は、なによりも心強かった。
「うん……ありがとう」
りんごは、安心したようにほほえんだ。
胸の中にあった不安が、ふっと軽くなる。
緋羽莉の笑顔には、そんなふしぎな力があった。
ふわりと漂う甘い香りと、包みこむようなあたたかい雰囲気が、そばにいる者の心を自然と落ち着かせてくれる。
見上げるほどの長身もあって、同い年なのに、その存在はまるで頼れるお姉さんのようだった。
「さっすが緋羽莉ちゃん。たよりになるなあ」
アリスは、自分のことのようにとくいげだ。
『そうだね』
ブルーも、うなずいた。
ブロッサムスクエアでの冒険で、緋羽莉の頼もしさはすでに証明済みだ。
緋羽莉はチームの支柱。
誰よりもやさしくて、誰よりも強い。
まさに、力持ちのヒーローのような存在だった。
「よーし! じゃあ、登るよっ!」
今度はアリスが、元気よく声を上げる。
先頭に立ち、みんなを導く。
緋羽莉が支える柱なら、アリスはみんなを引っ張る旗手だ。
ひらめきと直感で動くことも多いが、決断は早く、迷いがない。
その背中を見ていると――ふしぎと、ついていきたくなる。
この子といれば、きっとだいじょうぶだと、ふしぎと思わせてくれる。
みんながいっしょなら――こわくない。
りんごが両手をぎゅっとにぎりしめ、気合を入れた――
そのときだった。
ガサガサッ!!
右側の草むらが、大きく揺れた。
「『ひゃあ!』」
りんごとブルーは悲鳴を上げ、反射的に緋羽莉の後ろへ隠れた。
りんごは彼女のオフショルダーのすそをぎゅっとつかみ、ブルーはたくましい脚にしがみつく。
引き締まりながらも丸みのある脚は安定感に満ちていて、しがみついていてもびくともしない。その堂々とした体つきは、小さなふたりに大きな安心を与えていた。
緋羽莉は苦笑いを浮かべた。
それでも、イヤな顔はせず、振り払ったりはしない。
むしろ、守るように一歩前へ出る。それが、彼女だった。
前へ出た瞬間、長い脚がすっと伸び、凛とした立ち姿が森の中でひときわ目を引く。
かわいらしい服装でありながら、その背中には確かな強さと気高さが感じられた。
「いきなり来たね……」
閃芽は、メガネをくいっと押し上げ、静かに身構える。
「さあ……なにが出るかな?」
アリスは、わくわくした声でつぶやいた。
恐怖よりも好奇心。
まさに、生まれついての冒険者気質といった反応だった。
そして――次の瞬間。
草むらをかき分けて、野生のワンダーが、姿を現した――!




