第62話 ワンダフルな、わたしたちの絆
「うわっはあ〜! すごい、すごーい!」
緋羽莉は、わたあめの背中の上で大興奮していた。
風を受けて、緋色のポニーテールが後ろになびき、結ばれた黄色いリボンがひらひらと踊っている。
健康的につやめく肌は春の光を受けてあかるく輝き、全身から生命力があふれているよう。
体いっぱいでよろこびを表現するその姿は、見ているこちらまで楽しくなってしまうほどだ。本当に、彼女は感情表現がまっすぐだった。
笑うたびに頬がやわらかく持ち上がり、大きなひとみがきらきらと輝く。
その表情は飾り気がなく、まるで太陽のかけらのようにまぶしかった。
巨大ポメラニアン――【ドデカニアン】のわたあめの走りは、まさに豪快のひとことに尽きる。
ドドッ、ドドッと大地を震わせるような重低音を響かせながら、桜の花びらが舞い散る黄緑の草原を一直線に駆け抜けていく。
これだけの巨体でありながら、そのスピードは目を見張るほど速い。
それなのに、ふしぎなほど揺れは少なく、背中の上はまるで高級な乗り物のように安定していた。
人間が五人――ミルフィーヌとシンディを含めて――さらにワンダーが二体。
これだけの重さを乗せているにもかかわらず、わたあめは一度たりともバランスを崩すことなく、堂々とした走りを続けている。
それだけ日頃から訓練を積み、人を乗せることにも慣れているということなのだろう。
さすがは、レンジャーのパートナーだ。
アリスとのバトルのとき、本気ではなかった――という話も、今なら素直に信じられる。
そして――数分間の、あっという間のドライブのあと。
アリスたちは、ブロッサムスクエアの出口――兼入口の場所へと戻ってきた。
「なんだか……あっというまだったなあ……」
アリスは名残惜しそうにつぶやきながら、そっとわたあめの背中から地面へと降り立った。
ほかのみんなも、それにならう。
乗るときもそうだったが、三メートル以上もある巨体から降りるのは、やはり少し勇気がいる。
もし、人間を軽々と持ち上げられるほどの力を持つミルフィーヌやシンディがいなければ、きっと「乗せてほしい」なんて提案はできなかっただろう。
『うわあ……』
ブルーは出口のほうを見て、驚きの声をもらした。
入ってきたときは気づかなかったが――
そこには、まるで部屋のカーテンのように垂れ下がる、四角いオーロラの幕のようなものがあった。
ゆらゆらと揺れる光の膜。
大きさは、高さも幅も三メートルほど。
わたあめの巨体でも、なんとか通り抜けられそうな広さだ。
その向こうには――
この異空間へ入る前にいた、ふしぎ町の景色が、かすかにゆがみながら見えている。
一目見ただけで、ここが出口なのだとわかる。
けれど――それでもやっぱり、胸がくすぐられるような、ふしぎな感覚があった。
「ん〜っ! これでもう、また来年までここに来ることもなさそうだし、最後にこのうまい空気を堪能しとくかあ〜!」
もふるは両腕を大きくひろげ、胸を張って、おもいきり息を吸い込んだ。
ブロッサムスクエアは、桜が咲く春のあいだにしか入ることのできないワールド。
季節が終われば、次に訪れられるのは、また一年後になる。
アリスも、今回の最大の目的はすでに果たしている。
これからは、ほかのワールドの冒険にも挑戦したいと思っている。
だから――今年ここに来るのは、おそらくこれが最後になるだろう。
ならば――もふるの言うとおり、この春の空気を、今のうちにしっかり味わっておきたい。
「すぅーっ……」
アリスは目を閉じて、大きく息を吸い込んだ。
桜の甘い香りと、草原の青々とした匂いが、胸いっぱいにひろがる。
その香りは、今日の出来事すべてを、やさしく包み込んでくれるようだった。
ブルーも、ミルフィーヌも、それにならって息を吸い込む。
モモも、小さな胸を精いっぱいふくらませていた。
生まれ育ったこの場所を、名残惜しむように。
そんな親友たちの姿を――緋羽莉は、いとおしそうに見つめていた。
その横顔はとても穏やかで、やさしさに満ちている。
春の光に照らされた頬はなめらかで、まつげの影が静かに揺れていた。
胸元にかかるフリルが風にそよぎ、少女らしい愛らしさと、すでに芽生えはじめている大人びた雰囲気が同時に感じられる。
そして、自分もまねをするように――
「すぅぅぅーっ……!」
両腕をいっぱいにひろげ、背筋をすっと伸ばし、胸を大きく張って、思いきり息を吸い込む。
くせのある髪がふわりと揺れ、甘い香りがかすかに漂う。
小さく整った鼻の穴が、ぷくっとふくらむ。
その無防備で一生懸命な姿は、思わずほほえんでしまうほど愛らしい。
吸い込む音もはっきり聞こえてきて、彼女がこの瞬間を、全身で味わっているのが伝わってくるようだった。
いっぽう――そのとなりでは。
シンディが――
ゴオオオオオッ……!
まるで掃除機のような音を立てて、空気を吸い込んでいた。
そのいきおいはすさまじく、長い赤髪がふわりと後ろへ流れるほどだ。
厚みのある胸が大きく上下し、そのたびに全身の力強さが伝わってくる。
整った顔立ちはどこか誇らしげで、まるで大地そのものが呼吸しているかのようだった。
鼻の穴も思いきり開かれていて、ふだんの凛とした美貌とのギャップが、あまりにも激しい。
けれど本人はまったく気にしていないようすで、むしろ満足そうに胸をふくらませている。
その豪快さが、かえって清々しかった。
「……すごい……」
アリスは、ぽかんと口を開けたまま、つぶやいた。
もふるも、ブルーも、モモも、ミルフィーヌも――
肉体派コンビの圧倒的な肺活量に、ただただ驚き、そして、少しだけ尊敬のまなざしで見つめていたのだった。
「ふぅ……」
緋羽莉は、胸いっぱいに吸い込んだ空気を、ゆっくりと吐き出した。
その表情はうっとりとしていて、まだ幼さを残しながらも、体格に見合った健康的な色気のようなものを、ほんのりとかもし出している。
吐息に合わせて、ふくらんでいた胸元がゆるやかに戻っていく。
しなやかな首筋から肩にかけての線はなめらかで、まだ少女のあどけなさを残しながらも、どこか完成された美しさを感じさせた。
その姿を見た瞬間――アリスの胸は、きゅんっと甘く高鳴った。
春のエナに満ちた空気をたっぷり取り込んだためか、健康的な浅黒い肌は、光を受けてきらきらとつやめいている。
緋色のポニーテールも、舞い散る桜の花びらに合わせるように、元気いっぱいに揺れていた。
毛先はやわらかな曲線を描き、光を受けてほんのりと輝いている。
そのたびに、彼女のまわりだけ時間がゆっくり流れているような、ふしぎな錯覚を覚えた。
全身を包むピンク色のコーディネートも相まって、その姿はまるで――春そのものが形になったようだった。
今日だけで、いったい何度思ったかわからない。
それでもやっぱり――
(春の大妖精みたい……)
アリスは、心の中でそうつぶやいた。
無意識のうちに、その姿を目で追い続けてしまう。
立っているだけなのに、どうしてこんなにも目を離せないのか――自分でも理由がわからないまま、胸の奥が静かに熱を帯びていくのを感じていた。
――その、直後だった。
ヒュオォーッ……!
「きゃっ!」
突然、緋羽莉の目の前に強い風が巻き起こった。
驚いた拍子に、長い脚が小さく跳ねる。
その仕草は無防備で、守ってあげたくなるほど愛らしかった。
風はくるくると渦を巻きながら、桜の花びらを大量に巻き上げていく。
舞い上がった花びらは、やがて淡い光を放ちはじめ――一ヶ所へと集まりだした。
そして――その光は、しだいに形を持ちはじめる。
手が。足が。胴体が。
そして、顔が。
桜の花びらが重なり合い、組み合わさり――
やがてそこに現れたのは、身長170センチほどの――人型の女性だった。
「春の……大妖精?」
誰よりも先に、アリスがつぶやいた。
ついさっきまで、緋羽莉をそう例えていたばかりだったからだ。
そして――その表現は、まさにぴったりだった。
緋羽莉の目の前に現れた存在は、大きな桜の花びらのような形をした、三対六枚の美しい翅を持つ、大妖精だったのだから。
ふわりと揺れる、ピンク色のセミロングヘア。
やさしく細められた、黄色い垂れ目。
おっとりとした、美しい大人の女性の顔立ち。
桜色のドレスは、豊満な体の曲線をやわらかく包み込み、手袋やブーツにいたるまで、すべてが優雅に統一されている。
そして――全身からあふれる、あたたかなピンクのオーラ。
その存在は、圧倒的な母性と、春のやさしさそのものを体現しているようだった。
『見つけたわ……』
大妖精が、ゆっくりと口を開く。
つややかなくちびるからこぼれたのは、
『私にぴったりの、パートナーちゃん』
母親が子どもに語りかけるような、とてもやさしく、包み込むような声だった。
「パートナーって……わたし?」
みんなが驚きで言葉を失う中、緋羽莉だけは、きょとんと目を丸くして、自分の胸を指さした。
小首をかしげると、耳元で揺れる髪がさらりと頬に触れる。
その素直すぎる反応に、周囲の空気までやさしくほどけていくようだった。
『そうよ』
大妖精は、やさしくうなずく。
『あなたの全身からあふれている、あたたかで大きなエナ……』
そっと手を胸に当てて、
『ぜひ、おそばにいさせてほしいって……思っちゃったの。ふふっ』
少し照れたように、上品にほほえんだ。
まるで――花の蜜に引き寄せられる蝶のように。
彼女は、緋羽莉の持つあふれんばかりの生命力に、心から魅了されていたのだ。
「もちろん、いいですよ!」
緋羽莉は、迷いも、ためらいも、いっさい見せなかった。
「よろしくおねがいします!」
太陽のようにあかるい笑顔を浮かべて、大きな右手を、まっすぐに差し出す。
大妖精も、うれしそうにほほえみ――その手を、そっとにぎり返した。
その瞬間。
ふわり、と。
ふたりの手のあいだから、やさしい光があふれた。
――契約。
新たなパートナーの絆が、今ここに結ばれたのだった。
シンディは緋羽莉のうしろで、ただおだやかに見守っていた。
その表情はやさしく満ち足りていて、新たな絆を得られたよろこびが、隠しきれずににじみ出ていた。
『こ、こんなの……ありなんだ……』
ブルーは、ぽかんと口を開けたまま、呆然とつぶやいた。
こんなふうに突然、偶然出会って、心が通じ合って、自然に結ばれる絆もあるのだと、またひとつ、学ぶことができた。
(……さすが、緋羽莉ちゃんだな)
アリスは、小さく苦笑いを浮かべた。
驚きは――ふしぎと、なかった。
ブルーも、ミルフィーヌも、もちろんモモも、みんなが全力でがんばってくれた。
けれど――今回の冒険で、いちばん大きな力になってくれたのは、まちがいなく――緋羽莉だった。
彼女がいてくれたから、自分は立ち直れた。前を向くことができた。
そして――モモを、仲間として迎えることができた。
そんな彼女に、なにかステキなことが起きてほしいと、アリスは心から願っていた。
だから――この出会いは、まるで春からの贈り物のように思えた。
一部始終を見ていたもふるは、両手を腰に当て、大きくため息をついた。
「まったく……」
そう言って、少しあきれたように笑い――
「キミたちってば、ホントにとんでも……」
そこで言葉を区切り、そして――
「ううん」
満面の笑みを浮かべて、言い直した。
「ワンダフルだね!」
その言葉に、アリスたちは顔を見合わせ――
そして、みんなで笑い合った。
春の風が、やさしく吹き抜ける。
こうして――アリスたちは、オーロラのカーテンをくぐり、異空間をあとにした。
新しい絆を胸に抱きながら――もとの世界へと、帰還したのだった。
☆ ☆ ☆
ふしぎ町の市街地。
さっきまでいた幻想的な空間とはうってかわって、そこには現実的な都会の雑踏がひろがっていた。
車の走る音。人々の話し声。信号機の電子音。
それらすべてが、さっきまでの出来事がまるで夢だったかのような錯覚を、アリスたちに抱かせる。
はじめてワールドに足を踏み入れたアリスたちは、まるで長い夢から覚めた直後のような、ふわふわとした不思議な気持ちに包まれていた。
――けれど。
後ろを振り向けば、箱状のオーロラに仕切られた、満開の桜が咲き誇る空き地。
ブロッサムスクエアへの入口が、たしかにそこに存在していた。
ゆらゆらと揺れる光のカーテン。
その奥に見える、春の楽園。
それが――これまでの出来事が、決して夢ではなかったという証だった。
そう思った瞬間、アリスの胸の奥から、じんわりと熱いものが込み上げてきた。
達成感。充実感。
そして――大切なものを得たという、確かな実感。
『キュー!』
ダメ押しのように、モモが元気な声をあげた。
そのかわいらしい声が、今回の冒険が大成功だったことを、あらためて実感させてくれる。
「じゃあね、ふたりとも! 今度はプライベートで会おうね!」
『ワッフーン!』
もふるは、マッドをくわえたわたあめの背にまたがり、手を振りながらさわやかに去っていった。
巨大ポメラニアンのわたあめは、堂々と車道を走っていく。
通行人たちが驚いた顔で振り返るが、止める者はいない。
正式な騎乗免許を持つウィザードであれば、ワンダーに騎乗して公道を走ることは、法律で認められているのだ。
もふるの姿は、やがて建物の向こうに消えていった。
「……それで、これからどうしよっか?」
大きく手を振って見送ったあと、緋羽莉が振り返ってたずねた。
その顔には、まだ冒険の余韻が残っている。
「そうだね、次は――」
ぐうぅ〜〜〜っ……
アリスが言いかけた、そのときだった。
場違いなほど大きな音が、静かに響いた。
「あ、あはは……」
アリスは、自分のおなかを押さえながら、照れくさそうに笑った。
「まずは、お昼ごはんにしようか……」
そう。
音の正体は、アリスのおなかの虫だったのだ。
緊張が解けたことで、空腹が一気に押し寄せてきたのだろう。
ブルーも、ミルフィーヌも、モモも、シンディも。
つられるように、くすっと笑みを浮かべた。
「あはははっ! もう、ちょうどいい時間だもんね!」
緋羽莉は、ぱっと顔を輝かせた。
「それじゃあ、向こうの公園でお弁当食べよ!」
そう言って、手に持っていたバスケットを掲げる。
持ち上げた腕の動きに合わせて、白いフリルのついた服がやわらかく波打った。
しなやかに引き締まった肩から腕にかけての線は力強いのに、どこか女の子らしい丸みを帯びている。
胸元で揺れるピンクのポーチも一緒に跳ねて、彼女の弾む気持ちをそのまま映しているようだった。
バスケットの中には、緋羽莉が朝早く起きて作ったお弁当が入っている。
それを見た瞬間、アリスの顔もぱっとあかるくなった。
元気いっぱいで活発なのに、料理も得意で、こんなふうにみんなのことを考えてくれる。
そんな緋羽莉のやさしさが、胸いっぱいにひろがる。
アリスたちは、緋羽莉の先導で公園へ向かって歩き出した。
先頭を歩く緋羽莉の後ろ姿は、ひときわ目を引いた。
腰の位置が高く、歩くたびにスカートの裾が軽やかに揺れる。
しっかりとした太ももが力強く地面を踏みしめ、その動きには安定感としなやかさが同時に宿っていた。
そのすぐとなりには、シンディの姿もある。
緋羽莉よりさらに背の高いその体は、群衆の中でもひときわ目立っていた。
深紅のレオタードに包まれた体は均整が取れていて、胸元から腰にかけての流れるような線が、圧倒的な存在感を放っている。
長い脚がゆったりと動くたび、サイハイブーツが規則正しく光を反射した。
彼女は、緋羽莉を見守るように、すぐそばを歩いている。
その表情はやわらかく、琥珀色のひとみには深い愛情が満ちていた。
ほんとうに、絵になるふたりだなあと、アリスが思っていた――
――そのときだった。
ふと、ミルフィーヌと目が合った。
思えば、彼女が進化したというのに、その余韻をゆっくり味わう時間すらなかった。
次から次へと起こる出来事に、気持ちが追いついていなかったのだ。
『アリスちゃん、ちょっといいですか?』
ミルフィーヌが立ち止まり、声をかけてきた。
進化しても変わらない、あかるくて、愛嬌たっぷりの声。
アリスの心を、やさしく包み込む声だった。
「……なあに?」
アリスも立ち止まり、少しだけ緊張しながら答える。
本当は、ずっと話してみたかった。
言葉で、ちゃんと。
けれど、いざその瞬間が訪れると、なにを話せばいいのか、わからなくなってしまう。
ミルフィーヌは、そんなアリスの気持ちをすべてわかっているかのように、やさしくほほえんだ。
『私……ずっと、アリスちゃんに言いたいことがあったんです』
どきん――
アリスの心臓が、大きく跳ねた。
ミルフィーヌとは、これまでたくさんの時間を過ごしてきた。
言葉が通じなくても、心は通じていると信じてきた。
――でも。
本当にそう思ってくれているのか。
不安になったことが、なかったわけじゃない。
ミルフィーヌの、くりっとした水色のひとみが、まっすぐにアリスを見つめる。
そして――
両手を後ろに回し、少しだけ恥ずかしそうに、それでも、満面の笑顔で――言った。
『……だいすき!』
たったひとこと。
それだけだった。
けれど――
そのひとことで、アリスの胸にあった不安は、一瞬で、すべて消え去った。
(わたしってば……)
心の中でつぶやく。
(本当に、まだまだだな)
こんなにも、こんなにも大切に想ってくれていたのに。
言葉なんて、必要なかったのに。
ずっと、ちゃんと、通じ合っていたのに。
それでも――いまは、そんなことどうでもよかった。
ただ、この気持ちを、返したかった。
アリスは、満面の笑顔で言った。
「……わたしもだよ!」
ミルフィーヌの顔が、ぱっと花のように輝いた。
ふたりは、しばらく笑い合った。
言葉はいらなかった。
それだけで、じゅうぶんだった。
そして――
アリスたちは、先を歩いている緋羽莉たちのもとへ、駆け出していった。
新しい絆を胸に抱きながら――
これからも、ずっといっしょに進んでいくために。




