第61話 省みること、頼るべきこと
「へー、このコがホンモノの【モモイロハネウサギ】! やっぱ実物は、めっちゃかわいいなあ〜!」
アリスの新たなパートナーになったモモイロハネウサギ――モモを見て、もふるは感激に目をキラキラと輝かせていた。
当のモモ本人はというと、ずっとブルーにべったりとくっついている。
ブルーの腕に抱きつき、胸にほおをすり寄せて、すっかり安心しきったようすだ。
ブルーはほっぺを赤らめて照れくさそうにしているが、いやがっているようすはまったくない。
むしろ、どこかうれしそうですらある。
『ワフ〜!』
『あははっ! わたあめくんは、ほんとうにもふもふですね〜!』
もふるのパートナーである巨大ポメラニアンのわたあめは、人間のお姫さまのようなすがたに進化したミルフィーヌと、楽しそうにじゃれ合っていた。
わたあめは大きな尾をぶんぶん振りながら、ミルフィーヌのまわりをくるくる回る。
ミルフィーヌのほうも、やさしく頭をなでたり、抱きしめたりして、うれしそうに笑っている。
すがたは大きく変わっても――
子犬のころの無邪気な本質は、少しも変わっていないようだ。
それを見て、アリスは胸をなで下ろした。
「……ハネウサギのことも、ミルフィーヌの進化もオドロキだけど――なによりいちばん驚かされたのは、コイツね」
もふるは、うんざりしたような顔で言いながら、鎖のようなヒモで縛り上げられている、ハンターのガンマン男に視線を向けた。
男はまだ気を失っているのか、ぐったりとうなだれている。
その姿は、先ほどまでの凶悪さが嘘のように、静かだった。
「コイツは通称、“マッド・ハット”……警察やレンジャーのブラックリストに載ってる、超危険人物よ。貴重なワンダーを何百体も捕獲してきたっていう、ウデ利きのハンターなの。よくこんなのに勝てたね……」
もふるは神妙な面持ちで言った。
マッド・ハット――
その名前には、アリスも聞き覚えがあった。
探偵をしている保護者の沙織から、本格的にウィザード活動をはじめるなら、必ず警戒するようにと言われていた人物のひとりだ。
外見的特徴も教えられていた。
それなのに――
(わたし……気づけなかった)
バトルの最中。
ブルーを傷つけられた怒りと、モモが捕らえられていたくやしさで、相手を「倒すべき敵」としてしか見ていなかった。
本来なら、もっと冷静に観察し、判断すべきだったのに。
――敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。
沙織に教わったその言葉を、またしても、頭に血がのぼったせいで忘れてしまっていたのだ。
(わたし……やっぱり、まだまだ、未熟だ……)
アリスは、ぎゅっとこぶしをにぎりしめた。
結果として勝利はした。
けれど、その過程には、反省すべき点が多すぎる。
敵の情報を見落としていたこと。
そしてなにより――
大切な親友と、そのパートナーを危険にさらしてしまったこと。
「アリス……」
やさしい声がした。
気づくと、緋羽莉がすぐそばに立っていた。
心配そうな、それでいて包みこむようなひとみで、アリスを見つめている。
そして――アリスの左手を、自分の大きくてあたたかな右手で、そっと包みこんだ。
指は長く、しっかりとしているのに、触れ方は信じられないほどやさしい。
わずかに身をかがめるその動きに合わせて、豊かな胸元がゆるやかに揺れ、甘い香りがふわりと漂う。
その手は、戦いのあとで少し汗ばんでいたけれど、驚くほどやさしくて、安心できるぬくもりに満ちていた。
「緋羽莉ちゃん……」
アリスは顔を上げる。
緋羽莉は、にっこりとほほえんだ。
童顔のあどけない輪郭がやわらかくほどけ、大きな黄色いひとみが、ひまわりのようにあかるく輝く。
その笑顔はまぶしいほど無垢で――見ているだけで、胸の奥があたたかくなるような、ふしぎな力を持っていた。
その笑顔は――言葉よりも雄弁に語っていた。
どんなに反省することがあっても、この勝利は、誇っていいんだよ――と。
アリスはちゃんと、みんなを守り抜いたんだよ――と。
(……また、救われちゃったな)
アリスは小さく苦笑しながら、緋羽莉の手を、そっとにぎり返した。
じんわりと伝わるぬくもりが、心の奥に残っていた不安を、ゆっくりと溶かしていく。
緋羽莉の体温は高く、生命力そのもののようだった。
すぐ目の前にある整った体つきと、頼もしい立ち姿が、「だいじょうぶ」と伝えてくれている。
そんなふたりを、シンディはいとおしそうに見つめていた。
長い深紅の髪が背中に流れ、なめらかな褐色の肌が陽光を受けて輝く。
背筋を伸ばしたその立ち姿は、まるで大樹のように揺るがない。
豊かな包容力を感じさせる落ち着いたほほえみは、見ている者すべてを安心させる力を持っていた。
大きな手が静かに胸元の前で重ねられ、その仕草には、緋羽莉とその親友を見守る深い愛情がにじんでいる。
そして――
戦いを省みていたのは、ブルーも同じだった。
今回、自分は――ほとんどなにもできなかった。
ミルフィーヌが助けを呼ぶ時間を稼ぐために、ただひたすら、ガンマに撃たれ続けていただけ。
アリスが来てからも、安心してしまって、声援を送ることすらできなかった。
そして――ミルフィーヌは進化した。
さらに強く、美しくなった。
それはよろこばしいことのはずなのに――
ブルーの胸には、安心と同じくらいの、大きな焦りが生まれていた。
(この先……)
(ぼくは、ついていけなくなるんじゃないか……)
(アリスに……必要とされなくなるんじゃないか……)
そんな不安が、胸の奥に、重たくこびりついていた。
『キュー!』
そのとき。
モモが、ブルーの胸にほおをすり寄せた。
ふわふわの体が、やさしく触れる。
まるで――その不安を、ぬぐい取ろうとするみたいに。
『モモ……』
ブルーには、モモの言葉はわからない。
けれど――
そのぬくもりと、まっすぐなひとみから、強い感謝と好意が伝わってきた。
ブルーは、なにもできなかったわけじゃない。
最後まで耐え続けたからこそ、モモは連れ去られずにすんだのだから。
モモは、それを伝えてくれているのだ。一生懸命に。まっすぐに。
ブルーの顔が、自然とほころんだ。
『……ありがとう、モモ』
素直な気持ちを、言葉にする。
『キュー!』
モモは満面の笑顔で応えた。
その笑顔は、春の花のように輝いている。
『あらためて――これから、よろしくね』
『キュー!』
そして――
ふたりは、そっと鼻と鼻を触れ合わせた。
それは、親愛と信頼の――新しい絆の契りだった。
「……じゃあ、私はコイツを警察に引き渡してくるわ。キミたちのこともうまく話しておいてあげる。本当なら事情とかくわしく聞かなきゃいけないところだけど、きょうはそんなヒマ、ないんでしょ?」
「うん。助かる」
アリスは、まっすぐにもふるを見て、うなずいた。
きょうの予定は――
あしたの校内大会に向けての修行、その一点に尽きる。
事情聴取なんてめんどくさいことに、時間を取られている余裕は、一秒たりともなかった。
わたしが強くなるために。今度こそ、ちゃんと守るために。
いまは、立ち止まっているわけにはいかないのだ。
「まあ、せいぜいがんばってちょうだいね。なにかあったら、こっちから連絡するから。ほら、わたあめ、行くよ!」
『ワフッ!』
ミルフィーヌと追いかけっこをしていたわたあめは、元気よく返事をして、もふるのもとへ駆け戻った。
大きな体を揺らしながら走る姿は、まるで雲のかたまりのようだ。
「それと、アリスちゃん――最後に忠告」
もふるは、ふっと表情を引きしめた。
これまでで、いちばん真剣な顔だった。
「【モモイロハネウサギ】といい、人間化した【キャリバリア】、空色のドラコ……キミのパートナーは、どれもウィザードなら、のどから手が出るほど欲しがるほどの貴重なワンダーよ。マッド・ハットは、人のパートナーには手を出さないってポリシーを持ってるらしいけど――ハンターの中には、人のパートナーだって平気で奪う連中も多い。今後は、いっそう気をつけなさい」
その言葉には、脅しではなく、本気の心配が込められていた。
アリスと緋羽莉は、思わず息をのむ。
胸の奥に、ひやりとした現実の重みが落ちてきた。
「……うん。わかってる」
アリスは、静かに答えた。
「ぜんぶ覚悟のうえで、この道を進むって――決めたんだから」
そのひとみは、迷いなく、強く、前を見すえていた。
アリスはもう、正式な魔法生物使いだ。
もう、守られるだけの少女ではない。
守る側の人間として歩む覚悟が、そこにはあった。
そのとき――
きゅっ。
緋羽莉の手が、アリスの左手をにぎる力を、少しだけ強めた。
すらりと伸びた腕はしなやかで、指先までいきいきとしている。
大きな手は頼もしいのに、触れ方はどこまでもやさしく、包まれているだけで勇気がわいてくるようだった。
――わたしもいるよ。
言葉にしなくても、そのぬくもりが、はっきりと伝えていた。
「ご忠告、ありがとうございます」
緋羽莉は、凛とした声で言った。
胸を軽く張って立つその姿勢は、堂々として美しい。
白いフリルのついた服がふんわりと揺れ、整った体の線をやわらかく縁取っている。
大きなひとみはまっすぐ前を見つめ、その表情には迷いがなかった。
「だいじょうぶです。アリスには、わたしやパートナーたち……頼れる仲間が、たくさんいますから!」
その言葉に応えるように、
シンディはやさしくほほえみ、
ミルフィーヌは誇らしげに胸を張り、
ブルーも少し緊張しながら、きりっと表情を引きしめた。
モモも、ブルーの腕の中で『キュー!』と元気に鳴く。
その光景を見て――もふるは、ふっと笑った。
「……なるほどね。本当に、いいチームみたい」
どこか安心したような、やわらかい笑みだった。
「そういうことなら、私から言うことはもうなにもないわ。それじゃ、元気でね」
『ワフッ!』
もふるは、気を失ったままのマッド・ハットを口にくわえたわたあめの背に、ひらりと飛び乗った。
そのとき――
「あーっ! そうだ!」
突然、アリスが声をあげた。
「な、なに?」
もふるは驚いて振り返る。
「さっき、バトルに勝ったとき――なんでも力になってくれるって、言ったよね?」
「うん、言ったね」
あのときは、「いまはないから保留にする」と、アリスが言っていたはずだ。
「じゃあ――」
アリスは、ぱっと顔を輝かせた。
「わたしたちも、わたあめに乗せてほしいな!」
『キュー!』
モモも、同意するように元気よく鳴いた。
「モモがパートナーになってくれたから、こっちの用事はもう終わったし。みんなで帰りたいの!」
その言葉には、仲間といっしょにいたいという、まっすぐな想いが込められていた。
仲間というのは、もちろんもふるやわたあめのことも含まれている。
もふるは、くすっと笑った。
「――そういうことなら、お安いご用よ」
ぽん、とわたあめの背中を叩く。
「このコ、図体だけは大きいから、スペースにはまだまだ余裕があるし――キミたちのこと、気に入ってるみたいだしね」
『ワフ!』
わたあめも、「いいよ!」と言うように、うれしそうに鳴いた。
「わあっ! 本当にいいんですか? ありがとうございます!」
両手を胸の前で合わせて、真っ先に歓喜の声をあげたのは、やっぱり緋羽莉だった。
その瞬間、彼女の顔いっぱいに笑顔がひろがった。
頬がほんのり赤く染まり、黄色いひとみがきらきらと輝く。その表情は無邪気で愛らしい。
くせのある髪がふわっと弾み、全身からよろこびがあふれ出している。
背の高い体が小さく跳ねるたび、長い脚が軽やかに動き、まるで元気な子鹿のようだった。
『私も、わたあめくんの背中、乗ってみたいです!』
ミルフィーヌも、目を輝かせて言う。
同じ犬友だちとして、興味津々なのだろう。
「それじゃあ――」
アリスは仲間たちを見回して、うれしそうに笑った。
「お言葉に甘えて――おじゃましまーす!」
こうして――アリスたちは、巨大ポメラニアン・わたあめの、ふわふわの背中に乗って、ブロッサムスクエアの出口へと向かうのだった。
春の風が、新しい仲間の誕生と、新しい一歩を、やさしく祝福するように吹いていた。




