第60話 混じり合うふたつの色
「シンディさん! シンディさんっ! だいじょうぶ?」
緋羽莉は、大の字になって倒れている【灰焔姫シンデレラ】のシンディに、必死に呼びかけていた。
筋肉質で大柄なシンディの体はかなりの重さがあるはずだが、緋羽莉はそれを苦にした様子もなく、しっかりと上体を支えている。
丸みを帯びながらも芯の通ったその腕は、だれかを守るために生まれてきたかのように頼もしかった。
頬にはうっすらと汗が浮かび、それがつややかな肌をさらに輝かせている。
となりでは、アリスも心配そうに見守っている。
けれど、その表情に絶望の色はなかった。
緋羽莉のパートナーたちは、主人と同じようにタフで、回復力もずば抜けていると知っているからだ。
その証拠に――
先ほどまでぐちゃぐちゃに損傷していたシンディの顔は、すでにほとんど元どおりに戻っていた。
爆発の焦げ跡が、ところどころに黒く残っている程度だ。
銃弾によって刻まれた無数の傷も、すでにふさがりかけている。
それを見て、アリスは胸の奥でそっと安堵の息をついた。
自分が壁役を頼んだことへの罪悪感も、少しだけ軽くなる。
『う……ん……』
呼びかけに応えるように、シンディの長いまつげが震えた。
長い深紅の髪が、さらりと地面をなでた。
炎の名を持つ姫にふさわしいその髪は、傷ついてなお、燃え残った火の粉のように艶めいている。
やがて、重たそうにまぶたが開かれる。
宝石のように整ったひとみが、ゆっくりと焦点を結んだ。
褐色の頬はまだ熱を残し、強靭な首筋から肩へとかけての線は、女神の彫像のように美しく整っていた。
呼吸に合わせて、大きな胸がゆっくりと上下する。
それは、彼女が確かに生きている証そのものだった。
ぷるりとつややかなくちびるから、小さな吐息がもれる。
「シンディさんっ!」
緋羽莉の顔が、ぱあっと輝いた。
黄色いひとみがうるみ、満開の花のような笑顔が咲く。
傷にひびかないよう気をつけながら、シンディの大きな体をそっと抱きしめた。
シンディの体は、あたたかかった。
鍛え抜かれた筋肉の奥に、包みこむようなやさしいぬくもりがある。
緋羽莉の小さな体が、その豊かな胸元に寄り添う姿は、まるで、母と子のようにも見えた。
シンディは一瞬驚いたように目を見開く。
その瞬間、彼女の琥珀色のひとみが、とろりとほどけた。
愛しいものを見る、深くやわらかなまなざし。
長い指が、そっと緋羽莉の背中に触れる。
壊れ物を扱うような、慎重でやさしい手つきだった。
そして、うっとりと頬を染めた。
心の底からうれしそうに、やさしくほほえむ。
ふだんなら、アカネの《再生の炎》で傷を癒してもらうところだ。
けれどシンディは、いつもそれを固辞する。
自分のために、緋羽莉やアカネに負担をかけたくないからだ。
それに――彼女自身の回復力は、驚異的なほど高い。
どれほどの重傷でも、時間さえあれば自力で完全に治してしまう。
だから緋羽莉は、いまはただ優しく体をさすってあげるだけですませる。
けれど、そのぬくもりこそが、なによりの癒やしだった。
「シンディ、今回は助かったよ。ありがとう」
アリスは身をかがめ、まっすぐに感謝を伝えた。
その声には、心からの敬意がこめられている。
『アリスちゃん……そのようすだと、勝てたみたいね……』
シンディは、緋羽莉に支えられたままアリスを見上げた。
その表情には、安心と誇りが浮かんでいる。
「うん。シンディと、緋羽莉ちゃんのおかげでね」
アリスは、はっきりとうなずいた。
名前を呼ばれた瞬間、緋羽莉は、えへへ、と少し照れくさそうに笑った。
指先で自分のポーチのふちをいじるしぐさは、あれほどの力を見せた少女とは思えないほど、無邪気だった。
けれど、その背すじはまっすぐ伸び、誇らしさを隠しきれていなかった。
『ふふ……丈夫さだけが、とりえみたいなものだからね』
シンディは、少し照れたように笑う。
その謙遜に、アリスも小さく笑みを返した。
ほんとうは――それだけじゃない。
勇気も、やさしさも、誇りも。すべてにおいて、彼女は強い。
とりえがひとつだけなんて、とんでもない。
けれど、それを口に出すのは、少し照れくさくて、野暮な気がした。
『アリスー!』
『アリスちゃーん!』
そこへ、ブルーとミルフィーヌが戻ってきた。
そのとなりには――
解放されたモモイロハネウサギの姿もある。
「ウサギちゃん! よかった! 出られたんだね!」
真っ先に声をあげたのは、緋羽莉だった。
自分のことのように、うれしそうな笑顔を浮かべている。
長い脚が大きくしなり、ふわりと揺れるスカートのすそが、春の風とたわむれる。
そのあかるさにつられて、シンディもアリスも自然と笑顔になった。
とくに――
ずっとハネウサギに会いたがっていたアリスのひとみは、感動でいっぱいに潤んでいた。
海のように深い青が、きらきらと揺れている。
けれどアリスは、その高ぶる気持ちをぐっと胸にしまいこんだ。
ゆっくりと歩み寄り――
モモイロハネウサギの前で、そっと立ち止まる。
「は……はじめまして、ウサギさん」
少し緊張した声。
「わたし、アリス・ハートランド」
胸に手を当てて、名乗る。
「あなたと……お友だちになりたいの」
まっすぐな言葉だった。
そこに、打算や欲望はひとかけらもない。
ただ純粋に――つながりたい、という願いだけ。
感受性の高いモモイロハネウサギは、その想いをしっかりと受け取っていた。
目の前の少女から感じる、やさしい心。
そして――同胞の気配。
さらに、自分を助けるために命がけで戦ってくれたという事実。
それらすべてが、この少女たちは信じられる存在だと教えていた。
けれど――それ以上に。
心を引きつける存在が、もうひとり。
『? どうしたの?』
じっと見つめられて、ブルーは首をかしげた。
モモイロハネウサギのひとみは――うっとりと潤んでいた。
頬も、ほんのり赤く染まっている。
そのようすを見て、アリスとミルフィーヌ、そして、大人なシンディは――
同時に、ひとつの答えにたどりついた。
このモモイロハネウサギは――ブルーのことを、特別に思っているのだ。
桜の木の陰に隠れ、ずっとようすを見守っていた理由も――きっと、それなのだろう。
ミルフィーヌは、くすっと小さくほほえんだ。
春風が吹き抜け、桜の花びらが舞い上がる。
ふたつの小さな運命が――
いま、静かに混じり合おうとしていた。
『……キュ』
モモイロハネウサギは、小さなおててで、ブルーの大きな手をぎゅっとにぎった。
ふわふわの体が、ほんのり桜色に染まっているように見える。
ブルーも思わず、顔を赤くした。
胸の奥が、くすぐったいように温かい。
そんなふたりのようすを見て――
「ふたりとも、すっごくなかよしだね!」
緋羽莉が、太陽のようにあかるい笑顔で言った。
身を乗り出した拍子に、緋色のポニーテールがふわりと弧を描く。
その言葉に、ブルーはますます照れてしまう。
アリスは苦笑いを浮かべた。
緋羽莉は体つきこそ大人びているが、こういうところはまだまだ無邪気な少女のままだ。
けれど、そのまっすぐなところが、彼女の魅力でもある。
ほんのり上気した頬、つやのある肌。
そして、笑うたびにやわらかく揺れる体の線。
アリスは、なぜか少しだけ胸が落ち着かなくなるのを感じた。
「えーと……つまり、それは――パートナーになってもOK、ってことで……いいのね?」
アリスは、少し緊張した声で確認した。
『キュ!』
モモイロハネウサギは、こくりと大きくうなずいた。
そのひとみは、まっすぐにアリスを見つめている。
迷いのない――確かな肯定だった。
その瞬間、アリスと緋羽莉は顔を見合わせ――
同時に、にまーっと笑みを浮かべた。
「やっ……たあーーーーっ!!」
ふたりは、声をそろえて大歓声をあげる。
そして、手を取り合って――ぴょーん、と大きくジャンプした。
着地した瞬間、緋羽莉の長い脚がしなやかに地面を受け止める。
スカートのすそがふわりと舞い、引き締まった太ももの線が、一瞬だけあらわになった。
その姿は、元気いっぱいで――とてもきれいだった。
桜の花びらが、ふわりと舞い上がる。
念願だったモモイロハネウサギが、ついに仲間になったのだ。
淑女を自認するアリスも、このときばかりはよろこびを隠しきれなかった。
ミルフィーヌも、シンディも――そんなふたりを見て、やさしくほほえんでいる。
ミルフィーヌは、大好きなアリスの望みがかなって、うれしそう。
シンディは腕を組み、豊かな胸元をゆったりと持ち上げたまま、誇らしそうに緋羽莉を見つめている。
ふたりのひとみには、守る者への深い愛情が、隠すことなく宿っていた。
「それじゃ……あなたにも、お名前をつけてあげないとね!」
アリスはしゃがみこみ、目線を合わせて言った。
その青いひとみは、宝石のように輝いている。
そのとなりで、緋羽莉も同じようにしゃがみこむ。
膝を折った姿勢でも背筋はまっすぐで、丸みのある肩と腰のラインが、まだ幼さを残しながらも、どこか大人びて見えた。
黄色いひとみは、期待に満ちてきらきらと輝いている。
『なまえ……』
ブルーは小さくつぶやき、ごくりと息を飲む。
ワンダーに名前を与えること。
それは――ウィザードとワンダーが、本当の意味でパートナーになる瞬間だ。
ほんの数日前のことなのに、ブルーには、もうずいぶん昔のことのように思えた。
アリスに名前をもらった、あの瞬間。
胸がいっぱいになった、あの気持ち。
それは今も、ブルーの中で大切に輝いている。
「そうだねえ……」
アリスは少し考えてから――
ぱっと顔を上げた。
「モモ! あなたの名前、モモはどうかな?」
あっさりと――
けれど、やさしい声で宣言した。
ブルーは、心の中で思った。
(体が桃色で、モモイロハネウサギだから……とかじゃないよね?)
そして、ふと気づく。
(……あれ?)
(ぼくのブルーって名前も、けっこう安直じゃない?)
そう思った瞬間。
ブルーの青い顔は、さらに赤くなった。
そんなブルーのようすを見て。
アリスは、くすっと笑い――空を見上げた。
「だって、ほら。見てごらん」
みんなも、つられて空を見る。
そこには――
青とピンクが溶け合う、美しいグラデーションの空がひろがっていた。
まるで――
ブルーと、モモイロハネウサギの色が、ひとつに混じり合っているみたいに。
「あ……」
『キュー……』
ブルーとモモイロハネウサギも、同時に息をのんだ。
モモ――
これからそう呼ばれる小さなワンダーのひとみが、きらきらと輝く。
「ね?」
アリスはほほえんだ。
「わたしたちに、ぴったりの名前だと思わない?」
その笑顔は、春の光のようにやさしい。
『……うん』
ブルーも、静かにうなずいた。
そうだ。
名前の理由なんて、きっと関係ない。
大切なのは――そこに込められた想いだ。
その名前を呼ぶたびに、その名前で呼ばれるたびに。
絆は、もっと深まっていく。
『キュー! キュー!』
モモは、うれしそうに鳴いた。
桜舞う草原に、歓喜の声が響く。
「よかったね! アリス!」
緋羽莉は胸の前で手を合わせる。
指がぎこちなく絡まり、その大きな手が、子どもらしいよろこびを素直に表していた。
そのよろこびの声を聞いて、シンディも、ふっとほほえんだ。
風に揺れる深紅の髪が、なめらかな曲線を描いて背中を流れる。
鍛え抜かれた体は堂々としていて、そこに立っているだけで、安心感を与えてくれた。
その視線は――ずっと、緋羽莉を見守っていた。
こうして――
【モモイロハネウサギ】のモモは、正式に、アリスの新たなパートナーとなったのだった。
青と桃色。ふたつの色は――
これから、もっと深く混じり合っていく。




