第59話 激闘終わって
こんなこともあろうかと――
ミルフィーヌの案内でブルーを助けに向かう、その少し前。
走りながら、抜け目のないアリスは、すでにもふるへ連絡を入れていたのだ。
しかし――
「来るの、ちょっと遅くないですか?」
アリスは脇腹を押さえたまま、半目になり、ぷうっと頬をふくらませて文句を言った。
助かった安心感と、ギリギリだった恐怖とが入り混じった、子どもらしい抗議だった。
「助けてもらっといて、それはないんじゃないの?」
わたあめの背中から軽やかに降りたもふるは、両手を腰に当て、あきれたように首をかしげる。
「まあ、遅れたのは認めるけどね。このコってば、イヌのくせに、あんまりハナがきかないんだから」
そう言って、わたあめのどでかい白い毛並みを、ぽんっと叩いた。
わたあめは相変わらずのんびりしたようすで、
『ワフ!』
と、元気よくひと声鳴くだけだった。
まるで、ほめられたと思っているみたいだ。
アリスは、まだ言いたいことはあったけれど――
結局、それ以上はなにも言わなかった。
助けてもらったのは、まぎれもない事実なのだから。
代わりに――
「ありがとう、もふるさん」
きちんと頭を下げる。
英国淑女たるもの、礼儀を欠いてはいけないのだ。
もふるは少しだけ目を丸くしたあと、にっと笑った。
「うん。どういたしまして」
その笑顔は、とても頼もしかった。
『アリスー!』
ブルーが笑顔で駆け寄ろうとした、その瞬間――
『アリスちゃーん!』
ミルフィーヌのほうが先に、がばっとアリスへ抱きついた。
いきおいよく。
ほんとうにいきおいよく。
「ふひゃあっ!?」
アリスは悲鳴を上げる間もなく、そのまま押し倒される形で、草の上にあお向けに倒れた。
緋羽莉ほど体幹も強くなく、足腰も鍛えられていないアリスでは、そのいきおいを受け止めきれなかったのだ。
『アリスちゃん! アリスちゃん!』
ミルフィーヌは満面の笑顔で、何度も何度も、アリスの頬に自分の頬をすり寄せる。
ふわりと揺れるライトブラウンの髪が、くすぐったい。
人のすがたになっても――
そのしぐさは、子犬のころとまったく同じだった。
うれしくてたまらない、という気持ちが、全身からあふれている。
アリスは苦笑しながらも、なんの抵抗もせず、そのぬくもりを受け止めた。
「ミルフィーヌ……なんだよね?」
もう一度、確かめるように言う。
疑っているわけではない。
ただ――その声で、答えを聞きたかった。
『はいっ! アリスちゃんのミルフィーヌですよ!』
太陽みたいにあかるい笑顔で、そう答える。
その言葉を聞いた瞬間――
胸の奥が、じんわりとあたたかくなった。
アリスは思わず、ミルフィーヌの細い腰に両腕を回し、ぎゅっと抱き返した。
ちゃんと、ここにいる。
ちゃんと、生きている。
それが、たまらなくうれしかった。
「ねえアリス」
少し遅れて、ブルーがやってくる。
まだ信じられないものを見るような目で、ミルフィーヌを見つめながら――
「ミルフィーヌ、どうなっちゃったの?」
率直な疑問を口にした。
ほかにも聞きたいことは山ほどある。けれど、まずはそれだった。
ちっちゃな子犬だったのに、アリスよりも大きい人間のすがたになるなんて、おどろきしかない。
アリスは、やさしくほほえんだ。
「これはね、“進化”っていうの」
言葉を選びながら、説明する。
「心も体も、チカラが限界まで高まったワンダーが、それにふさわしい新しいすがたに変わること」
『新しい……体……』
ブルーは感心したように目を丸くした。
(ぼくも、いつか……)
そんな日が来るのだろうか。
アリスと同じすがたに。同じ目線に。
でも――いまの自分には、きっとまだ遠い未来の話だ。
経験も、チカラも、ミルフィーヌにくらべれば、まだぜんぜん足りないんだから。
『あっ! ヒバリちゃんに……モモイロハネウサギも!』
ブルーははっとして、声を上げた。
そうだ、安心している場合じゃない。
倒れた緋羽莉にシンディ。
そして――捕らえられたままのモモイロハネウサギ。
「あっ! そうだ! モモイロハネウサギ!」
アリスも目を見開いた。
「ほんとうに見つけたんだよね!?」
さっきまでは、それどころではなかったのだ。
『はい! ブルーくんのお手柄です!』
ミルフィーヌが、誇らしそうに答える。
ブルーは少し照れくさそうにうつむいた。
「じゃあ――」
アリスはすぐに決断した。
「緋羽莉ちゃんは、わたしが見るから」
声が少しだけ、強くなる。
「ふたりは、ウサギちゃんをお願いできる?」
『う、うん!』
『はいっ!』
ブルーとミルフィーヌはうなずき、モモイロハネウサギのもとへ向かう。
それを見届けると、アリスも立ち上がった。
脇腹に、ズキンと痛みが走る。
「……っ」
思わず顔をしかめる。
それでも――歩みは止めない。
向かう先は、ただひとつ。
草の上に倒れている――大切な親友、緋羽莉のもとへ。
まずはなによりも、彼女の無事を確かめたかった。
いっぽうでもふるは、逃げられないようにガンマン男の確保へと向かっていた。
「緋羽莉ちゃん……」
駆け寄ったアリスは、思わず声をもらした。
緋羽莉は外傷こそ見当たらないものの、草の上に仰向けのまま、意識を失っていた。
緋色のポニーテールが、黄緑色の草のカーペットの上にふわりとひろがっている。
春風に揺れ、絹糸のようになめらかにきらめいていた。
あちこちから舞い落ちた桜の花びらが、健康的な肌にそっと張りついている。
フリルたっぷりのピンクのオフショルダーとミニスカートも相まって――その姿はまるで、物語の中の眠り姫のようだった。
けれど、その胸はちゃんと上下している。
それを見た瞬間、アリスの胸の奥に張りつめていた不安が、少しだけゆるんだ。
アリスはそっとしゃがみこみ、緋羽莉の大きな体をやさしく揺する。
「緋羽莉ちゃん……」
「ん……」
かすかな反応があった。
緋羽莉の眉が、わずかに動く。
苦しそうに、小さく息をもらす。
アリスも、ほっと息をついた。
「緋羽莉ちゃん、緋羽莉ちゃん!」
つややかな肌に触れながら、何度も名前を呼ぶ。
すると――
長く整ったまつげが、ふるふると震えた。
やがて、大きなまぶたがゆっくりと開かれる。
そこからあらわとなったのは――黄金色に輝く、やさしいひとみ。
その視線が、まっすぐアリスをとらえる。
「ア……リス……?」
かすれた、小さな声。
いつもの元気いっぱいの声とはまるで違う。
けれど――
それはまちがいなく、緋羽莉の声だった。
「よかった……!」
アリスの顔に、ぱあっと笑顔がひろがる。
目を覚ましたばかりだというのに――
緋羽莉のひとみは、あいかわらずまっすぐで、あたたかくて。
胸の奥にたまっていた不安が、一気にほどけていく。
緋羽莉のタフさは知っている。
回復力だって、誰よりもすごい。
それでも――
こうして無事な姿を見られることが、なによりもうれしかった。
緋羽莉は鍛えられた腹筋に力を入れ、ぐっと上半身を起こす。
その動きはまだ少しぎこちないが、確かな力強さがあった。
起き上がるその姿は、弱っているはずなのに――なぜか、頼もしかった。
長い脚。引き締まった腰。しなやかな肩。
さっきまで、守られる側だったはずなのに、気づけば――
自分のほうが、守られているような気持ちになる。
アリスは、知らず知らずのうちに、胸の前でぎゅっと手を握っていた。
緋羽莉は、きょろきょろと周囲を見回す。
「あれ……もう、終わっちゃった?」
「うん。わたしと緋羽莉ちゃんの大勝利!」
アリスは胸を張って言った。
「こらこらー、私もいるよー」
少し離れたところから、もふるがすかさずツッコむ。
けれどアリスは、聞こえなかったふりをした。
「そっか……」
緋羽莉は少し安心したように息をつく。
その吐息は、ほんのりと甘い香りを運んだ。
汗と、シャンプーのにおいが混ざった、緋羽莉だけのにおい。
それがこんなにも近くにあることに――
アリスの胸は、また少しだけ、落ち着かなくなる。
けれど同時に、ふしぎなくらい安心していた。
そして。
「むぅ……」
緋羽莉は、なぜかほっぺをぷくっとふくらませた。
「どうしたの?」
アリスが首をかしげる。
緋羽莉がそんな顔をするのは、ほんとうにめずらしい。
「だって……」
緋羽莉は半目になり、やわらかいくちびるをとがらせた。
「アリスのかっこいいところ、見のがしちゃったんだもん」
すねた子どものような声。
けれどその瞳は、きらきらと輝いている。
ほんとうに、見たかったのだ。大好きな親友の活躍を。
その気持ちが、痛いほど伝わってきた。
すねた顔ですら――かわいい。
強くて、大きくて、頼もしいのに。
こんなふうに、子どもみたいな表情も見せる。
そんな緋羽莉を見ていると、胸の奥が、じんわりと熱くなる。
――もっと、見ていたい。
そんな気持ちが、ふと浮かんで。
アリスは――思わず、ぷっと吹き出した。
「それは、おたがいさまだよ」
くすくす笑いながら答える。
「わたしも、ミルフィーヌの進化シーン、見のがしちゃったし」
脇腹を押さえながら、少しだけ苦笑する。
「えっ!? ミルフィーヌ、進化したの!?」
緋羽莉の目が、ぱっと見開かれる。
けれど――
「……って、いまはそれより、シンディさん!」
すぐに、大切なパートナーのことを思い出した。
緋羽莉はいきおいよく立ち上がる。
少しふらつきながらも、その足取りはしっかりしていた。
その背中は、大きかった。
同い年のはずなのに、自分よりずっと、前を歩いているように見える。
ほんとうに――強くて、やさしい子だ。
アリスも立ち上がり、そのあとを追う。
シンディを壁の役として、前に立たせてしまったこと。
その罪悪感が、胸に残っていた。
だからこそ――いっしょに、確かめに行かなければならなかった。
☆ ☆ ☆
いっぽう――
モモイロハネウサギのもとへ向かったブルーたち。
『ウサギさん、だいじょうぶ?』
ブルーが心配そうに声をかける。
『キュー!』
モモイロハネウサギは、元気いっぱいに返事をした。
長いたれ耳が、ぴょこぴょこと跳ねる。
そのようすに、ブルーの顔がぱっとあかるくなる。
けれど、ハネウサギの体は――
まだ透明な球体の中に閉じ込められたままだ。
『さがってください、ブルーくん』
ミルフィーヌが一歩前に出る。
『私が、割ってみせます!』
自信満々の笑顔。
右手に持った水色の剣を、高く振り上げる。
アメ細工のような刀身が、太陽の光を受けてきらきら輝いた。
『わわわっ!?』
『キュー!?』
ブルーとハネウサギが、あわてて後ろへ下がる。
そして――
ミルフィーヌの剣が振り下ろされた。
カキーン!
澄んだ音が、草原に響く。
次の瞬間――
パキッ。
透明な球体に、亀裂が走る。
そして。
パカン!
きれいに、真っ二つに割れた。
捕らわれのモモイロハネウサギは、ついに解放されたのだ。
『キュキューッ!』
ハネウサギは満面の笑顔で飛び出し――
そのままブルーに抱きついた。
『わっ!?』
一瞬びっくりするブルー。
けれどすぐに笑顔になる。
『あははっ! ほんとうに無事でよかった!』
ブルーも、ぎゅっと抱き返した。
助けられたというよろこびが、あふれていた。
そのようすを見て――
ミルフィーヌは剣を地面に軽く突き立て、うれしそうにほほえんだ。
その笑顔は、とても誇らしげだった。
激しかった戦いはいま――終わったのだった。




