第51話 カラテカと道着の男
時間はすこしさかのぼり、アリスと緋羽莉がブルーとミルフィーヌと別れた直後に戻る。
桜の花びらが風に乗って舞うなか、緋羽莉はあいかわらず、あちこち忙しそうに歩き回っていた。
長身のシルエットが花びらの中に浮かび上がり、動くたびに髪のリボンがひらりと翻る。
やわらかな色合いの服装が春景色に溶け込みながらも、ふしぎとひときわ目を引く存在感があった。
まるで妖精が花の香りを集めているみたいに、すんすんと小さな鼻を動かしている。
深く息を吸うたび、かすかに聞こえる空気の音さえも、どこか愛らしい。
ときおり体に止まるちょうちょや小鳥たちと、くすぐったそうにたわむれる姿は、まさに春の大妖精そのものだった。
くすくす笑いながら肩をすくめる仕草はどこまでも無邪気で、見守っているだけで胸の奥がやさしくほどけていくよう。
アリスはそんな親友のようすに目を細めながらも、しっかりと周囲へ視線を走らせる。
――視線を戻さなくちゃいけないのに、気がつくとまた緋羽莉のほうを見てしまう。
胸の奥がふわっと落ち着かなくなるこの感じの正体を、アリスはまだ知らなかった。
いまは見とれている場合じゃない。モモイロハネウサギを見つけなくちゃ。
けれど、やっぱり成果はなし。
それでもアリスはあきらめなかった。
7年間もワンダーバトル禁止令を守り続けてきたのだ。忍耐力には自信がある。
そして緋羽莉もまた、こういう地道なことを投げ出さない子だった。
「うーん……お花の香りしかしないね。モモイロハネウサギも、ブラウンと同じにおいなんだよね?」
緋羽莉は小さな鼻に指先をちょこんと当て、首をかしげる。そのしぐさがまた子どもっぽくて、かわいい。
傾いた拍子に前髪がさらりと揺れ、丸みのあるほほの線がやわらかく際立つ。考えごとをしているだけなのに、絵本の挿絵みたいに愛らしい横顔だった。
「うん、そのはず。ただ、ちょっとフルーツみたいな甘い香りが強いって聞いたよ」
アリスは答えながら、ふと緋羽莉の服に目を向けた。
今日は淡いピンクを基調にした、いつもより少しおしゃれなコーディネート。
さがしているモモイロハネウサギと同じ色合いだから、という理由もあるけれど――
(やっぱり、かわいいなあ……)
すらっと伸びた手足の動きは軽やかで、しゃがんだり立ち上がったりするたびに健康的なしなやかさが伝わってくる。守ってあげたくなるのに、同時に頼りたくもなる、ふしぎな魅力があった。
親友のいつもとちがう姿は、それだけで胸がふわっと温かくなるものだ。
(できれば、毎日こういうの見られたらいいのにな……)
そう思って、すぐに首を横に振る。
(ダメダメ。わたしのわがままで負担かけちゃダメでしょ)
おねがいすれば、きっと緋羽莉はよろこんで応えてくれる。
だからこそ、気軽には言えない。
アリスはぶんぶんと頭を振って、気持ちを切り替えた。
ふたりっきりでいるせいか、気がつくとすぐ緋羽莉のことで頭がいっぱいになってしまう。これではさっきの二の舞だ。
(集中、集中!)
そのときだった。
「ふにゃっ!?」
左のこめかみに、やわらかいのにずっしりした何かがぶつかる。
痛みはほとんどなかったが、アリスは思わず変な声を上げてよろけた。
「アリス!?」
緋羽莉がとっさに駆け寄り、倒れそうになったアリスをしっかり抱き止める。
大きな腕が迷いなく回り込み、ぐらついた体をやさしく受け止める形。包み込まれるような安心感と、思った以上の力強さに、アリスは一瞬どきりとした。
「だ、だいじょうぶ……」
大きなケガはなさそうだとわかり、緋羽莉はほっと胸をなで下ろした。
緊張がほどけた途端、目元がふわりとゆるみ、春の日差しみたいな穏やかな表情に戻る。その変化がまた、見ている者の心を静かにあたためた。
本当はもう少しこのままでいたい気がしたけれど、そんなこと言えるはずもなく、アリスはそっと視線をそらした。
『モチ~……』
足元から、聞き覚えのある声。
見ると、地面にうすい桜色のもちもちした生き物が、目をぐるぐるさせて倒れている。
生きたさくらもちワンダー、【サクラモッチー】だった。
黄緑の草原の上で、桜色の体がぺたんとひろがっている。まさに桜もちのよう。
どうやら、どこかから思いきり吹き飛ばされてきて、アリスのこめかみにぶつかったらしい。
「おーい! そこの人ー! だいじょうぶかー!」
今度は、人間の男の声がひびいた。
ファールボールを追いかけてきた野球少年のような勢いで、こちらへ走ってくる。
逆立った茶髪に赤いハチマキ。
袖のやぶれた白い道着に、赤いグローブ。しかも裸足。
まるで格闘ゲームから飛び出してきたような見た目の男だった。
幻想的なこの世界には少しちぐはぐだけれど、舞い散る桜とは妙に相性がいい。
そのかたわらには、パートナーの人型ワンダーが立っている。
主人よりひとまわり小柄で、さらに派手に逆立った髪型。
同じような道着姿で、筋肉はがっしりしている。
顔立ちはするどいのに、どこかデフォルメされた人形のような簡素な造形。
道着に宿った魂が形を得た存在――精霊やツクモガミに近い種族のワンダー、【カラテカ】だ。
アリスはすぐに状況を理解した。
(あのカラテカの修行中に、サクラモッチーが吹っ飛ばされたんだ……)
しかもそのいきおいで、ここまで飛んできた。相当なパワーの持ち主のようだ。
おそらくは数十メートルは離れていたはずだ。見た目以上に、とんでもない実力の持ち主かもしれない。
アリスはそっと気を引きしめた。
「すまん! さっき習得した新技が、想像以上の威力で……もうしわけないッ!」『オスッ!』
道着の男性は腹の底からひびくような声で謝り、90度近い角度までいきおいよく頭を下げた。
「オスッ」というのは、カラテカの鳴き声のようだ。見た目は人型だが、どうやら人の言葉は話せないタイプらしい。
「い、いえいえ。だいじょうぶです。ちょっとびっくりしただけですし……」
アリスは大きな声と大きな動きに少し気おされながら、遠慮がちに答えた。
そのあいだも緋羽莉はアリスの両肩をそっと抱き、不安をやわらげるように体を寄せている。そのぬくもりに、アリスの胸のドキドキは少しずつ落ち着いていった。
すらりと伸びた腕は思った以上にしっかりしていて、それでいて手のひらは驚くほどあたたかい。
男性が顔を上げた、そのときだった。
「む……? おお、おおおおっ!?」
緋羽莉に対し、目を見開き、まるで宝物でも見つけたかのような声をあげる。
アリスと緋羽莉は同時にびくっと肩をふるわせた。
(まさかもふるさんみたいに、緋羽莉ちゃんの服のこと何か言う気じゃ……)
アリスは思わず顔をしかめる。親友のことを悪く言われるのは、どうしても我慢できない。
だが、男性の口から出たのは、まったくちがう言葉だった。
「そのきたえられた体つき……その姿勢、その足運び! 君は、さぞ名のある武道家と見たッ!」
「はい??」
こんどはアリスと緋羽莉が、そろって気のぬけた声を出した。
たしかに緋羽莉は、ふだんから運動神経バツグンだ。
フリルのついたピンクのオフショルダーからのぞく肩はすらりとして健康的で、立ち方ひとつとってもまっすぐきれい。
ミニスカートから伸びる長い足も、たくましくしっかり力がこもっていて、まるでバネのようだ。
動くたびに重心がぶれず、全身がひとつの線でつながっているような安定感がある。
それが自然な美しさとなって、見る者の目を引きつけていた。
けれどそれは、アリスにとっては見慣れた“いつもの緋羽莉”でもある。
(たしかに、かっこいいけど……でもそれ以上に、かわいいのに……)
そう思った瞬間、きゅうにはずかしくなって、アリスのほおがほんのり熱くなる。
「たしかに……トレーニングとして武術はやってますけど……武道家っていうほどじゃ……」
緋羽莉は困ったように、でもうれしそうに笑った。
その笑顔はぱっと場の空気をあかるく変える力があって、まるで日だまりみたいなあたたかさを感じさせる。
高い位置で結んだポニーテールが、ふわりと揺れる。
ゆるく波打つ髪が光を受けてつややかにきらめき、動きに合わせて春の香りまで運んできそうだった。
「おそらくは、ウィザードとしてもさぞ優秀なのだろうッ! ぜひッ! 俺と手合わせしてくれッ!」『オスッ!』
男性は話を聞いていないかのように、びしっと指をさして勝負を申しこんできた。
アリスはむっとする。
人の話を聞かないのも印象が悪いが、せめてひとことくらい、緋羽莉のかわいさをほめたらどうだとおかんむりだ。
こんな人、緋羽莉の手をわずらわせるまでもない。
これも修行だ――そう思ってアリスが一歩前に出ようとした、そのとき。
「……あ」
はっと気づく。
今、ブルーとミルフィーヌは別行動中。
つまりアリスは、いま手持ちのワンダーがいないのだ。これではバトルができない。
またまた頭に血がのぼっていて、そんな大事なことすら忘れていた。
けっして緋羽莉のせいだとは思わないけれど、最近緋羽莉のことを考えるとペースを乱されがちだ。
アリスは、体格に反して純真な緋羽莉よりは精神は成熟しているつもりだが、それでもこの気持ちの理由はわからなかった。
するとその瞬間、肩を抱いたままだった緋羽莉が、そっと顔を寄せて小声でささやいた。
「だいじょうぶだよ。わたしがお相手するから。アリスは勉強のために、ちゃんと見ててね」
やさしくて、頼もしい声。
その近さに、アリスの心臓がまた大きく跳ねる。
「……う、うん」
うまく平常心を保てないまま、アリスは小さくうなずいた。
緋羽莉はそっと手を離し、前へ歩み出る。
一歩踏み出す足取りは軽やかなのにぶれがなく、長い手足の動きがすらりと映える。
その後ろ姿には、思わず見とれてしまうような華やかさがあった。
かわいらしい服装なのに、その背中はまっすぐで堂々としていて、とても大きく見える。
(やっぱり……かわいいけど、かっこいいな、緋羽莉ちゃん……)
胸の奥がきゅっとして、アリスは思わずその姿を目で追ってしまう。
「いいですよ! お受けします! おたがい修行のため、いいバトルにしましょうね!」
緋羽莉はきりっとした表情で、左手のスマートウォッチをかざした。
指先までぴんと伸びたその仕草はきれいに決まっていて、まるで舞台の上のヒロインのような存在感を放っている。
春の光の中、親友の頼もしい背中がいっそう輝いて見えた。
アリスは胸の高鳴りをおさえながら、これから始まるバトルをわくわくした気持ちで見守るのだった。




