第5話 希望の光
「このガキ……よくもやりやがったな……!」
犬童は、ようやく手下二人がアリスとミルフィーヌに倒された現実を受け入れたらしい。
顔を怒りでゆがめ、ポケットからスマートフォンを荒々しく引き抜く。
「倍返しだ……覚悟しろ!」
画面を乱暴に操作すると、そこからあふれ出した光の粒子が、犬童の前に集まりはじめた。
きらめく粒は渦を巻き、やがて大きな人型をかたどっていく。
『ワオーン!』
低く、野太い遠吠えが路地裏いっぱいに響きわたった。
空気がびりっと震え、ゴミ袋がカサカサと揺れる。
ドラゴンの子は思わず耳をふさぎ、ぎゅっと目を閉じた。
姿を現したのは、ワルイヌと同じ黒と灰色のツートンカラーをした、二本足で立つオオカミ男のワンダー――【ワルウルフ】。
するどい牙、太い腕、そして地面をえぐりそうな大きなツメ。
ワルイヌの進化系で、凶暴さだけでなく、知能や身体能力も大きく上がっている強力なワンダーだ。
「どうだ、ビビッたか! そんな子犬、プチっとつぶしてやるぜ!」
犬童は勝ちほこった顔で笑う。
ドラゴンの子は、体が小刻みに震えていた。
ワルウルフは犬童と同じくらいの背丈がある。自分よりさらに小さなミルフィーヌでは、とてもかなわないように見えた。
(お願い……今度こそ逃げて……!)
そう思ってアリスたちを見ると――
「ふーん」
アリスは腕を軽く組み、まるで強めの風でも見ているかのような顔をしていた。
青いひとみにあせりはない。むしろ、少し楽しそうですらある。
それは、ミルフィーヌも同じだった。
背中の小さな剣を揺らしながら、やる気満々といった様子で「むふーっ」と鼻息を鳴らしている。
(ど、どうして平気なの……? 相手は、あんなに強そうなのに……)
「そんなカオしてられるのも、今のうちだ! 《ワイルドクロー》!」『ワオーン!』
ワルウルフの両手のツメが、赤黒いオーラに包まれる。
次の瞬間、地面をえぐるいきおいで踏み込み、ミルフィーヌへ一気に襲いかかった。
(これならシールドも間に合わねえ!)
犬童は勝利を確信してにやりと笑う。
『ふたりとも、逃げてーっ!』
ドラゴンの子は、また必死に叫んだ。
ドラゴンの子は声がかれるほど叫んだ。
あんなツメで切り裂かれたら、アリスもミルフィーヌもひとたまりもない。
――だが。
「ミルフィーヌ!」
『ワンッ!』
ミルフィーヌは地面をトンッとけり、ふわりと体をひねった。
ビュンッ!
ワルウルフのするどい一撃は、空気だけを切り裂く。
「く……なら、連続だ! 《ラッシングクロー》!」
犬童の叫びに応え、ワルウルフは両腕を振り回し、嵐のような連続攻撃を繰り出した。
ツメの残像が何本にも見えるほどの猛ラッシュだ。
ドラゴンの子の目では、とても追いきれない。
けれど――
ひょい、ひょい、ひょいっ。
ミルフィーヌはまるで遊んでいるみたいに、軽やかなステップでそのすべてをかわしていく。
ツメはかすりもせず、ただむなしく空を切るばかり。
(ま、まぐれじゃない……! ミルフィーヌには、ぜんぶ見えてるんだ……!)
「んなっ……」
犬童の口が、あんぐりと開いたまま固まる。
「ぐぬぬ……! いくらめずらしいとはいえ、【キャリバリア】が【ワルウルフ】にかなうはずないのに!」
くやしさに歯をギリギリとかみしめる犬童。
イヌ系ワンダーにくわしいらしく、ミルフィーヌの種族名を言い当てていた。
【キャリバリア】――実在の犬種キャバリアに近い外見で、背中で剣を運ぶことと、防御の技が得意なことのダブルミーニングが名前の由来だ。
また犬童の言うとおり、日本には存在しないめずらしい種でもある。
「《パウパンチ》!」
『ワ……オーン!』
ミルフィーヌはぴょーん! と高く跳び上がると、連続攻撃のあとで一瞬動きが止まったワルウルフの顔めがけて、肉球を思いきり突き出した。
ぷにゅーーん!
やわらかそうな音とは裏腹に、強烈な衝撃が炸裂する。
『グワオーン!?』
弾力のある一撃にふっとばされたワルウルフの巨体は、一直線に吹き飛び――
ドォォン!!
路地裏のビルの壁に背中から激突した。
粉じんがぱらぱらと舞い落ちる。
「……!」
犬童は、ついに声も出なくなった。
ドラゴンの子も同じだった。
かわいらしい子犬だと思っていたミルフィーヌが、自分よりずっと、ずっと強いなんて。
(そっか……)
胸の奥に、じんわり光がともる。
(アリスたちが怖がってなかったのは……最初から、負ける相手じゃないってわかってたからなんだ)
アリスは、しっかり前を見つめたまま立っている。
パートナーのチカラを信じきっている、ウィザードの顔で。
(ほんとうに、すごいよ……アリス……)
ドラゴンの子の胸に芽生えたその気持ちは、さっきまでの恐怖を、もうすっかり追い払っていた。
(クソがっ! こいつも天才系のガキかよ! マジでムカつくぜ……!)
犬童は心の中で毒づいた。
もう偶然でも、まぐれでもない。
目の前にいる金髪の少女と、かわいらしい子犬の実力が本物だということは、いやでも思い知らされている。
犬童だって、ダテにワルのリーダーを張ってきたわけじゃない。
相手との力の差がわからないほど、にぶくはなかった。
――だが。
はるか年下の子どもに、ここまでコケにされて引き下がれるほど、できた人間でもなかった。
そうでなければ、とっくにワルなんて、まっとうな道を歩いている。
「もう容赦しねえぞクソガキ! オレ様の最強必殺技でわからせてやるぜ!」
ブチ切れた犬童の叫びに呼応するように、壁に叩きつけられていたワルウルフが、ぐらりと体を起こした。
赤い目でミルフィーヌをにらみつける。
「噛み殺せ! 《プレデターバイト》ォッ!」
『アオーン!』
ワルウルフの牙が、どす黒い紫色のオーラに包まれる。
地面を蹴り砕くいきおいで突進し、大口を開けてミルフィーヌに襲いかかった。
その進路は一直線。
――ミルフィーヌの後ろにいる、アリスごと。
犬童は最初からそれを狙っていた。
すばしっこいミルフィーヌに回避させないため、あえて主人を巻き込むコースを取らせたのだ。
ワンダーはパートナーを守る。
その“義務”を逆手に取った、きたない作戦だった。
『アリス! ミルフィーヌ!』
ドラゴンの子は、胸が張り裂けそうな声で叫ぶ。
(ダメだ……! これは、よけきれない……!)
本能が危険を告げていた。
けれど。
「しょうがないな。とっておきよ! ミルフィーヌ!」
『ワンッ!』
アリスは一歩も引かなかった。
左手をさっと前に払う。
その合図を受け、ミルフィーヌは背中の小さな剣の柄に歯をかけ、シュッと引き抜いた。
銀色の刃が、次の瞬間――
ぱああっ!
まぶしいピンク色の光に包まれる。
その輝きは、ワルウルフの牙に宿る不気味な光を、かき消してしまうほど強かった。
『ワッフー!』
ミルフィーヌはひるむどころか、真正面からワルウルフへ跳びかかる。
空中で体をひねり、光りかがやく剣を大きく振りかぶった。
「《ワンダフルストライク》!」
次の瞬間。
ドォォォン!!
ピンク色の光が大爆発を起こし、路地裏をまるごと包みこんだ。
衝撃で空気が震え、積まれていた空き箱がバラバラと舞い上がる。
やがて光がゆっくりと消えていき――
そこに立っていたのは、剣をくわえて勇ましく胸を張るミルフィーヌ。
そしてその足元には、目を回して完全にのびている犬童とワルウルフの姿があった。
勝負は決着したのだ。
ミルフィーヌは、くるんと身をひるがえして剣を背中の鞘におさめると、
『ワオーン!』
と元気よく鳴いて、アリスの胸に飛びこんだ。
「よくやったね、ミルフィーヌ! 最高だよ!」
アリスはぎゅっと抱きしめ、うれしそうにほほえむ。
さっきまでの勇ましさはどこへやら、完全になかよしな飼い犬と飼い主の光景だ。
『す……すごい……』
ドラゴンの子は、ぽかんと口を開けたまま立ちつくしていた。
助かった安心よりも、ふたりの強さへのあこがれのほうが、胸いっぱいにひろがっている。
(これが……人間とワンダーが絆を結んだチカラ……)
胸の奥が、じんわり熱くなる。
(もしかしたら、ぼくも……)
「さてと、ドラゴンくん、だいじょうぶ?」
アリスはしゃがんで目線を合わせ、やさしくたずねた。
『だ、だいじょうぶ。……助けに来てくれて、ありがとう』
ドラゴンの子はゆっくり立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
さっきまでの痛みがうそのように消えているのは、心が軽くなったからかもしれない。
『……ねえ、アリス』
少しだけ勇気をふりしぼるように、ドラゴンの子は言った。
「なあに?」
『……もし、ぼくもアリスのパートナーになったら、ミルフィーヌみたいに強くなれるかな?』
その目はまっすぐだった。
強くなりたい。
守られるだけじゃなく、守れる存在になりたい。
友だちになってくれたアリスの力になりたい。
いろんな気持ちが、ぎゅっとつまった問いだった。
アリスはやわらかくほほえみ、立ち上がって胸を張る。
「なれるよ!」
はっきりと言いきった。
「ドラゴンくんが、それを信じられるなら!」
ドラゴンの子の目が、大きく見開かれる。
心の中にかかっていた黒い雲が、すうっと晴れていくみたいに。
(やっぱり……)
胸の奥に、あたたかい光がともる。
(ぼくは、アリスといっしょにいたい)
もう地上で生きていくしかないのなら。
どうせなら――
(この人たちと、いっしょに生きていきたい)
その想いは、もう迷いのない、はっきりした“願い”になっていた。
ドラゴンの子は、ぐっと勇気をふりしぼり、アリスの顔を見上げて口を開いた。
『……ぼく、アリスのパートナーになりたい。ふたりみたいに、自信が持てるくらい強くなりたいんだ。ぼく、落ちこぼれのできそこないだけど……ダメかな?』
最後のほうは、どうしても声が小さくなってしまった。
それでも、逃げずに言えた。自分の気持ちを、ちゃんと。
するとアリスは、にま~っと太陽みたいな笑顔をひろげたかと思うと、ひょいっとドラゴンの子を抱き上げた。
「もっちろん! 大歓迎だよ! ね、ミルフィーヌ?」『ワンッ!』
ミルフィーヌも、しっぽをぶんぶん振りながら元気に鳴く。
その鳴き声は、「さんせーい!」と言っているみたいだった。
『……あ、ありがとう、アリス!』
急に抱き上げられてびっくりしたものの、ドラゴンの子の顔には、こらえきれない笑顔がひろがっていた。
「うん! そしてわたしたちといっしょに、ドラゴピアをめざそう!」
『……え?』
ドラゴンの子は目をぱちぱちさせた。
ドラゴピアを、めざす?
だれも帰ってこられなかった、あの天空の楽園を?
さっきまで、その名前すら知らなかったアリスが?
「だって、ママのところに帰りたいんでしょ?」
そのひと言で、胸の奥がきゅっとしめつけられた。
……そうだ。
ぼくは、いますぐにでもお母さんのもとへ帰りたい。
どんなにごまかしても、この気持ちだけは消えてくれない。
だからこそ、アリスのもとから逃げ出してしまったんだ。
『でも……』
不安が、まだ足を引っぱる。
するとアリスは、まっすぐな目で言った。
「いままでドラゴンがだれも帰ってこられなかったなら、ドラゴンくんが最初のひとりになればいい。人間がだれも行けなかったなら、わたしが最初のひとりになればいい」
胸を張って、にっこり笑う。
「わたしが、ドラゴンくんの友だち第一号になったみたいにね!」
ドラゴンの子は、ハッとした。
ぼくに友だちができるなんて、ずっとありえないと思っていた。
なのに今日、その“ありえないこと”が起きた。
こんなぼくにも、友だちができたんだ。
なら――
だれも帰れなかったドラゴピアにだって、帰れるかもしれない。
そう信じられるようになったのは、アリスのおかげだった。
ドラゴンの子の心に、あたたかい光が灯る。
それはもう、かんたんには消えない、本物の希望の光だった。
「それにね。あとで言おうと思ってたんだけど」
アリスは、えへへと照れ笑いする。
「わたしだって、世界のこと全部知ってるわけじゃないんだ。もっと頭のいい人とか、えらい人とかに聞いたり、いっぱい調べたりしたら、ドラゴピアへ行く方法が見つかるかもしれないでしょ?」
ドラゴンの子は、ふうっと息をはいた。
さっきまで頭がいっぱいで、アリスひとりに「知らない」と言われただけで、「もう方法はない」って決めつけてしまっていた。
(なーんだ……ぼく、早とちりして勝手に絶望してただけじゃないか)
ちょっとだけ恥ずかしくなって、でもそれ以上に、胸が軽くなった。
「ドラゴピアには、きっと行ける。こうしてわたしたちは出会えたんだもん」
アリスは、ドラゴンの子をぎゅっと抱きしめる。
「約束する。わたしのパートナーになってくれたからには、ドラゴンくんを、ぜったいドラゴピアに帰してあげる!」
『ワン!』
ミルフィーヌも力強く鳴いた。
ふたりのやさしさが胸いっぱいに広がって、ドラゴンの子の目から、またぽろぽろと涙がこぼれた。
『ありがとう……ありがとう……!』
アリスは、やさしくほほえみかける。
「じゃあ、パートナーになったからには、名前をつけないとね」
『なまえ……?』
「そう。ミルフィーヌみたいに。いつまでも“ドラゴンくん”じゃ、ちょっとさみしいでしょ?」
ドラゴンの子は、きょとんとした。
ワンダーには、固有の名前で呼び合う文化はほとんどない。
おかあさんにも、ただ「ぼうや」と呼ばれていたくらいだ。
「実はねえ、ずっと考えてたんだよね、ドラゴンくんの名前」
アリスは、もう一度その小さな体を抱き上げる。
「あなたの名前は――ブルー。あなたの体の色。あなたが落ちてきた、空の色!」
その名前を聞いた瞬間、胸の奥に、ぽっとあたたかな灯りがともった気がした。
ブルー。
名前をもらったことで、自分が生まれ変わったみたいに感じる。
アリスとのあいだに、目に見えない強い絆が結ばれた気がした。
『ブルー……それが、ぼくの名前……うれしいよ。ありがとう、アリス』
こんな短い時間で、どれだけ救われただろう。
ほんものの天使じゃないけれど――
アリスは、ぼくにとっての天使みたいな存在だった。
「気に入ってくれてよかった! これからよろしくね、ブルー!」
『うん! よろしく、アリス!』
『ワンッ!』
ブルーと、アリスと、ミルフィーヌ。
三人は顔を見合わせて笑い合い、夕焼けに染まる道を並んで歩き出した。
今ここに――
前人未到の天空の楽園・ドラゴピアをめざす、アリスたちの大冒険が、静かに、そして力強く幕を開けたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これにてプロローグは終了となります。
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