第45話 わたしが、いますべきこと
「ミルフィーヌ……ごめんね、おつかれさま」
アリスは桜の木のそばまで駆け寄り、倒れているミルフィーヌをそっと抱き上げると、ウォッチの中へ戻してあげた。
やさしく声をかけたつもりなのに、その声にはいつもの元気がない。
それから、アリスはゆっくりと元の位置へ歩き出した。
けれど、その足取りはひどく重たい。
白いほほからは血の気が引き、青いひとみはどこか遠くを見ているようで、光を失っていた。
「まだ、やる気なわけね」
レンジャーのもふるは、巨大白ポメラニアン【ドデカニアン】のわたあめを、名前どおりもふもふとなでながら、あきれたように言った。
正直なところ、ここまでの戦いを見たかぎりでは、アリスのウィザードとしての評価は低い。見こみはない――そう判断していた。
けれど、それでもまだ闘志が消えていないのなら、最後まで見届けてやろう。そんな気持ちも、少しだけあった。
(この子には、なにか光るものがある)
子どもの可能性は、時に大人の予想を軽く飛びこえてくる。
それを、もふるは長いレンジャー経験で知っていた。
いっぽうそのころ、ウォッチの中にいるブルーは、不安そうにアリスの様子を見つめていた。
すぐ近くで休んでいるミルフィーヌの寝顔と、画面越しに見えるアリスの背中を、交互に見比べる。
(わたあめは、たしかにすごく強い……)
今まで戦ったワンダーの中でも、指折りかもしれない。
……更新するの、ちょっと早い気もするけど。直前が、きのうのサンダイガーだし。
でも、いつものミルフィーヌなら、たとえ勝てないまでも、もっと食らいつけたはずだ。
そうならなかった理由は、きっと――アリスだ。
今日のアリスは、なにかがおかしい。
うまく言葉にはできないけれど、どこかあせっているように見える。
あかるくふるまっているし、ちゃんと考えているようにも見える。だけど、無理にそう見せているだけのような、そんな違和感があった。
(伝えたほうがいいよね……でも)
恩人であり、パートナーでもあるアリスに苦言を言うのは、ブルーにとって簡単なことじゃない。
どうしても、気がとがめてしまうのだった。
同じころ。
緋羽莉もまた、同じことを感じていた。
いや、理由まで、もっとはっきり分かっている。
けれど――それを口にすることができない。
なぜなら、アリスに「助言も手助けもしないで」と約束させられていたからだ。
でも、ほんとうにそれでいいのだろうか。
このままだまって見ていたら、アリスの心がぽきりと折れてしまうんじゃないか。
そんな、取り返しのつかないことになる気がしてならなかった。
「……さん、わたし、どうすればいいのかなあ……」
緋羽莉は、震える声で左手のスマートウォッチにささやいた。
いつも元気いっぱいの声は影をひそめ、今はか細く揺れている。
あかるい人間ほど、だれかの悲しみに強く心を引っ張られてしまう。
緋羽莉にとってアリスは、まさにそんな存在だった。
アリスが苦しいとき、緋羽莉の心も同じだけ曇ってしまう。
『さっきも言ったけど、約束を守るのは大切よ』
ウォッチから聞こえるのは、艶やかな大人の女性の声。
「……わたし、アリスとの約束、やぶりたく……ない……」
緋羽莉はうつむき、消え入りそうな声でつぶやく。
ふわりと揺れる緋色のポニーテールも、どこか元気がない。
長い手足も、いつもなら元気いっぱいに動いているのに、今は力なく下がっている。
しっかり鍛えられた体は頼もしいはずなのに、その肩は小さく見えた。
あかるさが取りえの彼女だからこそ、その沈んだようすは痛いほど胸に刺さる。
ふだんは太陽を思わせるような彼女の表情が、今は曇り空のように沈んでいた。
『あー! もー! アンタは引っこんでなさい!』
突然、ウォッチの中からカン高い声と、げしっという音が響く。
どうやら、アカネが女性の声の主を蹴り飛ばしたらしい。
『約束なんて、どーでもいいでしょ! 緋羽莉が緋羽莉らしくいられないほうが問題だわよっ!』
スピーカー越しの大声に、緋羽莉は思わず片目をつぶる。
でも、その言葉が本気で自分を心配してくれていることは、はっきり伝わった。
「……わたしが、わたしらしく、か……」
やわらかなくちびるが、小さく動く。
わたしは、アリスが好きだ。
アリスの笑顔が、大好きだ。
はじめて会ったあの日から、あの笑顔を守りたいと思ってきた。
アリスのためになることなら、なんだってできる。
どんな無茶な約束だって、守る覚悟はある。
けれど――
その約束のせいで、アリスの笑顔が消えてしまうのなら。
(わたしは……)
緋羽莉は、ゆっくり顔を上げた。
きゅっと引きしめられた表情。
大きな黄色いひとみが、強い光を宿す。
(……やぶってみせる!)
たとえそれで、アリスとの絆が揺らいでも。
いま目の前で苦しんでいる親友を放っておくほうが、ずっと耐えられない。
緋羽莉は大きく息を吸いこんだ。
すらりと長い足が大地を踏みしめ、鍛えられた体がぐっと引き締まる。
まっすぐ伸びた背すじは、まるで一本の若木のように強くしなやかで、その立ち姿だけで彼女の芯の強さが伝わってくる。
一直線に前を見すえるその姿は、やさしいだけじゃない強さをはっきりと感じさせた。
そして、戻ってきたアリスに向かって、思いきり声を放つ。
「アリスーーーーーっ!」
それは、わたあめの音波砲にも負けないほどの大声だった。
声に込められた想いが、この異空間そのものを震わせる。
呼応するように風が巻き起こり、舞い散る花びらが渦を描く。
桜吹雪の中心に立つピンクの服の緋羽莉は、まるで春の精霊のようだった。
風に揺れる髪とリボン、ひらりと舞うスカートのすそ。
手足の長いそのシルエットは、花びらの舞う景色の中でひときわ映え、見る者の目を奪う。
健康的な輝きに満ちたその姿は、ただかわいいだけじゃない――まっすぐで、力強くて、そしてとてもまぶしい。
アリスも、もふるも、のんきにしていたわたあめまで、思わずそちらを振り向いた。
「緋羽莉……ちゃん?」
アリスは思わずつぶやいた。
太陽みたいに、まわりの人をひきつけて離さない、大親友の名前を。
その大親友は、大きな両手を口にそえて、もう一度、力いっぱい叫ぶ。
「思い出して! アリスがどうして、強くなりたいって思ったのか! なんのために、すごいウィザードになろうとしてたのか! 思い出してーっ!」
すらりと長い手足をいっぱいに使って身を乗り出し、全身で声を飛ばす。
鍛えられた体がぶれずに踏んばるその姿は、小学生とは思えないほど頼もしい。
緋色のポニーテールが大きく跳ね、黄色いリボンが春の光をはじいてきらりと光った。
それはさっきよりも、ずっと大きな、魂の叫びだった。
その声は風をふるわせ、桜の花びらをゆらし、まっすぐにアリスの胸へ飛びこんでくる。
ズドン! と。
(わたしが……なんのために強くなりたいと思ったか……?)
決まってる。
校内大会の本選に出て、あの剣城玲那を倒すため。
そして、「わたしは緋羽莉ちゃんの親友にふさわしくない」なんて言葉を、撤回させるため。
でも――
緋羽莉の叫びを聞いたとたん、胸の奥がざわりとゆれた。
それだけじゃない気がした。
もっと、たいせつな理由があったはずだと、心のどこかが訴えている。
(なんだったかな……?)
アリスは真っ白になった頭で、必死に考える。
けれど答えは出ない。
そのとき。
『……アリス』
こんどは、足もとから、小さくてやさしい声。
視線を落とすと、二番手として呼び出していた【セルリアンドラコ】のブルーが、心配そうに見上げていた。
「……あ」
その瞬間。
真っ白だったアリスの頭の中に、空色がひろがった。
それはブルーの色。
やがてその空色は、虹みたいにいろんな色をまじえながら、胸いっぱいにひろがっていく。
(そうだ……)
わたしが、すごいウィザードになろうと思った理由。
それは、どんなまちがったチカラにも負けない、“いいウィザード”になるため。
でもそれは、遠い未来の目標だ。
いま、最優先で達成しなきゃいけない、いちばん大切な目標は――
「……ブルーを、ドラゴピアに帰してあげること……」
気がつくと、声に出していた。
足もとのブルーが、ぱあっと晴れやかな笑顔を見せる。
その顔は、曇り空から顔を出した青空みたいにあかるかった。
――いつものアリスが、帰ってきた!
「……こんな大切なこと、忘れちゃってたなんて……」
アリスもまた、すっきりとした笑顔を浮かべる。
胸の中をおおっていた白いモヤモヤが、風に流された雲みたいに消えていく。
そうだ。
わたしは、「剣城玲那に負けたくない」って気持ちだけで走ってきた。
そのためには、ひとりで強くならなくちゃいけないって、だれかに甘えちゃいけないって、思いこんでた。
でも、ちがう。
ひとりで強くなるなんて、できっこない。
わたしは沙織さんに拾われて、ミルフィーヌに支えられて、緋羽莉ちゃんに救われて、それから、たくさんの人と出会って――
笑ったり、泣いたり、助けられたりして、ここまで来たんだ。
そんな当たり前のこと、すっかり忘れてた。
わたしはいつだって、だれかに助けられて生きてる。
ひとりで強くなるだなんて考えのほうが、よっぽど甘ったれている。
人も、ワンダーも、みんな助け合って生きてる。
わたしがだれかを助けたように、わたしもだれかに助けてもらっていいんだ!
「……緋羽莉ちゃん!」
アリスは顔をあげる。
桜吹雪の中心に立つ、大親友の姿を見る。
緋色のポニーテールは春風にあおられて大きく揺れ、まっすぐ前を見つめる黄色いひとみは涙でうるみながらも、強い光を宿していた。
ふだんは小さくて目立たない鼻の穴も、興奮でぷくっとひろがっている。
かわいい顔はくしゃくしゃにゆがみ、涙と笑顔がいっしょくたになっている。
応援に夢中になりすぎて、息が荒くなり、肩で大きく呼吸していた。
それでも声を止めないところが、いかにも緋羽莉らしい。
ぎゅっとにぎったこぶし。
一歩踏み出した足。
全身で「アリスを信じてる」と伝えてくる立ち姿。
どれだけ不安でも、どれだけこわくても、友だちのためなら声を張りあげられる子。
手足の長いすらりとした体つきが春の光を受けて輝き、涙でぬれたひとみまできらきらして見える。
強くて、やさしくて、全力で誰かを想えるその姿は、どんな宝石よりもまぶしかった。
まさに、太陽みたいだ。
(……ほんとうに、あなたには救われてばっかりだ……)
アリスはきゅっと笑顔を作り、思いきり叫び返す。
「応援、よろしくー!」
「……!」
緋羽莉の目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
でも、それをぬぐうより先に、顔いっぱいの笑顔を作る。
「……うんっ!」
大きく、何度もうなずいた。
そのうなずきは、「まかせて!」って言ってるみたいだった。
「あー……そろそろいいかな? つづき、やっても」
『ワフ~ン……』
もふるは頭をポリポリとかきながら、少し困った顔。
となりで、わたあめは大きな口でふわぁ~っとあくびをする。
さっきまでの重たい空気が、うそのようにゆるんでいた。
「はい! おねがいします!」
アリスは、不敵な笑みを浮かべて言った。
その顔には、もう迷いもあせりもない。
ただまっすぐに、自分の進むべき道を見つめる、力強い表情。
もふるの顔も、つられてほころぶ。
ゼロだった見こみが、ほんの少し上向いた気がした。
「ブルー」
『うん』
足もとのブルーが、小さくうなずく。
けれどその目は、さっきよりずっと力強い。
「……勝つよ!」
『……うん!』
ふたりは、自信と勇気に満ちた顔で、もふるとわたあめに向き直った。
「アリスー! ブルー! ファイトぉー!!」
涙をぬぐうひまもなく、くしゃくしゃの笑顔のまま思いきり地面をける。
長い足がばねみたいにしなり、軽々と宙へ跳び上がるその姿は、まるで春風そのものだった。
緋羽莉の全開笑顔と、はじけるような大ジャンプが合図になり――
バトルは、ふたたび幕を開けた!




