第44話 わんわんバトル
「先手はゆずったげる。かかっておいで」
もふるは、くいくいと手を動かして挑発した。
でかい白犬【ドデカニアン】のわたあめも、のんきにハッハッと舌を出すばかりで、まったく攻める気も、抵抗する気もなさそうだ。
――それがまた、アリスのプライドを刺激した。
(そっちがその気なら……この一撃で終わらせてやる!)
「ミルフィーヌ!」
『ワン!』
子犬【キャリバリア】のミルフィーヌは、すばやい動きで背中の剣を口で引き抜くと、地面をけって一気に駆けだした。
「え、いきなり!?」
応援していた緋羽莉と、ウォッチの中のブルーが、思わず声をあげる。
ミルフィーヌが、最初から剣を抜くのは、それだけでめずらしい。
いつもなら、身軽な体ひとつですばやく相手を翻弄し、動きを見切ったところで剣の攻撃に切り替える。それが、ミルフィーヌの基本スタイルだ。
だから、最初から剣を使うときは――よっぽどの強敵か、もしくは……
「《ワンダフルストライク》!」
『ワオーン!』
一撃で決着をつけにいくときだけ。
強いピンク色の光をまとった剣をくわえ、ミルフィーヌは思いきり高く跳び上がる。狙いは、わたあめの無防備な脳天だ。
――だが、高さが足りない。
なにしろ、わたあめの体高は3メートル近くある。
ミルフィーヌのジャンプ力は、がんばっても2メートル弱。
(どうするの……!?)
緋羽莉とブルーは、思わず息をのんだ。
緋羽莉は、思わず両手を胸の前でぎゅっとにぎりしめる。
ほどよく引き締まった腕に力が入り、健康的な体つきがいっそう頼もしく見えた。
それでも表情は、心配と期待が入り混じった、どこか幼さの残るものだった。
『ワンッ!』
その瞬間、ミルフィーヌは空中で足もとに《パウシールド》を展開した。
弾力たっぷりの、ピンク色の肉球型バリア。
それを、ぷにゅん、とトランポリンのように踏み台にして――
二段ジャンプ!
一気に高度は3メートルをはるかに超え、ミルフィーヌはわたあめの真上を取った。
(あっ……!)
ブルーは、その感覚を思い出していた。
以前、空から落ちてきた自分を受け止めたときも、同じように、あの肉球バリアに跳ね上げられたのだ。
「すっごーい!」
緋羽莉も、思わずその場でぴょん、と大きく跳ねる。
緋色のふわふわポニーテールが大きく揺れ、健康的に引きしまった体が弾む。
フリルつきのミニスカートがふわりと舞い、長くたくましい脚が一瞬あらわになるが、本人はまったく気にしていない。
バリアを踏み台にするその戦い方は、まるで日曜の朝にやっているアニメの変身ヒロインのようで、緋羽莉の胸は高鳴っていた。
「おお?」
もふるは目を丸くする。
だが、わたあめは相変わらず、のんきな顔のままだ。
アリスだけでなく、ミルフィーヌの表情にも力がこもる。
(ぜったい、びっくりさせてやる!)
空中でくるくると回転しながら――
光る剣が、わたあめの脳天に、いきおいよくたたきつけられた!
「きゃあっ!」
ピンク色の光が、ぱっと弾ける。
そのまばゆさに、緋羽莉は思わず目をおおい、太くしっかりした両脚で地面を踏んばった。
体つきは頼もしいのに、あがった悲鳴は、顔立ちや服装と同じく、とてもかわいらしい。
ミルフィーヌは、そのままくるくると後方に宙返りし、華麗に着地。元の位置へ戻る。
その表情はとくいげで、「決まった!」と言っているかのようだった。
アリスも、勝利を確信していた。
無防備な急所への一撃。
必殺技に、回転の遠心力と、高所からの重力まで加わっている。
どんなに巨大なワンダーでも、これで倒れないはずがない。
――だが。
攻撃を受けたわたあめは、動かない。
倒れるのか。
それとも、立ったまま気絶しているのか。
まだ、わからない。
緋羽莉とブルーは、祈るような視線を送る。
(どうか、このまま……!)
数秒の沈黙のあと――
『ワッフー!』
わたあめが、突然声をあげた。
そして、さっきと同じ、のんきな顔で舌を出す。
ワンダフルストライクが、効いているようすは……
――ない。
「……ウソ……」
『ワゥ……』
アリスとミルフィーヌは、思わずあとずさった。
あれだけ条件がそろった一撃で、ノーダメージなんて、ありえない。
巨体ゆえの耐久力か。
それとも――決定的な力の差か。
いつもは冷静なアリスの頭が、一瞬、真っ白になる。
「いきなり必殺技っぽいの、やってくれるね!」
もふるはニッと笑い、とくいげに指を振った。
「でもザンネン! うちのわたあめ、めっちゃタフだから!」
『ワフ!』
わたあめも、のほほんとした顔のまま、誇らしげにひと鳴きするのだった。
「じゃあ今度は、あたしのターン! 《ダッシュアタック》!」
もふるは、やや大げさにバッと腕を振った。
それを合図に、巨大な体のわたあめがダッと駆けだす。
《ダッシュアタック》は、もっともオーソドックスで一般的な基本攻撃技だ。
だが、わたあめほどの巨体が使うと、ただ走って体当たりするだけでも、圧倒的な恐怖と脅威になる。
ドドッドドッ――!
大地を揺らすほどの重く大きな足音。
その迫力に、離れた安全な位置にいる緋羽莉でさえ、大きな黄色いひとみをぱっちりと見開き、思わず背すじを伸ばした。
たくましい体をしていても、目の前の光景には息をのむ。
ほんの一瞬、判断を迷ったアリスは、その迫力にハッとして、叫ぶ。
「よけて!」
『ワンッ!』
ミルフィーヌも、ひるみかけていた意識を奮い立たせ、とっさに右へ跳んだ。
だが、わずかに反応が遅れたため、巨体による突風のような風圧で体勢を崩し、口にくわえていた剣を取り落としてしまう。
体当たりをかわされたわたあめは、後方にいるアリスにぶつからないよう、ぎりぎりでブレーキをかけた。
「きゃっ!」
それでも風圧は止めきれず、アリスはしりもちをつく。
「アリス!」
緋羽莉は思わず声をあげた。
同時に、半歩だけ前に踏み出してしまう。
長い脚が自然と動いてしまうほど、アリスとの距離を縮めたい気持ちが、体に染みついているのだ。
駆け寄って、起こしてあげたい。
その気持ちは強かったが、バトル中のウィザードに手を出すのはルール違反だ。それは、アリス自身の覚悟を否定することにもなる。
大きな手が宙をさまよい、すぐに胸元へ戻る。その動きひとつひとつが大きく、わかりやすくて、見ているだけで彼女の感情が手に取るように伝わってくる。
ぐっとこらえた緋羽莉の胸は、どきどきと早鐘を打つ。
黄色いひとみは不安に揺れ、大きな手のひらは、じんわりと汗ばんでいた。
オフショルダーからのぞく肩は、緊張でわずかにこわばり、健康的な肌が陽を受けてつやりと光っている。
鍛えられた体は強いはずなのに、いまはただ、アリスの無事だけを願っていた。
どきどきと鳴る胸の鼓動が、服越しでもわかるほどで、その音はまるで――
アリスへのはげましの言葉を、必死に飲みこんでいるみたいだった。
『ワン……!』
倒れたミルフィーヌは、ぐぐっと起き上がり、剣を拾おうとする。
「まだ終わりじゃないよ! 《テールアタック》!」
そこへ、もふるのあかるくも勇ましい声が飛んだ。
足を止めたわたあめは、体をぐるりと回転させ、ふわふわの白いしっぽでミルフィーヌをばしっとはたく。
『ワウーン!』
ミルフィーヌは悲鳴をあげて吹き飛ばされ、落とした剣との距離も大きく離れてしまった。
「わたあめ!」
『ワフッ!』
わたあめは、すかさずズンズンと前に出て、ミルフィーヌと剣のあいだに立ちはだかる。
これでは、もう拾いに行けない。
もふるの、はっきりとした作戦だった。
アリスは、くやしさに歯をかむ。
だが――ミルフィーヌの武器は、剣だけじゃない。
「《音波砲》!」
『ワオーン!』
ミルフィーヌはすぐに体を起こし、大きく吠え、音による空気の衝撃波を放った。
しかし、それを正面から受けても、わたあめは微動だにしない。
のんきに舌を出し、もふもふの毛並みが、そよりと揺れただけだった。
もふるは、いたずらっ子のように笑う。
「目には目を、犬には犬を、音波砲には、《音波砲》!」
『ワフォーーーン!』
巨大な体、巨大な口から放たれる、巨大な音の衝撃波。
『ワオーーーン!?』
真正面から浴びたミルフィーヌは、なすすべもなくふっとばされた。
「ミルフィーヌっ!」
アリス、緋羽莉、そしてウォッチの中のブルーの声が重なる。
とくに緋羽莉の声はひときわ大きく、ふたりの声を飲みこんでしまうほど。
遠くまで吹き飛ばされたミルフィーヌは、直線上に立っていた桜の木の幹に激突し、かろうじて止まる。
だが、その衝撃で意識を失う。
――戦闘不能。
『ワフーン!』
わたあめは、相変わらずのんきな顔で、勝どきのような遠吠えをあげた。
「よーしよしよし、よくやったね、わたあめ」
もふるはうれしそうに、その大きな胴体をなで回す。
そして、アリスへと視線を向け、きっぱりと言い放った。
「それにくらべて……君はダメだね」
その言葉に、緋羽莉の胸がぎゅっと締めつけられ、緋色のポニーテールがぴくりと揺れた。
その揺れは、怒りよりも、悲しみよりも、ずっと深い感情の表れだった。
緋羽莉は、アリスをまっすぐ見つめる。
背中を守るように、半歩だけ前に出てしまいそうになるのを、必死で踏みとどまる。
胸の前で組んだ腕が、自然と自分を抱きしめる形になり、豊かな体のラインが、きゅっとすぼまった。
「最初の大技や、バリアをトランポリンにする発想は悪くなかった。でも、それが通じなかったあとのムーブは落第点だよ。あの程度で心がくずれるんじゃあ、いつかホントに死んじゃうよ」
アリスは、大きな衝撃を受けた。
――反論できない。
もふるの言葉が、的を射ていると、心のどこかで理解してしまっているからだ。
バトルを見守っていた緋羽莉とブルーも、同じ思いを胸に抱いていた。
とくにアリスへの想いが強い緋羽莉は、胸の前でぎゅっと手をにぎりしめ、細い眉をひそめる。
強くて、明るくて、だれよりも前を向くはずの親友が――いまはちがう。
「ちがう……こんなの……」
かすれる声で、必死に言葉をつなぐ。
「……いつものアリスじゃ、ない……」
それは、いまにも泣きだしてしまいそうな、切実な声だった。




