第42話 思わぬ衝突
すんすん。
すんすんすん。
ブルーとミルフィーヌ、そして少しうしろを歩く緋羽莉は、そろって鼻をひくひくさせながら、ブロッサムスクエアにただようにおいをかいでいた。
子どもとはいえ高位種のドラゴンで、五感のするどいブルー。
イヌ型ワンダーで、鼻自慢のミルフィーヌ。
ふたりは、【モモイロハネウサギ】を探すため、同種である【ハネウサギ】のブラウンに似た気配やにおいを、真剣な表情で追っている。
――けれど。
それらしいにおいは、なかなか見つからない。
ただ、空気には春の気配が満ちていた。
草原の香ばしさと、満開の桜が運ぶやさしい甘さが混ざり合い、思わず深呼吸したくなる。
「うーん……」
アリスは立ち止まり、周囲をぐるりと見渡す。
探偵の沙織に鍛えられた観察眼で、足跡や木の枝の揺れ、小さな違和感を探しているが――成果は、まだゼロだ。
一方、緋羽莉はというと。
今回は「手伝わなくていい」と言われているため、純粋にこの異空間の空気を味わっていた。
背が高く、すらりと伸びた脚で歩く姿は、小学生とは思えないほど堂々としている。
それでいて歩幅は周囲に合わせており、無意識の気づかいがにじんでいた。
緋色のポニーテールは元気よく揺れ、結ばれた黄色いリボンが春の光を受けてきらりと輝く。
「ん……」
目を閉じ、すっと通った鼻先を小さく動かしながら、香りを確かめる。
長いまつげが伏せられ、やわらかな表情が浮かぶ。
大きな手を胸の前でそっと組み、深く息を吸い込む。
その動きは少し大ぶりなのに、ふしぎと雑さはなく、むしろ一つ一つが素直で、見ていて安心させられる。
健康的な肌は春の光を受けてつややかに見え、ほほにはうっすらと、あたたかな色がさしていた。
(春のにおい……)
フリルたっぷりのピンクのオフショルダーとマゼンタのミニスカートが、そよ風に揺れる。
フリルの揺れに合わせて、引き締まった体がしなやかに動く。
日々の修行やトレーニングで鍛えられた体つきは、力強さとやわらかさを、ちょうどよいバランスで備えていた。
長い脚でしっかりと地面を踏みしめるその姿は頼もしく、それでいて笑顔は年相応にあどけない。
その姿は、まるで花畑から抜け出してきた春の妖精――いや、大妖精のようだった。
「……ん?」
そのとき。
ふっと、桃のように甘い香りが鼻をくすぐった。
緋羽莉は、はっと目を開き、そっと振り向く。
桜の木のかげ――
そこに、なにかがサッと身をひそめたように見えた。
「もしかして……」
胸がどきん、と鳴る。
緋羽莉は一度、アリスのほうを見てから、もう一度、桜の木へ視線を戻した。
伝えるべきか。
でも――。
(アリスとの約束は守りたい。でも……)
困ったように眉を寄せ、「むむむ……」と小さくうなる。
感情がそのまま表情に出てしまうのが、彼女の正直なところだ。
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
自分の気持ちより、だれかの願いを優先してしまう――
それが、緋羽莉の変わらない性分だった。
その不器用なやさしさが、彼女を少しだけ悩ませる。
頭を抱えた、その瞬間。
『言っちゃえばいいじゃない! このままじゃ時間のムダよ!』
スマートウォッチの中から、不死鳥のヒナ【スカーレットチック】のアカネが、元気いっぱいに声をあげた。
「で、でも……アカネちゃん」
緋羽莉は、口元に手を添え、ひそひそと話しかける。
「そんなことしたら、アリスを裏切ることになっちゃうよ。わたし、そんなことしたくないよ」
すると今度は、別の声がウォッチから流れてきた。
アカネのピーチク声とちがう。
落ち着いていて、やさしく、どこか艶のある――大人の女性の声だ。
『そうね。緋羽莉ちゃんの言う通りだと思うわ』
静かな口調で、続ける。
『一度交わした約束は大切にするべきよ。彼女から助けを求められないかぎり、見守るのもまた、親愛の形じゃないかしら』
「そ、そうですよね! そう思いますよね!」
思わず、緋羽莉はぱっと顔を上げ、大きな声で答えてしまった。
『どうしたの? ヒバリちゃん』
その声に、ブルーが気づいた。
アリスも足を止め、いっしょに振り向く。
「ひゃっ!?」
緋羽莉は大げさにびくっと跳ね、「な、なんでもないよっ!」とあわててごまかす。
――が。
親友のアリスはもちろん、ブルーですら「あ、なんでもなくはないな」と察してしまった。
「……まさか」
アリスは、ぴたりと表情を引き締めると、くるりと向きを変えた。
そして、緋羽莉のうしろ――桜の木めがけて、いきおいよく走りだす。
「ブルー! ミルフィーヌ!」
『うん!』『ワン!』
ふたりも即座に反応し、アリスのあとを追う。
「しまった……!」
ただひとり取り残された緋羽莉は、大きな手で口をおさえたまま、立ち尽くす。
長い脚も、いつもなら迷わず動くはずなのに、今はその場から一歩も動けない。
自分のせいだと、すぐに思ってしまうところが、緋羽莉のまっすぐさだった。
緋羽莉は、ナルシストとは呼べない程度に自分のことは好きだ。
でも今回ばかりは、この「隠しごとができない性格」を、少しだけうらめしく思う。
『……!』
桜の木のかげにいた存在は、アリスたちが近づいてきたのに気づくと、さっと逃げ出した。
一瞬しか見えなかったが――
あの、大きくて、たれた耳。
「ハネウサギだ!」
アリスは確信し、さらにスピードを上げる。
だが、距離はみるみるひろがっていく。
人間の足では、とても追いつけない。
「ブルー! ミルフィーヌ!」
『まかせて!』『ワン!』
【セルリアンドラコ】のブルーと、【キャリバリア】のミルフィーヌが、前へとおどり出た。
鼻も利く。足も速い。
このふたりなら、きっと追いつける。
追跡をまかせ、アリスは少しだけ走るペースを落とした。
「……ご、ごめんね。アリス……」
あとを追いながら、緋羽莉はしゅんと肩を落とす。
「だいじょうぶ!」
アリスは振り返らず、あかるく言い切った。
「緋羽莉ちゃんといっしょに来た時点で、こうなることは想定内だから!」
その表情は見えない。
けれど声の調子だけで、心から気にしていないことが伝わってくる。
緋羽莉の胸が、じんわりと熱くなった。
思わず胸に手を当てる。
そこに伝わる鼓動は、後悔よりも、うれしさで満ちていた。
アリスの背中を見つめるそのひとみは、誰よりもまっすぐで、誰よりもあたたかい。
(アリス……)
感情豊かな彼女の黄色いひとみが、うるりとうるむ。
春の異空間の中で――その想いは、静かに、でも確かにふくらんでいった。
『まてー!』『ワオーン!』
ブルーとミルフィーヌは、引き続き逃げていくカゲを必死に追いかける。
しかし、追えども追えども、その差はひらくばかりだった。
『ワンワーン!』
負けじとミルフィーヌはスパートをかける。
地面を力強く蹴り、ぐんぐんと加速していき、カゲとの距離を少しずつつめていく。
――これなら、いけるか……?
ブルーがそう思った、その瞬間。
『ワウッ!?』
『むぎゃっ!?』
ミルフィーヌが、そして一拍遅れてブルーが、目の前を横切った“なにか”に、思いきりぶつかった。
その衝撃で、ふたりは大きく体勢を崩す。
カゲはそのすきに、桜並木の奥へと逃げ去り、完全に姿を見失ってしまった。
『ワオ~?』
すると、その“なにか”は野太い声をあげ、大きな口でミルフィーヌの背中の剣をくわえ、ひょいっと持ち上げた。
『ワン!?』
突然宙づりにされたミルフィーヌは、びっくりしてじたばたする。
足もとに転がるブルーも、あまりの出来事に目を丸くした。
顔を上げると――
そこには、とてつもなく大きな、白い犬が立っていた。
高さは3メートル近くはありそうで、ブルーや、くわえられているミルフィーヌが、まるでアリンコのように見える。
全身はモフモフの毛皮におおわれ、顔つきはどこかのんき。
しっぽも楽しそうにぶんぶん振っている。
だが、その規格外の大きさのせいで、どうしても強烈な威圧感があった。
『ワンワ~ン!』
くわえられたままのミルフィーヌは、今にも泣き出しそうな顔で、必死に足をばたつかせている。
このまま食べられてしまう、と思っているらしい。
体はこむぎ色で、見ようによってはパンみたいに見えるので、ムリもないかもしれない。
ブルーも、なんとかしなくちゃと気を奮い立たせ、キッとその白い犬をにらみつけた。
『ミルフィーヌを、はなせーっ!』
そう叫びながら、犬の前脚に体当たりをしかける。
『ワオ~!』
攻撃が効いたのか、白い犬はおどろいたような声をあげ、口からミルフィーヌをぱっと放した。
ミルフィーヌは空中で体勢を立て直し、地面にしっかりと着地する。
ブルーも並び立ち、ふたりで巨大な犬を警戒するように見すえた。
「ブルー! ミルフィーヌ! ……ってうわっ!? なにあのおっきな犬!?」
「こらー! うちのわたあめに、なにしてんだー!」
同時に、前後から人間の叫び声が重なった。
うしろから駆けつけたのは、息を切らせたアリスと、対照的に落ち着いた足取りでバスケットを抱える緋羽莉。
春の日差しを受けた緋色のポニーテールが揺れ、あかるい色合いの装いが、場の空気をふっとやわらげた。
緋羽莉は走ってきたはずなのに、肩で息をすることもなく、背すじはすっと伸びている。
日ごろの鍛錬が、その呼吸の静けさと、落ち着いた立ち姿にあらわれていた。
いっぽうで前から現れたのは、見知らぬ女性だった。
身長は150センチほどの小柄な体つき。
薄いグレーの山歩き用のような装備に、白いキャップ。
茶色い髪を、ふたつの三つ編みにしている。
巨大な白い犬に駆け寄るようすから見て、どうやらこの犬の飼い主らしい。
小柄な女性と並ぶことで、緋羽莉のすらりとした背の高さと、のびやかな立ち姿はいっそう際立つ。
頭の回転が速いアリスは、すぐに状況を把握した。
ぱっと表情を切り替え、女性に向かって丁寧に頭を下げる。
「すみません、わたしのパートナーたちが、粗相をしてしまって……」
緋羽莉もアリスのとなりで、自然な動きで軽く会釈をした。
その所作は丁寧で、相手を思う気持ちが、言葉より先に伝わってくる。
『ご、ごめんなさい……』『ワウ……』
ブルーとミルフィーヌも、しょんぼりと肩を落としてあやまる。
「……ん。まあ、わざとじゃないなら、いいけど」
女性はぽりぽりと頭をかきながら、少し警戒した表情を見せたが、アリスたちの態度から誠意は伝わったようだ。
『ワフ!』
巨大な白い犬――わたあめも、気にしていない様子で、ハッハッと舌を出している。
「このコもケガしてないみたいだし……今回だけは、大目に見たげる」
「あ、ありがとうございます」
アリスはほっと息をつき、もう一度、深く頭を下げた。
「それにしても……キミたち」
女性は言葉を切り、アリスと――とくに緋羽莉のほうを、じっと見つめた。
アリスは目をぱちくりさせる。
緋羽莉はというと、突然の視線にきょとんとして、無意識に首をかしげた。
理由もわからないまま向けられた視線に、戸惑いと素直さがそのまま表情に出てしまう。
その仕草は素直で、飾り気がなく、思わず見入ってしまうほどだ。
首をかしげた拍子に、くせっ毛ぎみの髪がふわりと揺れ、ほのかにいい香りがした。
大人びた体つきとは裏腹に、こうした何気ない仕草は年相応で、見ている者の心をふっとゆるませてしまうふしぎな魅力がある……のだが。
「……冒険、なめてんの?」
放たれた、ふいのひとこと。
それは、やさしい春の異空間の空気を切り裂くように、アリスと緋羽莉の胸に、ずしりと突き刺さった。




