第36話 燃えあがるハート
バトルステーションでのあれこれが終わったあと、アリスは自宅の前まで帰ってきた。
時刻はもうすっかり夕方。オレンジ色の空に、カラスがカーカーと鳴いている。
そのとなりに立つ緋羽莉は、夕焼けを背にして、いつもよりさらに、少しだけ大きく見えた。
緋色のポニーテールが風に揺れ、結ばれた黄色いリボンが、きらりと光を返す。
ただ立っているだけなのに、そこにいるのが当たり前みたいに安心できて――アリスは、思わず一歩、緋羽莉のほうへ近づいていた。
「送ってくれて……ううん、きょうはいろいろありがとう」
アリスは、そう言って頭を下げた。
自分の左手を、大きくてあたたかな手で、ぎゅっとにぎってくれている、緋羽莉に向かって。
緋羽莉の手は、少し汗ばんでいるのに、ふしぎといやな感じはしなかった。
力強いのに、ぎゅっとしすぎない。
まるで、だいじにするよと、手そのもので伝えてくるみたいだった。
「どういたしまして! きょうだけと言わず、これから毎日、おむかえもお見送りもしてあげようか?」
緋羽莉は、夕陽よりもまぶしい笑顔で、ためらいもなく言い切った。
その笑顔は、飾り気がなくて、でも、どこか頼もしくて――
アリスは毎回、「この子にはかなわないな」と思ってしまう。
「それはいいよ。緋羽莉ちゃんの家、ここから遠いじゃない。そんなの、悪いよ」
「いいトレーニングになるし、アリスと長くいっしょにいられるし。わたしはぜんぜん平気なんだけどなあ」
「わたしが、もうしわけなくなっちゃうの! 時間は有限なんだから! タイム・イズ・マネー!」
アリスはちょっとムキになった。
緋羽莉のまっすぐすぎる好意がうれしくて、でも照れくさくて――そのせいで、ちょっとおかしなことを口走っている自覚はあった。
「むー……アリスがそう思うなら、しょうがないか」
緋羽莉は心底残念そうに、やわらかくてかわいらしいくちびるを、きゅっとすぼめた。
長いまつげが、ぱちぱちと動く。
背が高いのに、こういうところは、年相応で――
そのギャップに、アリスは胸の奥が、きゅんとなるのを感じた。
そして緋羽莉は、片手でにぎっていたアリスの左手を、今度は両手で大事そうにつつみこむ。
そのまま、じっとアリスの顔を見つめ、まっすぐなひとみで言った。
「わたしはね、いつだって、どんなときだって、アリスの味方だから。こまったことがあったら、なんでもまっさきに相談してね。もうしわけないなんて、思わなくっていいんだよ」
すこしうるんだようにも見える、緋羽莉の大きな黄色いひとみ。
夕焼けの色を映したみたいな、その黄色いひとみは、まっすぐで、まぶしい。
逃げ場がないくらい真剣なのに、こわくはなくて――ただ、あたたかかった。
そのきらめきを真正面から受けて、アリスの胸は、きゅっと音を立てた気がした。
緋羽莉のこの気持ちひとつだけで、なんだってできそうな気がしたのだ。
「ありがとう、緋羽莉ちゃん」
ふたりは、顔を見合わせて、にっこりと笑い合い、そっと手を離した。
「じゃあ、またあしたね、アリス!」
「うん……と言いたいところだけど、あしたは土曜日だから、学校ないよ」
「あ……そうだった。うっかりしてた! じゃあ、いっしょに遊びにでも行こうか? 始業式の日の埋め合わせもしたいし……」
「ううん。あしたは、ブルーとミルフィーヌとだけで、すごしたいと思ってるから」
そう言って、アリスは足もとにいるブルーを見下ろした。
「そっか。そういうことなら、しょうがないね。じゃあ日曜日にでも……」
「日曜日は、校内大会の本戦があるでしょ。学校行事だから、出席は義務だよ」
「あ……! またうっかりしてた! あはは、きゅうに決まったことだったから、すっかり忘れちゃってたよ」
「そうだね。いっぱいいっぱいになると、忘れちゃうことってあるよね。きのうの、わたしみたいに」
ふたりは顔を見合わせて、苦笑した。
足もとでは、ブルーもくすくすと笑っている。
「まあとにかく、あらためまして……バイバイ! アリス! ブルー!」
「うん、バイバイ!」
『バイバイ、ヒバリちゃん』
アリスとブルーは手を振って、自分の家路につく緋羽莉を見送った。
緋羽莉は名残おしそうに、何度も何度も振り返っては、大きく手を振っている。
そのたびに、ポニーテールが大きく揺れて、元気いっぱいに跳ねる。
まるで、「まだここにいるよ」とでも言うみたいで。
アリスは、自然と手を振り返していた。
やがてその姿が見えなくなると、ブルーがぽつりと言った。
『ヒバリちゃんって……ほんとうに、アリスのことが大好きなんだね』
ブルーには、緋羽莉が近くにいると、すぐにわかる。
足音が少し大きくて、元気で。
でも、動きが雑なわけじゃなくて、いつもリズムがあって――
それに、なんだかあたたかいにおいがするのだ。
アリスが笑うと、緋羽莉もすぐに笑う。
アリスが立ち止まると、緋羽莉もちゃんと待つ。
大きな体なのに、そばにいる感じは、やさしくて。
ブルーは、それが少しうらやましくて、少し安心だった。
「うん。わたしも、緋羽莉ちゃんのこと、だいすき!」
迷いのないその言葉に、ブルーはうれしそうに目を細めた。
そしてふたりは門を開け、自宅へと入っていった。
☆ ☆ ☆
「『ただいまー!』」
「おかえりなさい」
玄関を開けると、銀色のポニーテールを揺らした沙織が、にこやかに出むかえてくれた。
ブルーは、思わずぴくっと身をすくめる。
なにしろ沙織は、身長180センチ以上。緋羽莉よりさらに背が高く、体つきもよりがっしりしている。
60センチにも満たないブルーにとっては、いきなり目の前に現れると、どうしてもおどろいてしまうのだ。
「そろそろ、慣れてほしいんですけどね」
沙織は、そんなブルーを見て、くすっとほほえんだ。
細められた青いひとみからは、やさしさがにじみ出ている。
「聞きましたよ。校内大会、予選で敗退したそうですね」
「うっ……」
さすがは探偵業。地獄耳だ。
アリスは、とくにうしろめたいことはないはずなのに、ぎくりと肩をすくめた。
『ち、ちがうよサオリさん! アリスは負けたんじゃなくて、キケン……したんだよ!』
ブルーは必死に弁明した。アリスの名誉を守りたかったのだ。
沙織は、またくすっとほほえんで、うなずく。
「ええ、わかっていますよ。こればかりは、さすがにしかたがないでしょう。突発的すぎるスケジュールのほうに、問題があります……まったく」
かわいい寄りの顔立ちでありながら、どこか大人びた沙織が、めずらしく子どもっぽく不機嫌そうな表情を見せた。
それを見て、つきあいの長いアリスは、ほんの少し違和感をおぼえた。
(沙織さん……もしかして、校内大会の日程が前倒しになった理由、なにか知ってるんじゃ……?)
そんな疑念が、ふっと胸に浮かぶ。
けれど――もう終わったことだ。
アリスの校内大会は、すでに幕を閉じている。
その疑念はいったん胸の奥にしまいこんで、代わりに、アリスはひとつ提案をした。
「沙織さん。お夕飯の前に、訓練つけてもらってもいい?」
沙織は、少しだけ目を細めてから、にこりと笑った。
「ええ。かまいませんよ」
☆ ☆ ☆
お星さまが、ひとつ、またひとつときらめきはじめる夜。
家の庭で、アリスと沙織は向かい合っていた。
訓練――ワンダーバトルをするためだ。
「《ライトスラッシュ》!」『ワオーン!』
「《ラビットシュート》」『キュー!』
ガキーンッ!
【キャリバリア】のミルフィーヌの剣と、【ハネウサギ】のブラウンの強烈な蹴りが、火花を散らしてぶつかり合う。
近所迷惑ギリギリの騒音だが、庭には事前にブラウンが防音結界を張っているので、外に音がもれる心配はない。
【ハネウサギ】は、こうした隠密や回避、補助的な技を得意とするワンダーなのだ。
だから遠慮なく、二体は思いきり暴れ回っている――いや、庭を壊さない程度には、きちんと加減しているけれど。
ブラウンの好物であるニンジンを育てている家庭菜園もあるので、荒らしてしまったら大変だ。
沙織いわく、そうしたチカラのコントロールも、りっぱな訓練の一環なのだという。
ブルーは縁側にちょこんと座り、真剣なまなざしでそのようすを見つめていた。
見ているだけでも、学ぶことは山ほどある。
沙織とブラウンのバトル技術は、あきらかにレベルが数段ちがった。
必死な表情で食らいつくアリスとミルフィーヌとは対照的に、二人は終始、余裕を崩していない。
本気を出せば、いつでもミルフィーヌを倒せるだろう。
――まるで、玲那と、そのパートナーであるコハクのようだ。
上には、上がいる。
いまの自分では、どうにもならないほど高い存在が。
ドラゴピアに帰るため。チャンピオンクラスになるため。立ちはだかる壁は、あまりにも高い。
きょう一日で、現実を思い知らされた気がして、ブルーの胸は少し重くなっていた。
「どうしました、アリスちゃん? きょうはいつにもまして、本気じゃないですか」
ブラウンがミルフィーヌの剣撃を軽やかにいなすのをながめながら、沙織がやわらかく笑って問いかける。
アリスは、迷いなく叫んだ。
胸の奥で、あたたかい感覚がはじけた。
まぶしい笑顔で、距離を気にせず近づいてきて、大きな手で、ぎゅっと手をにぎってくれた、あの感触。
――アリスのことが、大好き。
その気持ちを、まっすぐに、隠しもせず伝えてくれる女の子。
(緋羽莉ちゃんに、胸を張れるわたしでいたい!)
その想いが、アリスの背中を、強く押した。
「そうだよ! 本気だよ! もっともっと――本気を、超えるために!」
『ワウッ!』
ミルフィーヌは大きく首を振り、口にくわえた剣で、力いっぱいブラウンを後方へ払いのけた。
『キュッ!?』
ブラウンが、予想外とばかりに目を見開く。
それは、これまでのミルフィーヌとはあきらかにちがう動きだった。
その一瞬――沙織とブラウンの余裕が、ほんのわずかに崩れた。
そのスキを、アリスは見逃さなかった。
「《ズバットスパート》!」
『ワオーン!』
次の瞬間。
地を蹴り、風を切り裂き、ミルフィーヌが一気に駆け抜ける。
剣撃一閃。
その一太刀を受け、ブラウンの体がふわりと宙を舞った。
ブルーは思わず口を大きく開け、沙織でさえ、わずかに息をのんでいた。
それは、ついいましがた身につけたばかりの、新しい技。
アリスとミルフィーヌのことを知り尽くしているはずの沙織とブラウンでさえ、対応できなかったのだ。
『キュ~……』
ブラウンは目を回し、庭の草むらに、ばたんと倒れ込んだ。
剣で攻撃はしたが、実際に斬ったわけではない。
衝撃を与えただけ――これもまた、チカラのコントロールだった。
沙織は、内心で息をのむ。
――たった一日で、ここまで。
アリスは、驚くほどの速度で成長している。
時間をかけてみがき上げれば、それはきっと、チャンピオンにすら届く刃になる。
そう確信できるほどの、みごとなバトルだった。
「沙織さん……」
アリスは、ぎゅっとこぶしをにぎりしめて言った。
「わたし……強くなりたい。いまより、もっと……もっと!」
汗だくの顔は、くじけるどころか、とても晴れやかだった。
乱れた長い金髪が、月明かりを受けてきらめく。
青いひとみは、炎のようにメラメラと燃え、これまでにない覚悟と決意を宿している。
理不尽な現実。
自分の力がおよばない相手。
それらと真正面から向き合ったことで、アリスの心は、確かに一段、成長していた。
そしてなにより――
絶対に負けたくない相手と出会ったことで、アリスは、真の意味でウィザードとしての一歩を踏み出したのだ。
そんな、かけがえのない養女の姿を見て、沙織は心からうれしそうにほほえんだ。
アリスの中で、ずっと欠けていたピースが、ぴたりとはまった。そんな気がした。
その想いは、縁側で見守っていたブルーにも、しっかり伝わっていた。
――ぼくがぶつかって、挫折しそうになっていた高い壁を、アリスは、越えようとしている。
きっと、越えられると信じているんだ。
そう思うと、ブルーの胸にも、メラメラと熱いものがこみあげてきた。
そうだ。いつまでも、落ち込んでなんかいられない。
ぼくも、もっともっと強くなる。
いつか必ず、ドラゴピアに帰るために。
今度こそ、アリスに優勝の栄冠をプレゼントするために!
「では、そろそろお夕飯にしましょうか」
沙織は倒れたブラウンを軽々と抱き上げ、にこやかに言った。
「賛成! もうおなか、ぺっこぺこ!」
『ワン!』
アリスが大きく伸びをし、ブルーとミルフィーヌと一緒に家へ入ろうとした、そのとき。
スマートウォッチが、ブルッと震えた。
新しいメッセージを受信したようだ。
気になって画面を確認したアリスは――思わず、息をのむ。
『ふしぎ小学校 校内ワンダーバトル大会春の陣・敗者復活戦 開催のお知らせ』




