第33話 その名は剣城玲那
「やったね、ブルー!」
アリスはコートの中央へ駆け寄り、戦いを終えたブルーをそっと抱き上げた。
激しいバトルをくぐり抜けたあとだというのに、ブルーの体はあたたかく、やさしい鼓動が伝わってくる。
『うん、アリスのおかげだよ!』
ブルーはにっこりと笑い、満足そうに目を細めた。
勝てたよろこびと、全力を出し切れた充実感が、その表情からあふれている。
いっぽう、風間もまた相棒のもとへ歩み寄った。
「悪ィ、ファルコン。オレがバタフライエフェクトのこと忘れてなけりゃ……」
『キィー……』
倒れたままのファルコンは、弱々しくもやさしい声で鳴いた。
気にするな。そんなふうに言っているように聞こえる。
次の瞬間、ファルコンの体は光の粒子へと変わり、風間のスマートウォッチの中へ静かに吸いこまれていった。
「な? アリス、強えーだろ?」
杉山が風間の肩にポンと手を置き、歯を見せて笑う。
「ああ、そうだな」
風間もまた、晴れやかな笑みを浮かべた。
「やられたぜ、アリス! ブルー!」
そう言って、ふたりをたたえるように手を差し出す。
アリスは少し照れながらも、その手をしっかり握り返した。
「ううん、そっちも強かったよ。これはムリして準決勝戦ってたら、まちがいなく負けてたね」
その言葉どおり、今回、風間に勝つことができたのは、ブルーとミルフィーヌの体力が万全だったからにほかならない。
校内予選の最中、疲労がたまった状態で戦っていたなら、結果はきっと逆だっただろう。
風間もそれを否定せず、なにも言わずにうなずいた。
「でも、おかげでスッキリしたぜ。くやしいけど、これで校内大会、思い残すことはねえ! お前はどうだ、アリス?」
ぐっと背伸びをしながら、風間は問いかける。
「そうだね。わたしもスッキリは……したと思う」
アリスは少し言葉を選ぶように、間を置いた。
そして、左手をぎゅっとにぎりしめてから、続ける。
「でもやっぱり、くやしいって気持ちのほうが強いかな。腕試しのつもりだったとはいえ、わたしにとって校内大会は、はじめてのイベントだったし」
それが棄権という形で終わってしまったことは、アリスの心に、小さな――けれど確かなキズを残していた。
『アリス……』
ブルーは心配そうに顔を見上げる。
そのときだった。
ふわり、とやさしい温もりが背中から包みこむ。
緋羽莉が、うしろからアリスをぎゅっと抱きしめていた。
やわらかくて、安心する感触。
花のような、ほのかに甘い香りが、胸いっぱいにひろがる。
大きな体に、たくましい腕。
それなのに、抱きしめ方はとてもやさしくて、力の加減も完璧だ。
「だいじょうぶだよ、アリス。アリスなら、これから先、きっとたくさんの栄光をつかめるから」
耳もとで、緋羽莉のあたたかな声が響く。
その言葉には、なぐさめだけじゃない、確信があった。
緋羽莉は、ただあかるいだけの子じゃない。
毎日のトレーニングを欠かさず、失敗しても泣き言を言わず、ひたすらに努力を積み重ねている。
だからこそ、未来を語るその声には、重みと説得力がある。
「今回の予選辞退だって、いつか“あんなこともあったね”って笑って話せる思い出になるよ」
その言葉と体温が、アリスの心をじんわりとあたためていく。
胸の奥に残っていたモヤモヤも、小さな心のキズも、まるで春の陽だまりに溶ける雪のように、静かに消えていった。
アリスは心の中で、そっと感謝の言葉をつぶやく。
そして、ほほを赤らめながら、くすっと微笑んだ。
「へえ、びっくり。本当に私より背、高いんだ」
そのとき、背後から、澄んだきれいな声が響いた。
緋羽莉のうしろに、ひとりの背の高い少女が立っている。
「「ひゃあっ⁉︎」」
親友ふたりは、声をそろえて飛び上がった。
気配もなく、ふいに現れたその少女には、アリスたちだけでなく、風間と杉山にも見覚えがあった。
いちばんフレンドリーな性格の緋羽莉が、思い出したように声を上げる。
「あ、たしか……今年からおんなじクラスになった、剣城玲那ちゃん……だよね?」
「ええ、そうよ。覚えててくれて、うれしいわ。花菱緋羽莉さん」
剣城玲那と名乗った少女は、緋羽莉とは対照的な、少し冷めた響きの声で答えた。
アリスと同じく金髪碧眼の美少女だが、その色合いは、どこかあわく、静かな印象を与える。
年相応の幼さを残しつつも、輪郭の整った美人寄りの顔立ち。
髪は黒いリボンでワンサイドアップにまとめられ、どこか上品だ。
なにより目を引くのは、その高い身長と、黒いサイハイソックスにつつまれた、すらりと長い脚。
緋羽莉にはおよばないものの、小学生としてはじゅうぶんすぎるほどのスタイルだった。
モデルのようにスラッとした体つきは、やわらかさと健康的で引き締まった肉付きをあわせ持つ緋羽莉とは、まるで正反対だ。
アリスたちが彼女を覚えていた理由は、それだけではない。
彼女は、校内ワンダーバトル大会・5年2組予選の通過者のひとり。
アリスの試合に注目が集まり、代表二人が決まった時点で予選が切り上げられたため、だれも彼女のバトルを直接見ることはできなかったが。
「わたしのことは、緋羽莉でいいよ! わたしも、玲那ちゃんって呼んでいいかな?」
身長差のせいか、それとも生まれつきのやさしさによるものか。
緋羽莉は、だれに対しても同じ距離で接する。
相手が怖そうでも、とっつきにくくても関係ない。
そのまなざしはいつもまっすぐで、分けへだてがない。
だから緋羽莉は、近寄りがたい雰囲気をまとう玲那にも、いつもどおりの笑顔で声をかけた。
「玲那ちゃん……いいわね、それ」
玲那は、少し考えるようにあごに手を当て、真顔のまま答える。
けれど、そのほほは、ほんのり赤い。
クールな見た目とは裏腹に――この子も、けっこうフレンドリーなのか? 一同、そう思った。
「よろしくね、緋羽莉。私、あなたと友だちになりたいな」
そう言って、玲那はやわらかくほほえみ、今度は握手を求めてきた。
緋羽莉はもちろん、思わずほほがゆるんでしまうほど、うれしそうな笑顔でそれに応じる。
「もちろんだよ! よろしくね、玲那ちゃんっ!」
ふたりはぎゅっと手をにぎり合った。
大きくてたくましい緋羽莉の手に対して、玲那の手指はほっそりと長く、まるでガラス細工のように繊細だ。
壊してしまわないように――そんな気づかいが自然に働き、緋羽莉はそっと力をゆるめた。
「……けど」
玲那はゆっくりと手を離すと、今度はアリスへ視線を向ける。
そのひとみは、すっと温度を失ったように冷たい。
「あなたは彼女の友だちにふさわしくないわね。アリス……なにがしさん」
「……へ?」
あまりに突然で、アリスは言葉を失った。
――わたし、そんなふうに見られてたの?
――どうして、今日会ったばかりの子に、そんなこと言われなくちゃいけないの?
――それに、わたしのファミリーネーム、そんなに覚えにくい?
いくつもの考えが、頭の中をぐるぐると回る。
「あなたのバトルはぜんぶ見させてもらった。イキリなにがしとのバトルも、予選の三試合もぜんぶね。どれも低レベルで、見るに耐えないものだったわ」
「なっ……!」
アリスはカチンときた。
たしかに、自分はバトル歴わずか三日。低レベルだと言われても、反論はできない。
でも――それを、同年代の、しかも初対面の女の子に、真正面から言われるのは、話が別だった。
頭ではわかっていても、心がついてこない。
そして、その想いはブルーも同じだった。
『ア……アリスのこと、バカにしないで!』
気がつけば、ブルーは叫んでいた。
玲那は腕を組み、表情を変えずに言い返す。
「バカになんてしてないわ。ただ、事実を言ったまでよ」
そのひとことで、アリスとブルーの胸の奥に、ぐっと熱がたまる。
『うわっ!?』
次の瞬間、ブルーはバシッとなにかにはたかれたような衝撃を受け、あおむけに倒れた。
『へへーん! 見た目どおりのヒョロっちいチビだな、オマエ!』
ブルーが体を起こすと、そこに立っていたのは――琥珀色の大きな目をした、白いトラの子どもだった。
大きさはブルーより少し低く、ミルフィーヌよりは少し大きい。
その顔つきは、言動どおり、いかにも生意気そうだ。
どことなく、緋羽莉のパートナー・アカネを思い出させる。
「へえ、めずらしいワンダーだね。なんていうの?」
一触即発の空気も知ったこっちゃないという顔で、閃芽がメガネをきらりと光らせてたずねた。
さすがは研究者の妹。知的好奇心が、なによりも優先される思考回路だ。
「【アンバーカブ】よ。名前はコハク」
玲那は、意外にも素直に答えた。
アリスへの当たりは強いが、根っこはそこまで悪い子でもないのかもしれない。
ちなみに“カブ”とは、幼いケモノを意味する言葉だ。
「わあ、かわいい! わたし、ネコちゃんだいすき! よろしくね、コハク!」
緋羽莉は満面の笑みで、いつもどおりフレンドリーに声をかける。
ネコが大好き――というより、博愛主義者の緋羽莉は、動物全般が大好きなのだ。
「オイオイ! オレさまはネコじゃねえ、トラだ! そこ、まちがえんな!」
コハクはムッとした顔で言い返す。
「そ、そうだったんだ、ごめんね」
緋羽莉はすぐに頭を下げた。
「だが、かわいいっていう目のつけどころは悪くないぜ!」
コハクは、まんざらでもなさそうに胸を張る。
どうやら、緋羽莉のあたりのよさを、すっかり気に入ったようだ。
「それより……玲那……ちゃん?」
アリスは、むっとした表情で一歩前に出た。
「わたしが、緋羽莉ちゃんの友だちにふさわしくないって、どういうこと?」
冷静になってみると、いちばん胸に引っかかっていたのは、その言葉だった。
なにしろ、緋羽莉とは幼稚園のころからの大親友だ。
その関係を、横から来た他人に否定される理由なんて、どこにもない。
玲那は、ふうっと小さく息を吐き、首をかしげる。
「だってあなたじゃ、彼女の全力を引き出せなかったじゃない」
『……え?』
ブルーは、思わず声をもらした。
あのミルフィーヌと、あんなにすばらしいバトルをくりひろげた緋羽莉が……全力じゃなかった?
その言葉の意味を、だれもまだ理解できていなかった。
けれど確かに、この瞬間から、なにかが動き出した――
そんな予感だけは、はっきりと感じられた。




