第九話「成長する村、迫る影」
ダミアンの訪問から、一ヶ月が経った。
ベルガルド村は、見違えるように変わっていた。
「よし、第二工房も完成だ!」
新しい石造りの建物。窯が五基、作業台が十以上。
もはや、小さな工房というレベルではない。立派な製パン工場だ。
「これで、週に千個は作れるな」
グスタフが、満足げに頷く。
「蒼銀商会からの注文も、倍になったし、ちょうどいいタイミングだ」
「ええ。でも、人手も倍必要ですね」
「それなら大丈夫!」
リーゼが、書類を抱えて駆けてくる。
「隣村から、五人が働きに来たいって!」
「本当か?」
「うん! ベルガルドでパン作りを学びたいって!」
「それは嬉しいな」
噂が広がっているのだ。
「ベルガルドに行けば、いい仕事がある」と。
貧しい村々から、若者たちが集まり始めている。
「みんな、ちゃんと教育しないとな」
「はい! あたしが研修担当します!」
リーゼの目が、キラキラしている。
彼女も、成長した。
今では、工房の副責任者として、立派に働いている。
「頼りにしてるよ、リーゼ」
「任せて!」
工房の中では、エミリアが新人たちを指導していた。
「発酵は、温度管理が大事なんです」
十歳とは思えない、堂々とした態度。
「生地の様子を、よく観察してください」
「はい、エミリアさん!」
新人たちが、真剣に聞いている。
エミリアは、もうベテランの風格だ。
「エミリア、順調そうだね」
「あ、ケンさん!」
エミリアが、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「今日は、十人に教えました! みんな、すごく真面目です!」
「エミリアのおかげだよ。教え方が上手だから」
「えへへ」
エミリアが、照れくさそうに笑う。
最初に会った時の、怯えた少女の面影はもうない。
今は、自信に満ちた顔をしている。
「エミリア、ちょっといいかな」
「はい?」
「君の魔法のこと、もっと詳しく調べたいんだ」
「わたしの魔法……?」
「うん。君の力、発酵だけじゃない気がするんだ」
実は、気になっていたことがある。
エミリアの魔法は、発酵を促進するだけじゃない。
時々、生地に不思議な「輝き」が宿る。
それは、ただの発酵じゃない。何か別の力だ。
「少し、魔力を見せてくれる?」
「わかりました」
エミリアが、手を掲げる。
淡い光が、手のひらから溢れ出す。
金色の、温かい光――
「これは……!」
俺の脳内に、情報が流れ込んできた。
【聖浄の魔力】
汚れを浄化し、生命を活性化させる、希少な力。
「エミリア、君……もしかして……」
「ケンさん?」
「君、王族の血を引いてるんじゃないか?」
その言葉に、エミリアの顔が青ざめた。
「な、なんで……」
「この魔力、ただものじゃない。王家に伝わる【聖浄魔法】だ」
「……!」
エミリアが、俯く。
その小さな肩が、震えている。
「エミリア?」
「……わたし、言ってなかったこと、あります」
小さな声。
「わたしの母は、王族の傍系でした。でも、身分を隠して、平民と結婚したんです」
「……そうだったのか」
「母が亡くなった時、親戚に引き取られました。でも、わたしが魔力を持ってることがバレて……」
エミリアの声が、震える。
「厄介者だって、言われました。王族の血を引いてるのに、孤児だなんて、恥だって」
「ひどい……」
「だから、追い出されたんです。どこに行っても、誰もわたしを受け入れてくれなくて……」
涙が、頬を伝う。
「でも、ケンさんは違った。ケンさんは、わたしを拾ってくれた」
「エミリア……」
「だから、わたし、この秘密を隠してました。また追い出されるのが、怖くて……」
俺は、エミリアを抱きしめた。
「大丈夫。追い出さないよ」
「本当……ですか……?」
「ああ。エミリアは、大切な家族だから」
「ケンさん……!」
エミリアが、声を上げて泣き始めた。
どれだけ我慢していたんだろう。
どれだけ怖かったんだろう。
「もう大丈夫。ここが、君の家だから」
「ありがとう、ございます……!」
エミリアの温もりが、胸に伝わる。
この子を、守らなきゃ。
絶対に――
その夜。
村長の家に、主要メンバーが集まった。
ハインリヒ、グスタフ、リーゼ、そして俺。
「エミリアのことだが……」
ハインリヒが、深刻な顔をしている。
「王族の血を引いているとなると、厄介だな」
「どういうことですか?」
「王家には、複雑な権力争いがある。傍系の血統でも、利用価値があれば、狙われる」
「狙われる……?」
「ああ。特に、保守派の貴族たちは、王家の血を政治的に利用しようとする」
グスタフが、腕を組む。
「エミリアが王族だとバレたら、連れ去られる可能性がある」
「そんな……!」
「だから、秘密にしておかないとな」
ハインリヒが、俺を見た。
「ケン君、この件は、村の外には絶対に漏らさないでくれ」
「もちろんです」
「それと――」
ハインリヒが、書類を取り出した。
「念のため、エミリアを正式に養子にしたい」
「養子?」
「ああ。私の養女として、戸籍を作る。そうすれば、身分が安定する」
「それは……いいんですか?」
「もちろんだ。あの子は、もう家族同然だろう?」
ハインリヒが、優しく微笑む。
「村のみんなも、賛成してくれるはずだ」
「ありがとうございます……!」
これで、エミリアは守られる。
少なくとも、法的には。
「ただ、問題は他にもある」
リーゼが、不安そうに言った。
「最近、村の周りで、怪しい人影を見るって報告があるの」
「怪しい人影?」
「うん。黒い服を着た、不気味な人たち」
「スパイか……」
グスタフが、舌打ちする。
「誰の差し金だ?」
「わからない。でも、バルトロメオじゃないかも」
「というと?」
「もっと大きな組織の気配がする」
リーゼが、地図を広げた。
「最近、近隣の村でも、同じような報告があるの。何かが、動き始めてる」
「……黄昏の会か」
ハインリヒが、小さく呟いた。
「黄昏の会?」
「秘密結社だ。この国の裏で、暗躍している」
「何が目的なんですか?」
「わからない。だが、革新的な動きを、ことごとく潰してきた」
ハインリヒの目が、暗くなる。
「もし、お前たちのパン事業が彼らの目に留まったとしたら……」
「潰される、ってことですか?」
「その可能性がある」
沈黙。
部屋に、重い空気が流れる。
「……やるしかないですね」
俺は、拳を握った。
「逃げても、隠れても、無駄だ。なら、戦うしかない」
「ケン君……」
「大丈夫です。俺には、仲間がいる」
俺は、みんなを見回した。
「グスタフさん、リーゼ、エミリア、村のみんな。そして、アレクさんやダミアンさんも」
「そうだな」
グスタフが、ニヤリと笑う。
「一人じゃない。みんなでやれば、何とかなる」
「ええ! あたしも戦う!」
リーゼが、拳を掲げる。
「よし、じゃあ準備を進めよう」
ハインリヒが、立ち上がる。
「村の警備を強化する。グスタフ、頼めるか?」
「任せろ」
「リーゼは、工房の管理を」
「はい!」
「ケン君は――」
ハインリヒが、俺を見た。
「君は、パンを作り続けてくれ」
「え?」
「それが、一番大事だ。パンを作り、人々を幸せにする。それこそが、君の武器だ」
「……はい」
そうだ。
俺の戦い方は、剣でも魔法でもない。
パンだ。
美味しいパンで、人々を笑顔にすること――
数日後。
蒼銀商会から、アレクが訪問してきた。
「久しぶりだな、ケン」
「アレクさん!」
「繁盛してるようだな。いいことだ」
アレクが、工房を見回す。
「設備も整った。人も増えた。順調だ」
「アレクさんのおかげです」
「いや、お前の努力の結果だ」
アレクが、真面目な顔になる。
「だが、頼みがある」
「何でしょう?」
「王都での販売を、さらに拡大したい」
「拡大?」
「ああ。今、貴族だけじゃなく、平民にも売りたい」
「平民に?」
「そうだ。今の価格は、貴族向けで高すぎる。もっと安く、大量に作れないか?」
アレクの提案に、俺は考え込んだ。
「安く、大量に……できなくはないですが」
「だが?」
「品質が下がるかもしれません」
「それは困る」
「なら、二つのラインを作りましょう」
「二つ?」
「プレミアムラインと、スタンダードライン」
俺は、紙に図を描いた。
「プレミアムは、今まで通り。手作り、最高品質」
「それは貴族向けだな」
「はい。そして、スタンダードは、効率重視。品質はそこそこだけど、量産できる」
「なるほど……」
アレクが、顎に手を当てる。
「それなら、平民にも手が届く」
「そうです。そして、パンの裾野を広げられます」
「いいな、その案」
アレクが、手を叩いた。
「やろう。すぐに準備してくれ」
「わかりました!」
こうして、新しいプロジェクトが始まった。
その夜。
俺は、工房で一人、試作をしていた。
「スタンダードライン……どう作れば……」
効率を上げつつ、品質を保つ。
難しい課題だ。
「ケンさん、まだ起きてるんですか?」
エミリアが、温かいスープを持ってきてくれた。
「ありがとう、エミリア」
「無理しないでくださいね」
「大丈夫だよ」
「でも、最近、寝てないでしょう?」
エミリアが、心配そうに俺を見る。
「みんな、心配してます」
「……ごめん。でも、やらなきゃいけないことが多くて」
「わかってます。でも、ケンさんが倒れたら、みんな困ります」
「そうだな……」
俺は、スープを飲んだ。
温かい。
体に、優しく染み渡る。
「エミリアの作ったスープ?」
「はい。リーゼお姉ちゃんに教わりました」
「美味しいよ」
「本当ですか? 良かった!」
エミリアが、嬉しそうに笑う。
その笑顔を見ていると、心が落ち着く。
「エミリア、養子の話、どう思う?」
「……嬉しいです」
エミリアが、俯く。
「でも、いいのかなって」
「いいのかなって?」
「わたし、王族の血を引いてます。面倒なこと、きっとこれからも起きます」
「それでも、家族だよ」
「ケンさん……」
「血なんて関係ない。大事なのは、一緒にいたいかどうかだ」
俺は、エミリアの頭を撫でた。
「俺は、エミリアと一緒にいたい。だから、家族になろう」
「……はい!」
エミリアが、涙を浮かべて頷いた。
「わたしも、ケンさんと一緒にいたいです!」
「よし、じゃあ決まりだな」
「はい!」
その時――
窓の外で、何かが動いた。
「!」
俺は、反射的に立ち上がる。
「誰だ!?」
窓を開けると、黒い影が走り去っていくのが見えた。
「スパイ……!」
「ケンさん、危ない!」
エミリアが、俺の服を掴む。
「追いかけちゃダメです!」
「でも……!」
「ダメです! 危険すぎます!」
エミリアの目が、真剣だ。
「……わかった」
俺は、窓を閉めた。
誰かが、俺たちを監視している。
黄昏の会か、バルトロメオか、それとも別の誰かか――
「これから、もっと警戒しないとな」
「はい……」
エミリアが、不安そうに頷く。
「大丈夫。守ってみせるから」
俺は、もう一度エミリアの頭を撫でた。
「この村も、みんなも、絶対に」
「……はい」
窓の外には、暗闇が広がっている。
その奥に、何が潜んでいるのか――




