第八話「帰還、そして新たな仲間」
「ケンさん、お帰りなさい!」
村の入口で、エミリアが真っ先に駆け寄ってきた。
「ただいま、エミリア」
俺は、馬車から降りて彼女の頭を撫でる。
「寂しかった……」
「ごめんな。でも、ちゃんと強くなって帰ってきたよ」
「本当ですか?」
「ああ。もう簡単には負けない」
その時、後ろから別の声が聞こえた。
「ケン!」
リーゼだ。
彼女は走ってきて――そして、俺の胸に飛び込んできた。
「お帰り……心配したんだから……」
「ただいま、リーゼ」
リーゼの体が、小刻みに震えている。
泣いているのかもしれない。
「ごめん。心配かけて」
「うん……でも、無事で良かった……」
しばらくそうしていると、グスタフが苦笑しながら近づいてきた。
「おいおい、いつまでくっついてるんだ」
「あ……!」
リーゼが慌てて離れる。顔が真っ赤だ。
「ご、ごめん……つい……」
「いや、いいよ。俺も嬉しいし」
「ケン……」
リーゼの目が、潤んでいる。
ああ、やっぱり帰ってきて良かった。
ここが、俺の居場所なんだ――
「ケン君!」
ハインリヒ村長が、息を切らせて走ってきた。
「お帰り。無事で何よりだ」
「ただいまです、村長」
「修行は、順調だったか?」
「はい。セラさんに、みっちり鍛えられました」
「それは良かった。だが――」
ハインリヒの表情が、曇る。
「実は、困ったことになっている」
「困ったこと?」
「ああ。王都から、監査官が来ているんだ」
「監査官?」
「食糧監査官と名乗っている。パン工房を調査したいと」
嫌な予感がした。
「まさか、バルトロメオが……?」
「おそらくな。だが、相手は王都の貴族だ。断ることはできない」
「今、どこに?」
「工房にいる。リーゼとエミリアが対応してくれているが……」
「行きましょう!」
俺たちは、工房へと急いだ。
工房に着くと、見慣れない馬車が止まっていた。
質素だが、品のある造り。王家の紋章が入っている。
「本当に、王都から……」
中に入ると、一人の青年が立っていた。
年は二十代前半。銀髪に青い瞳。細身だが、品格がある。
そして、その目は――鋭く、知的だ。
「あ、ケンさん!」
エミリアが、安堵の表情で駆け寄ってくる。
「この人が、監査官の……」
「ダミアン・フォン・レーヴェンシュタインだ」
青年が、こちらを向いた。
「君が、ケン・サトウか?」
「はい。そうですが」
「噂は聞いている。辺境の村で、革新的なパンを作っている若者だと」
ダミアンの声は、落ち着いている。
威圧感はない。むしろ、好奇心に満ちている。
「調査に来たと聞きましたが……」
「ああ。王都で、君のパンが話題になってな」
ダミアンが、テーブルの上のパンを指差す。
「蒼銀商会が、『前例のない品質のパン』として売り出している。貴族たちの間で、大人気だ」
「それは……嬉しいですが」
「だが、問題もある」
ダミアンの表情が、真剣になる。
「保守派の貴族たちが、これを快く思っていない」
「なぜですか?」
「伝統を乱すから、だそうだ」
ダミアンが、肩をすくめる。
「彼らは、変化を嫌う。特に、平民が成功することをな」
「……つまり、俺たちを潰しに来たんですか?」
「いや、違う」
ダミアンは、首を振った。
「私は、君たちの味方だ」
「味方……?」
「ああ。私は、国王陛下の命で、新しい食糧政策を研究している」
ダミアンが、懐から書類を取り出した。
「この国は、長年飢饉に悩まされている。収穫の不安定さ、保存技術の未熟さ。それらを解決する方法を、探っているんだ」
「それと、俺たちのパンが……?」
「君のパンは、保存性が高い。そして、少量で栄養価が高い。これは、飢饉対策に使える」
ダミアンの目が、輝く。
「だから、調査に来た。君の製法を学び、国全体に広げたい」
「……本気ですか?」
「ああ。嘘は言わない」
ダミアンは、真っ直ぐ俺を見た。
「ケン・サトウ。君の技術を、国のために使わせてほしい」
その真摯な眼差しに、俺は驚いた。
敵だと思っていた。
でも、彼は違う。
「……条件があります」
「言ってみろ」
「俺たちの村を、守ってください」
「守る?」
「隣村の地主、バルトロメオが、俺たちを潰そうとしている。王都に手を回して、妨害工作をしている」
「ああ、その話も聞いている」
ダミアンが、苦い顔をする。
「バルトロメオは、保守派貴族とつながっている。厄介な相手だ」
「だからこそ、力を貸してほしい」
「……わかった」
ダミアンが、頷いた。
「君たちを守る。その代わり、製法を教えてくれ」
「いいでしょう。ただし、一つだけ」
「何だ?」
「製法は無償で教えます。でも、それを使う人たちには、ちゃんとした訓練を受けてもらいたい」
「訓練?」
「ええ。パン作りは、技術だけじゃない。心が大事なんです。食べる人のことを想いながら作る。それがないと、本当に美味しいパンにはならない」
ダミアンは、しばらく黙っていた。
やがて、小さく笑った。
「面白いことを言うな、君は」
「笑いますか?」
「いや、感心している。君は、ただの商人じゃない」
ダミアンが、手を差し出してきた。
「いい取引だ。契約成立としよう」
「……ありがとうございます」
俺は、その手を握った。
意外な展開だった。
でも、悪くない。
むしろ、これは大きなチャンスだ。
その日の午後。
ダミアンと一緒に、パン作りの実演をすることになった。
「まず、小麦粉をこうして……」
「ふむ」
ダミアンは、真剣にメモを取っている。
「水の温度は、季節によって変える必要があります」
「なるほど。理にかなっている」
「そして、ここからが重要です」
俺は、手を生地にかざす。
「発酵魔法――【イースト・ブルーム】」
生地が、ゆっくりと膨らみ始める。
「これは……!」
ダミアンの目が、見開かれた。
「発酵魔法だと? そんな魔法、聞いたことがない!」
「俺にも、よくわからないんです。転生した時から、使えました」
「転生……?」
「ああ、別世界から来たんです」
ダミアンは、しばらく呆然としていた。
「……君は、本当に不思議な人物だな」
「よく言われます」
「だが、これは素晴らしい。この魔法があれば、パンの生産性が飛躍的に上がる」
「でも、この魔法は俺にしか使えません」
「そうなのか……」
ダミアンが、残念そうな顔をする。
「ただ、エミリアも似たような力を持っています」
「エミリア?」
「はい!」
エミリアが、元気よく手を挙げる。
「わたしも、発酵を促進できるんです!」
「見せてくれるか?」
「はい!」
エミリアが、手を生地にかざす。
淡い光が、生地を包む。
「……驚いた。本当だ」
ダミアンが、感嘆の声を上げる。
「君たち二人は、この国の宝だ」
「宝だなんて……」
「いや、本当だ。君たちがいれば、この国の食糧問題は解決できる」
ダミアンの目が、真剣だ。
「ケン・サトウ。君に、正式な依頼をしたい」
「依頼?」
「王都に来てほしい。そして、王立パン職人養成学校を作りたい」
「学校……!」
「ああ。君が校長だ。そこで、全国からパン職人を育成する」
それは、壮大な構想だった。
「でも、俺、まだ村を離れられません」
「わかっている。今すぐとは言わない。まずは、この村でモデルケースを作ってくれ」
「モデルケース?」
「ああ。貧しい辺境の村が、パン作りで豊かになる。その成功例を、国全体に示すんだ」
ダミアンが、握りこぶしを作る。
「それができれば、保守派の貴族たちも黙る」
「……わかりました。やってみます」
「期待している」
ダミアンが、微笑んだ。
その笑顔は、純粋だった。
この人は、本当に国を良くしたいと思っているんだ。
「あの、ダミアンさん」
リーゼが、恐る恐る声をかける。
「何だ?」
「あなたって、もしかして……貴族の方ですよね?」
「ああ。レーヴェンシュタイン公爵家の三男坊だ」
「公爵……!」
村人たちが、ざわめく。
公爵といえば、王族に次ぐ地位だ。
「そんな偉い方が、なんでこんな辺境に……」
「偉くなんてない。ただの研究者だ」
ダミアンが、肩をすくめる。
「私は、長男でも次男でもない。家督を継ぐ必要もない。だから、好きなことができる」
「好きなこと……?」
「ああ。国を豊かにすること。人々を幸せにすること。それが、私の夢だ」
その言葉に、俺は共感した。
この人も、俺と同じだ。
純粋に、誰かを幸せにしたいと思っている。
「ダミアンさん、一緒にやりましょう」
「ああ。よろしく頼む、ケン」
こうして、新たな仲間ができた。
それは、将来の大きな力になる――まだ知らないけれど。
夕方。
ダミアンは、村を出ていった。
「また来る。進捗を確認しに」
「お待ちしています」
「それと――」
ダミアンが、振り返った。
「バルトロメオのことは、私が処理する。もう君たちを邪魔させない」
「本当ですか!?」
「ああ。約束だ」
そう言って、馬車に乗り込む。
馬車は、夕日の中を走り去っていった。
「やったね、ケン!」
リーゼが、嬉しそうに笑う。
「これで、安心だね!」
「ああ。でも、まだ油断はできない」
「わかってるよ。でも、今日は喜ぼうよ!」
「そうだな」
俺も、笑顔になる。
確かに、今日はいい日だった。
新しい仲間ができて、未来が見えてきた。
「ケンさん、今日はパーティーしましょう!」
エミリアが、提案する。
「パーティー?」
「はい! ケンさんの帰還と、新しい仲間ができたお祝いです!」
「いいね、それ!」
リーゼも賛成する。
「じゃあ、村のみんなを呼ぼう!」
「おう、賛成だ」
グスタフも、珍しく乗り気だ。
「久しぶりに、盛大にやるか」
その夜。
村の広場で、大きな焚き火が燃えている。
焼きたてのパン、猟で獲れた肉、野菜のスープ。
質素だけど、温かい食事が並ぶ。
「乾杯!」
「乾杯!」
みんなで、木のカップを掲げる。
「ケン、お前のおかげで、この村は変わったよ」
老人が、目を細める。
「ありがとうな」
「いえ、みんなのおかげです」
「謙虚だねえ。だから、みんなに好かれるんだよ」
「そうそう! ケンは、この村の英雄だ!」
若者たちが、口々に言う。
照れくさい。
でも、嬉しい。
こんな温かい場所が、俺にはある。
「ケン」
リーゼが、隣に座ってきた。
「ん?」
「あのね……」
リーゼが、俺の手を握る。
「ありがとう。あたしの人生を、変えてくれて」
「俺は、何もしてないよ」
「そんなことない。ケンが来なかったら、あたし、今頃……」
リーゼの目が、潤む。
「でも、今は幸せ。毎日が楽しい」
「……俺も」
俺は、リーゼの手を握り返した。
「俺も、幸せだよ。みんなと一緒にいると」
「ケン……」
二人の間に、静かな時間が流れる。
焚き火が、パチパチと音を立てる。
夜空には、満天の星。
この瞬間が、永遠に続けばいいのに――
そう、思った。




