第五話「蒼銀商会、運命の出会い」
馬車に揺られて三日。
ようやく、エルデンブルクの町が見えてきた。
「でかい……」
思わず声が漏れる。
ベルガルド村とは比較にならない規模だ。石造りの建物が立ち並び、城壁に囲まれている。門には衛兵が立ち、出入りする人々で賑わっている。
「ここが、この地方の商業都市エルデンブルクだ」
グスタフが、馬車の手綱を引きながら言った。
「人口は五千人ってところか。市場も大きい。お前のパンを売るなら、ここが一番だろうな」
「ありがとうございます、グスタフさん。馬車まで出してくれて」
「村長に頼まれたんだよ。お前を無事に連れて行けってな」
グスタフは照れくさそうに視線を逸らす。
この三日間、彼からいろいろな話を聞いた。
彼は元々、王国騎士団の一員だったこと。ある事件で退役し、ベルガルド村に流れ着いたこと。
「過去のことは気にするな」
詳しくは語ってくれなかったが、その目には深い後悔が宿っていた。
「さて、着いたぞ。緊張してるか?」
「めちゃくちゃ緊張してます」
「正直だな。まあ、お前らしい」
町の門をくぐる。
活気がすごい。
行商人の声、子供の笑い声、馬のいななき。前世の田舎町を思い出す賑やかさだ。
「蒼銀商会は、あそこだ」
グスタフが指差したのは、町の中心部にある三階建ての立派な建物。
白い石造りで、青い旗が掲げられている。旗には銀色の紋章――剣と天秤。
「商人と武力、両方を持つってことか」
「ああ。この商会は、ただの商人じゃない。傭兵団も抱えてる。だから、誰も逆らえない」
「怖い話ですね……」
「だが、公正な取引をすることでも有名だ。ボッタクリはしない。実力があれば、ちゃんと評価してくれる」
それなら、チャンスはある。
「行きましょう」
馬車から降り、パンの入った籠を抱える。
中には、昨日焼いたばかりのパンが二十個。エミリアの魔法で、いつもより柔らかく仕上がっている。
「いらっしゃいませ」
商会の入口で、礼儀正しい青年が迎えてくれた。
「ご用件をお伺いします」
「あの、若旦那様に、商談の機会をいただきたくて」
「商談? 予約はされていますか?」
「いえ、していません。でも――」
俺は籠を差し出した。
「この商品を、ぜひ見ていただきたいんです」
青年は、籠の中を覗き込む。
「……パン、ですか?」
「ただのパンじゃありません。この地方には存在しない、特別なパンです」
「特別と言われましても……」
青年は困った顔をする。当然だろう。パンなんて、どこにでもある。
「一つ、試食していただけませんか?」
「はあ……まあ、規則では試食を拒否してはいけないことになっていますので」
青年は、パンを一つ手に取った。
そして、小さく齧る。
――次の瞬間。
「!!!」
青年の目が、見開かれた。
「これは……!」
「どうですか?」
「信じられない……こんなに柔らかくて、甘いパンは……」
青年は、慌てて奥へと駆け込んだ。
「少々お待ちください! すぐに若旦那様をお呼びします!」
「おい、効いたみたいだぞ」
グスタフが、感心したように言う。
「やるじゃないか」
「まだわかりませんよ。本番はこれからです」
しばらくして、足音が聞こえた。
複数の人間が、こちらに向かってくる。
「どこだ、そのパンを持ってきたのは!」
現れたのは、二十代半ばくらいの男性。
金髪碧眼、整った顔立ち。高価な服を着ているが、どこか実務的な雰囲気。
そして、その目は――鋭い。
「お前か」
男は、俺をじっと見た。
「このパンを作ったのは」
「はい。ケン・サトウと申します」
「アレク・ヴェルナーだ。この商会の頭領をしている」
アレク。これが、蒼銀商会の若き頭領。
噂通り、若いのに貫禄がある。
「早速だが、このパンについて聞かせてもらおう」
「はい。このパンは、発酵技術を用いて――」
「技術の話は後だ」
アレクが手を上げる。
「まず、食べさせろ」
「どうぞ」
パンを一つ差し出す。
アレクは、それを手に取り――
一口。
沈黙。
その表情が、わずかに変わった。
驚き? いや、違う。
これは――
「……懐かしい」
小さく呟いた。
「母さんが作ってくれた、あの味に似てる」
「え?」
「いや、何でもない」
アレクは、もう一口パンを齧った。
そして、目を閉じる。
しばらくして、目を開けた時――その目には、確かな興味が宿っていた。
「これは、商品になる」
「本当ですか!?」
「ああ。間違いない。このパンなら、王都でも売れる」
アレクは、背後の部下に指示を出す。
「ギルバート、応接室を用意しろ。それから、会計士を呼べ」
「はっ!」
部下が駆け出していく。
「ケン・サトウ。君と、商談をしたい。ついてきてくれ」
「は、はい!」
応接室は、豪華だった。
革張りのソファ、磨かれたテーブル、壁にかかる絵画。
前世の高級ホテルのようだ。
「座ってくれ」
アレクが、ソファを勧める。
「緊張しているようだな」
「そりゃあ、こんな立派な商会で商談なんて、初めてですから」
「正直でいい。では、単刀直入に聞こう」
アレクは、前のめりになった。
「君は、このパンをどれだけ生産できる?」
「今は、一日百個くらいです。でも、設備を整えれば、もっと増やせます」
「材料の調達は?」
「小麦粉、塩、水。基本的な材料だけです。特殊なものは必要ありません」
「保存期間は?」
「常温で三日。冷所なら一週間は持ちます」
「流通に耐えられるな」
アレクは、部下に目配せする。
部下が、分厚い帳簿を広げた。
「試算してみろ。王都までの輸送コスト、販売価格、利益率」
「はっ」
部下が、そろばんを弾き始める。
しばらくして、計算結果が出た。
「若旦那、利益率は四十パーセント。十分に採算が取れます」
「よし」
アレクは、俺を見た。
「ケン・サトウ。君と、取引契約を結びたい」
「!」
「条件は、こうだ。君は、週に五百個のパンを納品する。単価は一個銀貨二枚。うちが買い取り、王都や他の町で販売する」
銀貨二枚――この世界の通貨はまだよくわからないが、グスタフの話では、銀貨一枚で家族四人が一日食べられるらしい。
つまり、一個で二日分の食費。
週五百個なら――
「……銀貨千枚?」
「そうだ。月にすれば、銀貨四千枚。金貨四枚に相当する」
「金貨四枚……!」
金貨一枚は、銀貨千枚分。
つまり、月収で金貨四枚なら――村が潤う。
「ただし、条件がある」
アレクの表情が、真剣になる。
「品質は絶対に落とすな。このパンの味と柔らかさを維持できなければ、契約は破棄だ」
「わかりました。必ず維持します」
「それと、製法は他言無用。他の商会に真似されたら、商品価値が下がる」
「それも了解です」
「では、契約書を用意する。三日後に、また来てくれ」
アレクが立ち上がり、手を差し出した。
「いい取引ができそうだ」
「こちらこそ!」
俺は、その手をしっかりと握り返した。
その手は、冷静で、力強かった。
商会を出ると、グスタフが待っていた。
「どうだった?」
「成功です! 契約が決まりました!」
「マジか!?」
「はい! これで、村を救えます!」
「やったな、ケン!」
グスタフが、俺の肩を叩く。
その手が、いつもより温かく感じた。
「でも、まだ問題があります」
「何だ?」
「週五百個。今の設備じゃ、足りません」
「そうか……人手と、窯が必要だな」
「ええ。村に戻ったら、すぐに準備します」
その時、背後から声がかかった。
「待て」
振り返ると、アレクが立っていた。
「設備投資の資金が必要だろう。これを使え」
革袋を投げてくる。
中には、銀貨が詰まっていた。
「これは……?」
「前借りだ。契約成立の証として。無利子でいい。納品が始まったら、少しずつ返済してくれればいい」
「そんな……いいんですか?」
「いいビジネスパートナーには、投資を惜しまない。それが、うちのやり方だ」
アレクは、不敵に笑った。
「期待してるぞ、ケン・サトウ。君のパンで、この国の食文化を変えてくれ」
その言葉が、胸に響いた。
「……ありがとうございます! 必ず、期待に応えます!」
「ああ。三日後に会おう」
アレクは、そう言って商会に戻っていった。
帰りの馬車の中。
俺は、革袋を抱きしめていた。
「やったな、ケン」
「はい……やりました……」
涙が、止まらなかった。
「どうした、泣くなよ」
「嬉しくて……こんなに嬉しいの、久しぶりで……」
前世では、こんな達成感を味わったことがなかった。
どれだけ働いても、評価されず、搾取されるだけだった。
でも、今は違う。
努力が報われた。
仲間のために、結果を出せた。
「村に帰ったら、みんなに報告だな」
「はい。リーゼも、エミリアも、きっと喜んでくれます」
「ハインリヒ村長も、安心するだろうよ」
「ええ。これで、リーゼは嫁がなくて済みます」
「……お前、リーゼのこと、好きなんだろ?」
「え?」
突然の言葉に、戸惑う。
「隠さなくていい。見てりゃわかる」
「いや、その……」
「まあ、焦るな。お前にはまだ、やるべきことがある」
グスタフは、優しく笑った。
「一歩ずつだ。焦らず、着実に」
「……はい」
馬車は、夕日の中を走る。
ベルガルド村へ。
俺の、大切な仲間たちが待つ場所へ――




