第四話「孤児エミリア、小さな命の灯」
「おい、しっかりしろ!」
俺は少女を抱きかかえ、村へと走った。
体が軽い。恐ろしいほど軽い。まるで羽毛のようだ。
どれだけ飢えていたんだ、この子は――
「ケン!? どうしたの、そんな血相変えて!」
村の入口で、リーゼと出くわした。
「この子が森で倒れてた! すぐに手当てを!」
「わかった! うちに連れてきて!」
リーゼの家に駆け込む。
ハインリヒ村長も驚いた顔で出てきたが、すぐに状況を理解して部屋を用意してくれた。
「ベッドに寝かせて。あたし、水と食べ物持ってくる!」
リーゼが走り去る。
俺は少女をそっとベッドに寝かせた。
金色の髪が、月明かりに照らされて輝いている。整った顔立ち。貴族の血が入っているのかもしれない。
だが、頬はこけ、唇は乾いている。
「どこから来たんだ、この子は……」
「おそらく、近隣の村からだろう」
ハインリヒが重い口調で言った。
「この辺りには、孤児が多い。戦争や病気で親を亡くし、村を追い出された子供たちだ」
「追い出された?」
「仕方ないんだ。どの村も余裕がない。他人の子供を養う余裕なんて、ない」
その言葉が、胸に重くのしかかる。
これが、この世界の現実なのか。
「持ってきた!」
リーゼが水差しと、薄い粥を持って戻ってきた。
「まずは水を。ゆっくり飲ませて」
少女の唇に、水を含ませる。
最初は反応がなかったが、やがてゴクリと喉が動いた。
「飲んでる……!」
「よし、もう少し」
少しずつ、水を飲ませる。
それから、粥をスプーンで少しずつ。
十分ほどして、少女の頬に、わずかに血色が戻ってきた。
「……う」
小さくうめき声を上げ、瞼が開く。
青い瞳。澄んだ、綺麗な瞳だった。
「よかった、気がついた!」
リーゼが安堵の息を吐く。
「ここは……?」
「ベルガルド村だよ。あなた、森で倒れてたの。名前は?」
「……エミリア」
「エミリアちゃんね。大丈夫、もう安全だから」
リーゼが優しく微笑む。
だが、エミリアは怯えた目で周囲を見回した。
「あの……わたし、追い出されますか?」
「え?」
「前の村でも、その前の村でも、追い出されました。役立たずだって。お荷物だって」
その声が、震えている。
「だから、早く出ていきます。迷惑かけたくないから……」
「待って」
俺は、エミリアの手を握った。
「追い出さないよ。ここにいていい」
「でも……」
「いいんだ。俺が面倒を見る」
「ケン君……」
ハインリヒが、困ったような顔をする。
「気持ちはわかるが、この村にも余裕はない。一人増えれば、その分食糧が――」
「大丈夫です。俺が稼ぎます。エミリアの分も、必ず」
「本当に、できるのか?」
「やります。約束します」
俺は、エミリアを見つめた。
「だから、エミリア。ここにいてくれ」
「……本当に、いいんですか?」
「ああ」
エミリアの目から、大粒の涙がこぼれた。
「ありがとう、ございます……」
そして、声を上げて泣き始めた。
どれだけ怖かっただろう。
どれだけ孤独だっただろう。
まだ十歳の子供が、一人で森をさまよって――
「もう大丈夫だから。泣かなくていいよ」
リーゼが、エミリアの頭を撫でる。
「ここには、優しい人たちがたくさんいるから。ね、ケン?」
「ああ。俺たちが、家族になろう」
その言葉に、エミリアは何度も頷いた。
翌朝。
エミリアは、すっかり元気を取り戻していた。
「ケンさん、わたし、お手伝いします!」
「無理しなくていいよ。まだ体調が――」
「大丈夫です! わたし、役に立ちたいんです!」
その真剣な眼差しに、俺は折れた。
「わかった。じゃあ、薪を運ぶの手伝ってくれる?」
「はい!」
エミリアは嬉しそうに駆け出した。
その後ろ姿を見ながら、リーゼが微笑む。
「いい子ね」
「ああ。強い子だ」
「ケン、本当に大丈夫なの? 一人増えたら、大変だよ?」
「大丈夫。それに――」
俺は空を見上げた。
「エミリアには、何か特別なものを感じる」
「特別?」
「まだわからない。でも、この子には、秘められた力がある気がするんだ」
それは、根拠のない直感だった。
でも、発酵魔法を持つ俺なら、何となくわかる。
エミリアからは、普通の人とは違う「気配」がする。
その日の午後。
パン作りをしていると、エミリアが興味津々で覗き込んできた。
「わあ、パンが膨らんでる……」
「発酵っていうんだ。酵母が、生地を膨らませるんだよ」
「こうぼ?」
「小さな生き物。目には見えないけど、パンを美味しくしてくれる魔法みたいなものさ」
「魔法……」
エミリアが、じっと生地を見つめる。
その時だった。
「あ……」
エミリアの手が、淡く光った。
「!」
光は生地に触れ――瞬間、生地がさらに大きく膨らんだ。
「これは……!」
「え、わたし、何か……?」
エミリアは戸惑っている。自分で何をしたのか、わかっていないようだ。
「エミリア、もう一度やってみて。手を生地の上にかざして」
「こう……ですか?」
恐る恐る手をかざすと、また淡い光。
そして、生地が膨らむ。
「やっぱり……!」
俺は、エミリアの肩を掴んだ。
「エミリア、君、魔法が使えるんだ!」
「魔法……わたしが?」
「ああ! しかも、発酵を促進する魔法だ!」
これは、予想外の才能だった。
発酵魔法は俺だけの特権だと思っていたが、エミリアにも似たような力がある。
もしかしたら、彼女は――
「すごいよ、エミリア! 君は特別なんだ!」
「特別……わたしが……?」
エミリアの目に、希望の光が灯る。
「ずっと、役立たずって言われてきました。何もできないって」
「そんなことない。君には、素晴らしい才能がある」
「本当に……役に立てますか?」
「もちろん! 一緒にパンを作ろう。君の力があれば、もっと美味しいパンが作れる!」
エミリアは、涙を浮かべて頷いた。
「はい……! 頑張ります!」
その日から、エミリアは俺たちのパン作りに加わった。
彼女の魔法は、まだ未熟で不安定だった。
でも、確実に生地を良くしている。
ふわふわ度が増し、香りも豊かになった。
「エミリアちゃん、すごいね!」
リーゼが感心する。
「あたしも魔法使えたらなあ」
「リーゼお姉ちゃんは、パンをこねるのが上手です!」
「えへへ、ありがと」
三人で笑い合う。
この光景が、とても温かい。
家族みたいだ――そう思った。
「よし、今日はたくさん焼こう!」
「はい!」
「了解!」
こうして、俺たちの小さなチームは、また一人増えた。
まだ課題は山積みだ。
一ヶ月で村を救う方法。流通ルートの確保。資金繰り。
でも、不思議と不安はなかった。
仲間がいるから。
一緒に夢を追いかける仲間が――
「ケンさん、できました!」
エミリアが、焼き上がったパンを差し出す。
黄金色で、ふっくらとした、完璧なパン。
「完璧だ。エミリア、リーゼ、ありがとう」
「どういたしまして!」
二人の笑顔が、石窯の火に照らされて輝いていた。
俺は思う。
この笑顔を守りたい。
そして、もっと多くの人を笑顔にしたい。
それが、俺の使命なんだ――
夕方、グスタフが共同炉に顔を出した。
「よう、繁盛してるな」
「グスタフさん、どうしたんですか?」
「ちょっと気になる情報を聞いてな。隣町に、大きな商会があるらしい」
「商会?」
「ああ。『蒼銀商会』っていう、この地方じゃ一番大きい商会だ。そこの若旦那が、新しい商品を探してるって話だ」
「!」
これは、チャンスかもしれない。
「その商会、どこにあるんですか?」
「ここから馬車で三日の町、エルデンブルクだ」
「三日……」
「行く気か?」
「ええ。パンを売り込みに」
「無謀だぞ。相手は大商人だ。辺境の若造が行ったって、相手にされねえよ」
「それでも、行きます。可能性があるなら、掴みに行く」
グスタフは、やれやれと肩を竦めた。
「お前、本当に無茶するな。まあ、嫌いじゃないが」
「一緒に来てくれませんか? 護衛として」
「は? 俺が?」
「一人じゃ不安なんです。お願いします」
グスタフは、しばらく考えてから――
「……わかった。どうせ暇だしな」
「ありがとうございます!」
「ただし、報酬はもらうぞ」
「もちろん! パンで払います!」
「パンかよ!」
二人で笑う。
こうして、俺の最初の商談への旅が決まった。
果たして、大商会の若旦那は、俺のパンをどう評価するのか――




