第二十二話「船出、そして嵐の洗礼」
ベルガルド村を出発して、五日。
俺たちは、港町ブリストルに到着した。
「すごい……」
初めて見る海。
青く、広大で、果てしない。
「圧倒されるだろう?」
ダミアンが、微笑む。
「俺も、初めて見た時は同じ反応だった」
「こんなに大きいなんて……」
潮の香り。
波の音。
すべてが、新鮮だ。
「さあ、船を探そう」
ダミアンが、港へ向かう。
ブリストルは、王国最大の港町。
大小様々な船が、停泊している。
「あれが、我々の船だ」
ダミアンが指差したのは、中型の帆船。
「名前は、『希望号』」
「希望号……」
「ああ。この旅に、ふさわしい名だろう」
船に近づくと、一人の男が迎えてくれた。
五十代くらいか。日焼けした顔に、白い髭。
「ダミアン殿下、お待ちしておりました」
「紹介しよう。彼は、船長のトーマス・ブレイク」
「初めまして。ケン・サトウです」
「よろしく頼む」
トーマスが、力強く握手してくる。
「俺は、三十年この海で生きてきた。安心してくれ」
「お願いします」
「では、荷物を積み込もう」
探検隊の装備、食料、水。
大量の物資を、船に積む。
「これで三ヶ月は持つはずだ」
ミレーユが、チェックリストを確認する。
「ただし、嵐に遭わなければ、だが」
「嵐……」
「ああ。この季節、西の海は荒れやすい」
トーマスが、空を見上げる。
「だが、今日は快晴だ。出発には最適だ」
午後、出航の準備が整った。
「全員、乗船確認!」
トーマスの号令。
探検隊のメンバーが、船に乗り込む。
ダミアン、ロイド、クラリス、ミレーユ、ガレス、そして俺。
さらに、船員が十名。
「錨を上げろ!」
「応!」
船が、ゆっくりと動き出す。
港が、遠ざかっていく。
「行ってきます……」
心の中で、村のみんなに語りかける。
リーゼ、エミリア、グスタフ。
必ず、帰る――
「ケン、船酔いは大丈夫か?」
ロイドが、心配そうに聞く。
「今のところは」
「なら良いが。初めての航海で酔う奴は多い」
「気をつけます」
船は、順調に進む。
風が、帆を満たす。
波が、船体を揺らす。
「気持ちいいな……」
甲板に立ち、風を感じる。
これが、冒険か――
初日は、順調だった。
海も穏やかで、風も適度。
「このペースなら、予定通りだ」
トーマスが、満足そうに頷く。
「三ヶ月で、西の大陸に着けるだろう」
夜。
船員たちが、夕食を作ってくれた。
魚のスープと、硬いパン。
「味は悪くないが――」
ガレスが、パンをかじる。
「やっぱり、ケンの作るパンには敵わないな」
「船の上では、窯が使えませんから」
「残念だ」
みんなで、食事を囲む。
星空が、美しい。
「こんなに星が見えるんだ……」
「陸地から離れると、空気が澄むからな」
クラリスが、説明する。
「綺麗でしょう?」
「ああ」
その夜、俺は甲板で星を見ていた。
リーゼも、同じ星を見ているだろうか――
「ケン君」
ダミアンが、隣に来た。
「眠れないのか?」
「少し、考え事を」
「村のことか?」
「……はい」
「心配するな。村は大丈夫だ」
ダミアンが、微笑む。
「それより、これからのことを考えよう」
「はい」
「西の大陸は、未知の場所だ」
ダミアンが、真剣な顔になる。
「古代文明の遺跡、危険な魔物、そして――黄昏の会」
「覚悟は、できてます」
「頼もしいな」
ダミアンが、肩を叩く。
「お前がいれば、きっと大丈夫だ」
三日目。
天候が、変わり始めた。
「雲行きが怪しいな……」
トーマスが、眉をひそめる。
「嵐が来るかもしれん」
「嵐……」
「ああ。全員、準備しろ!」
船員たちが、慌ただしく動く。
帆を畳み、荷物を固定する。
「ケン、船室に入ってろ」
ロイドが、指示する。
「嵐の中、甲板は危険だ」
「わかりました」
船室に戻ろうとした時――
突然、風が強くなった。
「来るぞ!」
トーマスの叫び声。
空が、急速に暗くなる。
雲が、渦を巻く。
「みんな、つかまれ!」
激しい風。
船が、大きく揺れる。
「うわっ!」
バランスを崩す。
ロイドが、俺を掴んでくれた。
「大丈夫か!?」
「はい!」
雨が、降り始める。
いや、雨というより――滝だ。
視界が、真っ白になる。
「こりゃ、ひでえ嵐だ!」
ガレスが、マストにしがみつく。
波が、巨大な壁のように迫ってくる。
船が、浮き上がり――
落ちる。
「ぐあっ!」
衝撃で、体が浮く。
「全員、船室へ! 今すぐだ!」
トーマスの命令。
みんな、必死で船室へ向かう。
だが――
「助けて!」
船員の一人が、海に落ちそうになっていた。
「待ってろ!」
俺は、そちらへ走る。
「ケン、危ない!」
ダミアンの声。
だが、間に合わない。
船員の手を掴もうと、手を伸ばす――
その瞬間。
巨大な波が、船を襲った。
「うわああああ!」
すべてが、真っ白になる。
水の中。
呼吸ができない。
どっちが上かも、わからない。
(このままじゃ、死ぬ……!)
必死で、足を動かす。
光が見える方へ。
ようやく、水面に顔を出す。
「はあっ、はあっ……!」
船は――
見えない。
嵐で、視界が悪い。
「みんな! どこだ!?」
叫ぶ。
だが、風と波の音で、かき消される。
「くそ……!」
波が、また襲ってくる。
また、水の中。
(リーゼ……エミリア……)
意識が、遠のく。
その時――
何かが、俺の襟首を掴んだ。
引っ張り上げられる。
「しっかりしろ、ケン!」
ロイドだった。
「ロイドさん……!」
「喋るな! 泳げ!」
二人で、必死で泳ぐ。
船の灯りが、見えた。
「あそこだ!」
何とか、船に辿り着く。
ガレスが、ロープを投げてくれた。
「掴まれ!」
ロープを掴み、引き上げられる。
「はあ、はあ……」
甲板に、倒れ込む。
「馬鹿野郎!」
ロイドが、怒鳴る。
「無茶しやがって!」
「すみません……」
「謝るな。無事なら、それでいい」
ロイドが、肩を叩く。
「だが、次はないぞ」
「はい……」
「全員、無事か!?」
トーマスが、確認する。
「船員一名、怪我! だが、命に別状なし!」
「よし! このまま耐えろ!」
嵐は、夜通し続いた――
翌朝。
嵐は、去っていた。
空は、快晴。
まるで、昨夜の嵐が嘘のようだ。
「被害状況は?」
「マストが一本、折れました」
「帆も、三枚破れています」
「食料は……半分、海に流されました」
トーマスが、頭を抱える。
「まずいな……」
「どうするんですか?」
「最寄りの島に寄港する」
トーマスが、地図を広げる。
「ここだ。『霧の島』」
「霧の島……?」
「ああ。小さな島だが、港がある」
トーマスの表情が、曇る。
「ただし――」
「ただし?」
「あまり、評判の良い島じゃない」
「どういうことですか?」
「海賊の隠れ家と、噂されている」
ロイドが、剣を確認する。
「海賊か……厄介だな」
「だが、選択肢がない」
ダミアンが、決断する。
「このままでは、西の大陸に着く前に食料が尽きる」
「わかりました。霧の島へ向かいます」
船は、針路を変える。
霧の島へ――
二日後。
島が、見えてきた。
だが――
「本当に、霧だらけだ……」
島全体が、濃い霧に覆われている。
「気をつけろ。視界が悪い」
トーマスが、慎重に船を進める。
ゆっくり、ゆっくり。
やがて、港が見えてきた。
だが――
様子が、おかしい。
「人が、いない……」
港には、誰もいない。
船も、数隻停泊しているが、どれも古く、朽ちかけている。
「ゴーストタウンか……?」
ガレスが、警戒する。
「いや、人の気配はある」
ロイドが、剣を抜く。
「隠れてるな。複数」
「上陸するぞ。全員、警戒しろ」
ダミアンの命令。
俺たちは、慎重に上陸する。
港の石畳。
古い建物。
すべてが、廃墟のようだ。
「誰かいませんか!?」
俺が、叫ぶ。
すると――
建物の陰から、人影が現れた。
ボロボロの服を着た、老人。
「旅の者か……」
老人の声が、しわがれている。
「この島に、何の用だ……」
「食料と水を、分けてほしいんです」
「食料……」
老人が、笑う。
だが、その笑いは悲しげだ。
「この島に、そんなものはない……」
「どういうことですか?」
「この島は、呪われている……」
老人の目が、虚ろだ。
「三年前から、作物が育たなくなった……魚も、獲れなくなった……」
「それは……」
「島民の半分は、飢えて死んだ……」
老人が、俯く。
「残った者も、もうすぐ死ぬだろう……」
「そんな……」
その時、俺は決意した。
「待ってください」
「何だ……?」
「俺が、助けます」
「助ける……?」
「はい。俺の魔法で、この島を蘇らせます」
「ケン君!」
ダミアンが、驚いた顔をする。
「体は大丈夫なのか!?」
「大丈夫です」
俺は、老人を見た。
「案内してください。畑へ」
「本当に……できるのか……?」
「はい。俺を、信じてください」
老人に案内され、畑へ向かう。
そこは――
完全に、荒れ果てていた。
「ひどい……」
土が、死んでいる。
生命の気配が、まったくない。
「これは……普通じゃない」
ミレーユが、土を調べる。
「魔力が、枯渇している」
「魔力が?」
「ああ。何かが、この土地の魔力を吸い取った」
「黄昏の会……?」
「可能性はある」
ダミアンが、険しい顔をする。
「だが、今は島を救うことが先だ」
「はい」
俺は、畑の中央に立つ。
深呼吸。
魔力を、集中させる。
「【グロース・リバイバル】」
新しい魔法。
土地そのものを、蘇らせる魔法。
緑色の光が、畑全体を包む。
土が、ゆっくりと生気を取り戻していく。
「すごい……」
老人が、息を呑む。
だが、まだ足りない。
「もっと……もっとだ……!」
全魔力を、注ぎ込む。
体が、悲鳴を上げる。
だが、止められない。
「【グロース・ブルーム】!」
畑に、種を蒔く。
そして、急速に成長させる。
数分で、小麦が育つ。
野菜が実る。
果樹が、花を咲かせる。
「できた……」
だが、次の瞬間――
視界が、暗くなった。
「ケン!」
ダミアンの声が、遠い。
体が、倒れる。
意識が――
消えた。




