第九話 責任
私たちが魔王を倒すまでに思っていた以外にもあった被害に今更気が付いて少し落ち込む私に、リリィは立ち上がってそっと私を正面から胸に抱きしめてくれた。
そうして少し冷えた胸が温かくなった私に、リリィが優しく声をかけてくれる。
「エレナ、あなたたちが懸命にこの国を守ろうとしていたこと、みんな、ちゃんと知っているわ。だから魔王がいるという絶望に負けることなく、この国を維持できたの」
リリィは滔々と私の心に届けるように話してくれた。軽くなった私の胸に、雪が降るようにリリィの言葉が入ってくる。
「大なり小なり色んな被害があったわ。それに伴う避難民や復興、様々な問題があった。だけどあなたが頑張っていたから、守ってくれているとわかっていたから、治安が急激に悪化するようなこともなかった。
魔王を倒したあなたたちの功績は格別よ。だけど、この国の全員が、魔王の脅威と戦っていたの。なのに被害があなたの責任だなんて、それは、うぬぼれがすぎると言うものよ。だけどこの国はあなたのものじゃない。国の責任は国の、王のものよ。
そして、みんなが未来を信じて行動できたのも、あなたの功績なのよ。覚えていて」
それは私を叱責するような、慰めるような、そのどちらでもなくただ事実を述べるような、不思議な響きだった。
その内容は自分でも意外なほど、そうか、と腑に落ちた。
国の全員で戦っていた。だから私に責任があると言えば、全国民に責任があるということにもなってしまう。そんな発想はなかった。
私はうぬぼれていたのだ。私たちだけが戦っていて、全てを守っている。そんな気でいた。それは事実の一部ではあったんだろう。だけど、全てではない。
私は確かに強大な魔物や魔王から人々を守った。だけど、それ以外にもたくさん問題はあったのだ。そのひとつひとつを解決して、不自由な生活から人を守ったのはその人々自身なのだ。
私たちだってそうだ。どの街に行っても、ちゃんと経済はまわっていた。食事も買い物も宿泊もできた。人々の平和な暮らしに安心していた。
私は一方的に守り助けていたのではない。私もまた、守られていた。助けられていたのだ。
だから、私に責任があるなんていうのは、うぬぼれなのだ。
「……うん。ありがとう、リリィ。確かにそうだね。私がうぬぼれていたよ」
「……本当に分かってくれた?」
私の返事に、リリィは私を抱きしめる力を抜いて体を離して私を見た。ほんの少し上にリリィがどこか心配そうな顔で私を見ているのが、くすっぐたくも温かい気持ちになる。
「うん。目が覚めたよ」
「そう……ならよかった。もし、これからまた暗い気持ちが出てきたら、私に言って。一人では抱え込まないで。いいわね?」
「はい、承知しました」
「もう、あなたって意外と、冗談が好きよね」
ふっと優しく微笑みながら、優しい気遣いの言葉を命令するみたいに言うからおかしくて、おどけて姫から命令を受けるみたいに返事をした。それにリリィはくすっと笑いながら、私の頭をそっと撫でた。
「まあ、楽しんでいるならいいわ。あなたはもう勇者として十分役目を全うしたの。嫌なら、やめたってかまわないんだから。これからエレナは、幸せになるだけでいいのよ。わかったわね」
「やめるのはさすがに……」
予言により王から認められた勇者と言う肩書は、だからこそ王族にとっても軽いものではないだろうに。なのにあっさりとやめてもいいなんて言われて戸惑ってしまう。私に気を使ってとはいえ、そこまで言わなくても。
と私はやんわりお断りしたのだけど、リリィは冗談とは言わず、口元は笑いながらも目元はいたって真面目なまま私を見ている。
「何を言っているのよ。王位だっていずれは返還するのよ。勇者として最も重要な魔王討伐を成し遂げたあなたが、勇者をやめたって誰も文句を言わないわ。もしそんな人がいたら、私が怒ってあげるわ」
「り、リリィ……」
本気で言っていたのか。だけどそんな風に説明されると、そうかもしれないと思わされる。
私は私が思っていた以上に視野が狭くて短慮なのかもしれない。考えてみれば普通ならようやく一人前となるこの年までの五年間を戦いに費やしたのだ。同年齢より圧倒的に教育が足りていないだろうし、ましてリリィからしたら私は手のかかる子供でしかないのかもしれない。
それは情けないことなのだけど、なんだか、少し嬉しい気持ちになってしまった。リリィにとって私は勇者じゃなくて、ただの子供で、ただのエレナとして振舞ってもいいのだ。
本当に、好きだな、と思った。彼女の考え方、話し方、振る舞い、その全てが好ましくて心地いい。改めて、彼女と幸せになりたいと思う。
「……ありがとう、リリィ。じゃあ、そのうち、嫌になったらやめさせてもらうよ」
「ええ、それでいいわ。やめたって、あなたがやったことがなくなるわけでもないのだから」
リリィへの好意で胸がつまるような気になりながら、そうお礼を伝えると、リリィは軽く頷いて私の頭から手を離して一歩離れた。
その当たり前の距離が、だけど急に寂しく感じられて、思わず私はリリィの手をつかんでいた。
「え?」
「あ、えっと……少し、抱きしめてもいいかな?」
きょとんと、少女みたいに軽い驚き声をされて、なんだか悪いことをしてみたいな気になったけれど、同時にリリィから目を離せなくてまっすぐ見つめたままそうお願いしていた。
もっとリリィと寄り添いたい。それが偽らざる今の本音だ。
「えっ……か、構わないけど」
リリィはカッと頬を染め、動揺したように視線をそらしながらも頷いてくれた。さっきは自分から私を抱きしめてくれたのに、私から言うといちいち照れるそぶりが愛くるしい。
「ありがとう。じゃあリリィ、ここに座って」
「え、いえ、それはちょっと、重いでしょうし」
「重いわけないけど、じゃあ、間を開けるから」
「……」
自分の膝を叩いて呼ぶと戸惑ってさらに一歩引かれたので、私は立ち上がりながら手を引き、腰に手をまわして抱き寄せながら座って強引に膝の間に座らせた。
ソファに深く足を広げて座ってリリィがその前にちょこんと腰掛けるように座っている形だ。リリィは緊張しているみたいでかたまっている。
それが可愛らしくて腰に触れたまま軽めに抱きしめる。体のすぐ前にいるので、簡単に密着できる。
リリィは私より背が低いので、ちょうど顎の下にリリィの頭が来るくらいだ。スカートが広がっていてふわふわしている視界が面白い。
「リリィ、私はリリィとこうしてくっついているの、結構好きみたいだ。リリィは嫌じゃない?」
「い……嫌ではないわ」
「ほんとに? これから長い付き合いになるんだから、遠慮しないで、嫌なら言ってよ?」
リリィが私を大事に思ってくれているのは伝わってくる。短い付き合いだけど私がリリィのことを好きになっているように、リリィもまた私を勇者だから形だけの夫だから以上に、人として私のことを好きだと思ってくれていると思う。でもだからこそ、ちゃんと確認しないといけないだろう。
触れ合いが好きかどうかは個人の感覚の差があるだろう。私は今まで性別のことがあって人と触れ合うことがないようにしていた。なので気づかなかったけど、どうやら心許せる人と寄り添うのが私は好きらしい。いや、むしろ今まで気を張っていたからこそ、今人との触れ合いに飢えているのかもしれない。
だからってリリィが嫌なのに無理強いさせることはできない。と言うか無理されても私の方も落ち着かなくなってしまうので。
なのでぎゅっと抱きしめて顔を覗き込みながら確認すると、リリィは耳まで赤くして俯いてから、ちらちら見ながら口を開く。
「……ちょっとだけ、恥ずかしいだけ。嫌ではないわ。それは、本当よ」
「そう……? でも今後、嫌になったら言ってもいいからね」
嫌ではない、と言ってくれるものの、まだ緊張気味にかたまっているし、声もかたい。だから今は我慢してそう言ってくれるだけだったり、本当に嫌じゃなくても何度もしたら面倒になる可能性もあるだろうから、リリィの逃げ道を作るつもりでそう言ったのに、何故かリリィは顔をあげてまっすぐ私を見た。
耳まで赤いままで、でもちょっと不満そうに眉を寄せて唇も少しとがっていて、なんだかその表情にドキッとしてしまった。
「……馬鹿」
「えっ……? な、なんで今罵倒されたの? 何か怒らせること言った?」
しばし見つめあってからリリィはむっと私を睨んでぼそっとそう言ってふいっと私と反対を向いてしまった。
その全てが可愛すぎて一瞬意味がわからなかった。抱きしめたまま反対側から顔を覗き込もうと姿勢を変えると、リリィはまた逆を向いてしまう。
「知りません」
「えー……ごめんね。わかんないけど、嫌なこと言っちゃったんだよね。気を付けるよ」
「……」
私の謝罪にリリィは無言のまま、そっと抱きしめる私の手に手を重ねてきた。ほっそりしたその指先、手のひらの感覚。なんだかドキドキしてしまう。
リリィは何も言わないけど、だけど触れ合うのが嫌じゃないかと言う話から、リリィから触れてくれたんだ。きっと、許してくれると表してくれたんだろう。
表現まで可愛らしい。顔がよく見えないのだけ残念だけど、こうしているとリリィはいい匂いもするし、柔らかくて抱きしめるだけで気持ちよくて、ずっとこうしていたいくらい落ち着く。
ちょっとだけドキドキするのも、心地よいと思う。
そうして私はしばらくリリィを抱きしめて、リリィといれば幸せになれることを改めて確信すると同時に、リリィを幸せにしないとな。と心に誓うのだった。