第七話 大浴場
リリィと街を軽く散策した翌日。順番が逆な気もするけれど家の中を一通り把握しておくことにした。
実家も上から数えた方がはやい貴族家なので大きなものではあったのだけど、王族の仮居宅だけあってそれよりさらに巨大な城なのだ。
最低限の場所として、玄関から食堂、自室しか知らない。自室にトイレもお風呂もあるので、それで困らないのだ。
ちなみに寝室はそれぞれの自室から繋がる形の真ん中の部屋になる。プライベートを確保する貴族夫婦のよくある形式だ。
昨日でリリィと少し歩み寄れた気もするからか、この大きすぎるお城にも少しだけ馴染めそうな気がする。
リリィは以前からこの建物を利用していたとはいえ、端から端まで知っているわけではない。それでも問題ないのだろうけど、個人的にはいざと言う時の為に利用しない場所も一通り位置関係は把握しておかないと落ち着かない。いやもちろん、ここでいざと言う時なんてこないと頭では理解しているのだけど。
一応ここの主として私の主張は受け入れられたので、リリィと一緒に散歩がてら案内してもらうことになったのだ。
自分たちが使用するところ以外、さすがに個室しかない使用人棟ははいらないが、それ以外自分が立ち入る可能性がある建物は一通りみていく。使用人が住居にしている棟があるけれど、それはそれとして私たちが住む本棟の中にも一部の使用人や護衛が交代で寝泊まりするスペースはある。
その為の使用人用の施設は、使用人棟ほどではないけれどどれもそこそこ大きなものだった。住人よりも使用人の方が何十倍では聞かないほどいるのだから当然だ。
とはいえ、頭で理解しているのと実際に見るのとは違う。そこまで確認する必要はなかったのだけど、今は誰も使っていないからついでにと案内役の執事が見せてくれた大きく広い湯船には驚いた。
「広いなぁ」
食堂と同じくらい同時に使用すると考えれば、先にみた食堂の大きさを比較してこの程度が妥当なのかもしれないけど、ここまで大きい湯船を見るのは壮観だった。
もちろん私たちもお風呂には入っているけど、基本的に貴族は誰かと一緒にお風呂にはいらない。過剰な大きさはかえって不便になる。私はともかく普通は世話係もいるのだから余計に、湯舟が大きすぎては大変なことになる。
「そうね。当たり前のことだけど、こうやって改めて見ると広いわね。大きい湯船が使いたいなら、あなた用に専用のものを作ってもいいわよ」
「いや、それほどでもないよ。ただ旅をしていると大きい街だと大きい公衆浴場も結構あったから、利用したことはないけどこんな感じなのかなって思っただけ」
野宿はともかく宿泊する時に利用していたのはどれもちゃんとした宿ばかりなので、どこも個室で体を清められるようにはなっていた。だけど安くて使い勝手のいい公衆浴場が近くにある宿は簡易シャワーのみと言う時もあった。そう言う時仲間たちは公衆浴場で裸の付き合いをしていた。
当然、私は利用することはなかった。仲間には他にも貴族がいたけれど、魔王討伐の旅に耐えられる人間性なので私以外は全員利用していた。それを思い出した。
「……気になるなら、一度利用してみたら?」
「え?」
「あなたは元々一人で入浴しているのだし、もちろん使用人の使用時間外にと言うことになるけど、使うくらいは問題ないわ」
使いたそうに見えたのだろうか。リリィはそう言った。少しだけ心が動いたので、周りにいる使用人の顔を見る。静かに頷かれた。
「……じゃあ、そうしてみようかな」
別に、本当に利用したくてたまらなかったわけではない。未練があるとすれば、むしろ大きいお風呂なんかではなくて、きっと、旅の仲間たちに最後まで隠し事をして距離をおいていたことだろう。
出会ってすぐならともかく、半ばも過ぎてからは彼ら彼女らが信頼できて性別ぐらいで変わるような人ではないとわかっていた。それでも話す必要もないと思っていた。
そうしていたら、どうなっていただろう。それが少しだけ、未練だ。
とはいえ、大きな大衆浴場自体に興味があったのも事実だ。いつか利用してみたいと思っていた。
と言うわけで深夜。使用人は夜に働く人間もいるので一日中利用可能にはなっているけれど、普通に考えて利用される時間帯には偏りがある。夜勤の時間帯で日勤の人間が入り終わった夜中なら空いている。
こそこそとする必要はないのだけど、静かなので自然と足音を殺してしまいつつも私は使用人浴場を利用していた。
「……はぁ」
思わず息がもれた。軽く覗いただけでも広かったけれど、実際に一人で中に入り裸でそれを感じると、とても広い。体を洗ってから歩かなければ湯船までたどり着かないし、湯船は寝そべってもまだ反対側まで足が届かないくらいだ。
普段使っているものだって、今と同じように縁に腕をのせるようにもたれて足を延ばしても余裕のあるものだ。狭いと感じたことはない。
だけどそうして同じ姿勢でも目に入る広い空間が違うと、こうも受け取る印象は違うのだ。旅の途中に一度だけ、山の中にある露天風呂がある宿にとまったことがあった。
外ではいるのは普通に嫌だったけれど、あれも案外気分がいいのだろうと今なら思える。
自分の体以上に広い場所で入浴する解放感は、思っていた以上にいいものだった。
もちろん実際には共同浴場もそうだがここはたくさんの人が同時に使用するものだ。また違う光景、異なる雰囲気になるだろう。
それでも一人用の個室とは違うのは間違いないだろう。
「ん?」
リリィとこれから旅行をするなら、露天風呂のあるところを探すのもいいかもしれない。と思いながら入浴を終えて服を着て出ようと意識をやったところ、出入り口のすぐ傍に誰かがいると気が付いた。
さすがにいつでも周りに気をやっているわけでもないので、浴場から廊下の気配まではわからない。さすがに誰か入ってきたら不味いので、ドアの開閉音がしないかくらいは気にしていたけれど、もしかして誰か見張りを立ててくれていたのだろうか。
だとしたら申し訳ない。と思いながらドアを開けた。
「え、り、リリィ、どうしてここに?」
見張りなのだとしたら、労って名前を聞いて、と考えていたけれどリリィがいることは想像もしていなかった。なので普通に驚いて尋ねてしまった。
「別に、たまたま近くに用があったから、そろそろかと思って、ついでに寄っただけよ。タイミングがよかったわね。戻りましょうか」
「……うん、ありがとう」
尋ねてしまったけれど、いくら私にだってわかる。リリィは万が一にも誰も入らないよう、見張ってくれていたのだ。リリィしか秘密を知らないからと、誰かに任せることもせずに。
なのに、それを一言も言わなかった。私がリリィを気にせずゆっくりできるように、そして今も、私が気づいてないと思ったら何も言わずに偶然を装ってくれた。
そんな彼女の優しさを無下にするわけにはいかない。私はお風呂に入った以上に胸が温かくなりながらもそのことは言わず、静かに頷いてリリィと一緒に部屋に戻ることにした。
「リリィ、寒くない?」
「大丈夫よ。きちんと上着も着ているでしょう?」
「そうだけど」
リリィは二日目の昨夜からちゃんとした防寒機能もありそうな寝間着を着ているし、今もその上に重ね着している。ぱっと見は寒くないだろう。だけど春とはいえ夜はそれなりに気温は低い。人気のない広い廊下で一人で数十分立っているのは普通に寒いだろう。しかもリリィは私が入浴するより先に普段通りの時間にすませているはずだ。湯冷めしてしまっているのではないだろうか。
そう思ったけど、それを言ってしまうとリリィがたまたまと言っていたのを否定してしまう。
どうしよう。と思っていると部屋についてしまう。それぞれの部屋にいったん分かれてから、また寝室で合流する。貴族夫婦の部屋として、それぞれの部屋があって寝室部分だけ中でつながって共有するのはよくある形式だし疑問に思っていなかったけれど、なんだか今は一度離れるだけでもどかしく感じられた。
「じゃあ、寝ましょうか。おやすみなさい」
「あ、うん。おやすみなさい」
寝室にはいるとリリィはすぐにベッドに入った。普通のことではあるけど、やはり遅い時間に廊下にいさせたから体が冷えたのだろう。
私も返事をして中にはいって、そしてそっと手を伸ばした。
「っ! な、なに?」
掛け布団の下で驚かせないようそっとリリィの手を取ると、びくっと手を引こうとして引けなくて私をびっくりした顔で見ながらさっきまでの静かさと反する強い口調に、私もちょっとびっくりしてしまった。
そんなに驚かなくても。まあ私が悪いし、恥をかかせることもない。今のはなかったことにしよう。
「手、やっぱり冷たいよ」
「あ、う……まあ、そう言うこともあるわ。今夜は少し、冷えるもの」
「そうだよね……」
私が掴んでいるのでリリィが軽く動かした程度では抜けないけど、その状態でもリリィは恥ずかしいのか指先を動かしている。これ以上どういえばさりげなくなるのかよくわからないので、もう私は言い訳を言うのをやめることにした。
「ちょっとごめんね」
「え? え、ちょ、ちょっと……」
私は手を離してずいっとリリィに近寄り、そのままリリィを軽く横から抱きしめた。
昨日までならためらっていただろう。だけどもう、私はリリィと触れ合うことをためらう必要はない。だって私たちは夫婦なんだから。
抱きしめると肩も少し冷えている。足先をくっつけると、足の裏が結構冷たくなっている。
本当に、今更だけどずっといてくれたんだ。きっと私が部屋を出てすぐに着いてきて、のんびり堪能している間ずっといてくれたんだ。
申し訳ない。それと同時にリリィの気遣いを思うと私の体はお風呂上りよりもあったかいくらいだ。この熱で、リリィを温めてあげたい。
「リリィ、私今体温が高いからこうしているよ」
「え、いや、いやそんな」
「あったかくない?」
「あ……温かい、けど」
リリィはなんだかとてもぎこちないと言うか、固まっているようだ。まあ、抱きしめている私もちょっと緊張してしまうそうなのだけど。
だって、こうして布団の中で抱きしめるとなんだかとてもいい匂いがして、リリィの匂いってこんな感じなのかとか、薄着だから柔らかさもわかるし、寝転んでいるから頭の位置も近くて目を丸くしている可愛らしい顔もよく見えて、なんだか、ど、どきどきしてきてしまった。
自分で始めた以上、自分からすぐに引くのもおかしいし、リリィの体があたたまるまではしないといけないけど、でも、このままでは絶対寝れそうにないくらいにはドキドキしてしまっている。
「その、あったかくなるまで、しばらくこのまま話そうか」
「……ええ」
私の提案に、リリィは戸惑いつつも受け入れてくれた。