第六話 リリィ視点 勘違い
心臓を落ち着ける為にもエレナから目をそらしてお店を見ていると、不意にお店のショーウインドウに綺麗な刺繍のされた布を飾っているのが目についた。立派な刺繍だ。大きくて風景画のようで、普段は見ないものだ。あくまで飾ってその技量や商品の良さをアピールするためのもの。
このようなものもあるのか。今まで本当に、視野が狭かったのだなと思わされた。
とそんな風に私が見ているのを気づかれてしまったようで、そのお店にはいることになってしまった。
中を見ると刺繍の為の様々な素材が置かれていた。一そろいで購入するので、特定の色だけ買うことは滅多にないので、これほど多様な色に囲まれているとなんだかわくわくしてしまう。
工程の問題なのか、同じ色でも一束ごとに微妙に色が違ったりする。なので少しイメージと違う色味だったりすることも多いのだけど、わざわざそれだけを用意させるのも時間がかかるし億劫だったりで、ある色で間に合わせることが多かった。
あくまで私にとっての刺繍は嗜みでそこまでこだわるほどのものでもない。それだけのつもりだったけれど、こうして目にしてしまうと、あの色はこう使える、あれに使えば一番合うのではないか。どう使うのが一番合うか。そんな風に思考は勝手に走っている。
「そうなんだ。趣味なら、道具一式は持ってきてるんだよね? 気になる色や素材はない?」
「趣味と言うほどでは……でも、そうね。よくしていたし、道具ももちろん持ってきているわ。叔父様や従兄弟たちによくあげていたわね」
胸を張って趣味だと言うつもりはなかった。暇があればしていたけれど、手慰みのようなものだと思っていた。
だけどこうして環境が変わって思い出してみると、プレゼントして喜んでもらうと嬉しかったし、その顔を想像して作るのは苦ではなくて、自分からしていたし、楽しくないわけではなかった。
当然の行為だと思っていたけれど、言われてみれば趣味だったのかもしれない。自分のことに自覚がなかったのが少しおかしい。
そうして自覚すると、私はエレナにつくりたいなと思った。エレナに喜んでほしい。そう自然と考えていた。
エレナを幸せにしなければならないと言った王家の義務ではなく、そんな風に思うなんて、なんだか少しくすぐったい気持ちだった。
エレナは絵を描くのが趣味らしい。少し意外だ。てっきり体を動かすものだと思っていた。勇者だからと言う偏見だろう。それに素直にその涼し気な顔つきだけを見れば武芸より絵画の方がずっと似合う。
そんな風にお互いの趣味趣向について話したからか、少し心の距離が近づいた気がした。それにエレナが頑張って私に寄り添おうとしてくれているのも感じたので、私も年上としてちゃんとしなければと改めて思えた。
だから、と言うと言い訳になってしまうのだけど。
「……よければ、一口食べる?」
食べたそうにしているエレナがなんだか可愛らしかったし、小さなころの従弟たちのことも思い出して、そう提案してしまっていた。
「ありがとう。美味しいよ」
とエレナは何でもないように食べて喜んでくれて、それはいいのだけど……冷静に考えて私とエレナはまだそんな、同じお皿から一つのものを分け合う距離感ではないと言うか。
そもそも分けるにしても普通は口をつけていない部分を清潔なナイフでカットするもので、当然のようにエレナが食べているフォークを使ってカットしてしまったので、戸惑ってしまった。
口をつけたものが触れて、汚いと言うつもりはない。幼いころは母が私が食べきれないものを食べてくれたこともあった。でも、なんというか、相手がエレナと言うだけで全然違うと言うか。なんだか緊張してしまって断ってしまった。
別に特別チョコレートが嫌いと言うこともないのだけど。まあ、特別好きでもないから、嘘ではないけれど。
とあれこれ考えていたらいつの間にか完食していた。どうかしている。今日はそろそろ帰った方がいいかもしれない。と思いながらお店をでると、私の考えを察したのかエレナがそう提案してくれた。
「さて、まだ早いけど、今日はそろそろ帰ろうか? 疲れたでしょう?」
「帰りましょうか。また、いつでも来れるわ」
気を使わせて付き合わせるのも申し訳ないと思ったけれど、エレナはそれなりに荷物を持っているしエレナの本心でもあるのかもしれない。
それに疲れてきているのも本当だ。ここは素直にそうさせてもらおう。
「うん。と、リリィ、ちょっと」
頷いて歩き出したところで、ふいにぐっと抱き寄せられた。
肩を掴まれ、力強く押し付けられると、触れ合ったその想定外に柔らかさもある人の熱に、一瞬頭が混乱する。何が起こったのか理解できない。
引かれた勢いで力がはいらず、エレナにもたれかかるようになってしまう。エレナに抱きしめられている。その事実がじわじわ頭に入ってきて、うまく考えられない。
ドキドキと心臓がうるさくて、エレナのことしか考えられない。自分でもわかるくらい顔が熱くなる。
自分で立たないと、それだけは何とか理性から引きずり出して、よろける体を持ち直したところ、ふっとエレナの手が離れた。
「リリィ、大丈夫?」
そう言って顔を覗き込まれて、ようやく耳に入っていた情報が脳で処理される。そうだ、子供が横を走りすぎたのだ。そう、つまり、ただそれを避ける為だけで、何の意味もない。
「だ、大丈夫よ。ただ、急だから、驚いただけ……」
そうわかっているのに、声はごまかせないくらい動揺がでてしまっていた。顔の熱もさがらない。どうしようもない。
だってこんなに誰かと真正面から抱きしめられるように触れあうなんて、幼い頃の母の抱擁以来だ。エレナだからと言うのではなく、私はただ、なれない自分以外の熱に動揺しているだけだ。勘違いしてはいけない。
「ご、ごめん、気安くして」
「い、いえ。そんな」
私がおかしな反応をしてしまったせいで、エレナは何も悪くないのに申し訳なさそうな顔をしている。
「助けてくれて、ありがとう。その、それに、夫婦なのだし、そんな遠慮は、しなくてもいいわ」
本当に気にしないでほしい。すべて自分がおかしな勘違いをしそうになっているのが悪いのだ。まして家族になろうと言う仲なのに、ただ触れることをためらう必要なんてない。
そう言いたかっただけなのに、どうしてだろう。私の口から出た夫婦と言う言葉は、私から出ているのにもかかわらず、何故か私をさらにドキっとさせる響きを帯びていた。
「そ、そっか。えっと、じゃあ……危なくないよう、エスコートしても?」
「……お願いします」
さらにエレナはそう言って肘をだしてきた。きっと私がふらふらして頼りないから、親切心でそう言ってくれているのだろう。そんな気遣いを、まして遠慮するなと言った口で断ることなどありえない。
エスコートくらい、護衛の人にも馬車の乗り降りなどの際にしてもらうくらい日常的な行為だ。エレナが相手でも、何でもない行為だ。
そのはずなのに、そっとその肘に触れて寄り添った。エレナの肘の内側に手のひらで触れている。それだけだ。それだけなのに、すぐ傍に感じるエレナの存在を、触れてもいないのにどうしたって意識してしまう。
さきほど容赦なく全身で浴びたエレナと言う存在そのものが、あの熱が、今感じてるかのように蘇ってしまう。
「……」
私はもう、エレナで頭がいっぱいで何も言えなくなってしまい、優しく黙って導いてくれるエレナにただ付いて行くことしかできなかった。
こうして私とエレナの結婚生活は始まった。まだ始まったばかりで、これから家族になるもので、まだまだ心は遠くて、お互いに何も知らなくて手探りの関係だ。
エレナはきっと私を、ただ今後一緒にすごすことになった義理の姉妹のようなそんな風に思っているだろう。なのに、私の心臓は勘違いをしてしまう。
ただの家族ではなく、夫婦として、それは恋人のような関係のように、そんな風に勘違いしそうになってしまう。
そう、これは勘違いなのだ。女同士だからではない。政略結婚が珍しくない貴族社会において、だからこそ後継問題にはならない同性間での恋愛はよくあることだ。
だけど他ならぬ私が、エレナにとっての家の利になるわけでもなく、無理やりに生き方を曲げさせた王族の一員であった私が、そんな感情をエレナに向けるなんてありえないのだ。
そんなことをしてしまえば、この優しい勇者様は、きっと私の感情に付き合おうとしてしまうだろう。エレナが私の立場を慮って、この結婚生活を続けようとしてくれているのは間違いない。
どのような理由であれ、離縁された貴族女性の嫁ぎ先なんてまともなものは残っていない。まして普通にしていたってなかった私なのだ。修道女になるくらいしか私の面目が立つ道はないだろう。
だけどそれがどうしたと言うのだろう。エレナの立場を考えれば私がそうしてエレナの為に一生祈りをささげるくらいはして当たり前のことなのだ。
なのに私は、エレナの優しさに甘えてこうして家族としての道を選ぼうとしている。
私はエレナが女として生きる道を奪った人間として、エレナの心の自由だけは守らなければならない。私とエレナの家族関係は百パーセント安らげる、偽らずにいられる関係でいなければならない。
私がこの勘違いをだしてしまえば、気を使ってそのふりをするだろう。私の前すら、エレナは勇者である時と同じように、エレンとしてふるまう時と同じように、私の恋人を演じなければならなくなってしまう。
私がそれを望まないと言っても、元王族と言う立場は彼女にそれを強いてしまうだろう。
だから私のこの熱は、心臓のうるささは、全て勘違いなのだ。そうでなければならないのだ。
私はそう自分に言い聞かせながら、ただ、エレナを幸せにすることを誓いなおすのだった。