雪の日の話
結婚式が終わり、年が明けたら旅行に行くまであと二週間という年末。白く小さなものがちらつきだしたのを見て、私はリリィを振り向いた。
「リリィ、雪が降ってきたよ」
「あら。本当ね……」
おっ、雪がふってきた! というテンションで言ったのだけど、リリィはどこか物憂げだ。首を傾げて頬に手を当てたいかにもお姫様然とした振る舞いにうっとりしてから、私は席をたって向かいのリリィの隣に座った。
「リリィは雪に、あんまりいい印象がないのかな?」
「ああ、誤解させてしまったかしら。そう言うことではなくて、もうすぐ出発でしょう? もしその日に街道に雪が積もっていれば、この領地を抜けるのは難しいもの」
「あ、そっか」
王都より涼しいとは言っても、冬の間は雪が積もると言うような地域ではない。例年、真冬も合わせて雪が降るのは両手で数えられる程度だそうだ。だから年が明けてからでも余裕で出発できる想定だったけれど、もし積もって雪道になってしまっていれば出発は難しいだろう。
「まー、でも大丈夫じゃない? 積もってもちょっとだろうし、すぐ溶けるって。とりあえず雪を楽しもうよ」
「……そうね。心配したところで、天候を変えられるわけでもないものね」
まだ二週間もあるんだから、積もったところで溶けるだろう。リリィは真面目だから、なんでも深刻に考えちゃうんだろう。
気を楽にしてもらおうと軽く笑って声をかけたところ、リリィはどこか呆れたようにしながらもそう頷いてくれた。
「じゃあ、庭を散歩でもしよう。そう長居するつもりじゃないけど、上着を羽織ってね」
そう言って促して、一旦自室に戻って私も上着を着て廊下に出ると、それと同じタイミングでリリィが一人でドアを開けて出てきた。
「あれ、侍女さん呼ばなかったんだ?」
「庭に出るのに上着を着るくらい、一人で問題ないわ」
普段リリィの身支度はお付きの侍女がしてくれている。私は自分がされたくないししているの見られたくないので、自分の部屋にさっと行ってリリィの侍女を避けている。だから今回もそうなのかと思ったけど、でもそうか。
旅行の時も、朝起きた身支度はともかく、自分でさっさと着てたりするもんね。リリィもすっかり旅慣れたものだ。
「そっか、じゃ、行こうか」
ということでそっと肘をだしてエスコートの構え。リリィは微笑んでそっと隣に寄り添うようにして肘に触れてくる。
そうして家を出る。玄関を出る時にも、庭に出るだけと言えば騒がれることもなく通してくれた。みんなの反応も、最初の頃と比べるとずいぶん変わったなぁ。
「風が冷たいね。大丈夫?」
「平気よ」
建物から出るとひんやりした空気が肌に触れる。リリィは平然とした様子で微笑んだ。雪がちらつく中、庭園をすすむ。冬になって寂しくなった気がしていたけど、花がなくてもこれはこれで落ち着いた雰囲気があってなかなかいい。散歩できる遊歩道のコースをのんびり歩く。
「あ、見て、リリィ。向こう、雲の切れ間があるよ」
「あら、本当ね。雪がふっているのに青空が見えるというのは、なんだか不思議な気持ちね」
中間地点にある東屋を過ぎたところで、光が見えて私はリリィに指さして教えた。全体的に覆っていた雲の隙間から、青空がちらりと覗いている。
「以前、空いっぱいに青空なのに、雪が降っていたこともあったよ。あの時は本当に、青い背景に雪ゆらゆらと迫ってくる光景が綺麗だったなぁ」
「雲がないなんて、そんなことがあるのね」
「実際にはあるんだろうけど、風で雲がない方にまで流れて来てたんだろうね」
あの時は雪にも感動したものだ。まあ、そのあと雪がある中を歩き続けてうんざりしたけど。でもこのくらいなら可愛いものだ。
私は手のひらを上にして、雪が落ちてくるのを受け止める。すぐに溶けてしまうけれど、観察すれば雪の形がよく見える。
「見て、小さいけど、よーく見ると複雑な形してるの面白いよね」
「まあ、本当ね。話には聞いていたけれど、こうしてじっくり見たのは初めてよ」
「こんなに小さいのに、すごいよね」
「そうね。手、冷たくはないの?」
リリィに見えるように手のひらを差し出して見せると、まじまじと私の手のひらに次々に落ちてくる雪の粒を見て、それから心配そうに私の指先に触れてきた。
「さっきから顔にだって当たってるけど平気でしょ? 心配しすぎだよ」
「そうだけど、冷たくはなっているわ。手足の先は冷えやすいもの」
そう言って、リリィはぎゅっと私の指を握った。リリィの指先は確かに私より温かい。指の先までリリィは柔らかくて、触れられると心地いい。
「じゃあ、戻ろうか。明日、積もってたら雪遊びをしよう」
「構わないけれど、それならちゃんと手袋をしないと駄目よ」
「わかったよ。リリィもね」
まだゆっくりしたい気がしたけど、いつまでもここにいても仕方ない。遊歩道をそのまま進んでぐるっと一周して家に戻った。そのままなんとなく流れで上着を着たままリリィの部屋に一緒に戻った。
そう長い時間ではないちょっとしたお散歩だったけれど、部屋に戻るとその温かさに思わずほっと息をついてしまう。
「戻ってくると、こんなに部屋があったかかったんだなぁって感じるよね」
「そうね。温かいお茶を飲みましょう。座ってちょうだい」
リリィはそう言ってさっと私から離れて部屋を出て、使用人に頼んですぐに戻ってきた。些細なことなのだけど、リリィがあっさり離れてしまったので寒く感じてしまう。
「ほらほら、リリィこそ冷えてない? こっちに座って」
「まあ、ふふ。甘えん坊ね」
なのでリリィを手招きして引き寄せ、ぎゅっとくっつくように肩を抱いてソファに座った。お互いに分厚い上着を着ているのだから急激に体温を感じるはずもないのに温かく感じるのは不思議だ。
そんな私にリリィはふんわりとお姉さんっぽい微笑みを浮かべて私の頬をするりと撫でてくれる。リリィの指先はくすぐったくも、顔にふれられると少しひんやり感じられた。
「あら、ごめんなさい。冷たかったかしら?」
「ううん。冷たくて気持ちいいよ。室内だと温かすぎるくらいだし」
そう言って離れたリリィの手を掴んで顔に寄せて指先にキスをする。するとくすっと笑って唇を撫でられ、すっと指先が滑るように頬を撫で、そのまま首に回された。おや、と思う間もなく、リリィのもう片方の手も回されて引き寄せられるように顔が近づいた。そしてこつんと額をくっつけられた。
もしかして、リリィからキスを? とドキドキしたのだけど、そう言うつもりではないのか、くっつけたまま微笑んでいる。
「リリィ?」
「ふふ。可愛いわね」
目を瞬きさせながら名前を呼ぶと、リリィはそう言って焦らすように、首の横をまわした指先で撫でて顔を寄せて頬ずりをしてきた。
いつもは私がキスをする前後にすることだけど、自分がされると意外なほどドキドキする。
「……ふふ。少しは温まったかしら? もうお茶も来るわ。上着を脱ぎましょうか」
だけどそうしてキスを待つ私に、リリィはそう言うとあっさりと顔を離してしまった。いやいや、さすがにそんな、と手を伸ばそうとしたけれど、部屋の外を気にしてみると確かに台車を押して人が近づいてくる。
「……」
「あら、なぁに? 可愛い顔をして」
思わず唇を突き出してリリィを半目で見てしまうけれど、リリィは立ち上がって上着を脱ぎながら、そう言って爽やかにからかうような言葉をかけてくる。
「お茶をお持ちしました」
「どうぞ」
乱暴に上着を脱いでソファの背もたれに適当にかけると、使用人がノックをしてお茶を持ってきた。いったん嫌な顔はなくして、中に入ってもらう。
「……」
「……?」
用意してもらっている間、申し訳ないけど早くでてくれないかな。と思いつつソファに座りなおして目の前の侍女の様子を見ていると、視線に気づいた侍女は振り向いて不思議そうに首を傾げた。
リリィの侍女の一人として、この現地で新しく雇い入れた少女だったか。リリィがお城から連れてきた数人はベテランだから、こういう時も察して笑顔でスルーしてくれるんだけどなぁ。
と思いつつ、お茶を頼んでおいて早く出てほしいなんていうのは自分勝手と言うのはわかっているので、急かさないようニコッと笑顔を見せておく。 すると侍女もニコッと笑顔を返してきた。
「失礼いたします」
そして一通りニコニコ笑顔を振りまいてから、侍女はゆっくりお茶を出して部屋を出ていった。よしよし。ちょっとばかり中断されて、いい雰囲気が飛んでしまった気もするけど、お茶を飲みながらゆっくりしよ。
「それじゃあリリィ、お茶を……どうかした?」
リリィは自分が脱いだ上着を壁際の衣装ケースに片づけていて少し離れていたので、早く戻ってくるよう促そうとした。
だけどリリィは手に何も持たないで、もう片づけ終わっているだろうに何故かその場に立ったままじっと何かもの言いたげに私を見ていた。
「別に、なんでもないけれど……いつになく、熱心に侍女を見ていたと思って」
「え? ……え? 妬いてる?」
「……」
さっきまであんなにいちゃいちゃしていたと思えない冷えた声音で聞かれて一瞬首を傾げてしまうけど、さすがに態度が露骨すぎる。逆にそんなことないのか? と思いながらストレートに尋ねると、リリィはかっと頬を赤くした。
「えっ、えー、可愛い! もー、リリィ可愛すぎるって」
「な、なにを言っているのよ」
その可愛さに思わず立ち上がって両手を広げて、可愛さにもだえてしまった。そんな私にリリィはなにやらもじもじしている。可愛すぎる。
私はなにやら遠慮がちに身を引いているリリィに近づいてぐっと肩を組むようにして軽く抱きしめる。
「ごめんごめん。いや、あの子には悪いんだけど、早く出てってくれないかなーって見てただけだよ」
「そんなことを考えていたの? みな、仕事でしてくれているのよ」
「わかってるよぉ。だからその気持ちがばれない様に笑っておいたでしょ」
「……まあ、いいけれど」
私の言葉にリリィは目を丸くしてから、仕方なさそうに息をついた。
そんなリリィを抱き寄せてソファに誘導して、さっきと同じように席についてから可愛いリリィの頬にキスをする。
「そんなことより、焼きもち妬いてくれてたでしょ? リリィったら可愛いなぁ。私にはリリィしか見えてないって言うのに」
「……普段、あなたは本当に私しか見ていないじゃない。なのに、珍しいと思っただけよ」
「気持ちが伝わっていて嬉しいよ」
「もう。あなたと話してたら、私が馬鹿みたいね」
リリィはそう言ってくすりと笑った。あー、可愛い。焼きもち妬いてくれるとは思わなかった。不快に感じたリリィには悪いけど、でも、いや、可愛すぎる。ちょっと見て愛想笑いしただけなのに。
「そんなことないよ。というか、元々私の方が怒ってたつもりなんだけどな」
「ん? ああ、まあ、そうね」
あんまりリリィが可愛いから、ついついテンションがあがってしまったけれど、さっきはリリィの方が私を怒らせていたのだ。お互い様と言うことにしていただきたい。
「さっきのリリィ、ずいぶん焦らしてくれたでしょ。だからお相子ってことにしてよ」
「焦らすなんて。普通に、あなたを温めようとしてあげただけよ」
「そう? ……じゃあ、もっと温めてよ」
そうしてしばし、雪の寒さを感じなくなるまで、さっき焦らされた分までたっぷりキスをした。せっかくのお茶は冷めてしまったけど、その方が美味しかった。
そして翌日にはすっかり雪はやんで、お昼には庭のすみの日陰部分に少し雪が残る程度だった。なので手のひらサイズの雪人形をつくって遊べはしたけれど、無事旅行には影響なく、出発することができるのだった。




