第五話 リリィ視点 勇者様
政略結婚、それ自体は珍しいものではない。私はこの度、魔王を殺した勇者様にその褒美として嫁ぐことになった。相手はこの国が観測する限り三人目の勇者にあたる、エレン・マックレーンだ。
一人目の勇者はこの国を建国した初代国王となり、二人目は当時の姫に婿入りして14代目の国王となった。エレンが望めば、王位が望めるだけの功績であり名声だ。
だけど彼は王位を望まなかった。すでに将来有望な後継ぎがいる現在の治世を乱したくなかったのだろう。理性的な人だと思う。
だけど、だからこそ、王家は過去に引けをとらないだけの褒章を与えなければならない。本人がよいと言っても、国は働きに対して正当な報酬を与えないと思われては、それこそ国が傾いてしまう。
そこで現在の王の姪であり、義理の娘である私に白羽の矢がたった。
王の実の娘はたった一人の末娘でまだ五歳だ。まだ若いエレンとの年の差は十五歳差。年齢差だけなら珍しくない範囲ではあるが、親元から離すことすら非常識な年齢であり、結婚しようとしても10年は必要になる。
私は、すでに行き遅れの二十七歳だ。両親が亡くなり、母の弟であった現国王が養父となってくれはしたけれど、色んな問題がある私の嫁ぎ先は決まらないままこの年になってしまっていた。褒美というだけではなく、送り出す王にとっても都合がよかったのだろう。勇者の隣なら、他のどこより安全だ。
彼はマックレーン侯爵家の跡取り息子ではあったが、勇者になる少し前に弟にその座を譲っていた。その為勇者と言う肩書以外にエレンは爵位や領地はなかったので、私と一緒に王家が所有する小さいが豊かで王都からほど近く避暑や観光地としても人気のドノバン領と公爵の地位を彼に与えることになった。
そして、私と彼は結婚した。彼とはろくに口をきいたこともないけれど、その姿は二度目にしている。教会に予言され勇者としての認定を受けて旅立つ時と、魔王を倒した報告をした時だ。
彼が勇者で魔王を倒した世界で一番強い人間、と言うのを一目見てわかる人はいないだろう。男性としては小柄で華奢だったからだ。
女性のように綺麗な顔をしていて、私は一度目に彼を見た時、予言なんてなにかの間違いだと思った。当時、まだ十代だったエレンは子供にしか見えなかった。
だけどまさか、エレンが女性だったなんて、誰も想像すらしなかっただろう。勇者様だと言う立場が男性だと思い込ませてその目を曇らせていたのかもしれない。
言われてみれば、女性だと思ってみてみれば、もう女性にしか見えなくなった。
私より背が高くて、声も低い。だけど女性だとして違和感のない範囲だ。どうして誰も気づかなかったのか不思議に思うくらいだった。
それを謝罪と共に告白され、本当に私は申し訳なくてたまらなくなった。頭をさげて言われたのに信じなかったことで、どれだけ彼女を傷つけただろう。
そもそも勇者としての責任を一方的に押し付けられて、女の身でありながら男として振舞い旅をして勇者として魔王を討つなんて、どれだけ大変なことだっただろうか。
男だからよいというわけではないけれど、だけど仲間にすら秘密を持って偽りの勇者を演じるなんて、ただでさえ大変な勇者としての行いをさらに困難にさせたことは想像に難くない。
王家として、彼女に勇者としての使命を命じたのだ。もちろん予言の勇者である彼女しか、その役目は果たせない。そして事実として誰一人かけることなく五体満足で帰ってきた。
だけどだからと言って、王家の責任であり、王家が国として彼女にすべてを押し付けたのは事実なのだ。そして何も知らないまま、私との婚姻まで押し付けてその後の人生まで捻じ曲げてしまった。
私は元王家の一員として、彼女の成し遂げた平和を享受する者として、責任を取って彼女の功に応えないといけない。彼女のこれからの人生を幸福なものにしなければならない。少なくともその為に尽くさなければならない。
私はできる限りの誠実さをもって、彼女にそれを伝えた。
「あなたを幸せにすると誓います。この結婚が正解だったと思えるように、あなたに誠意を持って尽くします。だから、私と結婚してください」
だと言うのに、何故か結婚を申し込まれてしまった。訳が分からない。わからないけど、私の心臓はドキドキとそんな状況じゃないはずなのに、ときめいてしまうのが止められなかった。
だって、仕方ないではないか。私なりにこの結婚を前向きに受け入れていたのだ。迷惑に思われて他に愛妾をつくる可能性も考慮してはいたけど、それでも、期待をしてしまっていた。
恋なんて望めなくても、人として尊重しあい子供を作ってよき母となれば彼も家族として愛を持ってくれて、幸せな家庭を築くことができるのではないか。いつか、幸せになれるんじゃないか。
私は両親を幼いころに失っている。恵まれている自覚はある。それでも、温かい家庭に憧れていた。
彼のことはまだよく知らないけれど、選りすぐられた体格のよい護衛男性に囲まれて窮屈に感じていた私にとって、彼の見目も好ましいものだったし、きっと私は彼に愛情を持てるだろうと思っていた。
そんな人に、真正面からプロポーズされたのだ。どうしてときめかずにいられるだろうか。
もちろん、勘違いなんてしていない。こんなのは一時の気の迷いだし、彼女はそんなつもりではない。だけどただ純粋に家族になろうと言うその申し出は、十分に私にとっても魅力的なものだ。
だから私はおかしな勘違いをしないように、彼女を幸せにできるよう寄り添おう。そう誓った。
そしてその翌日のことだ。彼女、エレナと外出することになった。驚くことに、二人きりだ。普通に考えて、ありえないことだ。
だけどあまりにエレナが当然のように、自分一人の方が守りやすいから大丈夫と言うので、それに反論できる人間はいなかった。
今までは人を排した安全な庭などでも必ず侍女や護衛が視界の中にいた。それもなく、周りには私と何の関係もない人たちが当たり前に道を歩いている。その光景は、なんだか今までより視界がひろがったようだった。空の青さを改めて実感させられたような気にさえなった。
「街を歩くのは好きなんだ。気になるお店があったら言ってね」
驚く私に、エレナは何も特別なことなんてないようにそう言った。
彼女は自由な人だ。そんなことはないのに。誰より私たち王家の人間がエレナに過酷な人生を強いていると言うのに、そんな風に感じてしまった。
とはいえ、お店なんてどうやって選べばいいのか。自分で何かを選ぶと言うことは少なかったので迷ってしまう。
街を歩くだけで、意外と楽しいと思っていると、エレナは衣類が並ぶお店を指した。
今まで衣類と言うのは私の体に合わせて作ってもらうものだった。だけど確かに、すでにある中から体に合うものを選べばすぐに着ることができる。とても便利だ。
店の人間はみな褒めてくれた。普段接する人よりもより感情豊かでその接客の違いは面白かったし、普段身に着けるものと違うけれど、値段から見て汚れたり使い捨てる用途と思えばこれはこれでありだろう。
と冷静に服装の判断をしていたのに、
「確かに、似合う……。どれも似合うね」
などとエレナが大真面目な顔で私を見ながらそんなことを言うので、気恥ずかしくなって冷静になれなくなったので自分の分はやめることにした。
このままではすべて買ってしまう。持ってきてもらっているものならそれもいいけれど、万人に開かれているお店でそれをしては迷惑だろう。
エレナの方もすすめられていたのだけど、エレナ、と呼んでしまったのに普通に男性扱いされている。まあ、今の服装が男性服なのだから当然なのかもしれないけれど。
だけど、なんというか、どれもよく似合っていた。勇者や貴族としての正装もよく似合っていて格好良かったし、今着ている普段着のようなシンプルな格好も様になっているのだけど、少し粗野さというか、ワイルド感というか、そういうのもエレナの格好良さをむしろ引き立てている。
顔だけ見ると綺麗で上品さがあるのだけど、それとのギャップがまたいいと言うか。見ているだけで気分がよくなる。
買い物を終えてお店を出てから我に返って、じっと見すぎていたと自覚して少し恥ずかしい。それに私がつい店の人に相槌をうってしまった特にこれはよい。と言う私の好みのものをエレナが迷わず購入してしまったのも、なんだか、気恥ずかしい。
「リリィ、これ。よかったら」
「え?」
と反省していると、まさかの私の分まで買ってくれていた。驚く私に、どこか不安げに帽子を差し出すエレナ。
その姿は勇者として見せていた堂々としていたものと違って、なんだか小動物を見ている気持ちになって慌てながら受け取って身に着けた。
帽子一つとっても、普段つけるのはあくまで装飾品であり、こんな風に実用的に日差しを避ける為に大きなつばのものは初めてだけど、思った以上に日差しを遮る効果があるようだ。
「……どうかしら?」
「可愛いよ」
さっきすすめられた一つとはいえ、トータルコーディネートの話だ。今の服にも合うかと言う意味で聞いたのだけど、エレナはそう微笑んで言った。
心臓がどきどきと早鐘をうつけれど、勘違いしてはいけない。エレナはただ女同士の身内感覚で、気軽に誉め言葉を口にしているだけなのだ。私だって、従妹に可愛いと何も考えずに言っていた。
動揺を見せないように微笑みを返してごまかした。私だって、甘やかされた環境にいたとはいえ表情を取り繕うくらいはできるのだ。
昼食をとるのも、席まで案内をされないのもメニューを自分で決めるのも初めてだ。そのすべてスムーズに行っているエレナに頼もしさを感じる。
だから、そのせいなのだ。全部勘違いだ。
「不謹慎なんてことはないけど、旅がしたいなら、これからいくらでもできるよ。リリィには私がいるんだから」
「……その発想は、なかったわ」
考えたこともないことを言われて驚いていて、不意打ちをされたのだ。
「私がリリィを守る以上、世界のどこにでも行けるけど、ひとまずはこの領内を見て回ろうか」
そうでなければ、こんなにもときめいてしまうなんてことはないはずなのだ。守ると言われることだって、今まで何度もあったのだから。
「……ええ、それもいいわね」
この胸のときめきは、ただのこれからの自由な未来に向かっての高揚感だ。そう自分に言い聞かせながら頷いた。