第四十八話 リリィ視点 過去と未来
私が両親について知っていることは多くはない。特に父のことは顔も覚えていない。母が大切にしていた、ロケットペンダントの中にあった小さな姿絵だけが私の知る父の顔だ。 だからできるだけ淡々と、間違いのない事実だけを伝えたつもりだ。
もちろん推測することはできる。
例えば、喧嘩別れをしたと言ったけれど、祖父は母を愛していたからあえてそう振舞ったのではないだろうか。手切れと言って、母の為に小国なら数年分の国家予算規模の結婚式の衣装を用意したのは事実だ。あえてそう宣言することで、嫁いだ後の勢力争いにならないように、それでいて、後ろ盾の大きさをアピールしたのではないだろうか。
他にも、色々。想像することはできる。母が嫁いだことで王位継承権の揺らぎがあったのではないかとか、父の直接の死因は知らないけれど一抹の故意もないなどということはないだろうとか。
だけどそのどんな推測も無意味だ。全て終わったことだし、全てを知る母がクラーク国との関係の変化を望まなかった。婚姻と国交は何の関係もないことだと、怒る祖父を止めた。母は最期まで私と父を愛しているのだと言葉と態度で伝えてくれていた。だからそれ以上の事実はなくていいのだ。
だけどそれでも、幼い頃に両親を亡くしているというだけで、十分に同情に値するものだ。だけどエレナが言ったのは
「リリィが愛されて育ったことがわかって嬉しいよ」
だった。なんておかしい。両親について色んな噂があり、面白おかしく誇張された中では穏当だったというだけかもしれない。それでも、大変だったねとか、そういう当たり障りないことを言われると想像していた。
「……ええ、そうね。母も、父も、愛してくれていたわ」
だけど、本当にそうなのだ。不明な点も不審な点もあるけれど、両親が私を愛してくれていたことは事実なのだ。
遠い遠い記憶。父の顔も覚えていない。だけど私の記憶の一番古いものに、確かに父の姿がある。
暖かな暖炉がある部屋の中、届かない窓に手を伸ばす私がふいに抱き上げられて視界が高くなる。雪に覆われて白い街中に色とりどりの明かりのある美しい光景。そして私を抱き上げた人はぎゅっと抱きしめてくれた。温かくて、母とは違うしっかりした優しい手つき。そしてそのまま振り向いて、暖炉の傍の椅子に座る母を見る。
たったそれだけだ。だけど美しい街並みも、確かな力強い父に抱かれる感覚も、はっきりと覚えている。
もちろん、それが本当の記憶なのかはもうわからない。
幼い頃、確かに覚えてはいたのだ。だけど母にその話をすると喜んでくれたから、何度も思い出して何度も話した。記憶は想像で補われ、話しているうちに元々の記憶だと思い込んでいる可能性もある。
だけど雪がふるお祭りの日に、父が私を抱き上げて窓の外を見せてくれたことは確かにあったのだ。それ以外にもたくさん、私が覚えていない思い出も母は話してくれた。私は両親に望まれて生まれてきたのだ。
「いつか、クラーク国にも行こうね」
私がエレナの言葉で暖かな思い出を反芻していると、何でもないみたいに続けてエレナはそう言った。
できるはずもないこと。仮にも正式に血を引く私は、向こうからしてもうっとうしい血縁者だ。無下にもできないし、扱いが難しい。こちらにしたって、家族はきっと心配してとめるだろう。だからクラーク国に行きたいなんて考えたこともなかった。
「大丈夫大丈夫。リリアン姫が行けば確かに問題かもしれないけど、お忍びでこっそり行く分には大丈夫だよ。お父さんが生まれた故郷なんだから、一回くらい見に行こうよ」
「もう……あなたが言うと、なんでもないことみたいね」
だけどあまりにあっさりエレナはそう言う。なんでもないことみたいに。私自身が知らなかった私の願いすら拾って、叶えようとしてくれる。
「私もリリィが生まれた国に興味があるしね。リリィにとって嫌な思い出があって行きたくないなら、もちろん行かなくていいけど」
「そんなことは……ないわ。わかったわ。じゃあ、いつか、行きましょうか」
エレナの言葉は、いつでも私を思ってくれている。エレナといると、本当に不思議な気分になる。
どうしてこんなにも素敵な人が、私を愛してくれているのだろうか。と。一緒にいると心が温かくなって、こんなに人を好きになるのだと思っていた驚きを超えて、もっともっと、エレナが愛しくなる。
そんな私に、エレナは身を寄せて、頬に口づけてくる。何度となく、自然に、当たり前みたいにエレナは私に愛情を示してくれる。本当に、愛しい人。
「うん。リリィのご両親は残念ながら早世されてしまったけど、ご両親の分まで私たちはずっと一緒に、長生きしようね」
そしてそのままの距離でそっと、耳打ちするようにエレナはそう言った。まるでお願いするように。そんなこと、私の方がお願いしたいくらいなのに。
胸がいっぱいになってしまって、言葉が出なくて、私は目を閉じた。エレナの唇が私の唇に触れる。熱いくらい気持ちが伝わってくる。
エレナが好き。大好き。愛している。この気持ちがどれだけ伝わっているだろうか。全然、半分も伝わっている気がしない。
ずっとエレナの傍にいたい。離れないよう、ずっと傍に。
〇
結局、年明けのことが決まったのは翌日のことだ。エレナとのお話はいつでも楽しいけれど、エレナがすぐに私にキスをしたがるせいだ。
私の同じ気持ちでいることは否定しないけれど、真面目な話をしている時くらい、もう少しくらいキスを我慢してもいいだろうに。とはいえ、そう言ったところが私にとっては好ましいのも事実ではあるのだけど。
来年は南に行く。まだこの領地内すら回り切っていないのに、エレナときたらあっちこっちとすぐに気が逸れて、それでいて本当にしてしまう。
本当に、エレナと居るとなんでもできるような気になってしまう。
私は寒い冬の始まりに生まれた。寒さには強い方だ。
「あれ、リリィ、その格好で行くの? 寒くない? 大丈夫?」
「まだ冬には早いくらいだもの」
だけどエレナには妙に心配されてしまう。寒いと言ってもまだ私の誕生日まで日もあるし、葉が落ち切らない季節だ。もちろん薄着では肌寒いけれど、季節に合わせた長袖を重ねている。十分だ。
エレナはいつものズボンにシャツに加えて薄手のセーターと私と同じくらいの格好だけど、それに加えて大きなマフラーをつけている。暑くないのだろうか。と思ってしまう。
「そうはいってもエレナの格好だって、私とマフラー一枚しか差がないじゃない。もっと温かいセーターも上着も手袋もしていないのに、何をそんなに心配することがあるのよ」
「そうだけど。マフラーくらいしたほうがいいんじゃないかな。ほら、首周りを温めると全然違うよ?」
と言いながら、エレナはちらちらと私の様子をうかがってくる。
今はエレナの誘いで、街を散策しようとお互いに出かける準備をして部屋を出たところだ。まだ外にもでていないのに、 妙にマフラーをすすめてくる。
「そう? じゃあ、街を歩いて寒いようなら検討してみるわ」
「うーん、うん。そうだね」
なにやら歯切れの悪い返事だ。不審に思いながらも、私達は家を出た。
いつもはすぐに私の手を取るエレナなのだけど、今日は何かを考えているようで私の様子をうかがいながらもう普通に歩いている。
気にしても仕方ないので、まずは街歩きを楽しむことにした。久しぶりに出た領地街は王都に比べると人が少ない。悪い意味ではなく、程よく静かで落ち着いた街並みだ。
通りすがりに、道を履く老婦と目が合ってにこりと微笑まれた。笑みを返すと、老婦は深々とお辞儀をした。よくあることだ。
私たちの姿を見て、わかっている民もそれなりにいるのだろうが、今のように大きな声をだすことはしない。見るからに貴族らしくないお忍びとわかる軽装だから、みな黙って見守ってくれているのだろう。
そんな民たちに、改めて結婚の報告するというのは、確かにそれだけでも悪いことではない。きっと喜んでくれるだろう。
とはいえ、多少の気恥ずかしさはまだ残ってしまっているけれど。
本当に必要で最初から計画していたなら、最初の結婚式からこんなに日が開くことはないのだ。誰が聞いたって、浮かれてやっぱりもう一回したいからするのだろうと思われてしまうだろう。それを思うと気恥ずかしさはなくなりそうにない。
「あら、エレナ。見て、すっかり冬仕様ね」
しばし歩いて商店街が目につくと、遠目にも大きな飾りがあちこちに飾られているのが見えて、私はエレナの袖をひいてそう声をかける。
冬はどうしても寂しくなる。外に出るのが億劫で、一年の内で一番街中から人がいなくなる季節だ。だからか、人がいなくても寂しくないよう飾り立てるのがこのあたりの風習だ。積雪するほどでもない地域だからとも言える。
それでもこうしてまじまじとその飾りを近くで見るのは初めてだった。
大きな張りぼての人形や、大きな絵を描いた板を二階から吊るしたり、まだ日も明るいうちから目立つ明かりをつけて光る小さな小動物飾りを庭先に遊ばせていたりと、バリエーションが豊富だ。
「へえ、どれもオシャレで可愛いね」
「ね。領主館はまだしていないけれど、予定はあるのかしら」
「一部だけでも私たちでやってみるのはどう? 楽しそうじゃない?」
「あら、それもいいわね」
そう相槌をうちながらエレナを振り向くと、思いのほか近い距離にいるエレナがどこか困ったように微笑んでから、はい、と私に何かをかけた。上から布がかぶせられた、と思ったらすぐにさがり私の首周りが布で包まれる。
「その、さっきはなんか変な感じになっちゃってごめん。このマフラー、二人でつけたくて」
やや頬を染めてどこか恥じらいながらも、エレナはそう言って私の手を握った。私の首に巻かれたマフラーはエレナのが身に着けていたもので、今では私とエレナをつなぐように巻かれている。
元が長いものなので、ある程度余裕をもたせて二人を巻いてもさらに余るくらいだ。なので見た目にも不格好と言うことはないだろうけど、いや、でも、一つのマフラーを二人で使うって、なにか、こう……なんだかあまりにも、浮かれているように見えるのでは?
「ごめん、暑いなら無理しなくてもいいけど」
「……いえ、温かいわ」
気恥ずかしさで体が熱くなってしまい、頬を撫でる風が冷たいくらいだ。周りの民からの目も、さっきよりずっと気になるし、生暖かくなった気さえしてしまう。
だけど、嫌な気分ではない。本当に可愛い人だという思いがあふれてくる。
なんでもさらっとしてしまうように見えて、不器用に私との距離をはかるところも、変なところで恥ずかしがり屋なところも。可愛くて仕方がない。
マフラーでつながれたどこか不自由なところもどこか拙いエレナの愛情表現に感じられて、その可愛さで熱いくらいにあがった熱を下げる気にはならない。
私はぎゅっと強くエレナの手を握る。寒いのは嫌いじゃなかった。だけど、エレナと一緒なら、これから寒さを感じることすらなくなるかもしれない。なんてことを思いながら、私はエレナとの街歩きを楽しんだ。




