第二話 私の望み
複雑な事情があるわけではないけど、ここまで来てしまった以上、その経緯も含めて細かく説明しなければならないだろう。
そう思いありのまま、問われるまますべて説明した。
「……エレン様、お話してくださりありがとうございます」
「いえ、ご説明が遅くなったこと、まことにお詫びのしようも……?」
リリアン様がひどくお辛そうなお顔でお礼を述べるのが、また申し訳なさを加速させる。本当に、私のどこが勇者なのか。自分のことを話すことすらできず、勇気がないせいで、彼女を傷つけている。
頭を下げようとした私に、リリアン様が私の手をとってじっと見てきたので、私は言葉をとめた。その繊細な指先のなめらかさ、まっすぐ見つめてくる宝石のように美しい瞳。言葉が出ない。息すらとまりそうだ。
無言でしばし見つめあうと、ふっとリリアン様は柔らかく微笑まれた。
「謝らないでください。あなたはただ役目を全うしてくださっただけです。今まで、本当によく頑張りましたね。お疲れさまでした」
「……」
そんなことを、言われるなんて、思わなかった。リリアン様は一言どころか、わずかな仕草にすら私を責める様子を見せず、ただ私を労わってくれた。
それに私はふっと風がふいたような、体が軽くなったような気がした。
ここにきて初めて向けられた微笑みも、心がこもっているように感じられた。本心から労わられたような気がして、母が抱きしめて褒めてくれた幼少期を思い出した。
「これからのことはもう、無理なさらないでください。エレン様が庶民として暮らしたいのなら、療養されているということにしてここを出て行かれても構いません。相応の身分や支援もお約束します。または、公式に発表して貴族女性として生きたいなら、それも手伝いましょう。エレン様はまだお若い。これから先、何をしたいか、何があなたの幸せか、ゆっくりお考えください」
そうしてじんわり心の温かさに浸っていると、さらにリリアン様はそんなことを続けて言う。
これからどうしたいか、自分でもわからない。全部終わったらどうしようか、あれがしたい、これがしたい。そんな風に考えたことがないわけじゃない。だけど具体的なことはすべてその時が来てからだと思っていた。
私はただがむしゃらに、言われるがままの人生を送ってきた。努力はもちろんした。だけどそこに自分の意思がどれだけあっただろうか。
私は何をしたいのか。何が望みか。そう自分に問うてみる。答えは、すぐに出た。
「今日のところは、もう寝」
「リリアン様、私は、自分をさらけ出す勇気もなく、情けない人間です。腕っぷしだけは自信がありますが、他に何のとりえもありません」
「え?」
私の手を離して話を終えようとしたリリアン様に、今度は私がその手を握る。強すぎないように、優しく、小鳥に触れるようにそっと握る。
「ですが、あなたを幸せにすると誓います。この結婚が正解だったと思えるように、あなたに誠意を持って尽くします。だから、私と結婚してください」
リリアン様の提案は、どうしたって自分を犠牲にしたものだ。私の為に彼女がそこまでしてくれる理由なんてないのに。
だからこそ、そんな彼女に、幸せになってほしいと思った。もっとずっと、この優しい笑顔が続くように。
それが今の私の望みだ。偽らざる本音。こんなに理不尽な目にあいながらも、私に優しくしてくれようとするリリアン様。その心に応えたい。
それにそもそも、もう結婚をしてしまったのだ。すべてを世間に打ち明けることなんてできない。それにそうしたところで、リリアン様はどうなるのか。
先ほどのやりとりで、彼女が王家を出たかったのは明らかなのに、戻すことはできない。どんな理由があろうと出戻りとなると彼女の名誉を傷つける可能性もある。流れがあったとはいえ、ここまで来たのは私の判断だ。私にできる責任の取り方はもうこれしかない。
「どっ……どうして?」
「私の幸せを考えてくださったリリアン様となら、幸せに暮らせると思ったからです。そして、リリアン様にも幸せでいてもらいたいからです」
私はまだ何が幸せかなんて、よくわからない。だけどリリアン様が私が幸せになるようにしてくれると言うなら、私も彼女を幸せにできたなら、それはきっと、間違いのない幸せなのだろう。
リリアン様は一瞬呆けてから、激しく動揺したようで声を乱した。高くなって声が震えていて、指先も動かして逃げようとされたので、つい、少しだけ力をいれて抜けないようにしてしまいながら私の気持ちを説明した。
「もちろん、リリアン様が他に好きな方ができて、その人と幸せになりたくなったなら、そうしてくださってかまいません」
「それは私の……いえ、エレン様がそれを望まれるなら、はい。どうか、私と結婚してください。エレン様が幸せを感じられるよう、私も努力いたします」
「はい。ありがとうございます」
きちんと説明すると、リリアン様は困ったような顔をされて一息ついてから、また緩く微笑んでそう答えて、私の手を握り返してくださった。
私が言わせたようなものだ。わかってる。先ほどの宣言から、リリアン様に拒否権はないようなものだ。それでも、真っ向から結婚を申し込まれると、意外と照れくさいものだ。
私は気恥ずかしさを笑って誤魔化しながら手を解いた。
「それでは、もう夜分ですし、詳しいお話はまた明日と言うことでよろしいでしょうか」
「そうですね。お疲れでしょうに、長々とお話してくださりありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。それでは失礼します」
「え?」
さきほど途中で遮ってしまったけれど、リリアン様はお休みを提案されるところだった。すでに日付も変わっている。私はこの部屋に入る前と打って変わってすがすがしい気持ちで、頷いて立ち上がったリリアン様に立ち上がって礼をした。
明日からの日々に、希望が持てた。明日どうなるのかわからないのは変わらなくても、不安ではなく、どこか楽しい気分だ。
と自分としては爽やかな笑顔で顔をあげたつもりなのだけど、何故かリリアン様はきょとんとして首を傾げた。
「まさか、この部屋を出て行くおつもりですか?」
「それはもちろん。私はどこでも眠れますから」
ここが二人の寝室ではあるのはわかっているけど、だからと言って図々しくベッドに上がり込むわけがない。まだこの建物の構造もよくわかっていないし、他に空いているベッドのある部屋がどこにあるかはわからない。
だけどまあ、旅に出てすぐはなれなかったけれど、今なら野宿だって平気な私なので、別にそのへんのソファでもいい。明日には部屋を用意すればいいし、今日だけの話だ。
「その必要はないでしょう。普通に、このベッドで寝ればいい話です」
「え、いえ、しかし、リリアン様と同じ寝所なんて」
「夫婦が同じベッドで寝ることに問題はないでしょう。まして女同士なのですから。それにこの部屋から出てしまうと、この婚姻自体望んでいないと周りに思われる可能性もあります」
「……そう、ですね。浅はかなことを言いました。申し訳ございません」
リリアン様は平然とそう言って私に向けてベッドの掛け布団をめくりあげ、私にベッドにはいるよう促してくる。その奇妙な光景に非現実ささえ感じてしまう。
旅の最中、色々な理由から全員が同室で寝泊まりしたり、屋外では身を寄せ合って一晩をしのぐこともおかしなことではなかった。だけどそれとは状況が違う。薄着の女性にベッドに促される絵は全く違う感情を想起させられてしまう。
だが、彼女の言うことはもっともだ。少し考えればわかることだ。世間的にも私たちは結婚して初夜を迎えているのに離れるのはおかしいし、まして今私たちは本心からお互い結婚することを決めたのだ。あえて同じベッドを拒否する理由はない。
それに今までは女と知られるわけにはいかなかったので常に緊張状態での睡眠になったけれど、リリアン様は私が女だと知っているのだ。だから何も問題はない、はずだ。
「その、失礼します」
それでもリリアン様に近づくことに緊張してしまいながらそっとベッドにはいりこむ。私の体格も見越して大きく作られた真新しいベッドは身じろぎせずに私を受け入れてくれた。
私が入ったのを見届けるとリリアン様はベッドの反対側にまわってベッドに入ってきた。掛け布団が少し引っ張られる感覚。お互いの存在が嫌でも伝わってくる。
今までと違うのだ。秘密保持を意識して緊張する必要はないのに、今まで以上に固くなっている気がする。
「……エレン様」
「あ、は、はい」
静かな中で自分の心臓がうるさいと思っているとふいに名前を呼ばれ、慌てて起き上がりそうになるけど、リリアン様が左手を軽くかざしたのでやめて、寝転んだまま顔だけ向けた。
横を向くと、同じベッドで寝転がっているのが目に見えてしまう。広いベッドとは言え、手をのばせば届く距離だ。
「私は顔つきもそうですし物の言い方も、あまり柔らかくないようで、その、ご不快になったなら申し訳ござません」
「えっ! い、いえいえいえ! そのようなことはありません。その、姫とこんなに近くにいることに緊張してしまっているだけで、あ、すみません、その」
姫と呼ぶなと言われているのに、つい呼んでしまった。謝られてしまって焦ったと言うのは言い訳だろう。
リリアン様の静かな視線に責められてる気がして謝ったけれど、でも先程の言い方だと今のも責めてはない……?
「そうですか……。何度も言いますが、私はもう姫ではありません。私と結婚し、夫婦になるのならばもう少し砕けてくださりますようお願いします」
「う……立場が姫とか姫じゃないということではなく、リリアン様はお綺麗で凛とした絵にかいたようなお姫様ですから、その、つい、姫と言ってしまって。すみません。気を付けます」
王族じゃなくなったのはわかっているけれど、でもじゃあリリアン様の見た目が変わるわけじゃない。見目も雰囲気も全て、誰がどうみてもお姫様なのだ。
とは言え、まあそれも言い訳だ。説明はしつつも素直に謝る。
私の返事にリリアン様はしばし沈黙し、私の方を向いてくれていたのを天井に顔を戻して目を閉じてから口を開いた。
「……いえ、謝ることではありません。気をつけていただければ、それで」
その横顔も綺麗だけど、目を向けられなくなったことで少しだけ緊張が和らぐ。やはりまだこの距離で見つめあうのにはなれない。
「はい。…あの、話し方も、気を付けます。敬語は……大丈夫ですよね?」
「いえ、できればやめていただいて、私のことも呼び捨てで構いません」
「よ、呼び捨てですか……」
目を合わせないままとんでもないことを言われた。呼び捨ての上タメ口をきけと。少し前まで不敬罪になっていた関係なのだ。抵抗しかない。
とはいえ、元々私は常に敬語をつかっていたわけではない。むしろその逆だ。これから家族になろうと言う相手なのだから、形だけでもまずは距離をつめる方がいいだろう。
「わ……わかった。じゃあリリアン、私にもため口で呼び名は……家族にはエレナと呼ばれていたから、そのように呼んでもらえると嬉しい」
私も天井を見て、一呼吸して気持ちを落ち着けてからそう言った。正式に報告している名前はエレンだけど、他に人のいない場所ではエレナと呼ばれていた。元々、両親には私をどうするか迷いもあったのだろう。男としながら、完全に私を男扱いもしなかった。女としても生きられるように、男のふりを教えただけだ。あくまでつなぎで、形だけで終わらせることも考えていたのだろう。
それを中途半端だと思う人もいるだろうけど、私はそれでよかったと思う。少なくとも、私はエレナと呼ばれるのが好きだから。
「……わかったわ、エレナ。それなら私は、リリィで」
「! ……ありがとう。それじゃあ、今度こそおやすみなさい、リリィ」
「ええ、おやすみなさい」
ためらっていたようだったけど、リリィも愛称を教えてくれた。それが嬉しくて横を見ると、リリィはこっちを向いてくれていなかったけれど、それがより自然体な姿に感じて嬉しかった。
そして今度こそ、眠るために目を閉じた。この部屋に来るまでずっと悩んでいたので、今日は久しぶりにぐっすり眠れるだろう。
私は隣のリリィの気配を感じながらも、どこか安心して眠りについた。