第十七話 ボート遊び
今日で滞在三日目。短いけれど明日はもう帰る日だ。予約制、というわけではないけど込み合っては意味がないので、ある程度事前に示し合わせて滞在するようになっている。
王家御用達なのでそういうルールがきっちり徹底されている。特に私とリリィがここにいると気を遣わせてしまうので、人がいない日を選んだ結果だ。
さすがに元から予定していた人を退けるわけにはいかないし、急な話だったので仕方ない。三日でも十分、と思っていたけれど、のんびりしているとあっという間だ。
最後なので午前中のうちにボートに乗ってみることにした。他にも釣りもしてみようと思っていたけど、一日に詰め込むとせわしない。また今度にすることにした。
「リリィはこのボートにもよく乗るの?」
「そうでもないわ。一度くらいは乗ったことはあるけれど」
いつものセッティングを終えてから、ボートに向けてリリィと手をつないで向かいながら尋ねると、そう意外な返事が返ってきた。
「そうなの? あんまり好きじゃないなら無理しないでもいいけど、大丈夫?」
「大丈夫よ、エレナと一緒だもの」
リリィはそう言って、私の手をぎゅっと握って微笑んだ。どきりと胸が高鳴る。心地よいときめきに、息が漏れた。
ボートは6人まで乗れる設計だ。真ん中にそっとリリィと乗り込み、向かい合うように座ってリリィの隣にバスケットを置く。メイドさんには遠慮してもらう。ないと思うけれど転覆した場合、リリィ一人の方が救助は簡単なので。
足で桟橋を蹴って少し離れてから自分も座る。いくつかの方法で操縦できるようで、私は自分の席の横にあるオールを手にする。
「よ、と、こうか」
見よう見まねでひとかきして、その手ごたえのなさにオールの角度を調整してもう一度。ボートはすいと岸から離れた。
「うまいわね。あなたこそボートの経験があるのかしら?」
「いや、操縦はしたことないよ。でもまあ、難しいものじゃあなさそう。ちょっと練習するね」
ゆっくりと漕ぐ。一回一回をゆっくりにしていても、力を入れると思ったよりすすんで風を感じる。後ろから風が流れていき、リリィの髪を揺らしている。
後方を確認し、全方位十分に空間のある真ん中あたりに来たのを確認してから、力の入れ具合を変える。少し差をつけると、すっとボートは方向転換をする。そうして何度か向きを変えてぐるっと回ってみるとなれてきた。
「これは面白いねぇ」
馬に乗るのも結構好きだけど、ボートも楽しい。もっとスピードをだして競争とかしても楽しそうだ。今はリリィをのせていて危ないけど、いずれ機会があればしてみたいものだ。
リリィは帽子を押さえながらも微笑ましそうに笑っている。
「楽しいようで何よりだわ」
「うん、水を掴む感じが結構楽しいよ。リリィはしたことないんだよね? 操作してみる?」
「ええ? 私がしてもいいのかしら?」
「え? あはは、なんで駄目なのさ」
お姫様らしくないセリフに笑ってしまう。リリィのすることを制限する人なんて誰もいないのに。いや、もしかして危ないからとか言われたことがあるのかな? でもそれも子供の頃のことだろう。
私はボートをいったん元の桟橋のもとに戻す。腕を伸ばして桟橋の柱を掴んでボートがゆれないように固定する。
「こっちに座って。一緒にやってみよう」
深く腰掛けなおして足を開いてリリィが座れるスペースを作る。リリィ一人では操作できない可能性があるので、一緒にするのがいいだろう。
「……そ、そうね」
リリィはためらうように何故か周りを見渡してから、ゆっくりと立ち上がってそっと私の前に座った。
さっきは乗って座るまで私が手をつないでいたから安心できたけど、一人だと立つのもちょっと怖かったかな? 気を付けよう。
「離れるまで待ってね。よっ。……よし」
「んっ」
ぐいっと強めに柱を押してボートを離し、さっきの足よりはゆっくりとだけど十分に離れたところで、私は腕の中のリリィの腰に手をまわして軽くひきよせ、しっかりと座らせる。
リリィが少し驚いたのか小さく声をあげたのが可愛らしい。帽子が視界の邪魔なのでいったん外してバスケットの下につばをいれて飛ばないようにする。
「よいしょっと。ごめん、驚かせて。でもちゃんと座らないと力がはいらないから。はい、オールを持って。一回一人でできるかやってみて」
「だ、大丈夫よ。やってみるわ」
リリィは俯いていた顔をあげてオールを掴んだ。リリィの表情が見えないのは残念だけど、やる気があるようでなによりだ。
「ん? ……んっ」
リリィは一度動かそうとして動かなかったらしく、不思議そうにしながら腕を動かしてオールを動かした。ほとんど動かないボートに、横を見て首を傾げた。
「思ったより難しいわね」
「いや、最初の角度があってたはずだよ」
「すごく重かったわよ? あんなの動かせないでしょう?」
「腕に触れるよ? こう、脇を閉めて」
さっき驚かせてしまったので、今度はちゃんと声をかけながら触れてリリィのあがった腕をおろさせてから、リリィが掴んでいるオールの手のすぐ隣を掴む。
「体を前後に動かす様に、全体で漕ぐんだ。私にもたれるようにして。いい? いくよ?」
「え、ええ。いいわ」
オールを持つ位置や角度を調整してリリィに声をかける。ぐっとリリィの体に緊張するように力が入る。いつも余裕のあるお姉さんなのに、こんなことで緊張するところは子供みたいで可愛い。
そう微笑ましく思いながら、私はこいだ。ぐいっと水を押し出す様にしてこぐと、その手に伝わる感覚そのままにボートがすすむ。
「わぁ……すごいわ。全然、違う乗り物に乗ったみたい」
「自分ですると気持ちいいでしょ?」
「自分で、と言っていいのかしら?」
「私とリリィだけなんだから、いいでしょ」
「そう……? ふふ、そうね。じゃあもっと進んでみるわね」
リリィの意向にそって、ボートを動かしていく。リリィの手に触れている親指で、どのくらい力が入っているかを察して左右の調整をして曲がったりスピードをあげたり下げたりする。
リリィとだから、と言うのもあるのかもしれないけど、こうして人に合わせて操作するのも結構楽しい。
「ふぅ……エレナが手伝ってくれていても、結構疲れるものね。エレナはすごいわね。息一つ切れてないじゃない」
「まあ、このくらいならね。ちょっと休憩しようか。お茶にしよう。前かがみになるよ」
さっきしたようにリリィの腰に手をまわしてからぐっと前かがみになって手を伸ばし、バスケットをとってリリィの膝にのせる。
リリィはそれを受け取ると中身をだしてお茶をいれてくれた。ボートの上でゆっくりお茶をすると言うのもいいものだ。
多少でも体を動かした後なので水分が吸い込まれていく感覚がして心地いい。
「はぁ……美味しいわね」
「うん。リリィ、他にはない? やったことないこと」
「そう……ね。馬にも、のってみたいと思ったことがあるわ」
「ああ、いいね。じゃあ今度一緒に乗ろう。あ、乗馬用の服を用意しないとね」
「そうね。ドレスではのれないものね。……ふふ。楽しみだわ」
本当はこの場所でしたいこと、のつもりだったけど、リリィが乗馬に興味があるのはいいことだ。私も久しぶりだし、服から用意することになる。帰ってからになるけど、うん。楽しみだ。
「リリィ、他にもしたいことを思いついたらまた教えてね。私も言うから」
「……ええ。そうね。そうするわ」
リリィの声は機嫌がよさそうなやや弾んだもので、表情がみたいなぁと思った。
そうして休憩が終わったので、お昼の時間も近くなったのでボート遊びは終わることにした。
昼食をとってから、昨日の作業の続きをする。リリィは刺繍、私は絵だ。とはいえ、色を塗る前に確認しないといけないことがある。
「ごめんね、リリィ。ちょっと頭を撫でてもらってもいいかな?」
「謝らなくてもいいわよ。そのくらい、いつでも言ってちょうだい」
「いや、まあ……うん」
絵の構図と同じ状態で自分がどんな顔をしているか確認するため、昨日と同じようにリリィの傍に寝転がってお願いしたのだけど、なんというか、リリィの返事を聞いてから自分でも子供をとおりこして幼児みたいなことを言ったなと恥ずかしくなってしまった。でもまあ、否定はしないでおこう。またしてほしいし。
リリィが優しくなでてくれると力が抜けていくようだ。自然に笑顔になるのを自覚して、用意した手鏡を顔の前に持ってきて確認する。
「……」
すっと鏡の中の自分が真顔になる。いや、ちょっと、思っていた倍くらいみっともないにやけ面だったから。
「あら? どうかしたの? 何か、引っかかってしまったかしら?」
「いや、なんていうか、恥ずかしい顔をしていたから」
「あら、そんなことないわ。可愛い顔だったわよ」
「う……そう言ってくれるのは嬉しいけど……」
リリィは優しいから本心からそう思ってくれているのかもしれないけど、客観的にみっともない自分の顔を絵で残すと言うのは抵抗しかない。
「まあ、そうね。私も見せびらかすよりは私だけが見ているほうが、そうね。こう、目を閉じて寝ている顔にすればいいんじゃないかしら」
「うーん、リリィへのプレゼントだけど、それで大丈夫?」
「ええ」
どうしようか、と悩んでいるとリリィはなにやら相槌をうってそう提案してくれた。実際、寝てしまってもなんら不思議ではない心地いい状態ではあるけど、さすがに自分の寝顔はわからないので想像になってしまう。
自然、ちょっと美化した感じになってしまうだろう。それはそれで多少恥ずかしいけど、リリィがそれでいいと言うならまあ、自画像そのものがちょっと恥ずかしいものなので。
「じゃあそうするよ。ありがとう」
そう言いながら、今のリリィの表情を覚えるようにじっと見る。見なくたって脳裏にもう刻まれている気がするけど、いつまでも見ていたいくらい綺麗な表情だから仕方ない。
「……」
そんな甘えたな私に、リリィは黙ってしばらくそのまま頭を撫でてくれた。