第十六話 刺繍のハンカチ
構図は決まったので、昼食をはさみながらキャンバスに大まかな下書きをしていった。バランスを見ながら大きさを修正していき、顔は輪郭程度でひとまずいいだろう。
「ん? リリィ、できたの?」
一息入れようかと筆をおいたところで、ちょうどリリィが刺繍枠を外したので声をかける。リリィは大きめのハンカチの四隅にそれぞれ刺繍をしていて、これで四回目なので。
刺繍がされたハンカチは実用品と言うよりはお守りとか飾りの意味が強いとはいえ、真ん中には多分しないよね?
「ええ」
「見せて見せて」
デザインの下絵と、途中一度経過を見せてもらったけれど、完成したとなれば気になる。私はなんだか子供みたいにわくわくしながら立ち上がり、リリィの隣に座る。
「ふふ、慌てなくても、あなたのものよ」
勢いよく座って軽くリリィまで揺らしてしまったけれど、リリィは微笑ましそうに笑いながら丁寧に広げて見せてくれた。
「わー、すごいねぇ」
四隅にある刺繍は、それぞれ意味があるものだ。
一つは大きく羽をひろげて威嚇するようににらみつけている強そうな鷹、その隣に雄々しく口を開けて遠吠えをしている様子の獅子だ。
その反対側は花だ。片方にピンクの大輪のバラで貴族らしい豪華な綺麗さ、もう片方は赤黄ピンクの三つのチューリップで可愛らしい。
鷹は家の繁栄を祈るもので、獅子は兵士に渡すお守りの定番で活躍を祈るものだ。
「鷹が本当に飛んでるみたいに迫力があってすごくいいね。それに獅子、私が前に見たのよりずっと格好いいよ。凄く気に入った」
獅子は私がお願いした。一緒に旅をした騎士三人がそろって同じように大事にしていて、格好いい刺繍でいいなと思っていたのだ。
もちろん私だって、お守りをもらわなかったわけじゃない。だけど母と姉が一緒につくって贈ってくれたのは、長生きを願う亀と幸運を祈るクローバーだった。悪いものではない。活躍しなくてもいいから、長く生きてほしいと願ってくれたことが力にならなかったわけではない。だけどまあ、柄として格好良くはない。
リリィがしてくれた刺繍は鷹も獅子もとても格好いい。胸ポケットに入れてちらりと見せるだけでも様になるだろう。
「花も可愛いね。花びら一枚一枚が丁寧で、本物の花びらみたいだ」
もちろん花を刺繍するのも定番で、それぞれの花言葉の意味がお守りとして込められているものだ。ただ、花言葉はほとんど知らないから意味はわからないけど。バラもチューリップも貴族の庭にはよく植えられているものなので刺繍としてもよくあるのだろう。明るくていい意味に違いない。
こういう可愛らしいものは身近になかったので、これはこれでとてもいいと思う。リリィらしくて見ているとほっこりする。
「下書きの時点で上手だったけど、刺繍になると迫力が違うね。こんなに細かいのにもうできちゃったなんて、リリィはすごいねぇ」
「そうも褒められると、面はゆいわね。どちらかと言えばゆっくりしているほうだと思うのだけど。休憩も多めに挟んでいるし」
あまりに見事な刺繍に興奮して褒める私に、リリィははにかみながらそう謙遜した。刺繍をしている姿自体は見たことがあるけど、こんな風に一からできるのに付き合ったことがないので普通はどのくらいでできるものなのか見当もつかないけど、十分早いと思うけど。
「こんなに細かいんだから休憩をしないとしんどいでしょ。ほんとにありがとう。お疲れ様」
「まあ……ふふ。そんなに喜んでもらえると、作った甲斐があるわ。獅子以外は私が選んだけれど、それでよかったかしら?」
何がいい? と聞いてもらえて獅子はすぐに思いついたけど、他が出てこなかった。リリィ自身は今まで定番のもののほかは花の刺繍をよくしていたそうなので、花言葉を知らないので変なものをリクエストできないなと思ったのもある。その辺の花でも不幸なんて花言葉があったりするから油断できない。
「うん。花も好きだよ。花言葉はわからないけど。どういう意味があるのかな?」
「そうね。幸福と愛情と言ったところね」
「そうなんだ。嬉しいよ。大事にするね」
よくある花だと思ってはいたけれど、やはりそう言う縁起のいい花言葉だったみたいだ。きっと刺繍としても定番なのだろうけど、だけどリリィからその花を選んでもらえたと言うのは嬉しいものだ。
胸ポケットに入れながらお礼を言う私に、リリィは苦笑しながらハンカチを一度出して、綺麗に折って胸ポケットから獅子がちょっとだけ顔をだすように入れなおしてくれた。
「普通につかっていいわよ。これからたくさんつくることになるのだし」
「そう……? そっか。ありがとう」
リリィの言葉に一瞬首を傾げてしまったけど、じわじわ意味が染みてきて、私は顔がゆるむのをおさえられなかった。
これっきりじゃない。これが最初で最後なんかにならない。これからずっと一緒にいて、いつの日かこのハンカチが汚れたりほつれても惜しくないくらい、たくさん私の為に刺繍をしてくれるつもりなのだ。
私がリリィと一緒にいたいように、リリィもまた当たり前のように、私と家族としてずっと一緒にいてくれるつもりなのだ。
昨日もそう言ってくれはしたけれど、こうしてさらりと言った言葉の端々からにじみ出てくると、本心から言ってくれているのが伝わってきて、嬉しくてたまらない。
「どうしたの? 急にニコニコして。もっと欲しい絵柄があるなら、遠慮なくリクエストしてくれていいわよ?」
にやけてしまったのを好意的に解釈してくれた。優しい。好きだなって気持ちは同じだけど、ドキドキじゃなくてなんだか胸がきゅんとする。
とはいえ、今それを言ったらまた怒られてしまうだろう。まずは無難に答えよう。何がいいかなぁ。
「そうだなぁ。刺繍の定番とかじゃなくてもいいの?」
「いいわよ。単純に好きな生き物とか花とか、何かテーマでもいいわ」
「えー、そう言われると迷うなぁ……リリィが持ってるハンカチはどんなの? お揃いがいいな」
犬や猫も好きだけど、リリィからのプレゼントはまだまだ私にとって特別なものだ。だから単純な柄じゃなくて、そう言うのが欲しくなってしまった。ちょっとめんどくさいお願いだったかな?
「え? そう……ねぇ。じゃあ、お揃いのものを作りましょうか」
「あ、いいね! それ!」
リリィは一瞬驚いたようだったけど、少し考えるようにしてからすぐにそう言ってくれた。既に持っているもののお揃いでも嬉しいけど、一から作るなら他に誰も持っていないお揃いになる。それってすごくいい。
「でしょう。デザインはどうしましょう。動物? お花?」
「うーん、どっちもはできる? 例えば花をくわえている鳥とか」
「いいわよ。鳥が好きなのね?」
リリィは花が好きなようだし、リリィも気に入る柄がいいからそう提案してみたのだけど、ちょっと勘違いされてしまった。
「今ぱっと思いついただけで、もちろん鳥も好きだけど、犬も猫も好きだし、動物は基本同じくらい好きだよ」
「そう。じゃあそうね……こんな感じで、ハンカチを一周するようにして、鳥、猫、犬、みたいに小さい刺繍を入れるのはどうかしら」
リリィはそう言いながら紙に四角い枠を描いてから、ささっと描いてみせた。植物の蔓のような枠線があって、その上を鳥が先頭で、猫と犬が続くようになっている。絵本でありそうな可愛らしい柄だ。
簡易な下描きながら、鳥はそれぞれ別の花をもち、猫はじゃれあいながら歩き、犬はお行儀よく並んで歩いている様子が書かれていて、普通に絵も美味い。
「うん、すごくいいと思う。動物たちがそれぞれ二匹ずついて個性がでてるのもいいね」
「ふふ。いいアイデアでしょう? 今のは最近していなかったから手慣らしもかねて大きめの絵にしたけれど、実用も兼ねるなら小さい刺繍の方が気兼ねなくつかえるわよね」
「うん。可愛いし、リリィは絵も上手なんだね」
「え…、あ、そ、そうかしら。まあ、こういうのはある程度パターンが決まっているもの」
「なるほど?」
リリィは何故か慌てたようにそう謙遜した。
刺繍にするには違和感のあるアングルとかもありそうだし、手紙の定型文みたいな型があるのだろう。だとしても上手だと思うのだけど、まあ逆の立場で私もあまり褒められすぎても恐縮だし、いいか。
「デザインも決まったし、ちょっと休憩しない? 座りっぱなしも疲れたでしょ」
「ん? そうね」
お茶でも、と思ったけど昼食から座りっぱなしなので一度軽く散歩することにした。ずっと同じ姿勢でいると体が固まってしまうのであまりよくない。
昨日リリィと一緒に散歩したので、今日もそろそろしておこうと思ったのだ。
提案にのってくれたので、立ち上がってリリィに手を差し出してエスコートして立ち上がらせる。絨毯をでて草の上に立つと、しっかりと大地を感じる。
メイドが近づいてきて、私がプレゼントしたリリィの帽子を持ってきてくれた。リリィの手を離すと、リリィは短くお礼を言って受け取って帽子をかぶった。
うん、可愛い。と確認をしてから軽くリリィに肘をむけると、自然と肘にリリィがつまかってくれるので、そのまま花畑のまわりをゆっくり歩く。
立ち上がって少し木々に近づき意識をむけたことで、風が葉をゆらす音も耳に入ってくる。涼しい風が頬をなでて、リリィと一緒にいて少しばかりあがっていた体温が落ち着いて心地いい。
自然の中でもリラックスできるのはいいけど、こうして自然を味わうのもまたいいものだ。
「あっ」
「とっ、あ」
ざぁ、とひときわ強い風がふく。リリィの髪がなびいて、リリィの帽子が浮き上がったのでそっと押さえた。
「あ、ありがとう。さすが勇者様ね」
「ふふ、どういたしまして」
こんな程度で言われるとさすがに苦笑してしまう。私の勇者としての力は全然関係なく、普通の反射神経なのだけど。まあ、勇者の力がどういうものなのかは体感しないとわかりにくいだろう。
それを彼女が知らなくていいままに、私は平和な世界をつくれたのだ。それを思うと、なんだか誇らしくなる。
「リリィ、手、握ってもいい?」
「え? 構わないけれど……甘えん坊ね?」
「うん。甘えてるね」
リリィの前では私は勇者ではなく、ただの甘えたな年下の子供なのだ。それがすごく、心地よくもじれったい気がした。
ずっと甘えていたい。でも、甘えられるような大人にもなりたい。
リリィは私の言葉に何故か照れたようにはにかんでから肘から手を離したので、そっとその手を握る。リリィと直接触れ合うと、それだけで心が温かくなる。
リリィもいつか、同じように感じてほしい。だけど今は、すごく天気がいいから。花が綺麗だから。もうちょっとだけ、甘えた子供でいよう。




