第十二話 湖畔の花畑2
初めての画材に挑戦してみたところ、思いのほか塗りやすくて楽しかった。間に昼食をはさみ、午後から本格的に塗っていく。油絵と違って乾燥の時間が短く、また乾燥前の混じり方もまったく違って面白い。水に溶けるような見た目だけでも楽しい。
……ふむ。一目で異国の地の存在をわからせるリリィの銀の髪。とても美しいのだけど、こうして見ていると異国人と言うより妖精のように感じてしまう。
日の光の下、自然の中で改めて見るとびっくりするほどリリィは白い肌で、私自身がこの顔色になったら体調が悪いのかと思ってしまうだろう。だけど彼女にかかれば浮世離れした美しさになる。
白い透き通るような肌も、陽光を反射して光る銀の髪も、色味が難しい。
透明な水だってよく見れば映り込みや影で色んな色があって、何も塗らない場所はない。白以外を使うのが自然だ。だけどどうにも、リリィに使う色がぴんと来ない。
一度塗ってしまえば修復は難しいだろう。腕を組んで考える。自然の色味は悩むことがなかったので、新しい画材でも悩まなかったけれど、ここは別の紙に先に色を塗って試してみるか。
とはいえ、キャンバスは用意してもらったけど適当に捨てる紙はないだろう。言えば別にキャンバスにしてもいいと言われるだろうけど、さすがにもったいなく感じてしまう。この先は後日でもいいか。
「うーん……ん」
筆をおいて道具をいったん横によけてから、大きく伸びをする。無意識に前かがみになって固くなっていた体をほぐす。そうして首を回して顔をあげると、リリィと目が合う。にこっと笑うと、リリィはきょとんとしてから微笑んでくれた。
「リリィは集中力がすごいね」
「そうでもないわ。小休止もまめに挟んでいるもの。あなたこそ、集中して描いていたわね」
「まあそれはそうだけど」
見ていたのでそれはわかっているけれど、刺繍と言うのは繊細な作業だ。目も指先も酷使するだろう。絵も細かいところももちろんあるけど、ずっとその作業ばかりではない。だけどリリィ本人にその自覚はないらしい。
「でも私の方は今日のところはこれでいったん終わるよ。続きはまた明日かな」
「あら、きりがいいところまでできたのね。見せて頂戴」
リリィはそう言って立ち上がって軽い調子で私の後ろに回り込んだ。さっきの下描きくらい荒さのあるものならともかく、ある程度力をいれて背景などを書き込み、中途半端にできているからこそ見られるのは少し気恥ずかしい。
「いいわね。雰囲気がでているわ」
「ありがとう。リリィは色を確かめてからしたいから、明日改めてするよ」
「そう。なら時間もちょうどいいし、軽食にしましょうか」
と言うことでお茶だけではなく少しつまむことになった。いわゆる三時のおやつだけど、貴族的には軽食と表現する。しょうもない違いだと思っていたけど、リリィが口にすると様になっていた。
お茶と一緒に用意されたお菓子を食べる。バターの風味がしっかりする焼き菓子で、甘さ控えめのお茶によく合う。正直、この領地に来てから何も言っていないけど料理が口に合わなかったことがない。どれも何でもおいしい。
「リリィの刺繍も見せてよ」
「いいわよ。針に気を付けてね」
先に食べ終わったので、手を拭いてからリリィの許可をもらって刺繍枠の中に触れないようそっと手に取る。自分も見せたのだから、と思ったけど、思いのほかあっさり見せてくれた。リリィは途中でも見せるのに抵抗はないらしい。
「はー……すごいね」
一つ一つの目が細かくて、何回刺したらこうなるのだろう。それらが一糸乱れることなく、綺麗に並んでいる。複数の色が違和感なく、魔法の映像が映る時の途中のように、途中までがきっちり描かれている。
これを自分がしろと言われたら、気が遠くなるような出来栄えだ。凄すぎて凄さがよくわからない。見せてもらってなんだけど、ボケたように子供みたいな感想を言うしかできなかった。
「素直に褒められていると思っていいのかしら?」
「もちろん素直に褒めてるよ。尊敬する」
「そう? ならいいわ。あなたはこれからどうするの? お昼寝してもいいし、湖の周りなら散歩や釣りをしてもいいわよ」
あんまりな私の言葉に少し呆れられたけど、刺繍を返しながら褒め言葉と言うと納得してくれた。リリィも食べ終わり、下げてもらってまた刺繍を手に取りつつ、周りを見渡す様にしながらそう提案してくれた。
絵は終わると言ったから、無理に付き合わなくていいと気を使って言ってくれたのだろう。それはわかっているけど、なんだか少し突き放されたような寂しい気持ちになってしまった。
「リリィ、そっちに行ってもいい?」
「え? ええ、構わないけれど」
立ち上がって真ん中のテーブルを避けてリリィの隣に座る。すぐ隣に座ると、さっきまでと違ってリリィが正面から見れないけれど、傍にリリィの存在を感じるからこれはこれでいい。
背もたれに深くもたれると、姿勢のいいリリィを少し後ろから見れるようになる。不思議そうに私を振り向いたリリィだけど、見つめ返すと少し微笑んで前に向き直って刺繍を再開した。
「……ん? ふふ、眠いの? 眠いなら、また膝をかしてあげましょうか」
ちょっとだけ体をずらして、リリィの肩に頭をのせてみる。頭だけとは言え、リリィにしてみれば重いだろうし、邪魔だろうに、リリィはわずかに私に顔をよせながらそう囁くように優しい声をかけてくれた。
その優しさが心地よくて、なんだか頭がくらくらするようだ。リリィの存在に溺れてしまいそうだ。
「いいよ。足がしびれちゃうし、刺繍の邪魔でしょ」
「そんなの、少しくらい気にしなくていいわよ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
リリィの声に背中をおされ、私はお尻の位置をずらしてソファに寝転がる。頭をリリィの膝にはのせず、そのギリギリ手前におろす。 ぐっと顎をあげるとリリィの太ももを軽く頭が押し込み、さげると軽く触れているくらいの距離だ。
「これなら、重くないでしょ」
「そうだけど、あまり意味がない気がするわ」
見上げるとリリィは苦笑しながら私の前髪を軽くとかして撫でてくれた。
「そんなことないよ。たまにそんな風に構ってくれたら……意味はあるかな」
自分で言って、途中で恥ずかしくなって声が小さくなってしまった。いや、よく考えてもかなり恥ずかしいことを言っているぞ。時々頭を撫でられたいは子供どころか幼児じゃないんだから。
でも実際に膝枕されなくてもこうして真横で寝ているから意味のある事って、私はリリィと一緒にいられる以外に思いつかないし。
「……ふふ」
上から降ってくる小さくこぼすような笑い声に、照れくさくてそらした視線を戻すとリリィの微笑みが目にはいる。
ああ、甘えているなと思う。甘やかされているなとも思う。幸せだなぁ。こう言うのを幸せと言うのだろう。そう思って、不意に申し訳なさが湧いてくる。
「……ごめんね、リリィ」
「? どうかして? 何かあった?」
「私ばっかり甘えているから。リリィのこと、幸せにするって約束したのに」
結婚すると決めた時、私はそうリリィに誓った。なのにあれから、私ばかり甘やかされている。
一緒に出掛けて、楽しんでくれているとは思う。でも努力が足りてはいないだろう。
私の言葉に、リリィは不思議そうな顔から一転、目を細めて柔らかく微笑んだ。
「……エレナは、末っ子だったわね。だからわからないのよ」
「え?」
「年下に甘えられるのは、悪い気分ではないってこと。まして、あなたみたいな人にはね」
「……そうなの?」
勇者をしていれば民から頼られることは多かった。それは悪い気分ではない。むしろ誇らしいこともあった。
だけどそればかりだと負担に思うことだってあった。私はリリィに毎日のように甘えてしまっている。それでも、悪い気分ではないと本気で思ってくれてるのだろうか。
「ええ、そうよ」
私の疑問を吹き飛ばす様に、リリィは私の頬を撫でながら頷いて見せた。嘘には見えないけど、気を使っている可能性がないではない。だけど、これ以上同じことを尋ねることはできない。
「……リリィは、どんな生活で幸せを感じるの? 王家を出たかったみたいだけど、今も結局、あんまり変わってないんじゃないかな。もっと希望があるなら言ってよ?」
「くっ、ふふっ、ふふふ。あなたって本当に、ふふふ」
「え?」
話題を変えつつも大真面目に質問したのに、リリィは耐えられないと言う風に噴き出してから、肩を揺らして笑いだし、私の前髪をわしゃわしゃと混ぜるようにくすぐってきた。
「な、なに? おかしなこと言ってないよね?」
「言ってるわ、ふふふ。今の生活が、私の今までの生活と変わっていないなんて、本気で言っているの?」
「えー、いや、でもそうじゃない? 元々王族が使っていた建物で、料理人も使用人もみんなそうでしょ? 待遇は基本的に同じだよね? その上で館にこもりっきりで、旅行に来たって言っても、リリィが来たことのある近場だし」
確かにお姫様に、王族じゃなくなっても生活が変わらないでしょって言うのは、仮にも夫の立場からだとちょっとうぬぼれっぽい気がしないでもない。いや、私は何もしていなくて全てお膳立てされるがままなのだけど。
と気づいて、リリィがあんまりおかしそうに笑うから少々言い訳がましくなってしまった。
「ふふ、そうではないわ。エレナ、あなたがいるから、全然違うのよ。わからない?」
「えーっと……それは、リリィも私といて幸せって思ってくれてるってこと?」
わからない? と聞かれて首をかしげてしまう。それはまあ、当たり前だろう。だけど、リリィに幸せになってもらうための問いかけにこの返事であるこの会話の流れ上、つまりそういうことなのでは?
と思って素直に尋ねると、リリィは瞬きしてから、わずかに目元を赤くして目をそらした。
「……ええ、そうね」
だけどすぐに、そのまま私に目を合わせて微笑んでくれた。
その微笑みがあんまりに綺麗で、この人のことが本当に好きだなと思った。
この人と、ずっと一緒にいたい。その思いだけが、強く胸に浮かんだ。




