第十話 旅行へ
そして準備ができ、旅行に出発する日がきた。
目的地は馬車で朝に出て夕方につく距離にあるそうだ。他の観光地もそのくらいの距離らしく、合間に宿泊を挟まなくても目的地にいける、その計算された設計自体は美しいほどだ。
だけど私の感覚で言えば半日もかけなくても着く距離なので、そんなにゆっくり移動するのか。と感じてしまう。馬車は馬にのるよりは遅いし、人数が多いほど合間の休憩も必要になるし、ある程度は仕方ないのはわかるけど。
「……」
正直に言って、かなり暇だ。
最初はリリィに万が一がないように、護衛のつもりでいようと思っていたのだけど、普通に外にまで私の警戒が伝わってしまうようで苦情がきたのでやめた。
馬車は余裕のある二人掛けのソファを二つ向かい合わせた形で、ドアの反対側には窓がついていて、中央部分には小さなテーブルもついている。
ゆっくり過ごすことができるように計算されていて、ソファの座り心地もいい。窓も少し空いていて、空気も心地よくて、道も舗装されているのだろうけどかなり揺れも少ない。
魔王もいなくなった今、街に近いこの道は危険はほぼないだろう。盗賊だってこんな場所で、しかもわかりやすくめちゃくちゃ守られている馬車をわざわざ狙わないだろう。
「……リリィ、暇だね」
「そうね。でもこうしてのんびり流れる景色を見るのも悪くないわよ。お茶飲む?」
「え、うん」
馬車の中でお茶を? と思いながらうなずくと、リリィは自分の隣においていたバスケットからガラス瓶を取り出した。しっかりはまっていたコルク栓を抜いて小さなカップを出して半量注いで私に渡した。
「ありがとう、うん、美味しいね」
受け取って口にする。甘さはないがすっきりした味わいで、すっと口に入ってきた。
「ならよかったわ。飲みたくなったら都度いれるから、言ってちょうだい」
ふんわり微笑んでそう言いながら手を差し出された。なんだかわからないけど、今までの経験上反射的にその手をとって握手に応じた。
「え……」
「……ああ、カップか。ごめん」
きょとんとしながら握り返してくれるリリィと見つめあい、違うのはわかるけどなんだ? と一瞬考えてわかったので手を離してカップを返す。
「……ふふっ。エレナって、そう言う可愛らしいところがあるわよね」
少しばかりばつが悪くて頭を掻きながら謝罪する私に、リリィは私のカップをバスケットに戻しながらくすっと笑った。その表情は大人っぽくて、お姉さんみたいでなんだか気恥ずかしくなってしまう。
「可愛くはないでしょ」
「あら、私が嘘つきだって言うの?」
私はどう見ても可愛いではない。そもそも男に見える私にそんなこと言われるわけがない。振る舞いとか、そう言う部分だとは思うけれど。それでも可愛いはなかったし。
それにそもそも、他でもないこの国で一番可愛い女の子と言ってもいいお姫様であるリリィに言われると、余計に恥ずかしい。
だから思わず否定する私に、リリィはどこか楽しそうに私のと色違いのカップをとって自分の分を入れながらそうちらりと視線を向けてくる。
うつむき気味な状態から見られると、上目遣いになっていてなんだかドキッとしてしまった。
「そ、そうじゃないけど……。リリィほど可愛い人に言われても」
「そ、それこそ、私を可愛いと言うのはあなたくらいよ」
「え?」
苦し紛れの私の言葉にリリィは予想外の返しをするものだから、普通に首を傾げてしまう。
リリィが可愛いのは誰が見たって明らかだと思うのだけど、言われないなんて。確かに言われ慣れていない感じはあったけれど、私くらいと言うのはおかしいだろう。いったいどうなっているのか。
「それは……姫だから遠慮して可愛いと言いにくいだけでは? だって誰がどう見ても可愛いし」
「そ……この話は、もうやめましょう」
私の問いかけにリリィは頬を赤くして目をそらしながら手の中のカップを空にした。やっぱりどう見ても可愛いのだけど。
とはいえ、さっき私が反応に困ったようにリリィも困っているなら、まあこれ以上言うのはやめておこう。
「わかったよ。あ、見て、リリィ。向こうに村が見えてきたよ」
「そうね。あの村でいったん休憩ね」
「あ、そうなんだ。近いとは思ったけど、そういうことか」
普通はここまで近くにわざわざ村をつくらない。ここに住むくらいなら街に住んだ方が便利だし、宿場町になるには近すぎるし、かといって特殊な地形でもないし、と思ったら、休憩の為だけの村だったらしい。貴族が馬車移動をする際に都度休憩するために維持されているのなら納得だ。
「この後も同じくらいの距離に休憩がとれる村があるから、退屈かもしれないけど、都度体を伸ばすといいわ。あとは別に、寝ていてもいいし」
「なるほど……」
護衛なんかは自分の足でついてきているし、貴族のトイレ休憩も兼ねているのだろう。考えてみれば貴族はその辺でトイレをしないのだろう。
場合によっては狭いところに籠ることもなくはないので覚悟はしていたけれど、適度に体を動かせるならそれに越したことはない。
「リリィ、どうぞ」
「ありがとう」
「軽く見てくるけど、リリィは大丈夫?」
「平気よ」
馬車がとまったのですぐに出て、リリィが下りるのをエスコートする。馬車は快適性の為か普通のより車高が高いので、自分はともかくリリィが下りる時は大丈夫かなと少し心配になるのだけど、高いヒールで危なげない足取りだった。
リリィもトイレに行きたいかもしれないのに一緒にいてはやりにくいだろうと思い、一言確認してから軽く村の周りを走ってみた。かなり小さい。村として独立できないほどだ。それでいて馬車の対応にもみな手馴れていて、いい笑顔だ。面白い領だと改めて思った。
そう思いながら、体を動かすついでと思い二周して馬車に戻ってくると、リリィもちょうど馬車に向かっていたのでその手をとって馬車に乗り込んだ。
「……道がひらけてきたね」
「そうね」
また走り出してしばらくして、未知の左右共に草原となってひらけてきた。リリィはどこか楽しそうに外を見ている。さっきまでより少し強い風が中にはいってきて、リリィの髪がゆれる。
少し目を細めていて、多分心地がいいんだろう。リリィを見ていると暇だった馬車旅が悪くないものに感じられる。
「ん……? 眠いの?」
「え? あー、そうだね。少し寝ようかな」
ぼんやりリリィを見ていると、ふっと目があった。気づかれたなぁ、とこれまたぼんやり考えていると、リリィはくすっと笑ってそう言った。
私の顔が眠そうに見えたらしい。別にそう言うわけではないけど、確かに長いのだし少しくらい寝てもいいだろう。元々私はどこでもいつでも眠れるのが特技といってもいい。旅の仲間にもうらやましがられたものだ。
「ん、そこにおいて。こっちに来て」
「え? はい」
そう考えながら頭をかく私に、リリィはバスケットを私に渡しながら指示したので、言われた通りに自分の隣にバスケットを置き、リリィの隣に移動する。
重量バランス的に隣に座ってもいいのかな、とちらと思ったけれど、まあこの馬車なら問題ないのだろう。
「どうしたの?」
「寝るのでしょう? 膝を貸してあげるわ」
もしかして内緒話かな? と声を潜めながら尋ねたら、リリィは自分の膝上のスカートを撫でてそう言った。見つめあったまま瞬きしてから、思わず大きめの声が出る。
「えっ、膝枕してくれるってこと? 重いし、大変だよ?」
「次の休憩時間までなら、大したことはないわよ。末の従妹にはよくせがまれてやっていてなれているもの。遠慮しないの」
「え、えー……じゃあ、お言葉に甘えて」
いや、大変だろう。リリィは慣れた感じだけど、末の従妹ってまだ五歳の姫だよね。全然負担が違う、と思ったけど引かなさそうなのでいったん試してもらうことにした。正直、心惹かれるのも嘘ではないので。
座る位置を調整してからそっと体を倒して膝枕をしてもらうと、自然とリリィは私の頭を撫でてくる。
うーん、とっても気恥ずかしい。だけど、なんというか、悪くはない。いい匂いだし、柔らかいし、優しい手つきも落ち着く。さすがになれていると自称するだけはある。
「眠くなったらそのまま寝ていいわよ」
「うん、ありがとう。でも……なんだか、もったいない気がしてきたよ」
「くすっ、ふふ、馬鹿ね。いつでもしてあげるわよ」
優しい声がなだめるように降ってきて、促されるように自然に私の眠気が高まってくる。
甘やかされているな、と思う。私ばかり幸せにしてもらっていて、どこか申し訳ないような気さえする。だけど、それ以上に心地いい。
「……うん、ありがと」
私はそっと目を閉じた。
そうしてしばらく眠って、がた、と馬車が揺れて目が覚めた。
「……」
「あら、起きたのね。おはよう」
「おはよう」
「寝起きがいいわね」
はっとする私にリリィは笑って褒めてくれた。ちらりと太陽の位置を確認しながら起き上がる。それほど時間は経っていないだろう。
「膝枕、ありがとうね。気持ちよかったよ」
「どういたしまして」
「しびれてない?」
「そうね……まあ、少しは。最初は平気だと思ったのだけど」
気になっていることを尋ねると、リリィはそう苦笑しながら自分の足を軽く撫でた。それほど苦痛なほどではないようだ。よかった。
休憩時間になるよりも前に起きれたようだし、それでいて一眠りしてすっきりした感じもある。
「ごめんね。もし休憩時間になっても歩けないようだったら、トイレまで連れていくから安心してね」
「……お気遣いどうも。でも、そんなことにはならないわ」
私なりのお礼の気持ちだったのだけど、何故か半目になって睨まれてしまった。ちょっとデリカシーがない言い方だったかな? うーん、そうかも。お姫様もトイレは行くといえ、普通は直接トイレって言葉も使わないんだった。
「えっと、あ、じゃあ次は私がリリィを膝枕してあげるよ」
「いえ、私は眠くないから結構よ」
「えー……私ばっかりしてもらって、申し訳ないよ」
なんとか挽回したくて第二の提案をしてみたけど、リリィは気持ちを切り替えたようで半目はやめてくれたけど、これまたきっぱりと拒否されてしまった。
眠くなくても気持ちいいんだけど、でもリリィはしっかり髪を整えているから気安く寝ころがれないのかも。弱音のような本音が思わず出てしまう。
「別に、気にする必要はないわ。膝枕は私も楽しんでいたもの」
「え? そうなの?」
そんな私にリリィは笑った。笑ったけど、どこか悪戯っぽい笑みだ。不思議に思いながらも首を傾げる。膝枕ってする方も楽しいのだろうか。したことがないのでわからない。
「ええ、実に可愛らしい寝顔だったわよ」
「う……」
これは、からかわれている。そうは思ったのだけど、気恥ずかしさで私は休憩まで黙るしかできなかった。