3−3 家
「人の姿が見えたから、誰がいるのかと思って来たのよ。引っ越してきたの?」
「は、はい。今日から、ここに住むことになりまして」
それで納得してくれるのだろうか。勝手に入り込んだと思われないだろうか。だから男性がバットを持っているのだ。引け目を感じて、つい吃ってしまったが、女性は特に気にすることなく、なら良かったと、息を吐いた。
「前の方が亡くなってから、そんなに日が経っていなかったから、泥棒でも入ったのかと思ったの」
「亡くなった……」
「あ、ごめんなさいね。ご婦人が住まわれていて、病気で亡くなったのよ。その後……」
言いながら、女性は突然眠くなったかのように、何度も瞼を上げ下げし始めた。瞬きはゆっくりで、とろんと虚ろな顔をする。何事かと思えば、すぐにハッと目を開いた。隣の男性も同じだ。
「そうそう、遠い国から引っ越して来たのよね。おばあさんが亡くなって、残念だったわ。死に目にも会えなかったでしょう。家はどうなるのかと思ったけれど、お孫さんが来たのならば、安心ね」
そんなこと一言も言っていないが、女性は納得して一人頷いている。
それで、思い出したのだ。使徒は適当に誤魔化されると言っていた。それがこの状態なのだろうか。女性は隣の男性と頷き合ってからはきはきと話し、玲那の知らない話を勝手に口にして、なんでもないのならば良いのだと、納得していた。
「今日やって来たのなら、食料なんてないんじゃない? 食事はしたの?」
「いえ、今、火を点けようとして、上手くいかなくて」
言った瞬間、ぐうううと、大音量でお腹が鳴った。恥ずかしくて顔から火が出そうになる。
「なら、俺が点けてあげるよ。得意だから」
隣にいた男性が、返事を待つことなく家に入ってくる。断る理由もないのでお願いすると、キッチンに勝手知ったると入り込んだ。部屋の位置を知っているのだ。
そうして、薪の位置を確認すると、パチン、と指を鳴らした。
途端、火口用の草に火がついた。それをそっと薪に近付け、何度か息を吹けば、パチパチと薪が燃え始める。
玲那は何度も瞬きをしてしまった。男性が何をしたのか、まったく分からなかったからだ。
「魔法は使えなかったりするのかな?」
「え、あ、ええ、はい」
「あら、じゃあ、石火石を拾って来た方がいいわね。古いけど、家にあるやつをあげるわ。使えると思うから。それと、食事の材料は? パンはある?」
「え、いえ」
「じゃあ、待っていなさい。すぐに持ってくるわ!」
女性はそう言って、男性と一緒に道を行ってしまった。
「魔法、って言った?」
それは聞いていない。指を鳴らしただけで火が点いてしまった。それが魔法だったのかはわからないが、一瞬で火が点いたのは確かだ。
使徒が説明し忘れたことは、まだまだありそうだ。
魔法は自分にも使えるようになるのだろうか。簡単に火を点けることができるならば、その方がありがたいが。
二人は野原を越えて、小山の方へ歩いている。そして一番近くにある隣家に入っていって、女性だけがすぐに戻ってきた。
渡されたのは、真っ黒な石二つと、布に包まれたパンだ。
「おばあさんとは親しかったのよ。残り物で悪いけど、これを食べて。なにか困ったことでもあったら、教えてちょうだいね。あの家に住んでいるの」
女性の名前はアンナと言い、夫婦で家に住んでいると教えてくれた。
人の良さそうな女性だ。よくよく礼を言って、いただいた石を見つめる。
石火石と言っていた。黒光りする石をカチカチと擦ると、すぐに火花が散る。これをあの火口用の草に落とせばいいのだろう。
「それにしても、おばあさん、か」
ここに住んでいた老齢の女性は病気で亡くなり、近くの墓地に埋められたそうだ。
この家は、その女性のものだった。
「亡くなった女性の孫に偽装するって、ちょっと、なんか……」
しかも、勝手に家に住んでいる。
申し訳なさが込み上げるが、ここ以外に行く場所はない。異世界人であることは気付かれてはならないと、注意されたのも思い出す。先ほどの嘘が簡単にバレないのか、不安になった。
「そこは神様を信用するしかないか。あとは、私が変なことを言わないようにすればいいのかな。他に行くところはないもん。ありがたく使わせていただくしかないよね」
パンをもらえたことに安堵しつつ、布に包まれたそれを開いた。中にあったのは、フランスパンのような少々長めのパンで、やけに硬い。コツコツと音がするほどで、このまま食べるのは難しそうだった。
「保存のために固く作ってるのかな。カッチカチなんだけど」
だが、食べる物をもらえて、玲那はホッと安堵の吐息を吐いた。