76−3 帰宅
思った以上に滞在日数が長かった。地下倉庫にある野菜たちは元気にしているだろうか。まだ外は冷えていて、雪も残っている。降ってはいないが、寒さはあるので、そこまで悪くはなっていないだろう。家のあちこちを掃除して、残っている食材で食事をし、とうとう、お風呂に火を入れた。
帰り際にお金を払ってこられたらよかったのだが、手持ちがなかったので、明日また支払いに行く予定だ。ついでに食材も買ってこよう。雪は残っているが川の氷は溶けているだろうか。魚を釣りに行けたらいいのだが。
お湯が沸いたのを確認して、蓋を開けて湯殿の空気を温めてから、玲那はおもむろに脱ぎ出した。
「ひい。寒い! 気をつけないと、ヒートショック。嫌だ。孤独死。すっぽんぽんで倒れてるところ、見つかりたくない」
ゆっくり足元からお湯をかけて、心臓にもかけて、体を軽く温めてから湯船に入る。体を洗うのは無理だ。寒すぎる。
「うわ。やば」
湯船に入れば、冷えていた足元がじんと痺れる。体の芯まで凍えるほど寒かったが、それがゆっくりと温まっていく。
めちゃくちゃ、いいっ!
「最高すぎるー! お風呂、最高ー!!」
肩まで浸かると、お湯がざぶんと音を立てて流れてしまう。追い焚きはできても、お湯を足すことはできない。できるだけ溢れないようにして肩まで浸かりつつ、玲那は上部にある窓を上げた。外のひんやりした空気は体を冷やしてしまうが、外が見えるのがよかった。そのまま湯船に入って、窓の隙間から外を眺める。
「色々あったなあ」
木々の雪は落ちて、しばらく雪が降っていないのがわかる。このまま春になるのだろうか。暖かくなったら、作るものがたくさんある。前のように草木を採って、紙や糸を作り、布を織ることになるだろう。浄水場も作り途中だ。やることはたくさんある。
忙しい毎日でも、充実した毎日。それが楽しい。
なのに、どうしても気持ちが晴れなかった。
「思った以上に、きつい、なあ」
仲良くなれたと思ったのに、急に離れることになると、こんなにも寂しいものか。
「死んだ時だってそんな悲しくなかったのにね」
あの頃は、全てを諦めていたか。
だが今は、諦めるということはしたくない。
「うん! 気にするな! わかってたことなんだから! 今度会ったら思いっきり大きな声で挨拶すればいいのよ!」
気にしてはいけない。フェルナンの心の傷は深く、簡単には埋まらない溝がある。理解しても感情は簡単ではないだろう。そのうち、きっと、異世界人だからと言っても気にせず、話をしてくれるはずだ。そうだと信じたい。
異世界人についてはオレードには伝えていなそうだったし、誰かに話してもいなそうだった。だから、大丈夫だ。
「きっとね。うん。よし!」
ゆっくりお風呂に浸かって、気分をリフレッシュしよう。
明日はいい日。明後日はもっといい日だ。
眠りそうなほどのんびり温まっていると、ガロガの蹄の音が聞こえた。森の方ではなさそうだ。森では蹄の音が響くほど走らせられない。次いで鳴き声が聞こえる。しかも近くで聞こえた。誰か来たみたいだ。
お風呂は家の扉に繋がっているわけではない。
玲那は急いでお風呂から上がった。ガロガに乗るような人が玲那の家の前で停まるのならば、もしかしたら。
コンコン、と門扉にある木の板を叩く音が聞こえる。玄関前には鳴子の罠がまだ残っているので、門扉にチャイム代わりの板と、叩く用の木のトンカチが引っかかっている。それの使い方を知っている人がやってきたのだ。
「はーい! 今、出ますー!!」
適当に体を拭いて、髪の毛をタオルで包んで、慌てて服を着て飛び出せば、そこにいたのは、
「フェルナンさん! おあっ!」
「レナ!?」
勢いよく飛び出したせいで、自分のかけた鳴子の罠に引っかかった。ガラガラ鳴り出して耳にその音が届くはずなのに、その音が耳に入らなかった。
「す、すみません!」
玲那は受け止められたフェルナンの胸から飛び退いた。ただでさえ機嫌を損ねている人に、ダイビングして突っ込んでしまった。しかも頭に巻いたタオルが乱れて、ボサボサどころか、髪の毛から雫が滴った。とてもではないが、人様の前に出る姿ではない。
「すみません。すみません。お風呂入ってて」
目の毒すぎる。もちろん相手に。焦ったまま扉の陰に隠れて謝るが、見せる顔がない。
「あ、いや。その、渡したい物があって」
「渡したい物?」
もう怒っていないのだろうか。目を合わせてくれなかったほど気分を害していたのかと思ったのだが、それをおすほど重要なことだろうか。扉から顔だけ出してフェルナンの姿を目にすれば、どこか居心地悪そうに、よそを向いている。
やはり、相当なお怒りなのではないだろうか。
異世界人に塩を送るとか? いや、意味が違う。悪霊退散。塩を撒きにわざわざ家に来たとか?
フェルナンは小袋を前にした。手のひらサイズの袋で、フェルナンが動かすとカサカサいった。塩ではなさそうだ。
「なんでしょう」
フェルナンが門扉の前から動かないので、玲那は適度に髪の毛を整えてからその袋を手に取った。
受け取って袋を広げると、中には実のようなものが何種類か入っていた。丸いものから胡桃のような形のもの。大小も様々だ。
「えーと、これは?」
「種だ」
「種?」
「春になったら必要になると思って、都で買っておいた」
都に売っていた、何種類もの種。畑に植える用にと、購入してくれたという。
「あ、ありがとうございます」
「適当に撒いても、祈祷できるから。撒いたら呼んでくれ」
「いいんですか!?」
食物の育ちが良くなる、あれである。フェルナンが行ったらきっとよく育つのだろう。フェルナンはよそを向いて視線を合わせぬまま、何度か小さく頷く。ほんのりだが、頬が紅色だ。
怒っているようには見えない。むしろ、恥ずかしがっているような。
もしかして、顔を合わせるのが嫌なのは、もしかしなくても、玲那の前で涙を見せたからなのか?
フェルナンは、どれがどの種か説明して、それだけだ。と踵を返してガロガに跨った。
ツンデレ。ツンデレだ。フェルナンのデレを初めて見た。
「ありがとうございます! ちゃんと植えますね! お野菜できたら、ご飯一緒に食べましょ!!」
玲那の言葉に、後ろを向きながらコクリと頷く。そうしてそのまま、颯爽と去っていった。
領の城に戻った時に、渡す余裕はあっただろうに。タイミングを失したのか、わざわざ家まで来てくれるとは。
「あはは。なあんだ」
怒っていたわけではない。それがわかっただけで、力が抜けた。
異世界人だとも問われることはなかった。
ただ、これを渡すタイミングをはかっていただけか。
「泣き顔を見ちゃったから、口止め料かな」
それでもいい。玲那が一番喜ぶものを贈ってくれた。
嬉しくて、舞い上がりそうになる。
春になったら、この種を植えよう。
この家で、この場所で、生活し続けるために。
これで、第二章は終了になります
第三章までお待ちいただければ幸いです




