76 帰宅
「こちらがお手紙になります」
男は玲那に荷物を預けて、早々に帰っていった。渡された箱と手紙に、玲那は引きつった笑いを見せながら見送って、箱と手紙を睨みつける。
「なにが入ってるんだ?」
料理長が横から顔を出してくるが、開けたくない。いや、箱の中身は想像できるので良いが、手紙を開きたくない。
そおーっと、そーっと、遠くに離して、片目を瞑りながら手紙を開こうとすると、料理長に呆れられたが、この状況がわからないだろうか。箱、手紙。送り主は、アシュトンである。
「聖女の包丁か。すごいな、これは」
「そっちはいいんですよ。そっちは。問題はこっちですよ!」
手紙を嫌々ながらそっと開いて、玲那は入っていた一枚の便箋を開いた。紙の質はよくないが、こちらではおそらく高級品だろう。インクで模様が描かれていて、そうか、印刷じゃないのか。などと別のことを考える。何枚も同じ模様を手で描くのだろうか。陶器などに一つずつ描くような感じだろうか。大変だ。などと別のことを考える。
「手作り感半端ないお手紙様よ。読みたくない」
「手作り感? どういう意味だ?」
「いえ、心のこもった便箋ですよね。読みたくない」
「読んでやろうか?」
「人に読んでもらっても、中身は変わらない」
「どれどれ。うーん。まあ、御愁傷様と言っておこう」
「他人事すぎる!」
ええい。と便箋を表彰状を受け取るように広げて、玲那はその手紙を目に入れた。
読んだ瞬間、そのままくちゃくちゃにして窓の外から捨てたくなる。なんなら燃やしたくなる。
「行くか! あの王子! むしろ私を監禁したことを詫びろ!」
「でかい声で、まあ。誰かに聞かれたら事だぞ」
「だって料理長、恐ろしいことが書いてありますよ! なんだ、また食事作れとか。行くか!」
手紙は、今回の事件についての無事を喜ぶ言葉から始まり、出来上がった包丁を贈ることが書かれている。それはいい。それまではいいが、その後に、王宮の料理人に推薦しても良い。や、暇があれば王宮で料理をする機会を与える。などが書いてある。
「行くか! 不吉な! 二度と行くか! 一生行くか!!」
「おうおう、吠えてるなあ。しかし、いい包丁だぞ。これは」
「それはありがたくいただきます。指切れないらしいですよ。すごいですよね。物作りの聖女。さすが聖女。ちょっと、使ってみたい。なにか作りましょうか」
お試しに切ってみたい。キッチンに行って、切れ味を試したい。
今日は夕飯を奮発する予定なので、早めの用意が必要だ。いそいそと料理長とキッチンに向かい、いただいた包丁の切れ味を確かめる。
肉をするりと切れるだけでなく、軽くて持ちやすい。柄の部分も握りやすく、力を入れずに切ることができた。感動ものである。
「お肉がさっと切れます! 高級品! え、すご。聖女すご。すごーい、聖女!!」
「聖女を連呼するな。物作りの聖女は素晴らしいと思うけどな。なにかとありがたいものを作ってくれたよ」
異世界人の話は禁句だと、大声で連呼したことを嗜められるが、料理長は恩恵をもらっているので、物作りの聖女には寛容だ。なんで悪く言われるのかとぼやく。
「物作りの聖女は、行方不明になっちゃったんですもんねえ」
過度に期待されて嫌になって逃げてしまった聖女。それでも多くの物を商品化している。
聖女の偉業を讃えて、料理を始めた。今夜は奮発晩餐だ。なぜなら、やっと、やっと、帰れることになったのだ。そのための最後の晩餐。この屋敷での、である。
「はあ、もう帰れないかと思ったよ。早く明日にならないかな」
芋もどきの皮を素早く剥きながら、玲那は明日を夢見る。
帰るのは嬉しい。小躍りしたくなるくらい嬉しい。だがしかし、一つ問題がある。
「そういや、お前ら、喧嘩でもしてるのか?」
「うぐっ」
誰と言われなくてもわかる。フェルナンである。
喧嘩なんてしてないよ! 言いたい。してないよ! だがしかし、現状、目も合わせてもらえていない。なんなら、顔を背けられるくらいである。
「してないですよー。喧嘩なんてー! 一方的に無視されてるだけでーっ!!」
「泣くな、泣くな。どうせお前がなにかやったんだろう」
「ううっ。やりましたあっ」
「だろうなあ。お前が血だらけで担がれて来た日、フェルナンが必死に治療して看病して、昼に食事を作ってほしいと言われるまでは良かったのになあ」
「必死に看病してくれたんですか?」
「じゃないのか?」
「適当! はあ。いいんですよ。原因はわかっていますから。誤解は解いたけど、私の問題が残ってるからなあ」
「なにかしたんだろう」
「ううっ」
玲那はわざとらしく嘆いて見せたが、内心、かなり気落ちしていた。
なんと言っても、話しかけようとするとそそくさと逃げられる。睨まれて無視されるとかではなく、話しかける隙さえ見せずに忽然と姿を消されてしまう。一瞬の間に行方がわからなくなるのである。
そこまであからさまに無視されるとは。嫌悪感を見せられるのもつらいが、顔を合わせることすらできないというのは、精神的にくるものがある。
まあね。指摘するだけ指摘して、泣き顔まで見てしまった。その上異世界人という事実を自ら暴露したようなもの。フェルナンが玲那をどう扱うかは想定できていたではないか。
「でも、現実やられると。さすがに、」
「なにやったんだか知らないが、怒っている風ではなさそうだから、しばらくは放っておくといいと思うぞ」
「怒ってなかったですか?」
「怒っていると言うよりは、なあ」
料理長がちらりと玲那を横目にする。こちらは泣きべそかきたい気分なのに、意味ありげに見て鼻で笑わないでほしい。




