74−3 痛み
「ところで、フェルナンさん。私はどうしてここにいるのでしょう」
今更ながら思い出した。ローディアは無事だったはずだが、あの後どうなったのだろう。城に帰らずこの部屋に戻ってきて問題なかったのだろうか。アシュトンからなにか言われたりしないか。
それと、意識を失う前に、フェルナンを見た気がした。もしかしなくても、フェルナンがここに連れてきて、治療してくれたのではなかろうか。
「怪我の功名ってやつ? どれだけ包丁のために城に勾留されるんだろうって思って、て」
言い方が悪かった。フェルナンが不穏な視線を向けてきた。怪我の功名はなかった。
「無事。無事でした。元気です!」
「治療したからだ!」
「はい。すみません!」
やはりフェルナンが治療してくれたのか。よくよく礼を言わなければならぬと、正座をして深々お辞儀をする。
「誠にありがたく。危ないとこでした。やー、もうね、お呼ばれしちゃって、戻ってこれないかと思っちゃって。助かりました。毎度、ありがとうございます」
「お呼ばれ?」
「あっ、そうそう。お話ししたいことがあってー」
使徒の話は誤魔化して、玲那は真面目な話だと、正座したまま背筋を伸ばした。
「フェルナンさんが異世界人嫌いなのは、聖女さんのせいなんですか?」
「――っ、当然だ。聖女の悪行はあんただって聞いているだろう!」
玲那の直球の言葉に、フェルナンは一瞬息を呑んだ。面食らったのだろうが、すぐに顔を歪めて言い返してくる。
聖女は多くの者たちを惑わし、人々を困窮させた。それは許されることではない。異世界人を悪の代名詞にしたのも、最後の聖女の悪行のせいなのだと。
最後の聖女は多くの影響を及ぼした。周囲だけにとどまらず、他方まで。聖女に貢いで破産するほどの者もいたそうだ。
「聖女など、傲慢な女だっただけだ!」
立ち上がってそう言いながら、フェルナンの顔は歪んだまま。苦しそうに息をする。
一体どれほどの間、そんなことを思い続けていたのだろう。会った記憶のない母親の噂を、長年聞かされてきたのだろうか。そのせいで、フェルナンの心の傷はとても深いものになってしまった。町の広場に残された絞首台を見て、なにを思っただろう。
「私、ずっと気になっていて」
泣きそうな顔をするフェルナンに、事実を伝えたい。玲那はフェルナンの目を離すことなく見つめた。
「聖女さんの肖像画見たんですけれど、確かに宝石ギラギラ色々着けてらして、派手は派手だったんです」
フェルナンが唇を噛み締める。一つ一つの言葉が彼を苛むのだろう。けれど、それは違うと言いたい。
「でも、一つだけ、銀色の、なんの宝石も付いていない指輪をしていたんです。元の世界のものだとしても、大切にしているって、変じゃないですか? だって、人々を騙して貢がせていたのに、ただの銀色の輪っかの指輪なんて、ずっと着けたりしますか? 前の世界の物だから、捨てられなかったのかなー。まあ、あるかなー。とは思ってたんですけど」
「なにが言いたいんだ」
「もう一度、指輪、見せてもらえませんか?」
玲那の言葉に、沈黙が流れた。フェルナンが尻込みしているところを、ずずいと前に出て手を伸ばす。フェルナンはその手におののくように体を竦めた。
「食べたりしないんで」
「―――なんで食べるになるんだ。はあ」
ため息混じりで、フェルナンは自分の首にかけてあるネックレスを取り出した。玲那は受け取った指輪をじっくりながめる。
ああ、やはり。
思ったとおりだ。玲那はもう一度フェルナンを見つめた。
「フェルナンさん、王様の名前、知ってます? 今の王様じゃなくてー、聖女さんがこの世界に来た時の、王様の名前」
「モルテン」
「そうそう。モルテン。で、聖女さんを奥さんにした、王子さんの名前が?」
「――――エルランド」
そう。父王の名前がモルテンで、王子の名前がエルランドだ。そしてその弟が、エリオット。
玲那は指輪の内側を、フェルナンに見せる。小さな文字がぎっしりと刻まれている、その内側を。
「小さい指ですけど、きちきちに文字書いてあるのはわかりますよね。長すぎて一周してるくらい。でね、これが、お名前なんですよ。ヴィルフェルミーナ」
見たことのない文字だが、その上には翻訳が浮き出ている。玲那の知らない言葉でも翻訳されるのは、玲那にとってチートだ。それがこんなことに役立つとは。
「でもね、その前にも、名前があるんです」
ヴィルフェルミーナだけで文字は一周しない。文字は他にも記されている。最初は苗字かなにかだと思った。別の世界の人の習慣などわからない。指輪に刻む名前がなんの意味を持つのか、玲那の世界と同じとは限らない。だが、すべてを読んで、やはりそうであると確信する。
「テオドル。指輪の文字を全部読むと、テオドル、と、ヴィルフェルミーナ、518。年号か、日付かな? 私の国にもね、こういう習慣あるんですけど、こっちにはないのかな。結婚する時に指輪とか贈らないんですか? 聖女さんの世界でも、そういう習慣があったかはわからないんですけど、多分ね、聖女さんにはこの世界じゃない、前の世界に、恋人か旦那さんがいて、その人の名前と自分の名前、それから付き合った日か結婚した日か、どちらにしてもおそらく記念日? それを刻んだ指輪をずっとしてたんです」
ヴィルフェルミーナには恋人、もしくは夫がいた。臨月を考えれば、フェルナンはその人との子供ではないが、ヴィルフェルミーナには愛する人がいたのである。それを考えれば、
「おかしくないですか? 魅了して、たくさんの物を貢いでもらっていた人なのに、昔の恋人か夫の指輪をずっとはめていた。噂通りの聖女ならば、こんな宝石もついていない指輪なんて、すぐに捨てちゃいません?」
「……思い出としてとっておいただけだろう」
「そうですか? 好きな人の名前が入った指輪を? おそらくですけど、この指輪はもう一つあって、お相手の方も一緒にはめていたと思いますよ。おそろいの記念の指輪。そんな指輪をはめている人が、人々を魅了すると思います?」
フェルナンは口を閉じたまま。差し出した指輪を手にしようともしなかった。
これだけでは信じられないだろうか。けれどこの指輪には、聖女の事実が記されている。魅了の力を持って人々を狂わせられるならば、この指輪を持つ意味はなかったはずだ。愛する人との指輪を大切にしながら、貢がせるために魅了させる? それは矛盾しているだろう。
ただ、この指輪によってヴィルフェルミーナに愛する人がいると知れば、フェルナンは傷つくかもしれない。それは考えていた。愛する相手とは別の人、その人との子供であるフェルナンが知るには、酷かもしれない。けれど、ヴィルフェルミーナが魅了を使ったわけではないと、その誤解は解くべきだと思った。
玲那が異世界人だと気づいて、異世界人というだけで嫌われたくないと思ったからかもしれない。
「フェルナンさんには、それだけは伝えたくて。魅了の力を持っていたか持っていなかったのか、その辺はわからないですけど、これを持ち続けていた聖女さんは、噂とは違う、一人を一途に思っていた人のはずですよ」
だから、誰かを魅了して、なにかを得ようとする人ではない。
「聖女さんは、無実ですよ」
玲那はフェルナンの手を取ると、その手のひらに指輪を乗せた。それを握らせて、指輪を返す。
これで信じてもらえないのならば、仕方がない。フェルナンが一人で考えて乗り越えるしかない。玲那にできることは、あなたの母親は無実であると、伝え続けるしかない。
それよりも、玲那へ嫌悪を見せる方が早いか。
指輪を握りしめるフェルナンになにを言われるか。顔を上げるのは怖いが、言いたいことは言った。異世界人だと罵られるのならば、言い返すだけだ。
ままよと顔を上げれば、虹色の瞳から一筋の雫が流れているのが見えた。
「あ、わわ。あわわ。は、ハンカチ! ハンカチ!?」
カバンがない。ベッドの下に荷物を隠したのを思い出して、引きずり出す。そこからハンカチを取り出して、フェルナンの頬に当てた。指輪を握りしめた手に涙が落ちる。そのまま床に崩れるように、座り込んだ。
声を殺して涙を流すフェルナンに、今までどれだけ傷ついていたのかを、玲那はやっと知ることになった。




