74 痛み
背中が痛い。
じくじくした痛み。背中に触れるとぬるりとした物が手に当たった。
知らぬそぶりでいたが、やはりなにか当たって出血していたか。
最初の光が飛んだ時に、背中に何かが当たっていたのかもしれない。
「痛いなあ。……うん?」
玲那はむくりと起き上がった。背中の痛みは消えている。痛みだけならよかったが、景色も消えていた。真っ白な世界。思い出す、この世界に来ることになった、おかしな空間。
そこに、ふわふわと浮いたまま、立っている男がいた。
「あれ、使徒さん。はっ!? もしかして、私、また死にました!?」
「ビットバを使いこなすよう、伝えていたでしょう」
使徒は無表情のまま。座っている玲那を見下ろした。
「使いこなしてますよ。ちびっこちゃんを助けましたよ。あの子とお母さん大丈夫だったし。でもローディアさんに見られてたかも」
考える余裕もなくビットバを放った。魔法が使えないのにビットバを使ったので、見られていたらローディアにまたあらぬ疑いをかけられてしまう。が、見られていてもいいのか。また死んだのならば。と思い直す。
「リリちゃんが助けてくれたのに、なんで当たっちゃったんだろ」
「このような感じですかね」
玲那の背後に、丸いゴルフボールのような物がゆっくり降りてきて、それがいきなりスピードを出し、地面を跳ねて玲那に飛んでくる。
「うわっ! 危ないですよ!」
「当たりませんでしたので」
「避けたんですよ!」
相変わらず、ああ言えばこう言う。玲那が咄嗟に避けなければ、背中に直撃だっただろう。
そのように当たったとしても、わざわざ当てなくていい。
「そういえば、お久しぶりですね」
「あなたが出かけてばかりで、忙しそうでしたからね」
「私だってゆっくりしたいんですけどね。ああ、お風呂でのんびりゆったりする予定が!」
歯噛みしたい気持ちで拳を握りながら、はたと気づく。
「どうしよう! 私、まだお風呂の代金、全部払ってないんですよ!」
「大変ですねえ」
「その、なんとも思ってなさそうな、適当な返し」
「面倒に巻き込まれていたようですからね」
「そうなんですけど。そうだ! それについて、聞きたいことが多々あって! 異世界人が悪いことしちゃってって話、なんだか違うことが多いみたいなんですけど!」
聞いていた話と差異がありすぎる。それについて問いただしてみると、使徒はさらりと、
「あの世界で言われていることをお教えしただけですよ」
と言ってきた。
「そしたら、本当は違ってる事実かもってことですか!?」
「さて」
「さてじゃないよ」
「何事も、自ら得ることが必要だと思いませんか?」
いいことを言っているように聞こえるが、情報提供者が嘘を言うのはどうかと思う。玲那は睨め付けたが、使徒は睨んだくらいでは怯まない。それどころか、最初から紛い物だと言ったでしょう。と言ってのけた。
やっぱり詐欺!
「あの世界は神への信仰があついのです。そのような話をした覚えがありますが」
二度も言わなくていい。確かに最初にそんなことを言っていた。異世界人をすぐに神の使いのように囃し立てると。珍しい力に浮き立ってしまうという話。
つまり、本当に異世界人が悪いわけではないと言うのか。騙された。
真新しいものに集まり、それが奇跡であると勘違いしてしまう。そして過度に期待をし、そうでなければならないと言わんばかりに役目を与え、そこから外れるとそれは非道だと言う。異世界人は、そんな役目をおってきた。
「難儀なことですね」
「自分勝手って言うんですよ」
「慣れとは恐ろしいものですね」
「受け手の問題ですよ。その人の性格です」
施しを受けるのに慣れてしまい、それが当然になる。そこに感謝はなく、今以上に要求してくる。異世界人はそんな風に翻弄されてきた。全員が全員そうだとしたら、冤罪にも程がある。
「あと、もう一つ聞きたかったんですけど。なんで私だけヴェーラーに予言されなかったんですか?」
「……」
「無言になんないでよ」
「世界は広いのです。あなた方には理解できない事例が起きるものなのです」
「うん。ミスがですよね」
「我々は、日々奔走しなければなりません」
「うん。ミスを帳消しにするためのアリバイ作りですね」
「……」
「続きどうぞ」
「まったく。あなたは良い性格をしていらっしゃる」
「お褒めの言葉ということで。で?」
軽くあしらっていると、使徒が玲那を真顔で見つめた。表情が変わらないので不機嫌なのかどうかもわからない。ため息もつかないので、使徒の考えていることは分かりにくかったが、少しだけ声のトーンが下がった。
「方法を変えたのですよ」
「方法?」
「最初は、神の声を聞いた者が、迷い込んでしまった異界の者を保護できるように。異質であるために、その世界から弾かれてしまわないように。迷い込んでしまった異物を、掃き出すことのないように」
「それって、」
つまり、意図的に伝えていたのか。
異分子を世界に馴染ませるために、ヴェーラーに予言を与えていた。
「じゃあ、ヴェーラーって、別に予言の力を持っているわけじゃないっていう」
使徒は答えない。だが、もしそうならば、ローディアがこだわっていたヴェーラーの資格は、そもそも無かったことになってしまう。
ローディアに伝えたら、宗教観が壊れるだろう。
聞いてはいけないことを聞いた気がする。ローディアには絶対に伝えられない。
「宗教は難しいですね」
「神の使徒が他人事みたいに言わないでください」
だがしかし、神の意図など、人間が理解できるものではない。想像をめぐらし、そうであると仮定するだけだ。神と会話ができるでもない。それに、
「神様からすれば、生きる者たちは絶対的なものじゃないですもんねえ」
「使徒を前に言いますねえ」
「きっと価値観が違うんですよ。人と神は。そうじゃなきゃ、生命の終わりなんてないですもん」
「なるほど。そうかもしれませんね」
それこそ他人事のように言ってくる。こんな話をしてものれんに腕押しなので、玲那はまあいいやと話を終わりにした。
どちらにしても、ローディアに伝えることなんてない。
ローディアは玲那が異世界人であることを疑いつつ、その予言がされなかったことを疑問視していたように思う。だから、ヴェーラーは意味をなさないとまで考えるように。
「ヴェーラーの制度に、疑問を持っているのかもなあ」
王族が介入する選定。そんなことで、ヴェーラーの称号を得るにふさわしいのかと。
それで玲那に付きまとったのかもしれない。玲那が異世界人であれば、ヴェーラーに価値はないと考えて。
今のヴェーラーが予言をしなかった。そうだとしたら、今までのヴェーラーも同じように予言できなかったことがあったのではないのか。そう考えたかもしれない。
だから、ヴェーラーの預言者たる称号など、なんの意味もないのだと。
「今回たまたま私だけ予言がされなかっただけなのに。余計な想像を掻き立てさせてしまったという。罪深い。罪深くないですか!?」
「さて」
さてじゃないよ。一人の宗教観を壊しておいて。
結局、ヴェーラーは予言ができたわけではないが、使徒からの声を聞いていたのだから、良いのでは? とか言いたくなるが、ローディアの考え方はそういうことではないだろう。ヴェーラーには予言を得られるような力はない。
これが事実だと知ったら、ローディアはどうするのだろう。




