72−2 護衛騎士
「フェルナン? 大丈夫か? やはり体調が悪いんじゃないか?」
「……いえ、大丈夫です」
マウリッツの声にハッとして、フェルナンは額を押さえた。眠ろうとすると、夢を見るため、ここ最近よく眠れていない。うつらうつらとしても、すぐ目が覚めてしまう。
目を瞑ると、あの時のレナの顔を思い出してしまうからだ。
聖女の指輪を持っている。それを知って、レナはなにを思っただろうか。
討伐隊騎士の話を気にしていなくとも、聖女の子供だとわかった今では、きっと話は違う。
やはり、捨てておけばよかったのではないか。今更ながらそんなことを思う。こんなもの。どうしてずっと、持っていなければならないのか。
服の上から指輪を握る。
指輪に記されていたのが名前だとは思わなかった。ヴィルフェルミーナ。自分の名前を記した指輪を、生まれたばかりの子供に託すなど、その存在を忘れてほしくないとでも言わんばかりだ。なおさら、気分が悪い。
指輪の文字を読めたレナが何者なのか、考えたくもなかった。
「予言もなされていないのに」
小さなつぶやきは、ノックの音でかき消えた。
「フェルナン。レナちゃんはまだ屋敷に戻っていないんだって?」
やって来たのはオレードだ。オクタヴィアンの屋敷に出入りしていなかったため、今頃話を聞いたと、眉を吊り上げている。
「オレード、なにかあったのか? 噂の少女の話だろう?」
「城で王子に目を付けられたらしく、城から出てこられないそうです。ローディアからも目を付けられているようなので、そのせいでしょうが」
「どうしてまたローディアに目を付けられるんだ? インテラル領でなにかしたのか?」
「ローディアがレナちゃんを気にしているのは聞いていたんですが、その理由までは」
オレードはレナがローディアに城へ呼ばれたこと、狩りや晩餐会で起きた話をマウリッツ話す。晩餐会の話はフェルナンも耳にしていた。料理を気に入った王子が褒美をやると言って、そのままレナを留置していると。オクタヴィアンがそこに割って入る理由はなく、ひとまずはレナを置いて屋敷に戻ったが、その後もレナが戻る様子はない。
オクタヴィアンと共に城に行ったが、レナどころか王子にも会えなかった。レナの情報を持っている者が誰なのかわからない。オクタヴィアンはそれとなく探らせていたが、城の中では関わる者も少ない。オクタヴィアンでは情報を得られなかった。
だからグロージャン家に知らせを出したのだろう。オレードに知らせ、グロージャン家の力を借りるしかないと。
「フェルナン。なにか知らないのかい?」
「知らない」
ローディアがどうしてレナを? それは自分が聞きたい事だった。
ローディアは、結界を壊してまでレナの家に勝手に入り込んだ。その理由は曖昧で、レナはよくわからないと言っていた。
こちらの屋敷にローディアが来ることはなかったのに、ローディアの使いが来てレナを城へ連れて行った。
王子が屋敷に訪れ、レナが晩餐会で料理を作ることになったのは聞いたが、なぜローディアがレナを城へ連れて行ったかわからない。オクタヴィアンが言うには、おかしなところがあると思われている。とのことだが。
まさか、異世界人だと思われているのではないだろうか。
神殿で、異世界人が現れる兆候でもあったのか?
「ローディア・ヴェランデルか。アシュトン王子と反りが合わないとは耳にしたな」
マウリッツがこの屋敷にいて、どうやって城の情報を得ているか。古い知り合いはまだいて、それらから聞いているのだろう。マウリッツは顎髭をなでながら、元王の治療について話し出した。
ヴェーラーが治療にあたったが、回復することはなく、意識のないまま塔に閉じ込められた、元王エルランド。やっと目が覚めたが、正気を失ったまま。治療の甲斐はない。けれどその治療を、ローディアが引き継いだ。
もしも、エルランドの治療がうまくいき、正気を取り戻すことになれば、
「危機を感じるのならば、現王のエリオットではないですか?」
オレードが疑問だと首を傾げる。兄である元王がまともに戻ったならば、現王エリオットだけでなく、他の貴族も混乱するだろう。倒れて王を辞した元王のエルランドからすれば、勝手に王を辞されたことになる。狂ったことが聖女の魅了のせいだとすれば、エルランドの愚行が緩和されるからだ。
「多くの者たちを殺した罪は重いだろうが、すべて聖女のせいだと言われれば、他の貴族たちははっきり反論することはできないだろうな。昔の、エルランドを知っている者たちからすれば、なおさら」
マウリッツはエルランドをよく知っていると、複雑な笑みを見せる。
聡明で魔法の力もあり、ローディアのように神官になれるほどだった。はつらつとして、王太子らしくはっきりと意見を言うような男。
「気になるのは、あまりに忖度しないところだったな。はっきりしすぎて、敵が多かったと言うか」
エルランドの話といえば、王殺し、聖女に惑わされた愚かな王子。そればかりで、性格などが噂になったことはない。国が傾きかけた事の方が重大だからだ。良かったところがあったとしても、掻き消えるほどの悪政。その男が今更目覚めたところで、王に推進する者などいないだろうに。貴族が推したとしても、民は納得しない。苦しんだのは貴族よりも民なのだから。
魅了した聖女。それにまんまとかかり狂った王。どちらも多くの国民から恨まれて、異世界人全てが悪となる今日に、エルランドがまともになって戻って来たところで、誰も歓迎しない。
それでも、ローディアがエルランドを治療していることを、アシュトンは警戒しているのか。おかしな話だ。
オレードも、治療くらいで二人の仲が悪いと言うのはおかしくないか? と問うた。マウリッツもそれくらいしか情報はないのだと、肩を竦める。
「若き天才をうらやんでいるのか、その辺りはわからないな。ローディアは王族の血筋。アシュトン王子がうらやむとは思わないが、良い気分ではないのは確かだな。二人は年が同じくらいだし。ローディアが大神官に上がれば、王族に口を出すことも可能だろう。大神官はヴェーラーの窓口のようなものだ。なまじ、神官は王族より民に人気があるからな」
それも聖女のせい。王族よりも、金を出せば治療をしてくれる神官の方が、よほど役に立つ。ローディアに至っては、神官を連れて町での治療を行う真似をしていたそうだ。
「ローディアが平民に対してそういった真似をするのは、どうにも想像しがたいですがね」
「ローディア自身が行うわけではないからな。号令を出して、神官にやらせるといった感じか。おそらくヴェーラーの命令ではないか? 今のヴェーラーはローディアと違って民に厚い。……まあ、予言のこともあるからだろうが」
ヴェーラーが異世界人を予言した。その結果が国を揺るがした。その引け目でもあるのか。
マウリッツはなんとも言えないような顔をして、そう告げる。マウリッツは聖女が悪であることを口にしたくないのだ。ヴェーラーの行動も鼻持ちならない行為なのだろう。
そんなことを不機嫌に思う者など、数えるしかいないのに。
そんなことはどうでも良かった。聖女とエルランドは無実だと言っても、誰も信じないどころか、怒るのが目に見える。フェルナン自体。まだ信じていない。本当に、男たちを手玉に取り、高価なものをせびっていたのではないのか? たとえ他の要因で周囲が狂っても、貢物が相当にあったことは事実だ。
そう考えて、フェルナンは頭を振る。
今はレナがどうして連れて行かれたのかの方が問題だ。
レナまで関わらせるほど、ローディアとアシュトンの間に、なにがあると言うのだろう。
贖罪のために民に施す。それをローディアが継いでいる。民から見ればローディアの先導に見える。王族からすれば良い気分ではないのか? ローディアの血筋を考えれば、王族が勧めても良いような話なのに。
それをローディアが行なっているのが気に食わないのか?
「ローディアの行動が、王子の足元を揺るがすほどとは思えないんだがな。民からローディアを王にしろと言われるわけではないだろうに。貴族からしてもローディアは第三継承者だ」
やはり、アシュトンがローディアを敵視する理由はわからない。それに巻き込まれたレナについても、そこまでする必要性が見出せなかった。
その時だった。頭の中で、別の視界が遮った。
誰かが叫んでいる。天井が落下した。それから、
「――――レナ!?」
リリックが、攻撃体勢をとったのがわかった。




