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72 護衛騎士

「フェルナン。久しぶりだな」

「お久しぶりです」

 男が手を伸ばしてフェルナンの手を握った。


「体調が悪いのか? ひどいくまが。眠っていないのか」

「いえ……」

「とにかく入りなさい」


 フェルナンがこの屋敷に来るのは久しぶりだった。何度か訪れたことはあったが、古い話で、しばらく疎遠になっていた。

 相変わらず、隠れるように住んでいるのか。


 促されて部屋に入り、なにも変わっていないことに安堵する。物は少ないが綺麗に掃除されており、似合わぬ花が飾られていた。長年彼の世話をしている老齢のメイドが置いたのだろう。

 相変わらずの髭面で、口周りが白髪混じりの毛で覆われている。黒髪も同じように白髪混じりで、長い癖毛のそれを後ろで結んでいた。昔は短髪で、凛々しい顔をしていたが、今ではヒゲのせいで人相がわかりにくかった。


 マウリッツ・グロージャン。その短髪の頃、聖女の護衛騎士を務めていた。王の奇行が聖女のせいだと言われ、矛先が聖女に変わった後、断罪される前に護衛騎士を辞めた。無責任に逃げたと罵る者は多く、グロージャン家は彼との縁を切るまでになった。

 隠れて生きるような人ではないのに、今では隠居生活を行なっている。


 カチリ、とお茶の注がれたカップが置かれた。老齢のメイドが軽い菓子を置いていく。

 屋敷は一人で住むには十分な広さだが、大貴族の次男だった男が住むような広さではない。ただ、一人のメイドが屋敷を掃除し、執事が管理し、庭師が庭園を整えている。料理人の腕も良いらしく、過ごしやすさを感じた。騎士崩れの警備も一人いるが、おそらくマウリッツの方が腕はあるだろう。メイドたちを守るためにいるのだと、昔聞いたことがある。


「墓には行ったそうだな。花が手向けてあった」

「あれは、」

 花を手向けたのはレナだ。自分ではない。


 墓はこの屋敷から少し行った小高い山にあり、マウリッツはよくそこに参るのだろう。花を植えたのは彼ではないが、レナの言う通り、誰かしらが墓を訪れていた。

 この屋敷にいる者たち皆が、墓の主と関わりがあったからだ。


「オレードから聞いている。一度会ってみたいものだな。少し変わったお嬢さんだとか」

「常識がない女性です」

 キッパリいいやると、マウリッツは吹き出すように笑った。

「物怖じしないお嬢さんだとも聞いている。お前に会っても気にした様子がないとか。そんなに若いお嬢さんなのか?」

「十五、六歳だと思いますが」


 年は聞いたことがない。初めて会った時子供だと思っていたが、時折大人びた意見を口にする。言葉を選ばないところがあり、物怖じしないのは精神年齢が低いからなのかと考えていたが、確固たる考えが彼女の中にあって、そこからぶれることがないと気づいた。


「異国の者だからか、考え方が変わっていて、物の見方が違うんです」

「そうか。良い人と出会えたな」

 マウリッツの言葉になぜかカッとなった。熱いままの茶に口をつけて、それごと飲み込む。変な意味で言ったわけではないが、茶のせいで体温が上がった気がした。


「常識はないようだが、知識などはあるそうだな。オレードから、学院にも通っていたと聞いた。商家の娘なのではと言っていたが」

「学びは行っていたようです。病で続けられなかったと聞いていますが」

 長い間病に苦しんでいたが、それも終わり、一人で暮らすまでになった。学びは好まないと言っていたが、指輪の文字を読むことができた。


「この指輪に書かれた文字は、他国の文字ではないんですか? 本当に、誰にも読めない文字なんでしょうか?」

 フェルナン自体、指輪の文字は調べたことがある。学院では何度も書庫に通ったが、なにもわからなかった。王宮の書庫に行けばなにかわかるかもしれなかったが、そこに行く勇気はなかった。

 学院の書庫にないのならば、王宮の書庫も同じかもしれないが、この世界の文字ではないとは言い切れない。自分たちがわからないだけで、遠い遥か彼方の文字だという可能性だってあるだろう。そうでなければならない。

 そうでなければ、レナは。


「その指輪は、ヴィルフェルミーナ様がこの世界に来た時から持っていたもので、大切にされていたものだ。ヴィルフェルミーナ様が指輪を外すことはなく、お前を連れ出す際に授かった。ヴィルフェルミーナ様がこの世界の人間ではないと証拠付ける、唯一のもの。古代語でもなんでもなかっただろう?」


 それも調べた。古代文字であれば、書庫に本がある。それと同じ文字はなかった。この文字を知っている者はいないのだと。

 だから、首にかけても気づかれない。こんなもの首にかけたくなどなかったが、マウリッツがきつく言い渡した。肌身離さず持っていろ。ヴィルフェルミーナが大切に持っていたものだからと。


 マウリッツは聖女が断罪されるかもしれないとなる前から、護衛騎士を辞すことを命じられていた。子供を、秘密裏に逃がすために。

 聖女に子供ができたことを外にもらさなかったのは、当時の王の命令だった。父親を殺し聖女を妻にした、エルランド王。


 聖女に子供ができたことを周囲にもらせば、聖女が狙われるかもしれない。それを恐れたエルランドは、聖女の妊娠を極秘事項として、少ない人数だけにその情報をとどめたのだ。

 そのため、エルランドが狂い、貴族たちを殺した後も、聖女が妊娠をしたことは周知されることはなく、知られぬまま、聖女は出産することになる。その頃にはエルランドは奇行を極め、王交代の話も出始めていた。だから、グロージャン家を筆頭にして、マウリッツが子供を城の外へ出す計画が実行された。


 マウリッツは言う。聖女、ヴィルフェルミーナの願いだと。聖女はこの後死ぬことになる。その時に子供がいると気づかれれば必ず殺されるだろう。そうなる前に、城から出し、誰にも知られることなく、育ててほしいと。

 マウリッツはヴィルフェルミーナを城から逃すつもりだったが、ヴィルフェルミーナはそれを拒否した。逃げることは難しいとわかっていたからだ。


 乳母代わりのメイドと共に、気取られることなく城を抜け出し、マウリッツはガロガを走らせた。冬の、雪の降る日だったという。寒さに震える赤子を胸に隠し、インテラル領へ向かった。

 そうして、メイドはアシャール家でメイドとして働き、妾として子供を産んだことにした。

 グロージャン家は王と聖女の子を守るために、マウリッツを家から追い出すふりをして、アシャール家に頼んだのだ。


 聖女の噂は悪辣だ。聖女が母親だと聞いた時、寒気しかしなかった。マウリッツに会うたび、聖女の話を聞かされてうんざりしていた。そこまでする必要があるのか? 意味があるのか?


 ヴィルフェルミーナは魅了の力を使い、周囲を操るような人ではない。だからその指輪は無くしてはならないと、何度も言われた。けれど、それが嘘にしか思えなくて、指輪の文字を調べた。もしかしたら異世界人ではなく、王族を惑わす恐ろしい魔物なのではないのか。それとも異国からやってきた、この国では知られていない魔法を駆使する詐欺師なのではないか。子供心にそんなことを考えて、夢中になって調べた。


 その内、異世界人が悪事ばかり働くことを知り、異世界人を忌避するようになった。今でもその気持ちは変わらない。世間の評価とマウリッツたちの証言と、どちらが本当なのか、聞いているだけでは信じることができない。考えるのも面倒になった。ヴェーラーの予言通り現れながら、その力を正しく使わないところも気に食わない。


 指輪は何度も捨てようと思ったが、捨てようとするたび、マウリッツの言葉が残り、捨てることができなかった。

 母親の、唯一の形見なのだからと。

 そして、この文字を読める者が現れた。

 レナ。


『ヴィルフェルミーナ。……聖女?』

 どうして、その文字が読めるんだ。聖女の世界の文字なのに。

 誰にも読めないはずだ。なのに、どうして。

 どうして、そんな顔をするんだ。

 やめろ。そんな顔で見るな!

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