69−5 無茶振り
一抹の不安を覚えながら、退場を促されて、玲那は部屋を出た。イザークはまだ苦笑いをしている。
どうしてアシュトンは笑ったのだろう。ご褒美に聖女の包丁。良いではないか。
「包丁はまずかったですか?」
「まずかったと言うか、もっと豪華な物を欲しがると思ったんだろう。殿下は料理長の座を欲しがると思ったんじゃないか?」
「それはちょっと、」
お断りしたい。
「もしくは高価な宝石とか? 色々あるだろう。まさか、包丁が欲しいとは、誰も想像しなかった答えじゃないか?」
そうかなあ。いい包丁だから、ほしくなるよ。切れ味最高。怪我しない。
料理長の座なんてお断りである。二度と王族の食事なんて作りたくない。玲那はプロの料理人ではないのだから。
「さっさと出ろ」
兵士が白髪髭男を追い立てる。顔色が真っ青だ。アシュトンに言い訳をするつもりだったのか、部屋から追い出されていた。
玲那の視線に気づくと、さっきまで真っ青だった顔が真っ赤になった。
あの顔は面倒なやつだ。気にせずさっさと部屋に戻った方が良いだろう。
歩む足を早め、部屋から離れると、案の定、白髪髭男が声を上げた。
「おい! お前! なんてことをしてくれたんだ!!」
白髪髭男がいきり立って玲那に向かってきた。
伸ばしてきた手のひらに、なにか見える。
「危ない!」
イザークの声と同時、赤いなにかが手のひらから溢れるのが見えた。
目の前に爆発するような炎がほとばしる。
「ギイイッ!」
一瞬の熱に悲鳴を上げそうになった。
けれど上げたのは白髪髭男の方だ。リリが玲那の前に立ちはだかるように羽を広げ羽ばたかせると、その炎を弾いて白髪髭男へ跳ね返したのだ。
その勢いで玲那は後ろに転げたが、白髪髭男の方は重症だ。炎に巻かれて、悲鳴を上げながらのたうち回る。イザークが急いで水の魔法で炎を鎮火すると、騒ぎに兵士がやってきた。
「何事だ!」
「こんなところで、魔法を使ったのか!?」
「そいつ、そいつが攻撃してきたんだ!」
顔を覆いながら、白髪髭男が尻餅をついている玲那を指さしてくる。
お前が攻撃してきたんだろう。と言い返したかったが、リリの反撃で倒れたのは白髪髭男の方だ。
どうしよう。ここで問題なんて起こしたら、オクタヴィアンに影響が出てしまう。兵士たちがわらわらと増えてくる。大きな叫び声だったので、応援がやってきたのだ。
火傷を負った白髪髭男を見れば、イザークや玲那が攻撃したように見えるだろう。リリはもうすでに玲那の頭の上に戻っていたので、リリが攻撃を返したとは気づかれていない。
「料理長がいきなり攻撃をしてきたんだ! 彼女は魔法が使えない。俺が魔法で防御した。防御が間に合わなければ、彼女が倒れていただろう。アシュトン殿下より褒美を得た彼女を疑うのか!?」
イザークがすぐに言い返す。それに、と付け加えた。
「彼女の銀聖が見えないのか!」
兵士たちが一斉に玲那の首にかけられた銀聖に注目した。勢いよく後ろに転がったので、服から飛び出したようだ。イザークは目ざといのか、グロージャン家の銀聖だぞ! と付け足した。
それだけで兵士たちが縮み上がる。
「来い! こんな場所で魔法を使ったのだから、罪は重いぞ!」
一人の兵士が言えば、それで納得したと、玲那とイザークを置いて、反論する白髪白髭男を連れて行ってしまった。検証とかしないのか。権力強すぎるだろう。
「ありがとうございます」
「そんな物を持っていたのに、どうして最初に出さなかったんだ? しかも、グロージャン家とは。それに、さっきの鳥は、神官の獣だろう? すごい物を守護にしているな。只者じゃないと思っていたが」
只の者だ。銀聖もリリもたまたまもらったにすぎない。
それにしても、二人ともよくこんなすごい物をくれたな。今さらながら大変なことであったと気づく。ありがとうございまーす。わーい。なんて感じではなかった。平伏して礼をするレベルだった。
だからといって、もらった物を使い、偉そうにするのは話しが違う。
「よっぽどのことじゃなきゃ、使わないですよ。リリちゃんも私が危険だと動いてくれるんです。料理はイザークさんが手伝ってくれたから、なんとかなりましたしね」
おかげで助かった。今も助かった。手伝ってくれながら、礼しか言えない。アシュトンがちゃんと褒美を与えてくれるといいのだが。
「リリックは大抵の攻撃を防いで反撃するらしいからな」
そんな習性があるのか。普段隠れているので、姿を現した時は死ぬ時と言われるほどだとか。そんなに凶暴なの? こんなにかわいいのに。他にも種類がいて、リリックは神官がよく使役にするそうだ。姿を消しているところが使い勝手が良いとか。
ローディアも頭の上に乗せているのだろうか。想像して、吹き出しそうになる。とても愛らしいと思う。
「それより、あの男はどうなっちゃうんですか? 殺されたりしないですよね?」
「城は追い出されるだろうな」
「それなら、まあ。王子の命令聞かないから」
「まさか、あんな告げ口をされるとは思わなかっただろうな」
「私は最初っから言う気でしたけど」
「はは! 面白いお嬢さんだな」
告げ口されたからと、いきなり魔法で攻撃してくる神経に驚きだが。
イザークは笑って、調理方法は本当に素晴らしかったと褒めてくれた。何事もなく終えたことに安堵していたので、それなりに不安はあったようだ。失敗すればアシュトンからなにをされるかわからないという気持ちと、手伝わなければそれはそれで面倒に巻き込まれることになると想定していたらしい。
そんな葛藤の中、手伝ってくれたようだ。
悪かったな。と謝られたが、それは当然だと思うので気にしなかった。むしろこちらから礼を言いたい。イザークの力がなければ、全ての料理を作り終えられなかっただろう。
権力の前でどう動くのか。それは玲那が考えるよりよほど難しいことなのだろう。常に顔をうかがっていた周囲の者たちを見れば、そうであると断言できる。
その周囲の者たちの近くに、知っている顔がいた。
オレードの父親だ。こちらを見ても特に表情は変えていなかった。玲那の顔を覚えていないのかもしれない。彼にフェルナンのことは聞けないので、知った顔をせずに無視しておいた。ここで話す話でもない。
玲那はやりきったので、このまま帰る用意をすることにした。
フェルナンのことをやっと落ち着いて考えられる。屋敷に戻ったら、フェルナンはいるだろうか。帰り道で頭の中を整理して、フェルナンの部屋に突撃しよう。そうでないときっと無視されるだろうし、逃げられてしまうかもしれない。
もしかしたら、剣を突き立てられるかも。
そう考えて、そんなことはないと心の中で強く否定する。
そんなことは考えたくない。
帰ってからやることがたくさんある。そして早く家に帰れればいい。
窓の外はもう暗く、月が見え隠れしている。
馬車、用意してくれるかな。そんなことを、ぼんやりと考えていた。




