68−3 狩り
「フェルナン! こっちもだ!」
オクタヴィアンの声に、玲那はハッと顔を上げた。フェルナンはオクタヴィアンを睨むように見やったが、すぐに玲那に振り向くと、玲那が持っていたネックレスを乱暴に奪って、ポケットの中にしまい込んだ。
玲那はごくりと唾を飲み込んだ。
なにを言うでもない。玲那を背にして、フェルナンは怪我人の元へ行く。
今、フェルナンは、剣を手にしようとした。
近づきながら、剣に手を伸ばしていた。
玲那を、斬ろうとしたのだ。
どくどくと、心臓が鳴った。引いていた血が一瞬で体の中をめぐって、頭の中をめまぐるしく走り出した。
殺す気だった?
混乱で頭が熱くなって、目が回りそうだった。
怪我人の治療を終えたフェルナンが戻ってくる。どれくらい時間が経ったのか、フェルナンはガロガの紐を解くと乗り込んで、さっさと乗れと言わんばかりに玲那を抱き抱えて前に座らせる。
今のことが、なかったかのように。
玲那の呟きは、耳に入ったはずだ。
ヴィルフェルミーナ。聖女。
どちらも言ってはいけない言葉だった。
周囲には誰もいなかった。玲那の言葉に気づいたのは、フェルナンだけだ。
フェルナンはなにも言わない。玲那もなにも言えない。後ろを振り向く勇気もない。今は忘れろ。さっきのことはなにもなかったことだと。できるだけ、平常に、いつも通りに。
「結構怪我人出ちゃいましたねえ。あのお肉おいしいのかな。オクタヴィアン様めっちゃ喜んでる」
返事は戻ってこない。
都に来てからフェルナンはいつもこんな感じだ。返事も頷くとか、ぼんやりしている。だから、気にすることはない。それ以上話しかける必要もない。玲那は自分に言い聞かせる。
普段どうしていたのか思い出せない。話しかけすぎても変にうるさく感じられるかもしれないし、黙っていればいつもこんなに静かにしていたか気になってくる。
狩りはそのまま続き、オクタヴィアンの後をついていくだけで、休憩以外はずっとガロガの上で一緒。とてつもなく長い時間を共にしたような気分になった。
息が詰まるかと思った。フェルナンの前でこんな風になるとは。
「次の獲物は、十・四ダンです!」
秤で量られた獣の重さを発表する声が届いて、玲那は他の者たちに合わせて拍手をする。ダンってなんだ? なんて考えている余裕はなかった。周りに合わせて拍手をしながら、玲那は頭の中で今までの情報を整理していた。
ここにいるのもおかしいのに。
本来ならば陣の片付けをすべきなのに、なぜかオクタヴィアンの側で玲那は結果発表を聞いていた。騎士のラベルニアとルカに混じって、玲那も側にいる。この場に玲那も連れてこいとアシュトンの使いに言われたからだ。
フェルナンは陣に残っている。それで顔を合わせずにいるので、少しは考える時間が得られるかもしれないが、こちらはこちらで不安しかなかった。
櫓のように組まれたひな壇の上で、椅子に座って結果を聞いているのは王だ。聖女の魅了で狂った元王の弟。四十代くらいだとは思うが、やはり美形一族だ。銀髪で色白。隣に妃らしき金髪の女性が座っていて、その女性も美人だったが、アシュトンは父親似だろう。目元や鼻筋がよく似ていた。
アシュトンは狩りに参加していたため、そこには座っていない。ひな壇からならば玲那が見えただろうが、人混みの中、他の男性たちに比べて身長の低い玲那は、アシュトンの視界には入っていなそうだ。前の方にいるのが玲那から見えたので、玲那には気づいていない。
アシュトンから呼ばれたはいいが、声はかけられていなかった。このままなにもなければ良いのだが。
考えすぎて頭が痛い。もうなにも考えたくない。しかし考えてしまう。
フェルナンの立ち位置。フェルナンが聖女の指輪を持っていること。
あの肖像画に描かれていた、くすんだ銀色の指輪。おそらくあれがフェルナンの持っていた指輪ではなかろうか。絵なので色は違う。金色の宝石付きの指輪の後ろで、影が描かれていてくすんで見えただけかもしれない。フェルナンの銀の指輪はあそこまで暗くない。もしくは、地味な飾りのない指輪だから、わかりにくくするためにくすんだ色に塗っただけかもしれない。
そんな美術的な説明を考えながら、フェルナンの指輪があの指輪と同じ物ではないかという想定に至る。
どうしてその指輪を、フェルナンが持つことになるのだろう?
フェルナンは異世界人を嫌っている。前にオレードから聞いたことがあった。
神官だから、という理由を付けて、異世界人を苦手とするきらいがあるのだと。
異世界人の発現を予言したのはヴェーラー。しかし、異世界人はこの国に恩恵をもたらさず、混乱に陥れる。そのため、神官は特に苦手としている者が多いのだ。ヴェーラーの予言が、まるで不幸を呼び出すもののように考えられてしまうから。
それなのに、異世界人を嫌っているのに、聖女の指輪を、大切に持つのか?
あれは言い訳だったのだろうか。
聖女の指輪を持っているのに、異世界人を憎む。聖女を憎むとしたら、
「子供……?」
「アシュトン殿下! 二十一・三!!」
わっ、と歓声が上がった。アシュトンの獲った獲物が最高値だったようだ。
アシュトンは歓声に応え手を上げながら王の前へ行くと、膝をついて首を垂れた。褒章が与えられるようだ。
王の息子。王子のアシュトン。王は魅了を受けた王の弟で、本来は王ではなかった。王であった兄は聖女の虜になり、王を辞する。
もしも、本当に聖女の子供ならば、フェルナンは、
「おいっ」
ドン、とオクタヴィアンが小声で玲那を肘で小突いた。何事かと顔を上げれば、なぜか周囲が玲那に注目している。
褒賞をもらうために櫓の上に立ったアシュトンと、目があった。
「彼女の料理に感服した。彼女ならば、素晴らしい料理を作ってくれることだろう!」
なんの無茶振り!?




