66−2 王宮
泉に、男性の彫刻。思い出される、使徒の話。玲那は逃げ去りたい気持ちになった。
後ろで再びゴゴ、と鳴って扉が閉められる。
めっちゃ帰りたい!!
ローディアが今まで以上に含んだにっこり笑顔を向けてくる。その顔、企みがありすぎる。
「ここがなんの部屋かおわかりですか?」
「わかんないです」
「想像はついているのでは? 異世界人に興味があるのでしょう?」
語弊! ヴェーラーには興味ない!
言ってやりたいが黙っていた。ローディアは蔑んだ瞳を向けながらも口元を上げている。器用な真似をしてくる男だ。
神殿に泉。ヴェーラーの像。ここが、予言を見る泉。お告げがあると言われている泉だ。祈り続けたら大きな力を得られたとか、嘘くさいあそこである。
心から興味がない。インチキくさいヴェーラーのお告げなどまったく興味がない。
「ここはヴェーラーが祈る泉になります」
ほら、やっぱりー! もう帰りたい。帰りたい!
玲那の願いむなしく、ローディアは泉に寄るよう言ってくる。
「私が入っていい場所じゃないんじゃ」
「ここに入ることを許されているのは、ヴェーラーと大神官のみですが、大神官が掃除をするわけではありませんからね」
ローディアは神官だった気がするのだが。その問いはしない。大神官候補なのだから良いのだろう。玲那が入れる場所ではない。掃除をしろと言うならば掃除をするので、それで呼ばれたと思いたい。思いながら、泉に近寄った。
水はただの水であろうし、透明なそれで、タイル張りの底がよく見える。特になにか不思議な雰囲気があるわけではない。霊験あらたかな雰囲気があるといえばあるのかもしれないが、観光地の温泉施設にでも来た気分だった。古さを感じないからだろう。どこかの宗教施設、神社や教会に行けば、古さに歴史を感じ、畏怖を持ったりもするが、その古さがないのだ。
「あの、作ったばっかの施設なんですか?」
玲那の言葉に、ローディアがきょとんとした顔をした。初めて見るような、とぼけ顔だ。すぐに怒られるかと思ったが、ローディアはプッと吹き出した。
「ああ、失礼。そういった感想が出てくるとは思いませんでした。ええ、確かに、ここは新しく作られた場所ですよ。泉の水は当時の井戸から水を引いていますが、建物は新設されました」
ローディアは軽く笑ってから、こちらへどうぞと別の場所へ玲那を促した。天幕の後ろに通路がある。
「普通は恐れおののくとか、神聖さに恐縮するとかなのですがね。ヴェーラーに興味がなければそんなものでしょう」
「はあ……」
だって真新しいんだもん。タイル張りのお風呂だよ。温泉施設だよ。
タイルは大きめで翡翠のような美しい緑色などがはめられていたので、なおさら温泉施設に見える。おしゃれ温泉だ。露天風呂だったら最高。おうちのお風呂が恋しくなってきた。オクタヴィアンのせいで、まだ一度も入っていない。
ローディアは思い出したように笑う。次期大神官と称される神官だというのに、ヴェーラーに興味がなければそんなものと言うローディアも不思議に思えた。よくよく考えれば玲那の発言は失礼だろう。ヴェーラーの祈りの泉である。それを前にして、新しい施設? はなかった。反省する。
「本来ならば入られる場所ではないのですから、ゆっくり見学していってください」
そんなこと言われても。天幕の後ろは暗い廊下で、炎とは違う灯りがゆらゆら揺れている。窓はなく、石でできた廊下が古さを感じた。こちらは新設されていないと言うことか。先ほどの泉と像、ドーム状の建物は新しいようだ。離れた場所の壁は古いのだから、泉の周辺だけ丸っと立て替えたのだろう。
しかし、廊下が暗い。光が仄かすぎて、よく見えない。
泉を見ても玲那が反応しなかったので、ローディアも気が抜けたのだろうか。ローディアは間違いなく玲那を異世界人だと思っている。疑われる真似をしたつもりはなかったが、古代語云々の話から、ローディアは完全に疑っている。
とはいえ、祈りの泉を見せられても、玲那にとって関わりはなかった。ヴェーラーが予言したわけではないだろうし、異世界から飛ばされて降り立ったところを誰かに見られたわけではない。
代々の異世界人と違い、玲那はイレギュラーだ。そもそも体も玲那のものではない、誰かの体を乗っ取ったわけではないようだが、代々の異世界人は自らの体のまま飛ばされてきている。
「異世界人は、あの泉のところに現れるんですか?」
「初代聖女が現れた時には小さな泉があったそうです。その泉に聖女が降り立つと初代ヴェーラーが予言し、その場所に聖女が現れました。それからあの場所で声を聞き、あの場所に異世界人が現れたとされています。が、直近の聖女は別の場所ですよ」
直近の聖女。魅了の聖女だ。絞首刑にされた、異世界人。
「聖女は王族専用の庭園に現れました。当時の王太子が最初に気づき、聖女を受け止めたと聞いています」
それで惚れてしまったのだろうか。しかし父王に聖女を奪われて、その後奪い返す。魅了にかかってしまった二人は一緒にいたのだろう。
「今の王様は、聖女の魅了にかからなかったんですね」
聖女が現れた時に現王もいたと言っていた。その場にいたのならば、聖女の影響を受けるのではなかろうか。そう思ったのだが、ローディアは首を振った。現王は影響を受けていないと。
近くにいなかったのだろうか。聖女の魅了の力はどこまでの範囲に影響を与えたのだろう。
「当時の王は偏屈で、王らしい王でした」
「王らしい王?」
なにを急に。ローディアはゆっくりと廊下を歩む。顔は見えなかった。先を歩いているからだ。
「自分の価値を上げるために多くを犠牲にし、なんでも利用しました。聖女すらも」
自分の価値を上げるために聖女を側室にしたということか?
「じゃあ、魅了にかかったわけじゃないってことですか?」
ローディアは無言のまま進んでいく。
「民には人気がありましたが、周囲の者たちは疲弊していました。横暴で、暴力的だったからです」
それ、言っていいのか? 古い話だからいいのか。
王は残忍で、メイドを殺したこともあったそうだ。けれど民には人気があった。弁が立ち、民の心を掴むのがうまかった。民の言葉に耳を傾け、声を上げた者に王は慈悲を与える。
助けてほしいと懇願してきた者たちの声を聞き、すぐに問題を解決したのだ。だから一定の者には人気がある。一度声を聞けば、問題を解決してくれる。その噂は民にとって聞こえが良いだろう。その噂が一人歩きし、民にとって良い王となったのだ。
しかし、実際は暴君だった。個人的な願いだけを叶えているのだから、そこに道理はない。背景のことなど気にせずに鶴の一声、王の命令一つで正義が決まってしまう。その結果で損をこうむる者もいる。後始末をしなければならない者もいる。それらが民ではなく城の者たちで、王のもとで働く者たち。
そんな王を弑したのが息子の王子だった。




